MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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Vリーグ理事の震災逝去について/鳥取の調べ物をどうしよう。

① バレーボールVリーグの理事であった桂田隆行さんが、先の能登北陸震災に被災されなくなったことが報告されました。規模の大きい震災になるとスポーツ人の犠牲者も報じられます。東日本大震災では岩手社会人野球からもチーム登録者だけでも4人犠牲者を出しました。

 桂田さんに関してはその業績などを知る位置にありませんが、私と同年代の48歳であること、スポーツはそういう理事など現場以外の諸事をする人がいなければ成り立たないことと併せ、その逝去は残念なものです。心よりお悔やみ申し上げます。

② 調べ物に関して…前回記事では島根県の部分について触れましたが、お隣鳥取が“手詰まり”に。

 「11県まとめ」でもざっと書きましたが、鳥取の場合は戦前が島根と鳥取の2県で一次山陰予選を開催されていた状況もあり、島根サイドから一次予選の基礎的な新聞記事は集めているが、ニ次中国予選に関しては地方版記事があまり残っていないこともあり資料収集には苦戦。

 毎日新聞鳥取版の収集は薄く、日本海新聞では多くの記事を収集できません。鳥取県立図書館では戦後からの鳥取県版を保存されていますが、費用もかさみ、「他の資料を集める」方を優先させているため後回し。現状で鳥取の記事をまとめるとすれば、すでに集めていた他県の記事を寄せ集めて作るしかないのが実情です。

 幾度か書いている通り、鳥取県は長期に社会人野球活動を継続できたのが3チームしかなく、単独の県予選は1950年周辺に数回行われたのみ。どうにも山陰地方の硬式社会人野球の“薄さ”には残念な思いもあります。

 野球熱そのものは軟式で発揮されてはいるのでしょうが、一言で言えば「厳しい」のかな、と。キタロウズには川口和久さんとか加藤伸一さんなど、鳥取出身のプロ野球選手が尽力しましたが、それでも長年は持たなかったということを考えると、「継続の大変さ」、考えさせられます。

③ 島根の部分でも1950~53年部分でバラバラになっていたのがあったので資料を精査し直しています。すでに24時間管理で生活しているし、都市対抗野球岩手予選は4月半ばから始まるので、記事を書くとしたら3月末あたりの10日間を使うしかない。幸いなのは「余計に増えた家事」が早期進行に見通し立ったこと。まず、1日しっかり生き続けます。

 おつきあいいただきありがとうございました。

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