MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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「選手権」「東北CC」クラブ関係2大会進行状況。【2022社会人野球】

【1】クラブ選手権、進行状況
 岩手県では企業2チームと久慈クラブによる定期戦が行われましたが、そちらに関してひとまずおきます。全国ではクラブ野球選手権・等々力球場を目指す戦いが行われ、ここまで16代表のうち15代表が決まっています。東北地区と同じ週に行われた関東、中四国地区予選に関しては記述しましたので、その他地区の部分について触れていきます。
▽北海道→上位にはつくものの「壁」に当たることも多かったトランシスが、北海道ブルーウェーブや東北海道といった近年加入チームの挑戦を退け、最後決勝戦では古豪小樽野球協会に勝ち、6年ぶりに代表権を手に入れた。
▽九州地区→最終予選には8チーム参加。2試合を競り勝ったビック開発クと前年代表シンバネットワークの「沖縄決戦」はビッグ開発クが制して本大会進出を決めた。
▽東近畿地区→7月3日から開始予定だったが雨にたたられ、翌週にようやく開催。近年はOBC高島に押されることも多かった大和高田クだが、今予選ではOBC、三菱京都ダイヤモンドフェニックスに勝って本大会進出を決めた。
▽西近畿地区→大阪・和歌山、兵庫で勝った4チームによるワンデートーナメント。全国的に見ても優勝候補と思われたマツゲン箕島がNOMOベースボールクラブに敗退。NOMOは勢いで兵庫県警桃太郎も破り本大会に進出した。
▽東海地区→これまでは県レベルの1位チームのみで争われていた二次予選の幅を広げ、10チームによるトーナメントで7月上旬に開催。実績のある浜松ケイスポ、矢場とんや注目されていた山岸ロジスターズが相次いで敗退。混戦なった大会を制したのはジェイグループ
北信越地区→8月6、7日に開催。去年全国準優勝の千曲川クラブが佐久コスモスターズとの同地区決戦を制すると、HBC金沢をコールド、決勝は新潟コマーシャルとの激戦を1―0で制し本大会進出を決めた。
 そして、関東地区代表決定戦で敗れた4チームが最後の1枠をかけて11日に行われる試合に挑みます。参加チームはGood-Job、全大宮、全川崎、全鹿嶋の4チーム。

【2】東北クラブカップをかけた戦い
 クラブ野球選手権は多くの方が触れられていますが、東北クラブカップに関して触れるのはWeb界を見渡したところ…私だけになりそうなので、JABAHP(www.jaba.or.jp)、一球速報ページ(https://baseball.omyutech.com/)でわかった部分を。東北クラブカップの本大会は8月20、21日開催。各県によって代表の決め方が分かれているので そこら辺の事情も含めて記してまいります。
秋田県→6月25、26日に、独自予選会開催。クラブ選東北予選出場のゴールデンリバースは除外。準決勝から登場した能代松陵ク由利本荘に競り勝つと、クラブカップの実績のある互大設備ダイヤモンドクラブとの決勝戦ではコールド勝ちし、本大会進出を決めた。
岩手県→クラブ選手権と併催。以前は7〜8月に独自の予選会を行っていましたが、2020年あたりから岩手県クラブ選手権(=クラブ野球選手権岩手予選)と併催して、クラブカップ進出チームを決める形をとっています。今大会は準決勝進出し敗退した久慈クラブ、高田クラブがクラブカップ進出の権利を得ました。
宮城県→今年はクラブ選手権県予選と併催。宮城は年ごとに形式が調整されるようです。クラブ選準決勝で敗れた2チームによる代表決定戦が行われ、TFUクラブが勝ちクラブカップ進出。
山形県→他県はクラブ選手権東北予選進出チームは除外して選抜する形式をとっていますが、山形は参加希望全チームの参加で開催。今年は8月6日に予選をリーグ戦で開催。新庄が2連敗で脱落した後の“決勝戦”では、今年加入の片山商会BCが4―2で鶴岡を破り、初の上位大会進出を決めた。
福島県→クラブ選東北予選に進出したいわき、白河、エフコムを除外し希望8チームで開催するも、コロナ感染急拡大の影響か2試合が不戦の憂き目に。全国準優勝の経験を持つ郡山BBCが2試合を大勝し優勝。クラブカップでは上位に進出することも多いALL北嶺は小峰クラブとの競り合いを制し東北進出を決めています。
青森県→すみません、全く全然わかりません。おそらくは全弘前かキングブリザードのどちらか。
 …抽選は既に行われたようですが、出場チームが決まっていない以上発表はされません。石巻市民、石巻市河南球場で行われる大会の上位チームは、北海道チームとの「北海道・東北交流試合」に出場する権利を得ます。なかなかコロナの影響でこの大会も開催されていない状態が続いていますが、今年こそ…というふうに願っています。

【3】岩手の公式戦
 最初にも書きましたが、8月6日に行われた定期戦の結果、8月20、21日に行われる三陸沿岸クラブ大会については後ほどの記述とさせていただきます。特に後者の大会に関しては、参加が予想されたチームのうち2チームが東北クラブカップに進出したので、どういう形になるか。協議中と思われますので発表を待ちます。
 ここまで長くお付き合いいただきましてありがとうございました。
 

岩手定期戦はトヨタ自東、JR盛岡、久慈クラブ3チーム参加で6、7日に。【2022社会人野球】

 私は盆前作業に追われていますが、岩手県社会人野球では8月6日、7日に連盟定期リーグ戦が行われます。当初は弘前アレッズも参加してトヨタ自動車東日本、JR盛岡、久慈クラブとの4チームで行われる予定でしたが、弘前アレッズが出場辞退となり、試合開催は以下の3試合のみとなります。(https://baseball.omyutech.com/ 一球速報ページより)
・6日8時30分前予定 久慈クラブ―JR盛
・6日13時30分前予定 トヨタ自東―久慈クラブ
・7日10時00分前予定 JR盛岡―トヨタ自東
 トヨタとJRはこの後日本選手権、久慈クラブは東日本クラブカップと重要な公式戦を控えています。選手達が何か実を得るような試合を―特に久慈クラブは対戦相手が厳しいものはありますが―得られればと思うものです。
PS 復興記念交流試合が陸前高田でも1カード組まれる報道がありました。

実は“盆前進行”入っています―記事進行について。

 家族との隔離生活を余儀なくされましてその間車中泊。ようやく解除となりましたが反動でグダッてしまい、しかも仕事や地域内行事の盆前進行が前半10日間に集中しているので、記事製作は…
▽今週中→定期戦紹介
▽来週1→定期戦結果
▽来週2→東北CC+クラブ選
・一関大会→下準備すら…
▽第三週→三陸沿岸クラブ大会、東北CC大会
▽第四週→クラブ選手権本大会
▽八月中→1946〜1972福井県社会人野球挑戦記(※1934〜42は補筆)
▽九月前半→1931〜1965島根県社会人野球挑戦記
 を計画しています。島根県〜はクラブ選でMJG島根が本大会進出していたら8月中に作る予定でしたが、惜しくも…でしたので、資料の穴が開いている戦前を補強した後に製作。体調の都合もあり、実際の試合観戦は三陸沿岸クラブ大会の赤崎試合分のみになりますが、この「挑戦記」は今年中にある程度進めたい(福井06〜、奈良32〜57年、山梨、山形、青森概略)と思っています。
 熱帯夜も厳しく、心身削られる状況ですがお気をつけてお過ごしください。

エフコム、リバースも全国へ、岩手勢無念―クラブ野球選手権東北予選3日目の結果【2022社会人野球】

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 こんにちは。暑い一日だ、というのは『夏はそんなもの』…と言えないくらい近年はこたえるものがあります。熱帯夜になっていないのばかりが救いです。クラブ野球選手権二次予選は東北と関東の二つの地域で行われました。一球速報ページ(https://baseball.omyutech.com/)を参考に雑感を記します。
▽代表決定戦 エフコムBC11―4 オール江刺 
 安打数は互角だったものの。相手守備の乱れに突け込んだエフコムが得点を積み重ね八回コールド。体制変更後初の全国進出を決めた。江刺は投手新リーダー格2人が登板したが、守備がが足を引っ張ってしまい、無念の敗退を喫した。
▽代表決定戦 ゴールデンリバース11―0 水沢駒形倶
 おそらく今年のクラブ選手権予選で最大の「衝撃的な結果」ではなかったか。四回までは予想通りの接戦。五回、リバースが4得点を挙げるも「ここからならまだ勝負になる」と思われいたが、リバースの八回七得点は駒形の気力をへし折った。
▽決勝戦 東北マークス 4―0 弘前アレッズ
 二度目の東北優勝を目指した弘前アレッズだったが、東北マークスは二回に先制をすると五回に中押し、八回にだめ押しで点数を重ね、投手陣もアレッズ打線に2安打しか許さず完封勝利、2年連続東北王者の座に就いた。

