MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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ペンから野球を彩った水島新司さん逝去。

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 心身の事情で野球場行きからは距離を置いていますが、野球そのものは好きであることは変えようがない事実で、その野球を楽しむ一つの媒体となっていたのは漫画というメディアでした。

 先日、野球漫画の第一人者である水島新司さんがなくなられたとの報道がありました。ドカベンあぶさん野球狂の詩一球さん、球道くんなど大型の連載作品を生み出した一方で、裏方あるいは野球に関わる周辺の人々を描いた作品も多く、あぶさんの昭和期、野球狂の詩の第1期や、平成野球草子などの短編集にその足跡が残されています。

 野球漫画は発展を遂げ、ダイヤのAや、後継者が作品を紡いでいるキャプテンなどの作品がありますが、野球漫画の幅を広くしていただきましたが、私が関わっている社会人野球のカテゴリは、球道くんで育ての親を通じて書かれたのが目立つぐらいでした。そこだけ残念でしたが、社会人野球そのものが漫画にしづらい部分というのはありますからね(※)。

 また、岩手県関連ではドカベンで明訓を破った弁慶高校、更に明訓を苦戦させ夏はベスト4の花巻高校、短編では現役の好打者と北上近隣出身で隠居している安打記録保持者との交流を書いた作品も思い出深いものがあります。

 水島新司さん、本当にありがとうございました。ゆっくり休んでください。

※主人公サイドで描かれた作品は「てなもんや豪速球」(青年誌)くらい。最強リベンジャーズ(平松真氏・小学館)は社会人野球の世界を描いていますが、主人公サイドは浪人予備校生で結成されたクラブチームです。

 

 で、イラストを書いてみましたが絶望的にヘタですね。買い物したときに見た年長組の童ゃどの方が上手い(兄)と評価されてる私の画力ではこれが限度でした。どうかご勘弁ください。

社会が自分を棄てようと、自分は社会を棄てない―2021年を生きての到達点。

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 2021年も間もなく過ぎようとしています。
 社会の縁にいて辛うじて生きている人間にとって、社会が一気に激動するとそれに対応するのに多大な労力を要します。スマホすら持てるようになったのは去年から。クレジットカードは信用情報がなく作れず(借金はないが収入足りず…長年会員だった箇所を退会する要因に)、その他「お前(=私が持っている属性)なぞ除外してやる」としか思えないような出来事が相次いで人間不信に陥り、人の中にいること自体が嫌になり、例え「年内最大のイベント」だろうが、その場に居ることを拒否した。その中にいることによって起きるかもしれない「事故」が恐かったから。
 無いなら無いなりに持っていた「社会の中にいるためのやり方」を投げ棄ててしまわなければならないほどしんどい一年でした。

 一年生きるのが怖かった。

 今年ほどそう思わされた年もありません。

 そこへ来て、12月に大阪で起きた事件は、私にとってショックな出来事でした。
 私と加害者を別けたものは何だったのか。加害者氏の素性はよくわかりませんが、私の場合は以下の信条・心情を持っていたから、破壊的行為には与せずにいられました。

 『社会が自分を棄てようと
 自分が社会を棄てない。』

 野球方面で関わった方ならその様子を垣間見たかもしれません。本来なら小学生野球部時代で野球と縁切れていてもおかしくなかった私。だけど、
 親父に喝入れられて中学で継続し、
 中学で続ける意味と位置を見つけたから高校野球もできて、
 社会人野球も高校野球での同級生の活躍する試合見たから北上のチームに入り、
 帰郷後も「入りたい言えば入れるわけでないチーム」に押しかけで加わり、
 更に義侠心からのお節介焼きもしたりして

 …28年。長かったな。
 ここに書いてきた通りの行動をして来たから、辛うじて社会のなかで生きてこられた。3年前からある種のお賢い方々によって「お前なんざ要らない、いじめてやるから自ら退場しろ」てな類いの言葉を投げつけられたけど、得俵にひっかかって食い縛っても来た。
 場所に残っていれば見返す機もある。
 それでどーにか生きていきます。

