MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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社会人野球・開幕間近/デジタル資料の引き継ぎ希望。

 社会人野球の記事制作に時間が取れず、連日「もう一つの主題」の作業をしていました。便利な動画アプリなどもあるのでしょうが、クレジットカードを持てない状況もあり、原始的な作業でやるしかないのが現状です。それでも諦め悪く行動し続けています。

 野球界に目を向けると、2月下旬となり、3月第2週あたりから公式戦が始まります。JABA東京スポニチ大会を皮切りに、3月中には都市対抗野球の一次予選も開始。4月・5月は学生野球のシーズンと重なるため、一次予選を早めに行う地域が多いのです。私の住む岩手では5月第2週あたりの予定です。正直、まだ今シーズンの日程を完全には把握できていませんが、なんとか対応できるよう調整中です。

 腰を据えての作業がしづらい環境ではありますが技術の恩恵も受けています。特にAIによる文書作成は、音声入力の修正を手軽に行えるため、非常に助かっています。口述で入力して形を作り、細かい修正を自分で行う。2026年に入ってからは、このスタイルでブログを書いています。

 また、デジタル知識を独学で蓄えてきましたが、新聞資料などの画像保存形式を、劣化しやすいJPEGから、容量はかさみますが劣化の少ないPNG形式へ切り替えていくことにしました。

 今までぼかして書いてきましたが、今年中に、私が持っている社会人野球のデジタル資料を数名に譲渡する予定で動いています。

 できるだけ長く作業を続けたいと思っておりますが、心臓の持病もあり、万が一の事態が起きる可能性があります。そのため、現在さまざまな箇所と相談しながら、引き継ぎを進めています。兄からは「普通は兄貴の俺が先に旅立つことを考えるものだが、お前が先に行くことを前提に話すのは妙なものだな(苦笑)」と言われています。

 そんなわけで、今年は何人かにご相談に伺う予定ですので、その点も含め、引き続きお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

2月21日時点の近況。

 2月8日までに起きた件とそれに関する出来事については、先のブログ記事をまとめました。それとは別に、3月8日まで「かなり重い仕事」が入りました。現在その完遂に向けて取り組んでいるところです。

 それに加え、職場で負傷者が出てしまい、私がそのバックアップに回ることとなりました。「3月8日までの集中案件」と「負傷者のバックアップ」がほぼ同時に決定したため、Facebookでは「三重衝突的な出来事が起きた」と記述。

 本来であれば、社会人野球の歴史調査をもっと進めておきたかったのですが、残念ながら実行に移す時間は大幅に削らざるを得なくなりました。「なんてこった」とも思いますが、自分まで調子を崩して「四重衝突」にしてしまわないよう、体調管理には気をつけます。
 自分がいなくなってしまったら続かなくなってしまうポジションも担っている自負がありますので、「存在し続けること」を強く意識して、当面の業務に懸命に努めていきます。

2026年シーズンの野球活動継続に関するご報告(2月10日時点)。

1️⃣ 「2月8日」が過ぎようやく一息ついたところです。

 1月半ばからずっと走りっぱなしで仕事や「もうひとつの主題」に向き合い、これまで背負ったことのないような役割も任される中で歩き続けてきました。体力的には限界ギリギリまで自分を追い詰めましたが8日までなんとか持ちこたえました。ただ、精神面ではかなり削られて、今シーズンの野球活動を継続する上での懸念が出てきたことをご報告します。

2️⃣ 2009年に心筋梗塞を起こして以来、常に「爆弾」を抱えている状態でしたが、2019年頃からは精神的にも負荷がかかる事態が続いています。きっかけは2018年頃、「野球を特定の人種・国籍に対する調教の道具にしろ」という趣旨の言葉をぶつけられた一件。当時、様々なスポーツ大会で日本代表が活躍していましたが、自国を過剰に持ち上げる一方で近隣諸国を蔑む言説に怒りを覚え、更にそういう立場から一歩引き、理性的に対応を求める意見放てば「お前は日本人か」。その結果、先のような言葉をぶつけられたことで「この人たちと同じ空気は吸いたくない」という強烈な拒絶反応が生じてしまいました。