 岩手県勢は残念ながら、全国進出が叶いませんでした。
 オール江刺はこれまで左右の投手陣の中心になっていた選手が一線から一歩引き、新たな陣容で戦いに臨んできましたが、チーム全体で失点をいかに抑えるか、の宿題はまだこなしきれず、2年連続の全国行きはなりませんでした。
 また、文中にも書きましたが水沢駒形の大敗はショック。リバースは絶対的エースを持って来るだろうと思いましたし、駒形も抜かりはなく戦ったのでしょうが、リバースの集中力が上回ったということでしょう。往々にしてですが、大きい力で互角になればなるほど、その均衡が崩れたときは驚くほど傾く。それは分かっていてもこのスコアは…でした。
 リバースは土俵際に追い詰められた格好となりながらも絶対的切り札を残し、起用に応えたこと、打線も前身にあたるユーランドクラブから存じている選手達が力量を維持していたのはすごいと思います。エフコムも体制が変わったりする中で、更に県予選ではよもやの敗戦も経験したりして、気力がキリッと締まったのが効いたのか、立て直して全国行き。
 今回、東北からはカタカナ4文字が呼称となるチーム(マークス、アレッズ、エフコム、[ゴールデン]リバース)が全国大会出場となりました。去年は一勝もできなかった東北勢、全国での活躍を願うものです。

 今日は関東地区でも予選6試合が行われ、去年全国ベスト4対決はハナマウイがTOKYOMETSを制するなど熱戦が繰り広げられ、ハナマウイは全鹿嶋にも勝ち全国進出、元プロ投手の存在が注目された全府中、全川崎のブロックは、群馬の太田球友が2試合を勝ち抜き全国行きを決めました。各ブロックの決勝戦敗退チームで行われる第5代表決定戦は8月11日に行われる予定です。
 今回はここまで終わったブロック(北信越と関東1以外皆終わりましたが)の様子を書こうかと思いましたが、作業がまだ途中で表に出せないので、今週中に東北クラブカップ予選の様子と併せて記すことができればと思っています。
 今週末にはもうひとつ、久慈地方で岩手県連盟定期戦が行われます。トヨタ自動車東日本、JR盛岡、久慈クラブに青森県から弘前アレッズが参加。岩手県社会人野球大会の青森県社会人チームの参加は、2008年の岩手県知事旗大会参加の三菱製紙八戸クラブ以来ではないでしょうか。4チームともこの後重要な公式戦を控えてるだけに腕試しの大会となります。参加される皆様の健闘を願うものです。お付き合いいただきましてありがとうございました。

アレッズとマークス、全国に。クラブ野球選手権東北予選2日目の結果と3日目のみどころ―そして、MJG島根の挑戦。【2022社会人野球】


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 こんにちは。本日も全国的に暑い一日でした。クラブ野球選手権二次予選が東北、関東、中国四国の三地域で開催。拙稿では東北のみ扱ってますが、今回は中四国予選も取り上げます。一球速報ページ(https://baseball.omyutech.com/)を参考に雑感を記します。

 まずは東北予選です。昨日二回戦を勝ち上がった4チームが準決勝を、二回戦敗退4チームは敗者復活一回戦を戦いました。
▽準決勝 弘前アレッズ 10―1 ゴールデンリバース
 ここ数年コロナ禍に泣かされてきた両チーム。前日快勝と意気高く臨んだ代表決定戦だが、試合は予想外に流れが傾く展開となった。アレッズが二回に2点を先制すると、五回に3点、六回に3点をあげ試合を掌握。リバースが六回裏に1点を返したが流れを変えることができずこのまま七回コールドに。久しぶりの東北舞台で一気に全国まで駆け上がった。
▽準決勝 東北マークス12―5 オール江刺 
 両チームとも昨年度東北代表。当然連続出場を狙いにいくが、先に流れを掴んだのは二回までに4点あげたマークス。江刺は五回に5得点を挙げ逆転するも、マークスはその裏に4点を挙げ再逆転すると、七、八回も着実に加点し、コールドに持って行った。下克上を狙った江刺は終盤のディフェンスに悔いを残した。
▽敗者復活一回戦 エフコムBC7―0 鶴岡野球ク 
 10年代に全国ベスト4を経験したエフコムと、26年ぶりの全国進出を狙う鶴岡との対戦。序盤は両者競り合ったが、エフコムが四回に先制すると、五回に一挙6点を挙げそのままコールドに持ち込んだ。安打数に差がついたわけではなかったが、一気にたたみかける力量を持ったエフコムが試合を制した形となった。
▽敗者復活一回戦 水沢駒形倶 15―4 オールいわき 
 東北のクラブチームで一躍注目を浴びる存在となった駒形。二度のイニング5得点と得点力の高さを随所に見せオールいわきを圧倒した。オールいわきは駒形右のエースから12安打と打ち負けていなかったが、二度のビッグイニングを許したのが痛かった。
 ―以上経過を経まして、弘前アレッズ、東北マークスの本大会進出が決まりました。東北マークスは少なくとも2年連続の本大会進出。NTT東北を前身にもちますが、今やすっかり「東北マークス」という一つの団体としての存在感を持つに至りました。私は勝手に“東北の梁山泊”などと呼んでいますが…まあ仙台あたりも大学野球盛んですよね。いまや社会人の他にも進路はありますが、そことはまた違う道を選択した選手の受け皿となっている、腕に自慢のある者たちの集まりという意味で“梁山泊”と呼ばせてもらっています。
 続いて弘前アレッズ。ここ数年のコロナ禍の影響、野球の部分では一番受けた県でしょう。今年ここまで参戦できていないチームもある中先陣を切って取り組み、青森県内の試合で野球カンは鈍らせないでいたことがこの成果に結びついたと言えるでしょう。
 そして、敗退チームはオールいわきと鶴岡。ともに県内は突破する機会は多く、東北の舞台を多く戦い、いわきは全国にも進んでいますが、なかなか東北トップクラスの壁を破りきってはいない。その悔しさはいかばかりでしょうか。東北出場回数の多さは、悔しさの歴史。またの挑戦を期待するものです。
 では明日31日に行われる3試合の見どころです
《大曲野球場 9時前開始予定》 
▽決勝戦 弘前アレッズ―東北マークス 
 東北王者をかけた戦いは全国大会に出場しそのなかで力をつけているマークスの東北二連覇と行くか、弘前アレッズが風雪に耐えた力を見せつけて王者に返り咲くか。いずれにせよ意地のぶつかり合いとなるだろう。
《サンスポーツランド協和 9時前開始予定》 
▽代表決定戦 エフコムBC―オール江刺 
 集中打を見せて勝ち上がったエフコムは投手陣の力量に安定感を増すことができるか。江刺も投手陣に発展途上の選手が多い。打線がそれをカバーしたい。
▽代表決定戦 水沢駒形倶―ゴールデンリバース
 地元から唯一出場のゴールデンリバースは準決勝不覚のコールド負け。強敵駒形が相手だが互角に渡り合えるチーム。投手起用に工夫を。駒形はタレントは揃うが一発勝負の厳しさ・悔しさを忘れずに対峙していきたい。


