記述日:8月20日
① 応援活動の起意
6月に行われた都市対抗野球東北二次予選。岩手県からは岩手県14連覇のトヨタ自動車東日本に、10年近く二次予選に進出し続けているJR盛岡、そして例年ならここに、昨年まで8年連続で東北に出場していた水沢駒形倶楽部が今年もか、と思われましたが、今年は第三代表決定戦で釜石野球団が水沢駒形を破り、東北二次予選進出が決まりました。
6月の第二週、都市対抗東北二次予選の進出チームを見ている中で、他の出場11チームと釜石野球団を見るとひとつ気になるところがありました。他の11チームは応援団組織があるのですが、釜石野球団にはそれがありません。地元開催大会時に小学生チームである釜石野球団ジュニアが応援に駆けつける事がありますが、平日開催の今回はそれは無理と思い、それまでの釜石野球団の頑張りを見ている人間として何かできないかと思い、釜石野球団の関係者に友情応援を打診したところ快諾していただき、友情応援を実行することになりました。
費用に関しては、上位大会進出時の遠征のために確保していた予算を利用しました。関与する赤崎野球クくは都市対抗野球、クラブ野球選手権、東北クラブカップのいずれも敗退が決定。例年はその際に国会図書館への野球歴史調査費用に充てていましたが、現在は資料の整理中で、しかもそれに充てられる時間が少ない状態で当面は国会図書館を使った調査をしないことにし、今回の行動に回すことにしました。
② 仕事時間の調整
この行動をするにあたって懸念事項は、梅雨の時期と相まっての日程変更の可能性。この時期は仕事以外の社会活動が目白押しで、前の日に休んで行くということもできない状況でした。18日は通常の仕事、19日と21日に社会活動の行事が入っていたため、今回の遠征は当初予定の18、20日に試合が開催できた時にのみ福島を往復するというパターンで決行することに。
「福島での野球が18日、岩手での仕事が18日。どうやったら両立した?」
18日はいつもなら早朝から午前にかけての仕事が入っていましたが、それを前日の夜9時スタートに前倒し。朝3時に終わらせて高速道路を使って移動開始。国道4号線を使っての移動は内陸居住地から6時間を計算していましたが、やはり高速道路を使えば早いですね。信号もないし。朝7時には福島市内に到着、8時には県営あづま球場に無事到着しました。
③ 試合前の準備
あづま球場の駐車場に到着した時、釜石野球団のメンバーもすでに到着していました。この日は第1試合の10時から登場ということもあり、前泊にしろ朝早くの釜石発にしろ遠征は大変だったろうなと思っています。
そして私の友情応援の申し出を受けていただいた釜石野球団のスタッフの方々と挨拶と軽い打ち合わせをし、応援活動に必要な道具の整理整頓をして9時にグラウンドに入ります。先行して球場内に入っていた後援者の方々によって、一塁側釜石サイドの内野席には大きな大漁旗がこれでもかとばかりに並べられていました。釜石も漁業の町ということもあり、応援者の方々があちこちに声をかけて集まった大漁旗に、応援していただいた方々の思いが詰まっている様子を見ました。より一層「応援活動を精一杯やらんと」と気を引き締めた次第です。
試合前にはマルハン応援団と挨拶とエール交換の打ち合わせをしました。マルハン自体はパチンコ遊技場ではありますが、ただ単にパチンコだけというわけでなく、パチンコ店舗で行われるさまざまなイベントあるいは景品の提供などで業者さんとの繋がりというのはあるのでしょうね。そういった方々が応援団活動に協力している様子もありました。このマルハン野球部も活動を始めて2年、館山昌平さんや吉田一将さんといったプロ(NPB)でも戦った人たちが在籍する一方で、これからの成長が期待される選手たちが、立派な選手育成環境のもとで鍛えられている「成長過程のチーム」。宮城県予選では4位でしたが、グラウンドでも応援合戦でも手強い対戦相手だぞと思わされました。


④ 釜石野球団の初陣
応援活動、開会式、試合開始と続きまして、いよいよ試合開始。応援活動の中身については別な記事で書きますが、自分のエール発声に少なからず驚く人が多かった様子には自分の方が恐縮。ま、初めて出場するチームの応援活動がどんなものかと思われていたところに、皆さんの予想以上の発声が出てきたわけですから。
それでもやはり、マルハンさんの応援団の統率は凄まじいものがありました。多分、本当の応援団で鍛えられたものがあるのかなと想像する次第です。初戦・一回戦からブラスバンド系の動員、そして立ち振る舞いも見事な応援団長。
釜石野球団のメンバーは臆せずに試合に臨み、序盤に立て続けに失点を重ねますが五回以降は守備陣が踏ん張り、コールドのピンチでは長年チームを支えてきた“ゲームチェンジャー”がファインプレーを見せました。ただ、釜石野球団の初得点になるかと思われたレフトへの痛烈な打球が相手の守備能力の高さに阻まれるなど、結局は三塁を踏むことができないまま0対6で敗戦という結果となりました。
⑤ 「もう一回行くため」の調整
試合が終わった時点で、私が20日の試合に来れる保障は実はありませんでした。ここまでの記述では20日の試合に行くような心構えでいましたが、体調が整うかどうかという部分で不安があったので、この日は未確定のまま一旦居住地に帰りました。

