MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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アメフトの試合を見て、「裾野の広さ」を考えた。

 ラジオ好きの私ですが、テレビ完全に見ない訳でもないです。過日は佐々木朗希君がバラエティ番組に出てましたね。松川虎生君とのかけあい面白かったです。

 スポーツで言うと…日曜日、アメフト日本Xリーグ選抜とアメリアイビーリーグ選抜の試合が行われていましたが、ほぼ日本代表に対して“アメリカの1大学リーグ”との対戦でしたが、残念ながら惜敗。アメリカアメフトの裾野の広さ、ての見せつけられました。

 日本の“裾野”ですか。

 アメフト東北社会人リーグは気になって、Facebookページフォローしてます。コロナ感染拡大前までは各県に1チームあったけど、段々チームが少なくなり、今年はとうとう2チームだけ。少し前に鳥取県高校ラグビーの話したけど、スポーツに気を向けられる環境が少なくなってるのかな、と残念に思った。

 過日、各種大会の日程が発表された社会人野球。

 岩手も福島も昔は30数チーム加盟していた時代がありましたが、岩手は30は割り、福島は半分になろうか、くらいまで減っている。近いとこでも厳しい面を見せられていますが、それでも厳しさ越えてグラウンドに立とうという“仲間”に“頑張れよ”とエール送り続ける。その性根は保持してたいです。

 珍しく見たテレビからの記述も入れました。火曜日昼間は雪がさんさんと降って、道路は凍って、除雪でツルツルになって。こんなん中早朝勤務やるのかと、仕事の出だしに苦労します。ケガばかり気をつけてくださいね。おつき合いいただきありがとうございました。