 さて、今回はMJG島根が入っていたので、中四国予選も取り上げます。島根県の社会人野球はこれまで都市対抗野球、日本選手権、クラブ野球選手権本大会の出場歴はなく、代表決定戦の進出も1949年都市対抗野球中国予選で中国電力が(太洋漁業に敗戦)、2015年にMJG島根がクラブ選手権の中四国代表決定戦に進んだのが最高でした。
 都市対抗で全国未経験の県は三つありますが、山梨県はクラブ選で全国制覇(79年山梨球友ク)、76〜89年の山梨静岡予選時代に多く進出しており、福井県もミリオンドリームズが複数回本大会に出場しています。
 島根県悲願の初全国なるか。結果は以下の通りです。
▽準決勝 MJG島根 8―2 倉敷ピーチジャックス
 7年ぶりに二次予選に進出した島根は、初回に5得点をあげると二回までに6―0とリード。ピーチジャックスが四回に2点を返し膠着状態になるが、七回に島根が2点を挙げ、15安打8得点で勝利し決勝に進出した。
▽準決勝 ショウワコーポレーション5―2 松山フェニックス 
 前身の柵原クラブ時代に全国出場経験のあるショウワコーポレーションはチーム体制を整え、中四国地区で十分な実績・経験を持つ松山に勝って決勝に進出。
▽決勝戦 ショウワコーポレーション10―5 MJG島根 
 島根悲願の初全国へ―その熱意は序盤戦からの点の取り合いとなって現れ、三回終了時で3―4と食らいついていたが、四回に4失点をくらい、七、九回に1点ずつを返すものの八回にも2点を失い、ショウワコーポレーションの全国行きを目の前で見届けることとなった。
 上記の理由で注目してた試合ですが、四回の4失点響いた格好になりました。天候が厳しい中代表をかけての連戦という厳しさ、そして島根の場合は第1試合→第3試合ということで、朝間と昼間の天気の違いがあったのかな、と。50年代には県内に10チーム存在し腕を研きあっていましたが、いまはライバルチームがなく、隣の鳥取県も活動チームがなくなって、活動するにも簡単でないものと思いますが、休止も経ながらここまで持ってきたのは見事と言うほかありません。今後も挑戦を続けて目標達成を…と願っています。

 今日はいつもと書き方を少し変えてお送りしました。関東地区では全足利クラブとコットンウェイ両栃木チームが本大会出場。31日はどういう戦いが行われるか、お体ばかりを気をつけて臨んでください。お付き合いありがとうございました。

クラブ野球選手権東北予選1日目の結果と2日目のみどころ―スポットは大崎にあてます。【2022社会人野球】

 今日は。都市対抗野球は今日決勝戦が行われ、横浜市ENEOSが前年度優勝東京ガスを破って優勝を成し遂げました。ENEOSには花巻東高校出身の加藤投手が在籍。準決勝は途中まで好投を見せましたが、今日はちょっと苦い思い出になりましたね。ほんでも優勝に貢献したのは間違いありません。おめでとうございました。東北代表、初出場ロキテクノなどと併せて後ほどお伝えいたします。

 さてメインです。クラブ野球選手権二次東北予選大会は、29日一回戦と二回戦あわせて6試合が大曲、サンスポーツランド協和両球場で行われました。その結果について一球速報ページ(https://baseball.omyutech.com/)をもとに雑感を記します。
▽一回戦 エフコムBC11―5 大崎トリプルクラウン
 最終的には経験の差で大崎を突き放したエフコムだったが、大崎も食らいつき安打数ではほぼ互角に渡り合うなど健闘を見せた。先制はエフコムも、大崎が五回までに4点をあげ逆転。エフコムが六回に3点を返し再逆転、九回に4点をあげ突き放し一勝。
▽一回戦 オール江刺 6―5 全白河クラブ 
 福島県準優勝で久しぶりの本大会進出に執念燃やす白河。その意気込みを初回の攻撃に持っていき5点先制でペースを握る。江刺は三回から徐々に追い上げを見せ七回にに中軸打線の攻撃で白河を逆転。投げては二回からリリーフした新興の投手が試合を落ち着かせ、見事な精神力を見せて初戦を突破した。
▽二回戦 ゴールデンリバース 13―1 鶴岡野球ク
 東北での戦いが多い鶴岡だが、投手陣を中心にメンバーの変遷は進み、この日に集合した選手は奮闘し初回に先制点をあげるが、リバースがその裏に5点をあげるとその後三回までに12得点の猛攻で試合の流れを一気に持って行き、4投手継投、17安打で勝ち切り準決勝に進出した。
▽二回戦 東北マークス 7―4 水沢駒形倶
 この日一番注目の東北クラブ上位を争うカード。接戦も予想され、事実四回表までは競り合いも、マークスの四回攻撃は流れを覆し、6連打を5得点でリード。駒形はこのままで終わらず、五回に本塁打などで3点あげ流れを引き戻そうとしたが、マークスエースに抑えられ無念の敗戦となった。
▽二回戦 弘前アレッズ 6―4 エフコムBC 
 ここ数年東北クラブチームで旋風を巻き起こし、近年はコロナ禍に巻き込まれてしくじたる思いをしていた両チームが思い切りぶつかった。先制はエフコム→アレッズが逆転→エフコムが八回に再逆転しこのまま決まるかと思わせたが、アレッズは九回に劇的な逆転劇を見せ、10安打ずつの打撃戦を制した。
▽二回戦 オール江刺 8―3 オールいわき
 東北トップを追いかける2チームの激突は点の取り合いとなったが、要所で一歩上回った江刺が予想以上の差をつけ準決勝に進出した。先行する江刺に追いすがったいわきだか、2点取った直後の六回裏に2点を奪われたのが響いた。江刺は他地域・カテゴリの野球を経験した2投手で逃げ切った。

 ―と、いうことで一球速報ページスコアの部分表記をもとに雑感を記してきました。今回は大崎トリプルクラウンにスポットを当てます。
 宮城県のクラブチームは東北マークスが一歩抜けていて、それを追いかけるのが東北福祉大→TFUクラブ、伝統校を基礎に形成している青葉クラブ、長年の活動歴のある白山クラブ、学生も多く入っているHOKUTO―BC。この3チームは近年クラブカップ含め東北レベルで戦っています。大崎トリプルクラウン宮城県最古参の石巻日和倶などとともに地元の硬式野球の受け皿に。大会ではすぐマークスとかTFUと対戦となって…で、なかなか大変な状況だども、活動し続けている様子を各サイトで視認してきました(なお、クラブカップなどの県予選調査が万全にできなかったことをおことわりします)。
 今回宮城県予選ではTFUクに競り勝って東北進出。東北での戦いを長く経験するエフコムに最後上回れましたが、この舞台で闘う経験は貴重なもので、それがチームにとって、またチームに居る選手にとっていい影響が来ればいいかな、と思っております。これからの活動頑張ってください。

 組み合わせの一回戦=即敗退ゾーンの敗退チームは上記大崎に全白河ク。また別な機会でお目にかかりましょう。以下は30日に行われる試合の見どころです。
《大曲野球場 9時前開始予定》 
▽準決勝 弘前アレッズ―ゴールデンリバース
 終盤に競り勝ってきたアレッズは緒戦エースが奮闘。この試合では近年成長中の投手が見せ場を作れるか。二刀流に発眼した選手に注目。一方リバースは攻撃陣が地力を発揮して初戦快勝。脅威となる投手がまだ控えているので実戦で手応えを得たい。
▽準決勝 東北マークス―オール江刺
 厳しい戦いを集中打で押し切ったマークスは二日連続で奥州市のチームとの対戦。2本柱と目される投手が両方登板したが連戦対応は利く。チームの熟練度をより増したい。江刺は県予選から宿題を一つずつクリアし、全国舞台への道を敷いてきた。投手はフル稼働が予想されるだけにベンチワークも試されそうだ。
《サンスポーツランド協和 9時前開始予定》 
▽敗者復活一回戦 エフコムBC―鶴岡野球ク
 初日は勝利まであと一歩と迫ったが最後にどんでん返しをくらったエフコム、鶴岡も初日は大量失点を受けて破れた。どちらも気持ちの整頓をどうつけて戦うか、初日の影響力をどう超えるかがカギになりそう。
▽敗者復活一回戦 水沢駒形倶―オールいわき
 オールいわきも二日連続で奥州市代表との対戦となる。前日は最後突き放されてしまったがこの日は駒形にどう食らいつくか。レギュラー陣の攻撃力は見劣りしない。一方駒形は前日集中打で敗れはしたが「悪い負け方」ではないと目されるので、リスタートをきれいに決めていきたい。試合に臨む体勢を作る上で投手陣の選手集合を万全に。
 ―と、書かせていただきました。準決勝の勝者は本大会出場権を得ます。
 明日も天気がどうなるか、今夏は特に午前一気に気温が上がりますのでその部分を気をつけてお過ごしください。おつき合いいただきありがとうございました。

