MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

下記ランキング参加しています。にほんブログ村 野球ブログ 社会人野球へ
にほんブログ村
社会人野球ランキング

1997社会人野球-大船渡帰郷など、人生の転機の中過ごした佐藤組北上球友最後のシーズン。

 社会人野球3度目のシーズンは、新設された北上市長旗争奪岩手内陸社会人クラブ野球大会から始まりました。2018年時点では10月に行われている大会ですが、第1回からしばらくは4月に行われ、佐藤組北上球友は平泉クラブに8対10で敗れてのスタートとなりました。

 その後5月中旬に行われた都市対抗野球県クラブ予選は、会場が葛巻など県北地区での試合となったため、夜勤の仕事もある私は不参加。北上球友は二回戦で遠野クラブに12−5、代表決定戦では地元の九戸クラブに10−3で勝ち2年ぶりの本予選進出(下記トーナメント表は都市対抗岩手予選パンフより)。5月30日から始まった県本予選大会、夜勤明けすぐに新幹線に飛び乗って盛岡に。県営球場の開幕ゲームとなる佐藤組北上球友-秩父小野田との試合に臨みました。

f:id:b-itoh1975:20190214012847j:plain

 前年の不調を払拭しようと気合いの入る秩父小野田に対し、北上球友も新人あるいは復帰選手が揃ってベストで挑みました。ところが試合が始まってみると秩父小野田の技量が勝り、エース左腕の高橋剛さん、右の速球派の伊藤芳道さん、企業チーム在籍時代には野茂英雄投手と共に代表合宿に参加したこともあるという大柄な左腕投手泉敏さんと継投しましたが、差をつけられる一方。小野田応援団に負けじと私もささやかながら応援を実施し、見知らぬ夫婦の方に判官贔屓から協力していただきましたが、終わってみれば7回コールド0-15で敗戦と相成りました。

f:id:b-itoh1975:20190214013054j:plain

 7月に行われたクラブ野球選手権。私は所用で東京に10日間滞在したあと、帰郷してすぐ会場に向かい、盛友クラブとの対戦に臨みましたが、終盤に逆襲を食らい5対8で初戦敗退。この年は高田松原第一球場など気仙地区が会場に。北上球友は敗れましたが、最終日までいるつもりで予定を取り、大船渡の実家に泊まっている人間としては後は狸寝入りというわけにも行きません。残りの日程をできるだけ見て行くことにしました。その対象は故郷大船渡市・赤崎野球クラブ。

 準々決勝ではオール江刺の本格派左腕・藤村淳生投手との接戦をくぐり抜け8-7で勝利。一回戦は北上ベースボール倶楽部、二回戦は強豪の一角一関三星倶楽部を破っていての3勝を自信に準決勝に進出しましたが、相手はこれまで何度も壁となっていた釜石野球団。

 行われた会場が一般的な球場よりも狭い高田松原第二球場で、試合開始早々釜石野球団の打者5人のうち4人にホームランを浴び、しかも4本目のホームランは最短距離でレフトポールにすこんと当たってしまい、あまりもの状態に普段は穏やかな赤崎の先発投手がブチ切れてしまう一抹もありました。それでも最後まで諦めずに反撃しましたが5-10で敗れ、西武球場進出まであと2勝及びませんでした。

 この後祖母の不調で大船渡に帰郷せざるを得なくなった私。7月、8月と引っ越しなど準備でわたわたとしていたので、この間行われた日本選手権岩手予選や毎日旗岩手予選の試合に関わることができませんでした。(日本選手権・佐藤組北上球友は一関三星倶に10-6、アイワ岩手に3-13)その翌週に行われた毎日旗秋季大会、江釣子球場で行われた試合の時に退部の挨拶をしに行きました。及川洋治監督以下メンバーには労いの言葉をかけられ佐藤組北上球友を後にします。

f:id:b-itoh1975:20190213122050j:plain

北上球友時代練習場所にもなった北上市江釣子球場。

 なお岩手県勢の活躍に触れますと…都市対抗東北予選にはJAいわて、水沢駒形が第三代表争いまで激しく食い込むもあと二歩(JA)三歩(駒形)届かず、日本選手権では宮城建設、JA、秩父小野田ともに初戦で敗退。クラブ野球選手権で全国に初出場した久慈クラブは後に平成の王者とも呼ばれる大和高田クラブと対戦。激しい打撃戦となりましたが、6回に奪われた5点が響いてしまい、9−11で敗れてしまいます。春にはJR盛岡の「復活」という明るい材料も。故郷に戻った私は新しい道で再び社会人野球に挑むこととなります。

下記ランキングに参加しています。にほんブログ村 野球ブログ 社会人野球へ
にほんブログ村