11月第一週開催の「岩手県営球場フェスティバル」参加報告します(後半)。

 新年の本格記述第一段として、11月第一週に参加した「岩手県営球場フェスティバル」報告後編、全体の模様を記しします。


1)当初は、5月の都市対抗野球観戦の時点で“お別れ”にするつもりでした。7月の高校野球も県営は見に行けず、このまま次見に行くのは新球場かな、と思っていたところに、「県営球場フェスティバル」の一報が。特に目を引いたのは「グラウンドに立てる」の文字。
 これは…行かないと!
 土曜日の別件を欠席し、県営球場に向かうことにした―。
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2)11月6日。
 快晴とはいかなかったが、雨天ではなかったからグラウンドには立てる―年齢不相応にドキドキしながら球場へ。ただ、そのルートは「一昔前」のものを。国道4号バイパス北山交差点を下り、旧国道に。f:id:b-itoh1975:20230115032332j:image
3)旧国道はやがて急坂に。右側にある建物はかつて近隣の高校が泊まっていた箇所、と聞きますが、いまや3000万円で売りに出されている時代です。
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4)道を辿り、頂点に達すると、いよいよに岩手県営球場が見えてきます。この光景を見るたびに「よっしゃ、やったろか!」と血が沸き立つ思いをしたものでした。
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5)いまは国道455号線の改良が進み、国道4号北山トンネル交差点からトンネル越えて幅広の道で行けるようになりました。そして、県営球場到着、中に入ります。
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6)県営球場各所で多様な催しが行われていました。イベントのひとつ「オリジナル日報号外」の手続きをして、一塁側の通路をかつかつと。ベンチ裏にあったソファは、多くの選手の汗と土を吸いきったがごとく、所々土ぼこりが完全にしみついていました。
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7)一塁側ベンチに。スコアラーには必須の机があります。学校によくある机ですが、これがどの年代の野球でも使われていたかと思うと…ほのぼのするものがあります。
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8)そして、グラウンドに降り立ちました。
 今だから話せますが、2001年あたりまでは都市対抗県予選の第一試合観客入場前までは私もグラウンド内で上下白のユニフォームで練習を手伝っていました。05年の病気発症前までは打撃捕手をするなどグラウンドでの手伝いもできていたのですよ。だけどというか、当然というか、02年からは厳格化しまして、合法的にも間隙的にも立つことができなくなりました。
 以来、県営球場のグラウンドには立たなくなり…両手の指を折るくらいの年月が経ってのグラウンド帰還、となります。
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9)バックネット裏の役員・大会本部席。もう使われることがなく、がらんどうになっていました。
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10)スコアボード。92年までのスコアボードは多くの人手で動かしていたものが、93年からはこの席で。いまは基礎自治体レベルの球場でもビジョン付きのスコアボードになりましたが、岩手での完全電動スコアボードの先駆けはこの球場でした。※電光得点版は89年改装の花巻市営球場が最初
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11)ちなみに、岩手県営球場のスコアボードは「磁器反転式」と呼ばれるもので、分かりやすく言えば電気の光でなく、細かいパネルをコロコロ転がして文字を表示します。自力で光らないので夜間は照明が必須。夜11時のスコアボードは寒かったなー(00年都市対抗県予選 最後までいた直接関係者以外は私のみ)
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12)外野のライト側は、キャッチボールスペースとなっていました。いまは「ソフトな硬式ボール」なんてのもあるのですね。ライトフェンスに向かって肩慣らしを始めました。写真は5月の都市対抗野球県予選。
 外野席は芝生席。斜面を使って転がりっこをしている童ぁど(わらしぁど)の様子が微笑ましかったです。石ころもないのでキャーキャーいいながらゴーロゴロ。
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13)マウンドからボールを投げて速度も測定できる―この日一番の企画だけあって、多くの人が並んでいました。何たってメジャーリーガー2人、NPB完全試合達成者1人を排出したマウンドですからね。一度は同じ地を踏みたいと思うのも当然です。f:id:b-itoh1975:20230115033007j:image
 野球していたよ〜って方から、「私はじめてボール投げますよ」という方もいまして。一番沸いたのは、3つくらい?の子が「“スカイラブ投法(両手をあげてボールをグラブに入れただけ)”→グラブでポイヽ(^ ^)ノ⌒○」。
14)こんな感じで多くの方の投球を見届け、私の番まで回ってきました。
 この部分に関しては当記事の「前半」部分で触れましたのでまだ未見の方はお寄りください。⇒ 
15)念願のマウンドからの投球を果たした後、左翼側の外野を歩いていました。外野の定位置は芝生が禿げている、が地方球場の定番と言えましたが、いまは技術の発展で芝生がヘタれなくなりました。f:id:b-itoh1975:20230115033217j:image
16)外野最深部のフェンスからホームを眺める、の図。同学年の選手が3年夏の時にセンターフェンス直撃の一打を放ちましたが、その着地点からの視点でもあります。
 近くで2家族が談笑していて、その子どもさんが無邪気にバットとボールで遊んでいた。それが微笑ましかったですね。
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17)三塁側の室内練習場ではバッティング体験会が行われていて、折角だから、と十何球か打ってきました。体をつくってこなかったので、さっぱとバットにボールが当たらない。ようやく何球か当たるようになりましたが、制限時間一杯、となりました。
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18)知人がいたので少々歓談。もう少したてばナイターがつく、とのことでしたが、翌日早くからの仕事を控えていたのでここで帰ることとなりました。これで本当に岩手県営球場とお別れです。
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19)帰りに予約していた「オリジナル岩手日報号外」を受けとり、球場を後にします。
 『♪通いなれた通学路
   いつも行ってた喫茶店    窮屈な制服も
   着るのも今日まで―』
 から始まる嘉門タツオ氏(いつの間にか片仮名表記)作品「卒業」。岩手県営球場は西側、南側に入場口がありますが、基本的に南側入り口のみ利用が多かったですね。国道4号線から長峰の峠を通り、この道を上って県営球場に入っていく。岩手の野球人として当たり前の光景でしたが、それも今年で見納めになります。
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20)岩手県営球場は、岩手の地に生きる野球人の、プレーヤー、応援・後援者、関係スタッフの“想い”を受け止めた貴重な場でした。紡がれてきた野球に対する情熱が今後、どこまでも発揮することができることを願い、項を終わります。
 
 52年 ありがとう。
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(写真は2010年6月7日、都市対抗野球県大会で岩手第2代表を獲得した直後)

2023年、年頭の挨拶。

 2023年も始まりました。今年もおつきあいよろしくお願いします。
 体調の再構築や、「もうひとつの主題」に重きを置かなければならない事情もあり、野球の方でもいま進めている資料整頓・歴史探索を優先しますので、野球場に現れる頻度を少なくせざるを得ませんが、身近なところで「働き、生きながら野球にも懸命に努める」野球人を応援し続けていきます。

 1月4日は南海ホークス久保寺雄二さんが夭逝した日。38年になります。不条理な別離生じないように自分律して、再び久保寺さんの墓前に立てればと思っています。

打ちのめされてもまた立ちあがる。何度でも―2022年を終えるにあたり。(3媒体共通)