29日開幕!クラブ野球選手権東北予選1日目みどころ+紹介【2022社会人野球】


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 こんにちは。今項ではクラブ野球選手権東北予選について取り上げます。
 当初の予定は大会第1日目までに「東北予選の見所と全国の様子」をまとめた記事を書ければ、と思いましたが、東北予選の開幕は明日29日でした。さすがにこれをフルで作っていたら間に合いません。明日の試合紹介(JABAHP―www.jaba.or.jp―東北掲示板より)と兼ねて記していきます。

《大仙市大曲野球場―8時30分前開始予定》
▽一回戦 エフコムBC―大崎トリプルクラウン
 エフコムは去年、東北につながる大会は辞退。今年は都市対抗でALL北嶺、福島硬友ク、オールいわきに大勝し東北進出も東北の舞台では2敗。同予選翌週に行われたクラブ選県予選では川俣クに勝つも全白河に敗戦。北嶺との3位決定戦を経て東北に上がってきた。チーム体制・陣容が変わったが、全国行きを目指しに行く。
 大崎トリプルクラウンは過去成績を探れませんでした…去年のクラブ選県予選準決勝で敗れたTFUクに延長10回サヨナラ勝ちをし東北予選進出を決定。都市対抗予選ではハクサンクラブ(※トーナメント表より)に勝つもマークスに大敗。これまでの成果を結集して東北の舞台でどう立ち振る舞うかを見てみたい。
▽二回戦 ゴールデンリバース―鶴岡野球ク
 開催県地元から唯一出場のゴールデンリバース。例年有力チームに数えられるが、コロナ禍に苦しみ去年の東北予選ではチーム体制縮小で望まざるを得ず敗退。今年も都市対抗由利本荘クに延長13回競り負けたが、クラブ選ではその由利本荘にリベンジを果たすと、以降準決勝、決勝に快勝し東北の舞台に返り咲いた。
 一方鶴岡クも前年クラブ選県予選優勝も出場辞退。今年に入ってからは都市対抗で新加盟チームの片山商会に敗れるなど苦戦も続いたが、今予選県大会では新庄球友クに打ち勝ち、片山商会にリベンジを果たし東北の舞台に戻ってきた。
 東北舞台の経験値プラス勝ち切る力をどう見せるか。
▽二回戦 弘前アレッズ―第1試合勝者
 弘前アレッズをはじめ青森県社会人野球は、20年、21年と東北につながる大会のほとんどを辞退。それでも県内の大会で力を保持し続けてきたものを東北の舞台でどう出していくか。都市対抗で全弘前に苦しむも県優勝(東北2敗)、今大会予選も全弘前、ブリザードに大勝し東北に勝ち上がってきた。全国に狼煙を上げにいく。
 第1試合勝者は暑さが変わる状態の中迎える試合をにどう挑むか。
《サンスポーツランド協和 8時30分前開始予定》
▽一回戦 オール江刺―全白河クラブ
 江刺は前年クラブ選で久慈クに不覚を取るもライバル駒形に勝って全国進出。前年の公式戦ではMKSIBCに痛い目にあわされることも多く、今年の都市対抗も四回戦で競り負けたがクラブ選県予選でに勝利し、東北予選進出を決めた。剛軟そろった打線は厚みを増しているだけに実戦でどう輝きを見せるか。
 21年クラブ選手権では県予選敗退の全白河ク。今年の都市対抗でも県内活動チームの中で最古参の保原クラブに勝つも泉崎ノイジーズに打ち負けるなど苦戦を強いられたが、今予選では郡山BC、郡山イーストを破りエフコムにも勝って準優勝。エフコムに勝った時のような戦いができれば存在感を見せることも。
▽二回戦 東北マークス―水沢駒形倶
 29日に行われる試合の中で最注目カード。東北マークスは去年のクラブ選、新庄、駒形、オールいわきを破り東北王者に。今年の都市対抗でも七十七銀行にあわやという展開まで追い詰め、クラブ選の宮城予選では準決勝、決勝ともに完勝。強力な投手陣を元に今年も王者をつかむことができるか。
 一方駒形。前年クラブ選手権ではマークス、江刺に敗れるもこの年の都市対抗では東北4位にまで進出。今年の都市対抗でも県予選で30点ゲームを記録し、JR盛岡との二度の死闘含め東北予選でも6日間5試合を経験するなど経験値を積んだがクラブ選本大会はブランクあり。東北王座奪回を狙いに行く。
▽二回戦 オールいわき―第1試合勝者
 福島県内では安定して上位につき、東北大会進出枠の一つには必ず入ってくるまでに力を高めてきた。前年クラブ選手権でも東北準優勝で全国大会進出。都市対抗県予選では準決勝で25点ゲームを見せるなど力強さも見せ、今大会予選では福島硬友ク、ALL北嶺との競り合いを制するなど準優勝で東北に。第1試合の勝者がどちらになるにしても接戦が期待されそうだ。

 さて。クラブ野球選手権の東北予選は「1回戦敗退2チーム即カット敗者復活トーナメント」という形式で進みます(長いよ名前←作者伊東←ダメだこりゃ)。
 らち開かないので…手っ取り早く言えば「一回戦の敗者は即予選敗退。残り8チームは二回戦からどのような形であれ2敗する前に2勝すれば全国進出」という形式になります。同じ10チーム参加でも「二回戦に勝った4チームが全国大会出場」という2008年までの形式もありましたので、昔から見ている人間にとってはハードルは高くなったものだなあと思いながらトーナメント表を見ています。
 去年は全国進出4チームがいずれも一回戦敗退と悔しい結果になったので、万全に戦える体制をつくる―大会三日間だけでなく、日常の社会人生活を営みながら―部分でどのチームにも頑張ってもらいたいなと思います。

 日程間違えたもので、本当はこの後「全国の予選状況」書きたかったのですが、それは来週に週明けに回さざるを得ません。
 ひとつだけ。
 中四国地区予選も今週末に行われます。松山フェニックス、倉敷ピーチジャックス、ショウワコーポレーションは全国大会出場歴がありますが、MJG島根は15年に代表決定戦に進んだのが最高。MJG島根が突破すれば、MJG島根だけにあらず、島根県チームにとって硬式社会人野球の初全国大会出場ということにもなります。
 酷暑にコロナ…お体ばかり気をつけて試合に臨んでください。長くお付き合いいただきありがとうございました。
 
【体が無事なら下記に製作予定。】
・29日→クラブ選東北予選
・30日→クラブ選東北予選+中四国予選
・31日→クラブ選東北予選
・8月2日までに→クラブ選全国の状況
・8月7日までに→東北クラブカップ6県予選の状況
・一関大会、岩手定期リーグは→善処します。

宮崎県社会人野球挑戦記・後編〈改訂版〉

 当初の構想時点で前後編になるのは覚悟していましたが、まさかそれでも足りなくなって戦後部分を2つに分けて書くことになるとは思いませんでした。今項では1954年から1965年まで九州社会人野球史に足跡を刻もうと努力した様子を記述してまいります

