社会人野球1994~2005
1.「いま有るベスト」で奮闘も、伸長・宮城建設に打ち砕かれる―都市対抗までの戦い。 前年までの数年間大きな成長を見せていた赤崎野球クラブですが、その原動力の山本淳一君が手術でこの年は登板不可能になり、チームを長年支えてきたベテランの先輩が次…
一つの手応えをつかんで勝ち進んだ1998年でしたが、この年は苦難・苦戦を強いられた一年でした。 1.つかんでいたはずの手応えと、壊された礎。 春に行われた大槌ロータリー大会は一回戦で久慈クラブに1―2と敗戦。仕事の事情で帯同できないのが残念でした…
1.赤崎野球クに“見習い”帯同開始。都市対抗クラブ予選の激闘。 1998年。私は前年まで在籍していた佐藤組北上球友から赤崎野球クラブに移籍。赤崎クは大船渡オールスターという性格を持ち、入部したいと言えば入部できるチームではないので、当面チーム…
社会人野球3度目のシーズンは、新設された北上市長旗争奪岩手内陸社会人クラブ野球大会から始まりました。2018年時点では10月に行われている大会ですが、第1回からしばらくは4月に行われ、佐藤組北上球友は平泉クラブに8対10で敗れてのスタートとな…
前年シーズン後に病気を発症させてしまい、2年間いたガソリンスタンドを辞めざるを得なくなってしまいました。その関係もあり、佐藤組北上球友も選手登録を外し、未登録のチームスタッフとしてチームを支えていくことにしました。 この年最初に行われた大会…
かねて予告していた通り、1994年から2004年までの社会人野球に関する覚え書きを記してまいります。基本1年に1記事。特に思い出深いものがあったら、別に記事を起こしていく予定でいます。今回は1994年。私が社会に出て1年目の年です。 1.「同級生が多く…
「パート3」はこちらからお願いします。7.クラブ大会・最終日に勝ち残るまで さて「2003年2週間10連戦」の記述も、今回がラストとなりました。 都市対抗の6試合だけで3つも記事使っておいて、残り4試合を一つとは、というツッコミがきそうですが…
「パート2」はこちらからどうぞ。5.6月16日その2・「不来方戦・二重の“運命の一戦”」 2003年都市対抗野球岩手県予選、第二代表決定トーナメント。 簡単に言えば、敗者復活戦。 その三回戦で赤崎が駒形を、不来方が久慈に接戦で競り勝ち、次の試合に…
「パート1」はこちらからどうぞ。 社会人野球に14年関わっていますが、一番間隔キツいたたかいはどれか、と言われれば、迷わずこの11日間をあげます。ただの『11日間で10試合』ではない、都市対抗とクラブ選手権という、より上を目指すたたかいを『11日間で…
思えば、あのときのたたかいは “熾烈”なんて言葉じゃ済まないぐらいの激しいたたかいを展開していた。 ふだんの仕事もキッチリしながらも、10日間で11試合。 企業チームには勝てなかったけど、並み居る強豪クラブチームに勝ち切った経験があったからこそ、よ…
あの日まで、01年毎日旗大会県予選優勝、01年都市対抗県大会4位、03年同3位と好結果を出していても、どうにも一歩引いてものを見ていた自分がいた。それは、他のチーム-殊に水沢駒形-が強いという結果を様々な場面で見せつけられていたからだ。 だけど、…