 あと、兄貴。
 兄貴の「厳しさ」にはこんにゃろと思わされることもあるが、「無理をおしつける」人間ではありません。愚弟にとして感謝申し上げます。

 お付き合いいただいている皆様。いつか直に向かえる時が来るまでお元気で。2022年もよろしくお願いします。

               伊東 勉

 

おことわり―上記記述の都合により社会人野球に関しての記事制作は無期限延期とします。

「野球すら敬遠した1年」―45歳期を振り返って。

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 12月15日で46歳の誕生日を迎えることができました。ただ、野球を覚えた9歳のときから数えて37年で最悪の1年となりました。

 どんなに“周りの状況”が悪くても、野球そのは嫌いにならずにいられた私ですが、今年はそれすら維持できなくなったという…意味で「最悪の1年」というふうに表現したわけです。どれほどひどかったか、というのは、協力するチームの不参加があったとはいえ、野球場に入ることができなかった都市対抗野球岩手予選の経験語るだけで十分でしょうか。

 野球そのものが嫌いになったわけではなく、身近な野球に関わる人も嫌いではありません。が、今回嫌いになった理由は『私が社会にもっている問題意識と、スポーツを含めた日本社会環境との関係上、野球の部分にも障るようになった』。それで他者と会うことが辛くなって、「野球場に行くのが怖くなった」状況になったわけです。

 治療方法なんてあるわけないから、一歩一歩自分の中で修正して、野球場に戻っていける精神状態にするしか方法はありません。それまではひたすら「自分のできることをただ懸命にやる」だけです。

 あと、もうひとつ。

 ブログ、TwitterFacebookとSNSで17年、それ以前のワープロ使った紙媒体も含め、26年間社会人野球に関する記事を書いてきました。先頃、Twitterでルールの変更があり、今までの形式で書いていいものかどうか、考えなければならないものがあります。今年行ってきた個人名を出さない形式で、当面は続けていきますが、状況によっては記述終了も考えなければならない(最後の手段ですが)ことも。含めて様々模索しながら記事を書き続けようと思います。今後もお付き合いよろしくお願いします。

12月04日時点、記事制作の状況。

 11月初旬にブログ記述を少なくする旨書きました。この間に岩手県が関わる社会人野球の試合は全て終わっていて、JR東日本東北に補強されている望月選手(トヨタ自東)だけまだシーズン中。その望月選手は二回戦のNTT西日本戦でサヨナラ勝ちに繋がるタイムリーヒットを放ちました。まだこの目で望月選手は見ていませんが、彼と戦えるところまで勝ち上るのに協力したいと思っています。

 社会人野球の調べものとブログ記述ですが…ブログについては今月20日あたりまでは所用などもあり物事が進まない状況です。おそらく年末にまとめて四つ五つどかっと載せる形になると思います。
 調べもの。社会人野球の資料も集めて電子化も済ませていますが、気がついたら約1万2000枚にもなっていました。それをまとめるのはこっからという話で頭を悩ませています。馬鹿としか言いようがありませんね。元々ですが(笑)
 とりあえず、宮崎、島根、奈良、福井の第一期活動期(大体1965年あたりまでで活動途絶)については大まかなところは押さえて、後は春秋の試合の資料の到着を待って本格的な記述にかかる予定。一気に完成形をドント出す力はない(私の場合は心臓の持病で万が一というのがあるので)とりあえず春先までにまとまった部分で一つ書いておくかというぐらいまでは考えています。
 後はコロナ影響がどうなるか。私はワクチンに耐えられないので、今月に予定している図書館行きは同所以外の接触をほぼ控えるという形で行動する予定で計画練っています。
 寒くなって空気も乾燥してコロナ感染以外の風邪も入りやすい状況になっています。あと寒いと心臓に負担がかかるというのは、久保寺雄二さんの事例で聞いているので、体を冷やさないようにします。皆様もお気をつけてお過ごしください。
 今回も生存報告として記述しました。お付き合いありがとうございました。