◆戦後編2 
(1)「全延岡」挑戦記―分鉄に迫るも…
 中編の最後で記した通り、宮崎鉄道局は国鉄の機構改革により母体となっていた宮崎管理部がなくなり解散。1951年は全宮崎という名称で宮崎国鉄自動車に事務局を置く形で存続していましたが、この年限りで廃部届を出した模様です。そこから実質3年間、宮崎県から硬式社会人野球空白期が続きます。
 再び旗をあげたのは1954年に結成された全延岡。県境は越えますが近隣の先輩チーム・大分鉄道局が練習試合の相手となったのちに迎えた南九州予選―南九州と名はついていますが事実上福岡県以外の九州全地域が該当―の初戦の相手は、よりにもよって大分鉄道局!腕試しの2試合は計19失点くらっていただけに、まずディフェンスを力入れたものと思われますが、結果から言えば2本塁打が効いてしまい、0―6で敗れてしまいます。
 その年の秋に行われた九州選抜大会でも初戦は大分鉄道局とあたりましたが、9月の台風災害で分鉄メンバーが復旧作業に入っていたための不戦勝。進出した準決勝ではブリヂストンに1―15で敗退。
 1955年都市対抗で日鉄北松と対戦した全延岡はエース、四番など中心選手が仕事と重なり不参加という事態に。代わって入った選手が奮闘しますが、三回に8点を失うなど大差をつけられ、相手のミスで1点を返しましたが、コールドで敗退。この年12月(!)に鹿児島で行われた九州選抜大会では福岡県の日鐵嘉穂2―11で敗れました。
 1956年の都市対抗予選では鹿児島鉄道局と対戦。新人の矢野投手が鹿児島鉄道局に失点はくらうものの被安打は6に抑え試合の雰囲気は締めましたが、攻撃陣が得点を奪うことができず0―5で敗退。この年は他公式戦には参加していませんでした。
 結成当初は「九州の先達チーム何するものぞ」という意気込みも紙面で語られていましたが、「寄合所帯」とも称されるクラブチーム特有のチーム状況を覆すことができず、実戦での公式戦勝利を残せないまま、1957年年頭に解散となりました。
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(2)「全宮崎」挑戦記―華々しい出だしと、継続する苦労。
 3年間奮闘した全延岡に代わって宮崎県の代表格として社会人野球に乗り込んだのは全宮崎。監督に宮崎鉄道局時代の好打者・新名氏が就任。月300円(200円の記事もあり)会費でチームを運営し、6月22日の社会人野球宮崎県支部結成に先立って6月16日に3000人を集めて鹿児島鉄道局と結成記念試合を行うなど、宮崎野球界全体で盛り上げようという意気込みを強く見ました。
 主戦投手は大分鉄道局時代に後楽園を経験している黒田投手。初めての都市対抗の試合は杵島炭鉱との対戦。五回までに8奪三振を奪い、後楽園を経験したチーム相手でも「練習量を多くすればやってやれないことはない」という意気込みをもって臨んだ試合でしたが、終盤体力不足から流れを杵島炭鉱に明け渡す苦いデビューとなりました。
 1958年は都市対抗までに6試合を経験。さらに高卒の選手も補強して、都市対抗南九州二次予選に意気高く挑みます。前年の黒田投手に続いて、この年は鹿児島鉄道局から吉田投手も加わり、この二投手をもってすれば一勝も―という期待も寄せられました。
 さらに、都市対抗二次予選会場が宮崎県開催という好条件の中で大会を迎えました…が、当時、南九州地区の第一戦にいた大分鉄道局に打線が1安打に抑えられ、守備でも11エラーで黒田・吉田両投手の足を引っ張ってしまう格好となって初戦敗退。ただ、この二次予選大会の開催・運営は宮崎県野球史にとっては刺激となったとの談話もありました。1954年の高校野球選手権で宮崎県勢初出場から続く躍進の流れを社会人野球にもという意気込みは繋げられたものと思われます。
      ◆         ◆
 1959年に行われた 南九州予選では鹿児島市電に4―5と接戦に。五回に1安打と相手ミスをからめて3点を奪い逆転しましたが、四、五回集中的に5失点を食らい再逆転され、攻撃陣は二回に満塁のチャンスを掴んだものの1点にとどまったことが響いた格好となりました。しかし試合以外で気になる記述が。関係者談話として「存立が危ぶまれたが、1年でチームを潰すのが申し訳ない」という記述がありました。結成記念試合に3000人を迎え、大きな注目を浴びてスタートした宮崎ですが、活動2年にして存続が危ぶまれた、という記述があったのが気になりました。
 新聞の紙面からだけではチームの雰囲気がどういうふうに転がっていたかは知る由もありませんが、企業チームとは違ってクラブチームは、活動費の確保や選手集合などチームの運営はなかなか大変です。とくにこの時代は「クラブ選手権」のようなクラブチームだけに特化した大会はなく、企業チームよりチーム数多く活発に行われていた、というのは岩手と東京多摩地区、新潟くらい(全部クラブ、という栃木もありますが)。
 1960年シーズン。入部以来、数々の強豪を相手に互して投げてきた吉田投手がシーズン前に転勤となってしまいます。チーム結成から3年、選手の動態も起きて、メンバーを再編成して南九州予選に挑みましたが、九州予選初挑戦のオール佐賀との対戦で、八回に大量7失点をくらい一気にコールドに。参加した選手は真面目に奮闘をしましたが、厳しい現実を突きつけられます。
 そして翌1961年。
 大会参加決定は6月末ギリギリだった様子が書かれています。試合に参加できた選手は監督含めてわずか10人。各職場での個人練習が主でチーム全体の練習ができず、大会当日に「チームとしての力をつけよう」と、鴨池球場で開会式前の朝6〜8時に練習していたという記述も。大分鉄道局との試合では、打線がわずか3安打、12三振をくらったものの、それでも意地でコールドだけは阻止しました。
 毎日新聞宮崎版にはチームマネージャーによる以下のコメントが記述されていました。
「『棄権だけはしたくない。宮崎市の旗を掲げるだけでも意味がある』とマネージャーは大会前は4日も休暇をとって資金集めに駆け巡った。それでも資金が足りず、選手の中には自分の小遣いを割いて出場した人もいるという。『旭化成、日パ、宮崎交通など大きな会社もあることだし、地元の理解でノンプロ野球を育ててもらいたいものです。その意味から勝負は度外視して大会に参加しました』(毎日新聞宮崎版 1961年7月3日)」
 ―企業・実業団に入れなかった社会人の野球選手にとって、自分の身近にある野球は会社や身近な所で行われている軟式チーム、硬式野球は地域野球の中心者が都市対抗に向けて、地域選抜的チームで作られるケースが多かったこの時代。しかし、実際強いチームを作れるのは実業団・会社チーム。59年の部分で記したように、目標を見出しにくい状況で、継続することが大変な中での5年間の活動、全宮崎は捨て身の覚悟で宮崎野球の意地を見せ続け、5年の活動を終了します。
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(3)旭化成の参戦も…宮崎県空白化 
 その後3年間は宮崎県からの都市対抗野球参加はなく、1965年に県内有数の企業旭化成硬式野球に転換して都市対抗に参加します。
 古くはベンベルク工場の向陽会、レーヨン工場の麗陽会という社会人野球チームを輩出した旭化成が、いよいよ乗り出してきたことで期待されましたが、都市対抗南九州二次予選では三菱重工長崎にホームラン攻勢でペースを握られてしまい、打線も2安打に抑えられて敗退。秋の九州選手権では八幡製鉄に相手にエースの調整不足から本来外野手の2番手投手が先発するも、二回まで8失点。途中から入った内野手が適時打を放つなど2点を返したもの、コールドで敗退となってしまいました。
 この後1966年、67年の硬式社会人野球の試合参加歴を見出すことができず、日本社会人野球連盟報に67年12月7日付で解散届が提出されたことが記されています。それ以来40年、宮崎の社会人野球はの空白期に入ります。
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◆2000年代―挑戦はじめて88年目で宮崎梅田学園ドームに。そして「延岡社会人野球」の復興。 
 2006年。茨城ゴールデンゴールズと宮崎県選抜チームとの試合から湧き上がった「社会人野球チームがあってもいいのでは」。茨城ゴールデンゴールズと対戦した選手たちにより宮崎ゴールデンゴールズが結成。更に自動車学校を運営する宮崎梅田学園が、当初はクラブチームとしてチーム結成。実はもう一つ、宮崎シティクラブも結成の準備にはかかっていましたが、春先に2度目の選手テスト募集の記事があったの最後に消息が見えなくなりました。
 その後宮崎医療福祉カレッジが加盟し、2010年代半ばには宮崎灼熱フェニックスも加わり宮崎県は加盟4チーム。ゴールデンゴールズが2020年に活動休止となりましたが、再び燃え上がった社会人野球熱は途切れず、特にその先頭を走る宮崎梅田学園は企業チームに転換。数々の大会で実績を積み重ね、2018年に日本選手権大会出場、そして2019年には宮崎県社会人野球の都市対抗野球挑戦88年目で初の本大会進出を決めます。
 そして2021年、延岡市北浦町にある水産加工販売業者・新海屋が硬式社会人野球チームを設立。2022年の都市対抗野球 南九州地区予選に参戦し、2敗で予選敗退となりましたが、65年ぶりの延岡市チーム参戦は「野球熱」のきっかけとなるでしょう。そして梅田学園が九州予選で初戦に敗戦するも、敗者復活戦を5連勝して、2度目の都市対抗本大会出場を決めました。