 その結果として植え付けられた人間不信は以降の野球活動に支障を来たし、「球場という空間で人の中にいること」が苦痛に。見知った方々との交流は問題ないのですが、不特定多数の中では「否定されるのでは」という不安が拭えず、毎年春先の診断を経るまで継続の意思を明言できない状態が続いていました。

3️⃣ 特に酷かったのは2021年。社会人野球の本格シーズン開始直前、先述したような増長した考えを持つ者とぶつかることになり「人の中に入ると発狂してしまいそう」な精神状態に陥りました。

 幸いだったのは関与する赤崎野球クラブの公式戦が終了(7月開催の三陸沿岸大会以外欠場)。一度だけ都市対抗野球のパンフレットを買いに森山運動公園野球場へ向かいましたが、動悸を抑えながら慎重に立ち寄るのが精一杯で、その数分すらしんどかった。

 2020年以来、社会の中で普通に生きるために「精神を沈殿させる時間」が必要となり、副作用などに悩まされながらもなんとかストレスを散らして、投薬治療を続けながら活動してきました。

 しかし、再びそれと同等、あるいはそれ以上のストレスを正面からぶつけられ、それを解決する見通しも立たない。正直に言えば、2021年時のしんどさを思い出しています。

4️⃣ 今後の活動については、近いうちに定期検診を受けますし、治療も含めて春先までに回復を図りたい。野球は好きですし、大船渡も好きです。後輩たちの懸命なプレーを支えたいという思いに変わりはありません。基本的には活動を「継続する」方向で進めています。

 ただし、例年以上のダメージを負っていることも事実。もし「これ以上は無理だ」と判断した場合には活動を止める可能性があることを、あらかじめここで表明させていただきます。

※ 諸事情により、ここに至るまでに起きたことの具体的記述はできません。「もうひとつの主題」とは切り離して書く配慮が必要なため、どうしても曖昧な書き方になってしまうことをご容赦ください。

5️⃣ どんなに辛いことがあっても生きていかなければならないことは分かっています。負荷を少しずつ減らし野球と向き合えるように。野球と大船渡のために行動を丁寧に行い、活動できる状態をつくっていきます。

 長々とした独白になりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

当ブログ・社会人野球 今後の活動について/国会図書館デジタルで見つけた記事。

1️⃣ 2026年1月の近況。

 新年が明けてから、野球ブログは1記事を上げたきりです。本業が忙しくなり、思った以上に早く日が過ぎていく中で、社会人野球の調べ物はストップ。2月に一度はどこか図書館へ行きたいと考えていますが、当面は目の前の出来事をクリアすることに専念します。

 体調は相変わらずで、例によって今年の活動も確定できていません。社会人野球に関わり続ける意思はあっても4月にならないと確約できない事情があります。

 昨年末、社会人野球の発信者である「ぶるっく」さんが本を出版されたり、同じく「矮人」さんが各メディアで活躍されたりと、発信者仲間の頑張りが見えたことは非常に喜ばしい限りです。私自身は彼らに比べれば中途半端な立場・取り組みですが、社会人野球の発信が日の目を見ることを嬉しく思っています。

 今は「もうひとつの主題」にリソースを割いており野球に力を傾ける状況にはありませんが社会人野球への意識を絶やしたことはありません。そのことだけまず申し上げておきます。

2️⃣ 国会図書館デジタルから得た資料。

 昨年末には岩手県立図書館へ行き、国立国会図書館のデジタル化資料も閲覧してきました。思った以上にデジタル化が進んでおり、以下の三項目で進展がありました。

島根県 大社クラブ

・西倉実捕手(プロ3年経験、1960年ガンで逝去)の「末期のことば」「1958年炭鉱野球大会準優勝(軟式チームの大東鉱業として)」「1957年都市対抗野球中国地区予選 読売新聞島根版にも掲載(締め切りの関係か全試合ではなかった様子)」