1)2022年を終えるにあたり

 まずは、2022年もなんとか完走できることとなりました。歳を重ねる度に現れる変調に、社会の狭量化を目の当たりにして、都度都度「この先もこの場に居られるだろうか」と不安になりましたが、一方で「存在することの何が悪い」と厚かましく構えて、時々の欠点を越えて、年も越えることになった次第です。

 

2)社会活動―権威基に踏みにじる行為をはらっていく

 個々人の人権と幸福追求権を元にして苦痛が少なくなる社会を目指して活動をして来ましたが、なかなか結果に結ばず。ババ抜きよろしく「逃げ切れない人間に苦しさを押し付ける」行為にどう向くか。

「自分が食らわなければいい」のか

「次は自分だから、と不条理に抵抗する」のか。

 私ゃ、後の方を選択します。「あいつババ踏んだザマァ」とニタつく輩が嫌いで。

 

3)社会人野球―まずは「何の不安なく野球場に居る」から

 シーズン通しての感想・話かたりは越年で。来年は新球場でどういう物語が紡がれるか楽しみにしたいのですが、私個人としては表題通り「不安無しに野球場に行く」ことを取り戻したい。

 コロナ感染の影響は、スポーツにも現れ、その接し方も2019年前までと大きく変わり、社会人野球で言うと応援活動ができなくなったし、観戦ルールや「接し方」も激しく変わりました。必要な対応はあるべきものですが、その競技にいる人がはじかれないでいることができる場であってほしいと願うものです。

 

4)今回写真に込めた「生き様」。

 今回は二枚、写真を入れています。

 一枚は夜明けの模様。どうも2023年元旦は空模様悪そうなので太陽が出ようか?というものを入れました。これで快晴なら良し、とします。

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 もう一枚は、自分の心境と重なる光景だと思った箇所があったのでそこを。目の前にある高速道路は、近くにいる人の多くが歩めている“一般的な人生”。そこからは離れている自分がいますが、自分の歩くところにも道はある。羨ましく思ったりはしますが、マイナスの感情持ったところでどうしようもない以上、自身の道を懸命に歩くことにするし、何かあれば助力できる位置にはいようと。その心情を込めた(←後付けで)一枚です。f:id:b-itoh1975:20221231185450j:image

 2022年も大変お世話になりました。2023年もこんな調子で歩きますので、おつきあいよろしくお願いします。

 

              伊東  勉

高校ラグビー・鳥取県代表の奮闘から思うこと。

 子ども人口減少。私が中学生の時は1学年5クラスだったのが、現在は2クラスが平均となっている状況からも読み取れます。

 

 昨日の昼間、高校ラグビーのテレビ中継を見ていました。鳥取県代表倉吉東高と宮崎県代表高鍋高校の対戦、結果から語れば66―0で高鍋の勝ち。鳥取県は地区予選で成立した試合がなく、試合を棄権しなかった倉吉東が代表、この日の試合も4人欠場で15人ギリギリでの試合を強いられた、とのこと。

 

 スポーツをする環境なり“巾”が、特に地方では狭まっている。高校スポーツで育てられた人間ですが、厳密に高校で割る形は限界で、最近言われるような「地域以降」の必要あるのか、と思ったりもします。ただそうなると、今度は俺みたいな「貧困家庭出身かつ好きなだけで下手くそ」な人間にとってはスポーツをやる場所を失ってしまう、という悩みもつきます。更にラグビーはコンタクトスポーツで、体のできていない高校生がするには気を使わなければいけないことがあり、そこも悩みになっているようです。

 

 ラグビーは私にとっては身近ではなかったのですが、高校生だった頃は近隣の大船渡高、大船渡工両校にラグビー部があって、1993年高校ラグビー選手権の(よりによって)一回戦で両チームが対戦してるんですよね。勝った大船渡工業は県ベスト16以上の決勝大会に進出して、毎日新聞でメンバー表入りで紹介されていました(中学同級生も一人掲載)。

 

 「少子化の厳しさ」はそこかしこで聞いていて、それでも選んだスポーツで、選手たちがいきる道を見つけられればいい、そのための条件整備はどうしたらいいか対応できるスポーツ社会であってほしいと願います。お付き合いいただきありがとうございました。写真は「フットボール競技場」つながりで盛岡南運動公園。