◆「文字数だけ大作」書き終えて。
 色んなスポーツで目指すところが広く高くなり、一方で先を担う子どもの人口は減って、さてこの先野球はどうなんでしょう…とは言われますが、要は野球という場にいる人たちが一生懸命頑張ると。それ以外に道を見出だしようはないでしょ。硬式社会人野球の宮崎県チームは途中その挑戦する場すらも置くことができなかった時代がありましたが、数々の挑戦が今につながってきた。その挑戦の様子を「なかった」ことに…言い換えれば埋もれさせるわけにいかない!という思いで、ここまで前編、中編、後編と分けて記述をしてきました。
 記事を書く過程で、1967年の朝日新聞に記されていた「宮崎の高校野球50年」の記事には社会人野球に関わった人の名前も記されていました。社会人野球選手・チームとしては及ばなかったものの、その熱は野球指導者として発揮された様子が記されています。
 本来は他カテゴリを含めた宮崎の野球界の空気というものを加味しながら作れれば一番良かったのですが、私の筆致と能力ではそこまでは至らず、獲得した新聞資料を基にしたこの通りの記述で仕上げるのをお許しください。
 大会に参加される宮崎梅田学園の皆様の奮闘を心より願うものです。

宮崎県社会人野球挑戦記・中編〈改訂版〉【2022社会人野球】

◆戦後編①
(1)参加6チームからはじまった「再起の大会」。
 大日本帝国が長年行った戦争は今大きな傷を残し終戦。この間あった様々なうっ積を晴らす大きな舞台の一つは野球となりました。春先に都市対抗野球復活の告知がされると、各地で都市対抗野球の予選が再開され、宮崎県も7月7日、宮崎総合グラウンドで6チームが集まって予選が行われることとなりました。戦前からの参加は宮崎協会と全延岡(後述)。その他に旭化成都城クラブ、宮崎貨物に、戦前は参加歴がなかった宮崎鉄道局。
 戦前は地方紙でも8ページ〜12ページあり、ページ数相応に情報量がありましたが、戦後は物資不足で毎日新聞(S18年に大阪毎日と東京日日が統合)、日向日日(いまの宮崎日日)共に表裏2ページの発行。全国紙の地方版は裏面の3分の1〜4分の1の紙巾に抑えられ、情報は多く書かれていません。「全延岡」が戦前からの継続参加と書きましたが、九州予選のチーム紹介で「第16回の県代表(向陽会・旭ベンベルク)」という記述があったことを根拠にしています。
 消去法的に「麗陽会・レーヨン工場→旭化成?」というのも頭に浮かびましたが、確定的な証拠はつかめなかったので「筆者―伊東―の外れた仮説」としてください。
 大会の運営も2022年時点の基準から比べると大らかで、大会を知らせる毎日新聞宮崎版では試合の組み合わせが一回戦2試合→準決勝2試合と紹介されたあと、「なほ時間の都合で優勝戦が同日済まぬ場合は翌日に繰り越す」という記述。「“済んだ”場合は1日5試合やって1日で終わらせる気か」と驚きを覚えた記憶があります。
 また選手登録に関しても同様で、南方手帳シリーズNo13著者の谷村博武氏による「宮崎県野球史」には、戦後復員してきた野球経験者が友人を訪ねたら「球場にいますよ」と。球場行ってみたら都市対抗の試合中で、グラウンドにいる友人から誘われて、その場ですぐに入部・試合出場したという記述がありました。とにかく熱くなるものをを野球に求めた選手のぶつかり合いは7日、8日と行われ(さすがに1日で5試合は消化しきれませんでした)最終的には延岡向陽会の流れをくむと思われる全延岡が、一回戦から登場した宮崎協会に7―6で勝って、4日後に迫った九州予選に出場することとなります。
 全延岡の主戦投手は、延岡麗陽会時代に九州大会を経験している渡辺投手でしたが、ブランクが影響したのか佐賀県・全唐津打線の攻略を受け、1―6で敗れてしまいます。
 翌1947年は前年出場6チームから宮崎貨物が抜け、宮崎協会の選手の中から宮崎商業クラブが独立参加。さらに日南のチームが初参加します。宮崎の都市対抗初参加は宮崎商クで、その後宮崎市オールスター的チームの宮崎協会と発展した歴史を考えると何とも面白い因果とも言えましょう。
 6月14日から始まった宮崎県予選は、前年度代表の全延岡が宮崎鉄道局に敗退。一回戦では日南チームも倒して決勝に進出した宮崎鉄道局とはライバルと目された旭化成を3―2制し優勝。この年から分割された南九州予選に出場。熊本クラブに敗れはしましたが2―3と接戦を演じました。
 都市対抗以外では春先に憲法施行記念の大会が行われたとの記述がありますが、その大会に関しての様子は掴みきれませんでした。

 1948年大会は宮崎協会、旭化成、宮崎鉄道、延岡協会の4チームが参加。宮崎鉄道局が延岡協会、旭化成延岡市チームを破り、2年連続の優勝を成し遂げますが、南九州予選ではプロにも匹敵する強豪、大分星野組に0―10の敗退を喫します。

(2)飛び出す宮崎鉄道と少なくなる挑戦者
 1948年の7月初旬の日向日日新聞で、宮崎県の野球情勢に関する記事が掲載されました。硬式野球の部では社会人野球と高校野球が取り上げられていましたが、社会人野球の記述のうち3分の2は宮崎鉄道の紹介。宮崎県内では頭一つ抜けた存在というひとつの証明記事と言えましょう。旭化成も元東京鉄道局(いまのJR東日本)の投手が加わるも苦戦している様子が書かれ、その他のチームは活動しているチーム名の紹介はあれども、クラブチームで寄合所帯で、恒常的な活動はできていない(趣旨)ことのみ記載されていました。
 同じ記事の軟式編では、宮崎市内に限らず県内各地で約200チームが活動している様子が触れられていましたが、その中で延岡市に関して以下の記述がありました。
 「旭化成の関連会社それぞれにチームを作って40ぐらいのチームが活動している」「職場レクリエーションの枠を越えて“オール旭化成”というチームがつくられてもいいのでは」。戦前はひとつの街で4チーム参加するほどの野球熱を持つ延岡市ですが、戦後社会人野球・都市対抗では発揮しきれていない様子が間接的に書かれています。
 青森県の話ですが、「戦後起こった野球熱はかかる費用の少ない軟式野球で発揮されていた」という趣旨の記述が野球評論記事にありましたが、宮崎県内の野球、特に延岡では似たような状況が起きていたのかな、と思わされました。
(3)宮鉄、後楽園まであと一歩に迫るも星野組に粉砕。
 1949年、都市対抗野球南九州予選は宮崎県での開催となりますが、宮崎県内の予選は行われることなく、宮崎鉄道局が早代表として決定して予選に臨むことが毎日宮崎版の紙面に載りました。宮鉄は攻撃に関しては一定の自信を持っている(前年日向日日記事より)ものの、投手に関しては中心選手へ、と目論んだ選手が次々と投手として故障。別チームの主戦投手の移籍も噂されましたが、最終的には一時体調を崩していた薄木元亮投手が体調を取り戻し、捕手もディフェンス力に優れた選手が加わり力をつけていきます。
 大分、宮崎、熊本、鹿児島の4県で行われていた南九州予選。前年本大会準優勝の星野組と、その星野組のライバル的存在である植良組の両チームがこの予選の注目チーム。宮崎鉄道はその植良組と緒戦であたります。植良組は前年高校野球で注目された“超高校級投手”を先発させますが、打順が一回りした四回に宮鉄打線がとらえ、10安打4得点を奪い攻略。投げては薄木投手が植良組打線を4安打に抑え完封。参加5チームという組み合わせの妙もありましたが決勝戦に進出します。
 一方反対ブロックは星野組、熊本鉄道局、鹿児島鉄道局の3チームが在籍していましたが、星野組は両チームを相手に前年度本大会準優勝の実力を見せ、一回戦の熊本鉄道局戦では“火の玉投手”と呼ばれた荒巻淳投手が完投し12―3で勝利。準決勝の鹿児島鉄道局相手には15―2圧倒し決勝戦へと進みます。
 前回代表決定戦に挑んだ宮崎協会も、当時地域最強の八幡製鉄が対戦相手でしたが、それより更に強度を増した相手にして宮崎県二度目の「本大会をかけた一戦」。各県代表チームに2試合27点をあげてきた星野組打線を相手に、技巧派タイプの薄木投手が地元の声援を受け、六回まで0―3と踏ん張りましたが、踏ん張れたのはそこまででした。
 星野組は終盤3イニングで13得点の猛攻を浴びせ、投げては“火の玉”荒巻投手は粒揃いの打者を揃えた宮鉄打線を11奪三振3安打に抑え、16―0という圧倒的大差で宮崎鉄道局を破りました。
 正直、相手が星野組でなければ…と考えた人もいたのでは、と思わされましたのではないか、と。星野組は本大会も力を発揮して優勝し、社会人野球から姿を消しました―
 なおこの年、秋に行われたノンプロ4国地区対抗オールスター戦に薄木投手が西部軍のメンバーとして選出され、九州・下関地区のメンバーとともに各地を転戦して活動しました。