▽「生涯1試合登板」1950年東急在籍 久保寺昭投手

・1950年の少年雑誌で20歳以下選手特集で紹介。白木義一郎投手の紹介で加入。本来野手でしたが、投手にコンバートした様子が記されています。

▽1948年都市対抗野球出場・中和クラブ(奈良県八木町

① 1948年のスポーツ年鑑で都市対抗野球を詳細に扱った記事あり。選手名簿つき。選手名簿は他に日刊スポーツ、毎日新聞(名字のみ)がありますが、毎日は日刊スポーツと選手名が変わっています。

② 対戦相手の大塚産業サイドからの記事も発見(これは福井県・安田商店戦の記述もあります)。

 奈良県の記事については「挑戦記」という形で一度仕上げましたが、中和クラブの関わる中編(1948~1950年)は書き直しの必要が出てきました。そうなると三陸沿岸大会が始まる1ヶ月半でどこまで進められるか、というところになります。時々にタイムライン現れたら見てやってください。おつきあいいただきありがとうございます。

2026年スタートも、今冬の資料整頓活動を縮小せざるを得ない事態になりそうです。

 2026年もはじまり、今年第1号の記事です。私生活では大晦日に1泊2日で大船渡へ帰省し、それ以降は日常の生活を過ごしています。

 ところが、「もう一つの主題」で急遽大きな仕事が入る可能性が出てきました。そのため、この冬に進めたいと思っていた調べ物の実行が難しくなっています。少なくとも写真データの加工などに割く時間は削らざるを得ない状況です。それが実行となれば、この先1ヶ月はそちらで目一杯になってしまうため、野球の記録整理がどこまで進められるか分かりません。昨年来起きていられる時間が限られている中で、更に窮屈になるとは思いませんでした。

 当方の記事製作でひとまず考えているのは『これまで書いてきた社会人野球歴史記事まとめ…のまとめ』です。すでに完成させた宮崎、奈良、福井の「社会人野球挑戦記」や、青森、山形、福島、山梨、島根、鳥取、佐賀の「中間報告」記事、また「関西以西/中国地区のクラブチーム」「エイジェック以前の栃木県企業チーム」「愛媛県クラブチームの足跡」「福岡県クラブチームの足跡」もありますが、AI(Gemini)の力を借りて要約・整理したものを記述にする予定です。ブログに直接書くか、あるいは冊子風の画像データとして貼るか、手法はまだ決めかねていますが、何らかの展開を考えています。

 当面は「もう一つの主題」に集中するため、野球の方は疎かにならざるを得ません。まずはこの寒さで体調を崩さないよう努め、無事に生き延びて4月の三陸沿岸大会への参加できるように務めます。

 皆様、新年いかがお過ごしでしょうか。寒さ厳しき折、どうぞお気をつけてお過ごしください。

2025年を閉じるにあたり、一言申し上げます。

来年もグラウンドで無事に会いましょう。

 近年は誕生日に書く記事と年末のまとめに書く記事がほぼ同じなので、年末の部分は無理して更新記事を書かなくてもいいかなと思ったりしています。12月は始まってしまえば過ぎてしまうのが早いです。

 ​ここしばらくの記事制作不良を脱し始めましたが、結局は書き残しを多数残してしまうという状態で2025年を終えます。岩手県のまとめ、山梨県の書き残し、青森県の書き残しについては、早めにアップできるように努めます。

​ 今年は病気の進行もあり、一日で起きていられる時間がまた短くなってしまいました。31年目のシーズンだった社会人野球。なんとか赤崎野球クラブの部分については帯同することができましたが2026年もそれが続けられるように努めています。また、社会人野球の歴史調査も新たに大船渡農業高校野球部の歴史調査も始めたので、どこまでできるか不安ですが、立てた目標を達成できるようにはしたいと考えております。

​ 50歳をなんとか迎えられて、人生51年目になります。どこまで皆さんとお付き合いができるか、突然途切れる可能性と背中合わせに生きていますが、それでも最期まで真面目に生きていかなければならないと思っております。​人生の中盤を超えて、いよいよ後半に向けて走り始めるという部分で、考えなきゃならないことがたくさん出てきたので、そこは関わる人と一緒に考えながら行動をします。