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県営球場のマウンドで意識した投手は“大船渡を背負い、闘った”仲間たちだった―県営球場フェスタ報告・前半

※この記事はFacebook共通記事ですが、Facebookでは当記事が「後半」、ブログでの「後半」記事は、製作環境が整っていないので後日の記述になります。
 
 11月6日、私が県営球場イベントに参加した様子はFacebookで書かせていただきました。その中で、「マウンドからの4球」だけ、記述を後回しにしていたので、今回はこの部分について記します。

 県営球場のマウンド。
 これまで、小学校時代の外野手→中学時代に一塁手→どさくさに紛れての捕手、と守備位置を変えて来ましたが、投手には“たどり着かなかった”。学校農業クラブ活動で行った気仙養護学校(いまは気仙光陵)との試合で投手をしたことはありますが、自分のなかでは未達の地でした。
 
 野球はじめて42年、ようやくたどり着いた岩手県営球場のマウンド。このマウンドから大舞台にたどり着いた選手に大谷翔平、菊地雄星、佐々木朗希といった名前が浮かびますが、あの時の私が思い浮かんだのは彼らではなかった。
 社会人野球・都市対抗野球で、「大船渡市代表」の名を背負い、他県・他自治体代表チームと闘った
 仲間たちの姿が
 仲間たちの立ち振舞いが
 彼らはこの視線で、並みいるライバルと闘ってきたのか、と
 限られた時間のなかで、感慨に耽ったf:id:b-itoh1975:20221221130814j:image
 投じた4球、ストライクは2球目だけで、それとて「届かせる」ので精一杯の投球がたまたま横線のストライクゾーンに入っただけ。初球はインコースに外れ、3、4球目はいまの肩力の足りなさを証明するかのようにホームベース大分前でバウンドし、最初で最後の“登板”完了。グラウンドに立つ、のみならずマウンドに立ち、投球することができた。その行為自体と、「応援していた仲間と同じ地を踏めた」ことに万感の思いを持ちました。
 年月の経過は変化も生み、その変化は「生き方」なり「在り方」を激しく揺さぶり、その揺さぶりは私自身の今後の動向を考え直さざるを得ないほどのものですが、そういう変動があったとしてもこの球場は「岩手の野球人の拠り所」であり続けたし、先のような思いを抱ける野球人生を歩めたことは幸運でした。関わったすべての方に深く感謝を申し上げるものです。

資料収集は一区切り。そして、俺がやろうとしていることは「基礎づくり」でしかない。

 今回の行程を以て、国会図書館に赴いての資料収集は一区切りです。専業の調査人ならもっと早く、更に深くの調査もできるのでしょうが、仕事は他に持ち、費用も潤沢ではなく、できることは新聞記事をかき集めてそれをまとめた一文を書く程度。

 そして、この調べものは自分の行動で完結しようとは思いません。この一文を以て、他の調査者が「その地域の野球の歴史」を手繰っていただければ至上、と考えるものです。

 今回の道中は、いくつかのアクシデントに見舞われましたが、もうひとつ「窮屈な社会になったな」と思わされることも。具体的詳細の記述を控えますが、「適用されているルールを活かすことを『別な規範もってきて潰』そうとする」行為がどうにも解せず。

 どんな「難儀」さが降ってわいたとしても、できるところまでは終えておきたいです。せめて、それだけは(それすらできなくなる危険性もあるだけに)。ひとまずの報告にかえます。

12月15日、人生48周目に入りました。

 12月15日、私の47歳の誕生日です。今年も何とか迎えることができ、関わりのある皆様に感謝を申し上げます。

 野球活動に関しては規模縮小傾向が続き、ブログだけでも思ったように記すことができないことを申し訳なく思います。特にこの数年はスポーツに対する信頼性を損なう出来事が相次いで、それに対する不信感から社会人野球が行われる環境に入ることが怖くなっている自分がいます。その解決は、外傷などと違い簡単に回復・解決するものではありませんが、自分がかろうじて持っている最後の一線―目の前で厚意を与えてくれた人間関係のありがたさを忘れず、それを基に何の憂いもなく野球の中に入っていける状態を作れればと思っています。

 応援してる赤崎野球クは、今季各大会で1勝以上をあげ、三陸沿岸クラブ大会では二日間で4試合の激戦を戦い抜き、準優勝の結果を残しました。上位大会に進出することの多かった2000年代とは状況が変わる中でありますが、大船渡野球人の拠り所でありますし、同後輩の手助けをなんぼでもできたら、と。その思いもかろうじて持っています。