筆をとる環境に無く、休載を続けます。

 10月に行われた岩手県の社会人野球2大会。アマ王座決定戦では高田クラブ11年ぶりの1勝というトピックスがありましたが、優勝はトヨタ自東。東北連盟会長大会はトヨタ自東が企業の部準優勝で、水沢駒形倶がクラブの部優勝に。両チームとも都市対抗から連続する公式戦をよくたたかいました。

 トヨタ自東の望月選手が補強選手選出になりましたが、他チームは今シーズンのたたかいを終えました。「10月中の所用」終わったのですが、忙しさの解消ができず、記事制作は…年越すまでにできたらいいですね、という状態です。寒くもなるので皆様お気をつけてお過ごしください。

PS「別な箇所」でのうっ積を関係ないここにぶちまけに来る者がいましたので、私の関わるブログのコメント欄は無くします。

10月後半の社会人野球紹介/次回更新は11月になります。【2021社会人野球】

 今日から約2週間、仕事・所要にかかりっきりになるので、その間に行われる二つの公式戦に関してはリアルタイムの記述ができません。よって、今回の記事で組み合わせのみを紹介し、試合詳報は11月に入ってからの記述になります。どうかご了承ください 

1.岩手県マチュア王座決定戦
 10月23、24日に行われる岩手アマチュア王座決定戦は、高田松原「奇跡の一本松」球場で6チームが参加して行われます。大会日程は以下の通りです。情報確認は岩手県野球連盟ブログでお願いします。
▽10月23日10時より
 一回戦 高田クラブ ― MKSIBC(1)
 一回戦 水沢駒形倶 ― 久慈クラブ(2)
▽10月24日8時30分から
 準決勝 JR盛岡  ― (1)勝者
 準決勝 トヨタ自東 ― (2)勝者
 決勝戦

2.東北連盟会長旗大会
 10月30、31日にかけて山形県で東北連盟会長旗争奪大会が行われます。企業の部は参加資格のある9チームのうち8チームが参加。クラブチームは青森を除く5県から5チームが参加しての開催となります。組み合わせは以下の通りです。情報確認はJABAHP(www.jaba.or.jp)か山形県野球連盟ページで。。
▽企業の部
・10月30日 荘銀日新スタジアム9時から
 一回戦 JR東北  ― JR盛岡
 一回戦 TDK   ― 七十七銀行
・10月30日 きらやかスタジアム8時30分から
 一回戦 きらやか銀行 ― トヨタ自東
 一回戦 JR秋田  ― 日本製紙石巻
・10月31日 荘銀日新スタジアム8時30分より
 準決勝2試合と決勝戦
▽クラブの部
・10月30日13時30分頃(上記きらやかS企業試合後)
 一回戦 オールいわき ― ゴールデンリバース
・10月31日 きらやかスタジアム8時30分より
 準決勝 鶴岡野球ク ― 30日の勝者
 準決勝 水沢駒形倶 ― 東北マークス
 決勝戦

 上記の事情により、野球に目線向けられなくなりますが、大会に参加される皆様の健闘を願うものです。では11月にお目にかかります。

栃木県社会人野球企業チームの歩み―1946〜2017年。エイジェック都市対抗野球出場記念特集。【2021社会人野球】

 第92回都市対抗野球、北関東では栃木県小山市・エイジェックが代表のひとつに名乗りをあげました。エイジェックは18年加盟した企業チーム。これまで栃木県の社会人野球といえば、都市対抗本大会にも2度出場。クラブ野球選手権では今年ついに10回目の優勝を果たした全足利クラブが代表格。BCリーグや女子クラブチームへ協力していたエイジェックが硬式野球チームを創設し、わずか4年で東京ドーム進出と相成った次第です。
 拙稿では第1回(1927年)から第23回(1952年)の都市対抗野球地区予選記録をまとめていますが、栃木県社会人野球には一つの特色が。1950年以降、企業チームが数えるほどしか存在なかったことがそれです。
 北関東には茨城県日立製作所日立鉱山、73年に日立鉱山が活動を休止した後は75年創部の住友金属鹿島が台頭。群馬県では富士重工(スバル)が強豪チームとして名を連ね、巨大企業3チームで二つの代表枠を争う時代が続いていて、その間にあった栃木県の硬式野球は、全足利を中心としたクラブチームがこれら強豪に対峙してきました。
 今項では、1951〜2017年の間4シーズン在籍した栃木の3企業チームについて触れていきます。
前 章.戦後直後の“沸騰”と、環境変わっての縮小。(1946〜53年)