 2025年もお付き合いいただきましてありがとうございます。

 2026年もよろしくお願いします。

“平成”前・中期の岩手社会人野球の光景② 岩手東芝と東北ハーネス→東北住電装野球部の記録。

記述日:12月10日

 ここしばらく、野球から遠ざかっていたので、NPB2軍参加球団のくふうハヤテが苦境に陥ってることも知りませんでした。そのことを記したX文章の中でフェズント岩手、岩手東芝、東北住電装の名前をあげましたが、後者2つのチームについて少し触れます。

 社会人野球の企業チームはかつて100から200ありました。その時代には全国区のチームだけでなく地域の中小企業/全国的企業の地域支店がチームを持っていた時代も。例えば今のNTT…当時の電電公社の福井支店のように(1年しか活動してません)。 そして岩手では東京製鋼、岩手東芝、東北住電装。東京製綱はまだ調べが進んでいないので当面取り扱いませんが、岩手東芝と東北住電装に関し

ては戦績一覧表は作ったのでそれを提示します。

③ まずは東北ハーネス→東北住電装。岩手県内3工場から選手を募って作られたチームは全般的に苦戦を強いられ、公式戦での勝利は都市対抗野球クラブ予選から出場した1試合のみとに限られました。 再起を機した時期に主将が急逝したのもこたえたものと思われます。

④ 続いては岩手東芝の活動前半期。こちらもやはり勝利の経験は都市対抗野球クラブ予選から出場した年のみに限られ、多くは岩手県内の中堅・上位企業チーム/強豪クラブチーム相手に苦杯を強いられることとなります。

⑤ 岩手東芝活動後半期。96年の歴史的大敗もありましたが、東芝工場に入社してきた野球経験者を積極的に募り、盛り上げようとしていた様子もありました。 しかし、東芝工場の変化により野球どころではなくなり、2000年には不運も重なって棄権が相次ぎ、この年で活動を終えます。

 企業チームは参加機会こそある程度保障されますが、対戦相手の多くは有力クラブ/中堅・強豪企業チームとの対戦。そういう意味でこの2チームの育つ余地が少なかったのは非常に残念と思っています。

⑥ 企業チームのみならずクラブチームでも目的意識持って活動するチームが多くなりました。それでも基本的「野球が好き」という思いがあれば存在していいはずの場所。目的意識は活動する中で研かれる部分も

あるのでいろんなルートの挑戦は存在できればと願ってます。

 ひとまず以上です。

“平成”前・中期の岩手社会人野球の光景① 有力企業チームの陰に隠れた岩手東芝・東北ハーネスの話。

※この記事は8月にXに連続ポストしたものを再構成して書いています。

1️⃣ まずは、1990年代半ばから10年間の岩手社会人野球の流れです。

【岩手社会人野球の光景・1995~2005】

・1988年→新日鐵釜石活動終了

・1995年→岩手銀行活動終了

・2000年前後→アイワ岩手、岩手東芝、東北住電装活動終了

・2003年→太平洋セメントと宮城建設活動終了

・2004年→JAいわて活動終了、企業チームはJR盛岡のみに。

・2006年→フェズント岩手活動開始(2014年まで)、岩手21赤べこ軍団参加(2007年まで)

・2012年→トヨタ自動車東日本活動開始

1️⃣ 1988年の新日鐵釜石、1995年の岩手銀行都市対抗野球本大会進出チームの活動終了はありましたが「まだ~~がある」と思ってた所に2000年代前半の企業チーム活動終了ラッシュ。それでも赤崎や駒形等残ったチームが意気軒昂に振る舞い、赤べこ、フェズントの活動・JR盛岡の強化、トヨタの活動に結びました。この経験があるから「ゆるぐなくても(大変でも)活動を継続することが後につながる」と思っています。それでも言うは易く…でそれは大変なんですよね。故に現場に立つ皆様には敬意を持つものです。