18日は当日真夜中から動いていたので、第2試合のJR盛岡対B-net/YAMAGATAの試合の見学こそしていましたが、半分うつらうつらと居眠り状態でした。球場を退出して道の駅ふくしまに行きましたが、そこで体力は限界(写真は関口和磨捕手)。
そこで仮眠をとって居住地へは国道4号線で移動し、翌日19日は朝7時半集合で社会活動の行事が連続して関与しました(朝7時半からのが一つ、午前11時からのが一つ)。そちらのそれぞれの行動を無事に終えて、一旦家の家事をこなした後に午後再び福島に向けて車を走らせましたが、強行日程というのはやっぱり体にこたえるんでしょうかね。休憩をしながら、一度目とは違い距離が遠くなった郡山へと移動しました。
⑥ 福島→居住地→郡山への移動
19日は午前中にあった諸行事を無事に終え、午後から郡山に移動しました。郡山の場合は移動時間が8時間、日常の生活とは大きくリズムの異なる行動をしているので、とにかく「必要な行動以外は休む」ことを基準にして行動していました。なかなか思った通りに動けなくて、ひとまず名取で就寝。翌朝4時に起きて福島への移動を再開し、状況によっては高速道路を使うことも考えましたが、早朝ということもあり郡山市内に入るまでは思った以上に道路はスカスカと空きまして、朝7時前に郡山市内のコンビニで休憩、食料などを買い込んで、午前8時に郡山・ヨーク開成山スタジアムに入りました。

長く県営あづま球場と共に福島の野球の中心にあった開成山球場。前試合同様に球場一塁側ベンチサイドに大漁旗を掲示し、ムードを盛り上げる演出が用意されていました。試合前にはトヨタ自動車東日本応援団と挨拶と打ち合わせを。試合開始前の挨拶では「今泉産業、郡山日東紡、ヨークベニマル、そして今活動している郡山ベースボールクラブなど、郡山の皆さんにも社会人野球はお世話になった」ことを告げ「皆さんの前でプレイができることを誇りに思いながら岩手の野球を見せたいと思います」と申し述べました。
⑦ トヨタ自動車東日本の猛攻と折れない釜石野球団
ただ、試合展開は厳しいものでした。東北は代表2枠・敗者復活制度適用ということもあり、2敗したら「終わり」。東京ドーム本大会を目指している企業チームは早々の敗戦となれば厳しい批判は免れません。場合によっては活動の存続に直結するレベルでの激しい批判を受けます。
ですから、企業チーム・選手の敗者復活戦の入り具合は「100%をはるかに超える」ものがあり、その強い意志のこもった打撃が二回以降、釜石野球団に襲いかかる形となります。二、三、四回いずれも打者一巡、得点もそれぞれ9点、9点、7点。この3イニングだけで25点を食らうこととなりました。
これだけ激しい攻撃を叩きつけられたら虚無感・無力感に陥ってもおかしくないはずですが、釜石野球団の選手は懸命なプレイを続けます。
⑧ 何があろうが「野球は9回まで」
そしてこの日、もう一つ気にかかる出来事としては雨。「太平洋ベルトラインあたりは雨が降るが、福島地方は曇り」というのが予報でしたが、その予報に反して11時から雨がしとしとと降り始めてきました。先のクラブ野球選手権県予選のこともあったので対策は講じていましたが、それでも雨はだんだん激しくなってきました。応援設備はどうでもいいけど、試合が続行できるかどうか怪しくなるほどの雨となり、下手すると試合が止められる危険性もあると思ったので、
いつもは七回に流す応援活動フェイバリット曲『feel my heart』を五回に選曲。釜石野球団は無得点にこそ終わりましたが、都市対抗本大会の補強選手にも選出された中里投手からランナー2人を出す攻撃を見せます。
「頼むから中止になるなよ まだまだ見せ場を作らせてやりたい。何よりも野球は九回までやるものだ」
という思いで応援を続けました。
⑧ 熱意が言わせた「たった23点」
球場に来ていた選手のご家族や、在籍していた選手などの強い思いが結実したのは六回の攻撃でした。ランナー2人を貯めて打者は四番の西澤和哉選手。トヨタ自動車東日本のとんでもない圧力を受けながらも守備に奮闘していた主力の意地がトヨタ後続投手の投球をとらえ、打球は右中間へ。2人が返ってきて、ついに東北予選初得点を上げました。高校生レベルの試合ならともかく、明らかな実力差のあるチームは、その実力者相応の「試合の締め方」をしてきますが、それをはねのけてもぎ取った2点。その後トヨタに1点を奪われますが、まだ反撃の機会は残っていた。その思いが、ある言葉を引き出せました。
七回表の攻撃前。
「スコアボード見てください。2対26という数字が並んでいます。
しかし…それがなんぼのものじゃ!
まだまだたったの23点差(“ママ”計算違い)です。ここから反撃と行きましょう!」
…と言った後、またやらかしたな、と。

