MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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社会人野球の記録 まとめ進めたいと思っている3つの県―そのうちの山梨について中間報告。

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1 山梨社会人野球の調査状況

 

 社会人野球の毎日新聞地方版資料を集める際、北海道、東北、関東、静岡、信越の18都道県は国会図書館で対応が利きます。私の調べ物対象区では青森、山形、福島、山梨。テキストのみの収集と併せて、青森、山形、山梨は2022年までの資料ほぼ全部揃いました。

 山梨を対象区にした理由は「都市対抗本大会に進出のない3県のひとつ(他2つは島根と福井)ですが、残してきた足跡というのは「出ていない県」だからと軽く見てはならないものがあります。

 

2 山梨社会人野球につきまとう「地域性」―強豪県と同ブロックになる不運

 

 戦前は県都甲府市のチームに東南部にある桂倶楽部が挑む構図がありました。1930年あたりに都市対抗野球の予選が山梨で行われるようになった当初は甲府市の有力チームの連合チームが優位に立ちますが、地域での野球熱が高い桂倶楽部が県の王座を奪還するようになります。

 戦後は桂倶楽部もリードしますが、甲府市中心に県下に散らばる個性派チームが次々と起意し、1950年周辺はだいたい10チームが都市対抗県予選を争う構図が出来ました。

 しかし、山梨県に降りかかるのは「予選地域の条件」。度重なる変更及び、実力的に格上の県と同一予選を戦う状態。都市対抗でいうと

▽当初は長野・新潟・富山と同一区域で甲信越区域

▽30年半ばに静岡、神奈川との甲神駿区域に変更。

▽戦後も数年を経て神奈川が独立し、89年あたりまで静岡と山静地区。

▽90~11年が埼玉・千葉と南関東地区。

▽12年から神奈川と西関東ブロックを形成。

 それぞれ太平洋岸地域にある強力な企業チームと対峙することとなり、予選の突破する可能性は限りなく低い状況にさせられてきました。

 

3 静岡への挑戦者現れるも…善戦の足跡を刻むも続く苦戦と縮小期。

 

 50年代、60年代には甲府貯金局、富士急行といった企業もチームを編成し、地域発クラブチームの桂倶楽部や、商門クラブといった学校OBクラブが静岡地域の強豪に挑みましたが、高い壁に跳ね返されることが多く、他県の企業チームに勝ったケースは1955年の桂クラブのみ(相手は東芝富士)。補強選手選出も1956年に大昭和製紙に補強された高村和夫選手ひとり。都市対抗二次予選での表彰選手選出も1966年に奈良不二也(元NPB選手→リッカーミシン)選手が敢闘賞を得たのみです。

 何度戦う場に立っても勝てないとなると…意欲にも響き、活動休止を選択するチームが続出。1960年代後半には登録チームが桂倶楽部と全韮崎の2つしかなくなるという事態も生じました。

 

4 クラブ選手権―全国優勝経験するも/それでも模索する山梨社会人野球。

 

 1976年、クラブ野球選手権が始まったことによりクラブチームの部分では静岡勢とも互角に戦い、1979年には山梨球友クラブが本大会優勝するなど実績を残しますが、こちらも1990年に区域割りが変更となり関東地区に編入されることになると、関東地域で長年強さを発揮したチームの壁にぶつかることとなります。2014年、20年ぶりに山梨球友クラブがクラブ選手権本大会に出場しタイミングがよく私も西武ドームでこのチームの戦いを見届けることができました。

 中々苦戦と書くことの多い山梨社会人野球ですが、それでもある状況の中で模索し、足跡を残そうと取り組んできたことそのものをなかったことにはさせたくない。経験を積もうとJABA地方大会に選抜チームを結成して乗り込んだこともあったし、関東強豪と地元で戦う目的を持って山梨県知事大会が行われてるというのも意欲の表れ。

 2024年初頭に一時期は企業チーム登録も目指して結成されたチームが活動休止になった、という一報も目にしました。それでも参加するチームの模索は続いている。在るものから発展して大きい成果を出す、というのは同じ県内にある山梨学院の全国大会優勝が示しているもの。

 社会人野球でそれを為すには簡単ではない部分もありますが、現場にいる方が足跡を刻み続けていれば、いずれは…という部分で歩みを続けていただければ、と。

 

5 図書館での会話―「いつか来る飛翔」のため、これまでの足跡を刻む。

 

 2022年、山梨の図書館。

 岩手から社会人野球の調べ物に来たと言うと驚かれました。同じ時期に大船渡出身の投手が2試合連続の完全投球を見せていたこともあり、「岩手からすごい人出たもんですね」と言われましたが「岩手もかつては意欲はあっても結果に届かなかった時期の方が多かったんです。様々な経過を経てここの選手が伸びる土壌が生まれて、大谷翔平君であり佐々木朗希君の存在が出てきた。いつかは山梨の社会人野球でもそういう伸長が来ると思うし、そこに至るまでの足跡を残しておきたいという気持ちで山梨に来ています」ということをお話しさせていただきました。

 この記録もそういう意志で行っているもの。これまで行ってきたor行おうとしている県に比べて長年の歴史探索となりますが、何とか形として成し遂げたいと考えております。

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