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 大日本帝国による戦争が45年に終わり、それまで鬱積していた空気を晴らす舞台のひとつは野球。46年に再開した都市対抗野球茨城県予選には8チームが参加(うち企業チームと思われるのが3チーム)。翌47年には13チーム(同じく5チーム)、翌48年には10チーム(同じく5社6チーム)参加していました。
 ところが、49年には参加希望チームが4と減少。この年から日本社会人野球協会が創立され、大会ごとに参加チームを募るのではなく、通年の登録制度を導入。数多くあった個性派チームが加するには二の足を踏む事情もあったのでしょう。奇しくもこの年、鹿沼市の古澤建設が本大会に初出場を果たします。
 50年は都市対抗県予選出場は3チーム。古澤建設が前年度北関東優勝ということで県予選免除となり、県で一番の古豪宇都宮鉄道と、東野鉄道で関東予選進出権が争われました。本大会には二年連続で古澤建設が出場。山形市・山形ハッピーミシンに勝ち、21年10月時点で栃木県勢で唯一の勝利をあげています。
 この頃は戦後からの生活・産業環境が変わり、国鉄の縮小=国鉄チームの縮小で、宇都宮鉄道はこの年で活動を休止。建築業も環境が変わり、北関東二連覇の古澤建設が野球部を解散します。51年の都市対抗は残る東野鉄道も不参加となり、古澤建設のあった鹿沼市で創設された全鹿沼がこの年、52年と栃木県代表として北関東予選に臨みます。53年には県都宇都宮市にも全宇都宮が結成。県予選は行わず、直接二次北関東予選(水戸)に挑みました。
▽1953年 6/13 二次北関東予選(水戸)
一)全宇都宮 1―9 日立鉱山
  全鹿沼  0―14 日立製作所
 53年に結成された全宇都宮は東京電力栃木支社や国鉄、国立療養所各野球部から選抜してチームを形成。その中の東電栃木野球部が翌年“独立”して都市対抗野球栃木予選に参加します。
第1章 東京電力栃木(54、55年)
 54年の都市対抗野球チーム紹介によると、東京電力栃木野球部は19歳から21歳の選手を中心に形成。コーチはいましたが、監督なしの合議制。文面からは捕手のキャプテンがチームを引っ張っている感じを受けました。
 この年は全鹿沼、全宇都宮に、新たに全栃木も参加。4チームの参加で4年ぶりに栃木県予選が開催。ただ、北関東予選が栃木県で開催されるために、出場した4チームは北関東予選進出が決まっています。結果は以下の通り。
▽1954年6/13 都市対抗一次栃木予選(県総合G)
一)東京電力栃木 9―4 全栃木
  全宇都宮   8―2 全鹿沼
決)東京電力栃木 2―0 全宇都宮
 初戦で新参加チーム同士の戦いを制し、決勝は元チームメイトとの対戦に勝って、初参加にして初優勝。北関東予選に臨みます…が、組み合わせはフリー抽選で行われたため、初戦は全栃木と再戦に。
 7月10日、宇都宮常設球場で始まった北関東予選ですが、2試合終わった時点で雨天中止、11日も中止。天候の回復が見込めない、と大幅に延期し、再開は15日に設定しましたが、そこも再び雨で順延となり16日にようやく再開。
 天気の次に荒れてしまったのは野球の試合。試合中、判定をめぐって全栃木の応援団がグラウンドになだれ込む状態に。約1時間試合が中断し、最後は全栃木部長がマイクで説得してようやく再開に。試合は7―2で東京電力栃木が勝利。全栃木がどのような処分を受けたかまで調べられませんでしたが、この年限りで活動を休止することとなります。
 翌日に行われた準決勝では群馬県高崎鉄道局と対戦。初回、二回と点の取り合いで1―1とタイスコア、中盤は鍔迫り合いとなり接戦となりますが、八回に3失点をくらい勝ち越され、1500人が来たという応援団の前で悔しい敗退となりました。ちなみに高崎鉄道局はこの後決勝戦にも勝ち、初優勝を成し遂げます。