2️⃣ 岩手の企業チームのうち、岩手東芝と東北ハーネス→東北住電装は企業チームではありましたが「強化部」というよりは「職域の同好会」というイメージ。対戦相手が強豪企業かクラブ上位との対戦に限られていて、勝った経験が極端に少なかった印象がありました。東京製綱(1970~90年代に約20年活動)もですが、どういう中身や意識で活動が行われていたかを毎日新聞や各種パンフで十分にくみ取ることができませんでした。できれば足跡をつかみたいですね。

 東北住電装は赤崎野球クラブ“移籍”直後に対戦…と認識していましたが、記録読み直してみると見た試合は「住電装対駒形」でした。98年に2試合観戦。岩手東芝は3~4試合。96年の岩手県知事旗大会で岩手県社会人野球史上1試合(37点)&1イニング最多得点(28点・打者4順)を久慈クラブが記録したときの対戦相手で、この試合を直に見ています。

3️⃣ ここで当初に書いた「やり方があれば」…と思わされて。社会人サッカーがそうですが、段階踏んで行けば存在感ができていけるチームになれたのですが、そこは「当時の枠組みがそうだった」としか言い様ないです。岩手東芝の監督さんには時折「見ていただいてありがとうございます」等とも言葉交わしたことがありました。

 この2チームはどーいう心持ちで続けたのかな、と。お話聞いてみたいですね。今項はひとまずここまでとします。

おまけ4️⃣ 岩手東芝・東北住電装のスケジュール

今のJABA地方大会への参加はなかったようです。岩手県知事旗からスタート、都市対抗は本予選からの参戦。住電装は企業リーグ戦参加してた時期もあったかと思いましたが、参加していたのは東京製綱の誤認識でした。秋の日本選手権県予選、東北連盟会長大会県予選参加で1年終了(当時は岩手アマ王座戦はなし)という形です。

大船渡農業高校野球部記録の保存作業再開について。

記述日:12月25日

① 趣味の範囲ではありますが、物を書いたり、書いたものが製本になったりする様子が好きなようで、小学2年生の時に学校の印刷室を覗いた時は1時間ずっと印刷の様子を眺めていました。巧拙はともかく物書いて形にするのが好きなのはこっから始まったのでしょうか。

 少し前の記事で大船渡農業高校野球部に関する調べ物を再開する旨話ししました。高校卒業時、1991年から1993年にかけての在学期間の様子を記録した「大農野球部レコードブック」を制作。関係者として関わっていた10年間・2004年度夏の選手権大会までの記録を各年度ごとに内々に製作していました。ただ、その記述は「内々に出しているから書けた」ようなもので、外部に向けて発信するようには作っていません。この時に同級生に「この制作は立派だが、外に向けて出せるようなものじゃないからな」と厳しめに言われましたが、今となってはその理由がわかる気がします。

② なので、最初は地元の東海新報朝日新聞毎日新聞・読売新聞・産経新聞河北新報と、それぞれ地方版の記事を集めて記録することから始めます。日刊スポーツに関しては東北版の所蔵が知る限り福島県立図書館しかないので、今の状況下では思うような行動ができません。もっとも、大船渡農業高校野球部が日刊スポーツに載ったのは

・私が3年生の時だった1993年

ノーヒットノーランを食らった1999年

・最後の選手権大会に臨んだ2007年

 の3か年ぐらいしか思いつきません。スポニチは東北版がない(福島版はある)、報知東北版もどこにあるかわからないので。

 1回、ある程度の形を整えてはいるので、それにに倣って再記述することはできますが、先の同級生の忠告の通り慎重に対応することにします。 加えて、記事データそのものをワープロで作ったのですが、そのデータの入ったフロッピーは使い物にならず、データの救出もできず。紙面の写真データから「救出」するしかありません。

③ 大船渡農業高校野球部は硬式社会人野球の企業チーム進出は1人のみ。80年代はOBが高田クラブ、赤崎野球クラブに在籍し、高田クラブに進んだ先輩メンバーはクラブ野球選手権本大会も経験しました。後にはオール江刺に2人、佐藤組北上球友→赤崎野球クラブに進んだのが一人(お前だお前伊東だよ)います。