 当面は、ここ2〜3年、自分が今手がけている「社会人野球の歴史探索・資料整理」に比重を置くことにします。その中で少しでも長く「ここ」に居れるように努めます。

「控え選手の試合出場」をどう見たらいいか―W杯サッカー一回戦より。

 ワールドカップサッカーは決勝トーナメント一回戦が進行しまして、日本代表はクロアチア代表に1対1、PK戦で敗退という結果となりました。グラウンドで闘われた皆様にはお疲れ様でした、と申し上げます。
 同じ日に行われた韓国対ブラジルは4対1でブラジルの勝ちという結果に。それを伝える報道の中でブラジルがここまで出番のなかったゴールキーパーを交代起用したことが話題になっています。サッカーは負傷以外で試合中にキーパーを変えるということはあまりなく、この選手起用法は「相手を見下してるのでは」などとも言われますが…ひとつ、見解を申し上げておきます。
 結論から先に言ってしまえば、『実際に試合に出ている選手が手抜きさえしなければいい』。出場選手登録に名前が載ってるからには戦う意思は持ち合わせてるんでしょ。その意思を持ち合わせて試合に真剣に向き合うんであれば誰が出場してもいい。
 それぞれのチームにはレギュラーと非レギュラーの選手といて、非レギュラーと目された選手が出たときに「駒を落としたのか」「俺たちなめてんのか」などと思ってしまうこともあるでしょうが、それぞれのプレイヤーは基本「試合に出て自分の技力を発揮したい、自分の力を発揮したい」と思って出てるんでしょ。格好つけて言えば「誰もが試合&競技への挑戦者」ですから。後は技術の優劣だの結果だのってのはグランドの上で出せばいいだけです。
 今回のワールドカップサッカーもかなり遠い距離から見てきました。尖った言い方は控えた方がいいですが、一喜一憂を揺らしすぎて他者に「モノをぶつける」ような行為、控えていただきたい。私の「上司の上司」は「良かったときは『良かった』ときちんと喜ぼう」という性格で、それは見習わないと、と思っていますが、喜びに悪酔いはしてわんない、とも思って行動しています。

 12月に入ると、即「年末進行」に入るので、以降は
・10月開催「岩手アマ王座決定戦」雑感
・12月15日誕生日記念記事
・2022年を振り返って
 あとは、Facebook共通の
岩手県営球場フェスタ報告+派生記事
 を記すのみとなります。もちろん、追加記述はありです。
 おつきあいいただきましてありがとうございました。

記事製作日記(22年11月24日Ver.)

 10月半ばに行われた岩手アマチュア王座決定戦が終わってから1か月以上が経ち、社会人野球岩手ベストナインも発表されましたが、申し訳ないですがまだ記事化するには至っていません。

 10月半ばから季節性の体調悪化に悩まされていまして、特に睡眠不良は日々の行動時間を削り、“最低限”するだけで精一杯。今までの人生の中で一番きつい、薬飲まなきゃ寝ることすらできない状態に恒常的に追い込まれています。

 この間、文章化しての記事製作はできなかったけど、奈良県福井県の新聞資料の整頓は進みました(写真データをWindows機能で加工)。新聞資料の整頓は中国地方(島根・鳥取両県)と岩手が進行中。バックアップもしながら、万が一何かあった時の引き継ぎ(誰かやろうとする人いるのか)など複合的に進めているので、進み具合は遅々と。今年7月に宮崎県記事制作を行いましたが、記事制作に再び向かえるのはいつになるのかなーとか思いながら、必死に生きているわけです。

 10月にビリっときたことが、ようやく緩和できたかと思ったら、それを10倍ぐらい毒性を強めたような出来事が起きてしまい辛いです。何回もこのブログで書けることじゃないので「そういうことばっかり続く中で生きていかなければならないんだな」と期して、同時に人間社会が持つ復元性も信じて歩いて行こうと思います。

 当面は『1日でも早く岩手アマ王座決定戦&ベストナイン』の新聞資料取り寄せて書ける状態に持っていきたい。寒くなって、日々健康を保つには状態が厳しくなるのは皆様同じと思いますので、どうかお体お気をつけてお過ごしください。今日は以上報告で終了とします。

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