(4)2年連続の次点と合理化で空白化。
 宮崎鉄道局は翌年1950年も都市対抗予選に参加します。戦後すぐの勃興期には数多くのチームが参加しましたが、その後日本社会人野球協会の設立による通年登録制度の設立や、戦後激変する生活環境もあり、さらに言えばプロ野球がそれまでの1リーグ8球団から2リーグ15球団へと拡大し、社会人野球に関わる環境は大きく変わりました。
 50年に行われた南九州予選、参加チームは4県合わせて3チーム。大分県は星野組と植良組が解散、大分鉄道局は活動休止で空白化。7月16日に行われた南九州予選は、参加できた熊本鉄道局、全鹿児島、宮崎鉄道局の3チームによるリーグ戦となります。主力打者の黒木宗弘選手が、前年大会後大陽ロビンス(50年広島カープ)に。国鉄職員の整理もあり、先行きが見通せないなか、それでも残った選手はライバルの鉄道曲チームを超えての全国行きを目指して戦いに挑みます。
 第1試合の熊本鉄道局戦では両チームは3安打ずつの投手戦。宮鉄は六回に同点に追いついたものの、八回に薄木投手の暴投で勝ち越し点を許し1―2で敗退。
 第2試合の全鹿児島チームとの対戦では2番手投手の田村投手が四回にとらえられるものの、代わった薄木投手が試合を締め直し、五回以降8得点をあげ12―6で勝ち、一縷の望みをつなぎます。
 第3試合は熊本鉄道局対全鹿児島。レギュレーションを確認できませんでしたが、当時は「得失点差での進出」という概念が見えなかったので、鹿児島が勝てば何らかの希望がつながる可能性がありました。しかし、試合は熊本鉄道局が5―4で全鹿児島を破り2連勝。後楽園進出はその腕からすり抜けてしまいました。この時期行われた国鉄事業合理化の影響により、宮崎鉄道局母体の宮崎管理局は大分管理局と鹿児島管理局に分かれ、宮鉄野球部は解散。51年から3年間、宮崎県の社会人野球は沈黙の時を過ごします。
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付足。当初計画ではこの記事を「戦前編」「戦後編」でまとめる予定でした。ところが、新聞文面に表れた「熱意」を見たら筆が止まらなくなりまして。50年までの部分書いた時に、前後半で収めるのを観念しました。
 この後の「戦後編2」は、前編、中編と違い苦戦続きの記述になりますが、どう熱意を紡ぎ続けようとしたか。それをご覧いただければ、と思います。
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宮崎県社会人野球挑戦記・前編〈改訂版〉/一度見たロキテクノ富山について。【2022社会人野球】

 今日は。都市対抗野球もいよいよ開幕という状況になりました。拙稿ではここまで書いてこれなかった記事を追いかけてきましたが、今項では以前中途半端に終わった宮崎県社会人野球「挑戦の記録」を書きあげます。
◆富山編
 その前に、今大会唯一の初出場チームロキテクノ富山に関して。ロキテクノは当初クラブチームとして設立、近年企業チームへと転身した歴史を持ちます。
 クラブチーム時代の2017年に、クラブ野球選手権本大会に出場歴があります。この時は北海道胆振地震があり大きな影響を受けた中で出場したウイン北広島のサイドに立って試合を見ていましたが、ロキテクノ富山も会社・関係者が多く会場に来て、熱意を感じた記憶があります。夕方6時半頃からの開始で、試合が終わった時には11時になろうかという時間まで熱戦。北広島の2度の逆転劇に敗れたロキテクノ、その後企業チームに転換して今回の都市対抗ではとうとう北信越の代表をもぎ取った、そこに至る転換点だったのかな、と思っております。
 富山県の社会人野球―戦前から県予選レベルでも多くのチームが集まって活発に行われていた記録がありますが、一時期はチームが減少して電電富山と北陸銀行だけに。その後伏木海陸運送が加入も、長年支えてきた電電と北陸銀行が活動を縮小・停止。どうなるかと思われた矢先に富山ベースボールクラブが生まれ、ロキテクノやBANDITS-BCが設立されて、加盟4チームと北陸3県の中では一番の賑わいを見せている、そういう場所でもあります。ドームデビューをどう戦うか、注目していきたいです。

【宮崎県社会人野球挑戦記】
 さて宮崎県です。2019年の梅田学園初出場の際、北上市図書館で調べられるだけの調査はしたことがありますが、朝日新聞縮刷版で調べた31〜49年は二次予選の代表決定戦のみ、毎日新聞縮刷版で調べられた54年以降は宮崎県勢の参加が少なくなり、調査としては不完全なものに。その後国会図書館に行って毎日新聞宮崎版や日向日日→宮崎日日新聞の記事を元に、宮崎県社会人野球チームが都市対抗野球にどう臨んできたかを調べることができました。
 去年の栃木みたいに一回で書こうと思いましたが、下書きの下書き書き終えたら「無理」と判断。今回は1931年から42年までの戦前編を「前編」として記していきます。
1.戦前編
(1)都市対抗野球、挑戦はじめは宮崎市のチーム
 1927年に始まった都市対抗野球。第1回大会九州地区からは九州鉄道が出場。その後参加希望チームも増え、福岡は県単位の予選も行われるようになります。
 宮崎県チームの参加は1931年から。宮崎商業のOBチームである宮崎商業クラブが九州予選に参加し、一回戦で長崎の呑長クラブと対戦。県勢初参加の緊張からか、初回守備時に2アウトから4失点を食らうと、その後13エラーの13失点。先発した安藤投手は被安打4だったものの、非自責点が9(新聞記事の実況を基に)。守備の乱れで敗退と苦いデビュー戦となりました。
 翌年1932年は全宮崎という形で出場。宮崎中学野球界を賑わせた好投手平原選手によるタイムリーヒットで宮崎県勢初得点を挙げますが、鹿児島鉄道に敗退。1933年は宮崎協会に名称を変えて九州予選に参加しますが、門鉄小倉工場に1安打完封負けを喫します。
 このあたりは夏の時期に南九州選抜大会というのが行われ、拙調査では32、33年に開催予定記事を確認。試合結果までつかめた33年は宮崎が会場。宮崎協会は前年都市対抗予選で敗れた鹿児島鉄道を相手に9回の猛攻で逆転サヨナラ勝ちをあげました。

