11月6日、私が県営球場イベントに参加した様子はFacebookで書かせていただきました。その中で、「マウンドからの4球」だけ、記述を後回しにしていたので、今回はこの部分について記します。
県営球場のマウンド。
これまで、小学校時代の外野手→中学時代に一塁手→どさくさに紛れての捕手、と守備位置を変えて来ましたが、投手には“たどり着かなかった”。学校農業クラブ活動で行った気仙養護学校(いまは気仙光陵)との試合で投手をしたことはありますが、自分のなかでは未達の地でした。
野球はじめて42年、ようやくたどり着いた岩手県営球場のマウンド。このマウンドから大舞台にたどり着いた選手に大谷翔平、菊地雄星、佐々木朗希といった名前が浮かびますが、あの時の私が思い浮かんだのは彼らではなかった。
仲間たちの姿が
仲間たちの立ち振舞いが
彼らはこの視線で、並みいるライバルと闘ってきたのか、と
限られた時間のなかで、感慨に耽った
投じた4球、ストライクは2球目だけで、それとて「届かせる」ので精一杯の投球がたまたま横線のストライクゾーンに入っただけ。初球はインコースに外れ、3、4球目はいまの肩力の足りなさを証明するかのようにホームベース大分前でバウンドし、最初で最後の“登板”完了。グラウンドに立つ、のみならずマウンドに立ち、投球することができた。その行為自体と、「応援していた仲間と同じ地を踏めた」ことに万感の思いを持ちました。
年月の経過は変化も生み、その変化は「生き方」なり「在り方」を激しく揺さぶり、その揺さぶりは私自身の今後の動向を考え直さざるを得ないほどのものですが、そういう変動があったとしてもこの球場は「岩手の野球人の拠り所」であり続けたし、先のような思いを抱ける野球人生を歩めたことは幸運でした。関わったすべての方に深く感謝を申し上げるものです。