⑧の2 高校時代の痛恨の経験と「折れない同志」
高校時代の時、野球選手権時のインタビューで「次の試合が第2シードです。コメントください」って言われた時に何言ったか。
口に出したのは「全力でかかってこい」という趣旨の言葉。
その後、部員全員から枕を叩きつけられ、翌々日に文字通り一関一高に全力でぶつかられて、2対10という大差でボッコボコにされた。
…どうやら自分は強い意志を表す際に、発言の後の反響を考えない傾向・性質があるようです。ただ、強気の言葉を発したのは、点差をつけられようが懸命に頑張る釜石野球団メンバーを押そうと思ったから。
そう、岩手のクラブチームのメンバーは
大量点を作られても「どうせ終わりだ」と投げやりな真似はしない。
果たして七回表、途中から一塁に入った選手の安打、代打で送り出された選手が死球。2アウトながら2人のランナーを置いてバッターは3番の滝田丞選手。「せめて一本」と願った打席で右中間への走者一掃の三塁打を放ち、さらに2点を追加。さらなる追加点も期待されましたが、ここは「絶対に締める」と気合の入ったトヨタ守備陣の前に、先の打席で三塁打を放った西澤選手が抑えられ、試合終了。しかし、その堂々とした戦いぶりは、それを目の当たりにした人たちに強い印象を残すものとなりました。

現状、岩手県社会人野球はトヨタ自動車東日本が一つ抜けているのは紛れもない事実です。それでも、対戦機会を持つチームは、たとえ実力差があっても気後れだけはしない。対戦するからには「差があるから仕方がない」ではなく「堂々と戦い、誇りをもって立ち振る舞おう」と。その心意気だけは忘れずにいようと、思いを誓い直しました。
⑨ 野球仲間の交誼と、職場の仲間の配慮のありがたさ
試合が終わった後、釜石野球団の選手や来場していた知人、あるいは次の試合に登場するB-net/YAMAGATAの関係者などとも交流をし、「それぞれのポジションで社会人野球を楽しみ、そして盛り上げよう」と話し合いました。
なかなか自分のチームでは都市対抗野球の二次予選に進むということが厳しくなっているのは実情ですが、それでもその場に臨んだ人たちが一生懸命プレーする。今回の大会では、釜石野球団としては初めて、釜石市としても38年ぶりということで少なくない方々からの注目も集め、一生懸命に戦い抜いたことが評価されました。この位置に立つことの難しさを改めて感じさせられましたが、それでもより上の位置で戦うことを追い続ける、県内の強豪ライバルを追いかけ続けるその意志だけは忘れずにいようと。選手全員の帰途を見守り、少し野球応援活動で覚えた熱を冷ましてから帰途につこう…としましたが、雨で受けた機材のダメージを解消してからでないと帰れません。
そしてこの日は仕事があったのですが、事情を話したら仕事相手がオンライン会議を提案し、快く受けていただきましたので、それに甘えて会議はオンラインで対応しました。会議後帰途につき、二本松のドライブインで食事をしようとしましたが、食堂は満員、更に眠気で“電池切れ”を起こしてしまって夕方7時頃から朝4時まで爆睡。二本松ドライブインは24時間営業なので、朝早くから食事を摂り、福島から移動を開始しましたが、宮城県内を抜けるだけで3時間超かかるなど思った以上に移動に時間がかかり、一部高速道路を利用して昼までに盛岡移動、一連の行程を終えました。

⑩ あれから数カ月。
あの暑い戦いを終えて2ヶ月になります。この間に三陸沿岸クラブ野球大会が行われ、釜石野球団は三陸沿岸クラブ大会で優勝。翌週には一関市長旗大会に臨み、強豪の西多摩倶楽部に敗戦ということになりました。
そして、私自身がもともと関与する赤崎野球クラブは、ここ数年の悩まされている選手集合の困難さが三陸沿岸クラブ大会でも表れ、苦しい陣容で試合に臨みました。それでも住田硬式ク戦では勝利を掴みかける場面もあり、宮古倶楽部戦では集中失点を2度喫しながらも打ち勝つ試合を見せました。
気がついてみれば、社会人野球の社会の中で生きて31年。いろいろな人間模様というのを見てきました。「働き、暮らし、そして野球を等立する」…「等立」という造語をあてて、この3つを並べて成り立たせることが社会人野球だと思って生きてきました。いつ持病が爆発してこの場にいられなくなるか分かりませんが、その終着駅に着く日まで、ただひたすら走り続ける。この都市対抗二次予選での経験も、その燃料になればと思っています。
⑪ 御礼。
この一連の行動でお世話になった釜石野球団の皆様、厚かましいおっさんとして見られても仕方がないところを「岩手第3代表チームとして共に戦う仲間」として扱っていただき、誠にありがとうございます。次にグラウンドで会うときは対峙する立場となりますが、漫画の『ハイキュー!!』でも書かれていましたね。「お互いが師と言える存在であれ」という意味の言葉。それを体現できるような関係で切磋琢磨していければと思っております。
そして、関わった皆様、大変お世話になりました。