(2)延岡チーム参戦、宮崎県予選始まる―野球熱沸騰へ
 1934年は延岡市チームが初参戦し、初めて県内の予選が開催されました。大きな立て看板が建てられ注目を浴びる中行われた初予選、エースのアクシデントに見舞われた宮崎協会が、攻撃陣の奮起で五回までに14得点。延岡も五回から反撃し4点を返すものの、宮崎協会が大勝しはじめての県予選優勝チームとして九州予選に進出します。ただ、先輩チームとの差はあり、九州予選では三回までに10失点をくらい、九回に6点を返したもののダブルスコアで敗戦。
 翌35年は「これまで工場の都合で都市対抗に参加できなかった」という旭ベンベルク工場が「延岡向陽会」というチーム名で参加。また宮崎協会OBチームが「白髪を染めて戦場に(大毎宮崎のチーム紹介より)」という形で都市対抗予選に参加。延岡向陽会は緒戦宮崎協会OBを、決勝戦で宮崎協会を破り、初参加優勝で九州予選に進出。九州予選では熊本鉄道と対戦し、三、四回にそれぞれ4失点を食らったのが響きダブルスコアの大敗と洗礼を受けました。
 1936年になると、都城市チームが、市内にある都城実業、都城鉄道両チームを中心に「都城協会」編成して出場。また、延岡市からはレーヨン工場が「延岡麗陽会」として参戦します。4チーム参加の県予選、一回戦は両延岡チームが勝ち、延岡対決となった決勝戦は向陽会が先達の力を見せて16―0の大差で2年連続の九州大会進出。九州大会では八回の守備で2アウトからエラーをきっかけに5失点、九回に3点を返すものの、大量失点が響いて敗れました。ただ、八回以前は接戦であり、宮崎野球界は力の差を段々詰めていきます。

(3)宮崎協会、本大会まであと一歩と迫る!
 延岡市2チームの伸長もあり、押されていた宮崎協会は、宮崎初挑戦時のエースで中心的存在の安藤選手を総帥職につけ、ライバルチームからの移籍選手もあり戦力を高める様子は「鉄桶の陣容」と評されるほど意欲的にとらえられ、ここ数年の雪辱を誓います。一方ここまで2年間九州大会に進出していた向陽会は選手の異動が多くなり、同じ延岡市からは新たに火薬工場野球部が出場するなど様々な動態を経て、五月の都市対抗宮崎予選開催を迎えます。
 大会初日に準決勝まで開催する予定だったようですが、準決勝第2試合の宮崎協会―火薬工場試合時に、堪えていた雨雲が耐えきれず、雨天順延。5月29日の試合で宮崎協会は火薬工場、向陽会を連破し、3年ぶりの九州大会進出を決めました。
 その九州大会も雨が大きく影響し、当初は6月5日から開催予定でしたが、初日こそ開催されたものの6日、7日になっても雨が収まらず、天気予報でも回復が見込めない状況から「選手の勤務に支障をきたす」ことを考慮し、梅雨明けを待って大会を再開するという決定をし、一度解散。
 7月3日から再開され九州予選。一回戦不戦一勝(いまなら「二回戦から登場」表記)の宮崎協会は、ここまで苦杯を喫する喫することの多かった熊本勢(逓郵クラブ)に先制→中押し→ダメ押しと得点を加え12―3と大勝し決勝に進出。決勝戦で相対するのは当時の九州絶対王者八幡製鉄でしたが、戦力編成から始まる取り組みに「この試合に勝てば初の全国大会」と意気込んだ宮崎協会は必死に挑みましたが、絶対王者の壁は厚く四回にダブルエラーから5失点、九回にも守備の乱れから2失点くらい、攻撃陣も幾度か機会はつかんだものの点に結びつけず0―8で敗退。神宮球場で行われる本大会進出はなりませんでした。

(4)戦争の影響も、グランドに立つ選手は奮闘す。
 それまで拡大の一途を辿ってきた宮崎県社会人野球も、前年に戦線が拡大した影響もあり、火薬工場、そして向陽会が「ベテラン選手の引退や応召(向陽会記事より)」もあり選手難で大会に出場できなくなりました。都城協会もこの年から不参加となります。
 前年全国まであと一歩と迫った宮崎協会と、後発ながらチーム力をじわりと上げてきた延岡麗陽会で行われた代表決定戦、宮崎協会が九回表までで7―5とリードたものの、九回裏に麗陽会は満塁のチャンスをつかむと、相手エラーでその全員が帰って逆転サヨナラ勝ちで初優勝、九州予選進出を決めました。
 初の九州予選では長崎の全三菱と対戦。宮崎協会を超えようと意気込みを持って臨んだものと思われますが、四、七回ににそれぞれ7失点をくらい、14被安打12与四球そして6エラーがこたえ、4―19の大差で苦い九州デビューとなりました。
 1939年。この大会から七回7点差以上のコールドゲームが明文化。向陽会が陣容を整え直して復帰、麗陽会、向陽会、宮崎協会の3チームで行われた予選は緒戦、前年優勝の麗陽会が、主軸選手が欠場した宮崎協会に大勝。その後決勝が行われる予定でしたが雨天順延となり、会場も宮崎県営球場から延岡市の旭ベンベルク球場へと変更。両者地元の延岡で行われた決勝戦は延長11回までもつれ込む激戦となりましたが、麗陽会が競り勝ち、2年連続の九州予選進出。前年の雪辱を誓って臨んだ九州予選では、福岡の日鉄二瀬相手に六回までは0―0と競るも、スタミナ切れから終盤七、八回に7失点食らい敗退。
 1940年は火薬工場も3年ぶりに出場。他に延岡クラブも参加し、延岡市から4チームの参加。会場も延岡旭ベンベルク球場で開催。唯一延岡市外から乗り込んできた宮崎協会が初戦で火薬工場に4―3で競り勝つ奮闘を見せたが、ここ数年最前線で戦ってきた麗陽会が決勝戦で宮崎協会に競り勝ち3年連続の優勝。九州予選では門鉄小倉工場に初回5失点を食らったのが響きコールドで敗退。
 1941年は麗陽会、向陽会、宮崎協会、火薬工場で県予選開催。この年は向陽会が過去数年の不遇を晴らさんと躍動。麗陽会との市内ライバルチーム対決を勝ち上がると、火薬工場との決勝戦では六回までに14得点を挙げ火薬工場が棄権する形で決着(新聞に六回棄権表記)、5年ぶりに九州予選に臨みましたが、大分鉄道に0―7で敗退という結果を味あわされます。
 宮崎協会が代表決定戦に進んで以降、県予選で熾烈な戦いを演じるも、九州予選ではなかなか力が発揮できない様相が見えました。ちなみに1941年は集会禁止令の影響もあり都市対抗野球の本大会開催は中止となります。

(5)“オール宮崎”で八幡製鉄に肉薄も…戦争により野球中断。
 そして1942年は「銃後地域高揚」という目的で都市対抗野球の開催が許されましたが、その決定が6月ということもあり、各都道府県単位の1次予選大会は原則行われずに、各県の推薦チームによる2次予選が行われるという形となりました。東日本地区では前年優勝チームが解散していたり(福島)、「どのチームも甲乙つけがたい」(茨城、秋田、青森)などの理由で「実業大会」という名の事実上の一次予選を行った県もありました。九州を見ると大方各県の推薦チーム出場という形で九州予選進出チームが決まったようです。
 宮崎県は前年優勝した延岡向陽会が出場。宮崎協会に在籍していた平原投手、麗陽会に在籍していた片岡捕手が集合し、一種の「オール宮崎」という形でチームを編成。長年九州のトップを走り続け、本大会優勝も成し遂げている八幡製鉄と対戦。平原投手の老獪な投球で1失点の好投、打線の援護がなくあと一歩及ばず敗退という結果となりました。

 数年前から野球は“敵性競技”として冷たい視線を受け、年代問わず野球から撤退するケースも相次ぎ、また太平洋戦争が始まっていて野球に向ける余力をうしないます。下記に大毎宮崎版の紙面を載せましたが、この通り戦争に関する報道が主で、主催者の大阪毎日新聞とはいえこのくらいのスペースしか与えられなかった様子が見えると思います。
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 この後戦争が激化し、グラブを置き、ユニフォームを脱いでいて戦場へ―という時代に入っていきます。
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