 それでも間違いなく言えるのは大船渡農業高校野球部を経験したメンバーは社会に出て一生懸命に生きている。ここまで硬式社会人野球の実績のみ語っていますが、社会・実業の中で頑張っているというのは言えるわけです。それができる先輩・同窓・後輩を私は誇りに思っています。

④ 赤崎野球クラブでの活動が深化した結果、大船渡農業高校野球部の活動から離れましたが、その活動ができた足跡を残せればと。2年前から大船渡東高校同窓会にも出席しているので、扱いを相談できる人と何かアクションができれば、などとも考えています。

 7年前から覚えた強烈な人間不信が祟って、私の活動行動の範囲は思いっきり狭めてしまっていました。この間の社会人野球も基本的には赤崎クラブの試合帯同のみ。先の見通しも体調のせいで厳しい部分はありますが、それでもできる部分はしていくことは追求していくつもりです。

「人生50年」迎えました。これからもできる限り歩みます。

1️⃣ ​12月15日をもちまして、50歳を迎えることができました。「これで50歳かよ」と思われるかもしれませんが。

 1984年、大船渡高校野球部の甲子園出場をきっかけに野球を覚えてから41年が過ぎました。私の野球キャリアのほとんどは「支える側」であり、プレイヤーとして活動したのはほんの数年程度に過ぎません。

​ それでも、自閉的な傾向があった私が野球を通じて「社会の中に自分がいる」ことをを知ることができたのは大きな財産です。

2️⃣ 小学校野球部時代はつまずきが多かったのですが、中学でチームスタッフという道があることを教えられ1年生からベンチ入りし、3年間チームの中心として活動したことは、私の成長に大きく結びつきました。

 ​「鶏口となるも牛後となるなかれ」という思いを抱き、前年に選手権県予選2勝を挙げた大船渡農業高校の門を叩きました。プレイヤーとしての技量は乏しく、試合に出場できたのは3年生(1993年度)の時だけでしたが、独特の存在感で周囲に認めてもらったことは、今でもありがたく思っています。

3️⃣ ​社会人になり、1995年に北上市の「佐藤組北上球友」に入部。1997年に大船渡に帰郷してからは、1998年から「赤崎野球クラブ」に入部しました。当時、上り調子だった赤崎野球クラブは、その後、岩手県大会や東北大会を突破し、クラブ野球選手権や都市対抗野球で全国大会に進出。企業チームと引き分けに持ち込むなど、確かな足跡を残しました。その歩みを共にできたことは何よりの誇りです。

​ 2008年には、準全国大会といえる東日本クラブカップで優勝。東日本大震災で大きなダメージを受けましたが、それ以降も地元・大船渡で硬式野球ができる貴重な場所として活動を続け、気がつけば社会人野球に関わって31年が過ぎました。

4️⃣ ​2018年からは、岩手をはじめ12県(青森・山形・福島・山梨・福井・奈良・島根・鳥取・宮崎・沖縄・佐賀)を対象に、社会人野球の歴史調査を行っています。各県100年の歴史を辿る作業は膨大な手間がかかりますが、「企業チーム主導でない」地域でも、野球への熱い思いがあったことを示したいという一心で行動してきました。

5️⃣ ​近年、大谷翔平選手や佐々木朗希選手といった世界的スターの登場により、岩手の野球はかつて存在した壁を打ち破りました。菊池雄星選手をはじめとした2009年花巻東高校チームの活躍から始まったこの流れを支える皆様には頭が下がります。私はその裾野の部分で、野球をする人の熱意を大事にしていきたいと考えています。

6️⃣​ 現在、体調もあり思うように活動に関われていません。ここ数年は赤崎野球クラブの活動に関わるのが精一杯という状態です。幾度も心が折れそうになりましたが、仲間たちが変わらずに接してくれることが、何よりの支えです。

 この先、どれだけの時間を共にできるか分かりませんが、最期の時が来るまで、ひたすらに生き、野球に関わり続けようと考えております。

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