 翌1955年、全栃木が活動休止、全宇都宮が不参加で再び県予選なしで北関東予選に参加。「前年は軟式野球と重なったが、今年は硬式に力を入れて練習してきた」とチーム紹介にあり、監督も就けて伸長を期そうという意気込みは伝わりましたが、野球の盛んな桐生市から出場した桐生西陣チームとの対戦は五回までに0―12と劣勢に。その後九回までに10点を挙げ追い上げましたが、惜しくも届かず敗退。
 そして翌56年から東京電力栃木野球部の名が硬式社会人野球から消えました。1963年の都市対抗野球チーム紹介で、全宇都宮の中で東電野球部選手が活動している様子が書かれています。
第2章 大野屋クラブ(宇都宮市、57年)
 大野屋“クラブ”―クラブチームじゃないかと突っ込まれることと思いますが、新聞によって「大野屋クラブ」と書かれているのもありますので、矛盾した書き方ですが、宇都宮市にある大野屋という企業が責任を持ったチームであることは間違いないようです。ちなみに日光市にある有名旅館で「大野屋」がありますが関係性はわかりません。
 大野屋は54年に野球チームを結成。56年まで軟式野球で活動し、57年3月に硬式野球に乗り出してきました。練習試合では専修大学準硬式野球部を破った経験もあるとのこと。3人の投手陣は一長一短あるも、平均身長176センチの強力打撃陣、朝6時から8時までの勤務前トレーニングを重ね、歴史を重ねた先達チームと戦おうと取り組まれていました(この段落はチーム紹介より)。
 この年の都市対抗野球栃木予選は、全鹿沼、全宇都宮、1956年から参加の全足利、この年から参加の宇都宮大学OBに大野屋クラブの5チームが参加。北関東予選進出枠4を争います。トーナメント方式は
・初日で一回戦、準決勝2試合が行われ、準決勝を勝ち抜いた2チームは北関東出場決定。
・準決勝までに1勝もできなかったチームで敗者復活の試合を行い、残り北関東進出チームを決める
 という取り決めがなされました。大会初日、大野屋クラブは参加チームの中で一番経験の長い全鹿沼と対戦。12安打を放ち5点を奪いましたが、3失点イニングを二つ作ってしまい、1点差に詰めていた七回にくらった1点が勝負を分けてしまい敗れました。大会初日の結果は
一)全足利  7―4 全宇都宮
準)全鹿沼  7―5 大野屋クラブ
  全足利  10―3 宇大OBク
 となり、全鹿沼、全足利は北関東進出&翌日の決勝戦進出。全宇都宮、宇大OBク、そして大野屋クラブが敗者復活リーグ戦に回りました。
 翌日は1日4試合。敗者復活リーグが第1、第2、第4試合。第3試合で決勝戦が行われる日程となりました。第1試合全宇都宮が宇大OBクに3―0で勝利。一縷の望みをつなごうとする宇大OBクとの対戦となった大野屋クラブは、五回までに相手の「切り札投手」を打ち込み7―4とリード。そのまま逃げ切るかと思われましたが、九回に宇大OBクが執念の反撃。一気に4点を挙げ逆転、大野屋はサヨナラ負けに持っていかれました。
 この土壇場での大逆転で起きたであろうショックは、決勝戦を間に挟んで数時間置いた後の全宇都宮戦までに払拭しきれず、エースと目された選手が早くに降板をくらい、九回には5失点を奪われ2―12の大敗を喫し、ただ1チームの県予選敗退となってしまいました。
敗L)全宇都宮  3―0 宇大OBク
敗L)宇大OBク 8―7 大野屋クラブ
決勝)全足利   6―1 全鹿沼
敗L)全宇都宮  12―2 大野屋クラブ
 都市対抗野球以外の試合歴は掴めていませんが 63年の東北ガスチーム紹介で「大野屋解散以来6年ぶりの民間会社硬式チーム」という記述がありますので、この年で大野屋クラブは硬式社会人野球から撤退したものと思われます。
第3章 東北ガス(63年)
 3番目に紹介するのは1963年に活動した東北ガス。元々軟式野球部も活動していた東北ガスは、63年2月硬式野球部を立ち上げ。選手の一部は硬式軟式掛け持ちで臨んでいる様子がチーム紹介で記されていました。
 北関東予選は栃木県が会場として開催が決まっていて、栃木県からは4チームが出場する権利が与えられています。予選に参加したのは全鹿沼、全宇都宮、全足利、宇大OBクに東北ガス野球部。全足利は北関東予選会へは推薦出場ということで、今でいうスーパーシードで決勝戦から出場。残り4チームで2敗脱落制トーナメントが行われました。
 他のチームより部員数は少ないものの、まとまって練習できる環境を持つ東北ガスは、一回戦で宇大OBクと対戦。三回以降に攻撃力を発揮し、15安打で9得点をあげ、チーム初勝利。この日は他に2試合が行われ、全宇都宮が7―0で全鹿沼に勝利。両試合の敗戦チーム、全鹿沼と宇大OBクとの試合は3―2で全鹿沼が制して、全鹿沼の第4代表、宇大OBクの県予選敗退が決まりました。
 翌日は準決勝と決勝が行われ、東北ガスは準決勝で全宇都宮と対戦。東京電力栃木野球部も含めた宇都宮市内軟式・準硬式チームのベテラン選手勢に翻弄され、13被安打11与四死球で8失点。八回に4点返しましたが勝負を覆すに至らず、北関東予選には第3代表としての出場となります。
 この後の決勝戦は“スーパーシード”全足利が6―3で全宇都宮を破り優勝…で、申し訳ない話、私の調査の見通しが甘くて、北関東予選の新聞を採取し損ねてしまいました。日本社会人野球協会報63年度に北関東予選のイニングスコアが載っていたので、それを元にして記しますと、北関東大会初戦は群馬の富士重工と対戦。戦前の太田雄飛クラブも含めての長い活動歴を持つ太田市の社会人野球。それを体現した富士重工は新参の東北ガスを寄せ付けず、五回の5得点をはじめ、8失点をくらい、反撃はしたものの得点には至らず敗れてしまいます。
 そして、翌年から東北ガス野球部の参戦歴が見えません。資料検索の範囲を狭くしていたのも原因ですが、どういうふうな経過をもって日本社会人野球協会から離れたのか、つかめていないことを申し述べておきます。
 編集後記
 ここまで東京電力栃木支社、大野屋クラブ、東北ガスの3チーム4カ年の足跡を記してきました。50年以降では約20のチームが栃木県で社会人野球チームとして活動してきましたが、17年までは圧倒的多数がクラブチームでの活動。地理的にも日光・今市辺りは戦前に日光精銅チームが出場していたこともありましたが、戦後は活動が見えませんでした。
 スポット的に活動した3チームを今回記してきましたが、もうちょっと広く野球部の加盟など動向の記事も見つけられたらと思いましたが、そこまで調べることのできる 箇所が栃木県立図書館か国会図書館しかなく、そこに行くには時間が必要で頻繁には行けません。現状では今回記したのが全てとなります。時間の都合上、戦前の部分までは遡らず記事を形成しました。記事は毎日新聞栃木県版を参考に記しました。
 都市対抗本大会に出場する32チームの健闘を願い、項を終わります。
※当初予定は前章、第1章を前編、第2章と第3章を後編としてお伝えする予定でしたが、編集時間が取れなくなったので、長くなりますが一つの記事としてお送りしました。
                     (21年10月15日 伊東)

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栃木県の野球場は、足尾町にある足尾球場しか写真を撮っていません。
足利の写真がどこに行ったやら(整理整頓悪い)
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