MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

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社会人野球の記録・鳥取県社会人野球-米鉄、王子、キタロウズ3チームの足跡をたどる。

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 社会人野球調べ物の中間報告記事、ここまで島根の裏話→鳥取の裏話→山梨1960年代まで概要→青森“第一期”と書いてきまして、ここでは鳥取を記します。幾度か書いてきた通り、鳥取の社会人野球は米子鉄道局→王子製紙米子→鳥取キタロウズの3チームが主な活動チーム。今回の記事ではここまでとらえた部分での記述を記していきます。

1 米子鉄道局時代-中四国地区3連覇の偉業

 1927年・昭和2年に始まった都市対抗野球、山陰地方でも1931年から予選が始まりました。当時の中国・四国地方予選は岡山・広島・山口の3県で山陽地区、鳥取・島根の両県で山陰地区と区割りがなされていました。鉄道チームが各地で“随一の強豪”にのし上がっていて、山陰地区でも唯一の職域チーム米子鉄道局が境実業団や全鳥取など他の地域発のチームを圧倒。1933年には中国地区代表決定戦に進出。1934年から36年までは3年連続で中四国地区の代表を勝ち取りました(本大会では34年、35年満州倶楽部、36年全大阪に敗退)。

 黄金期を築いていた米子鉄道局ですが、鉄道チームが1937年から都市対抗野球不出場。併せて日本の戦況が深化したことから野球に対する目線が厳しいものとなり、「野球排撃論」が唱えられる世相に。山陰地方の両県ははその波にいち早く乗り、盛況を示していた高校野球も1940年あたりから足跡が見えなくなってしまいました。社会人野球でも1938年から足跡が見えなくなり、エントリーはされた大会はありましたが実際の試合に臨むことができず、そのまま大日本帝国の戦争終了まで突き進むこととなります。

2 戦後直後-米子鉄道局に挑んだクラブチーム

 戦後野球も再開されますが、鳥取県では硬式社会人野球にまでその威光が届くことがなく、戦後数年は米子鉄道局が単独で挑むことに。1949年あたりから数年間は地域発クラブチームも参加して県予選が開催されます。

 この数年間に参加したチームは全鳥取、全米子、全倉吉、鳥西クラブ(鳥取西高OB)。1950年の日本海新聞では「鳥西クが優位」という記述がありましたが、長年トップクラスの位置で戦い続けてきた意地を見せ米子鉄道局が優勝。1953年は鳥取でニ次予選が開催され、全倉吉、鳥取西クラブも直接ニ次予選に直接臨みますが、全倉吉は東洋紡岩国に敗退、鳥取西は雨天延期に対応できず棄権という結果に。これらクラブチームはその後活動継続できず、米子鉄道局のみが中国地区の強豪に挑むこととなります。

3 山陰の雄としてあと一歩まで迫るも…米鉄活動終了。

 鉄道に関する環境が激変する中、米子鉄道局野球部は山陰の雄としての誇りを持ち戦い続け、1957年中国予選では代表決定戦に進出します。一方で1959年東中国予選(記念大会で中国地区枠1増。岡山、島根、鳥取で東ブロック、広島、山口で西ブロックに)では島根の大社クラブに敗戦するという浮き沈みも経験。1961年には5県代表チームのリーグ戦で3連勝し王手をかけるも倉レ岡山に敗退するなど、あと一歩で「4度目の本大会出場」の夢はもぎ取られ、1965年あたりに始まった国鉄の規模縮小の影響から中国地区の国鉄チーム2つ-岡山と米子は1966年春までに活動終了となります。

4 1984~98年 王子製紙米子活動期

 1984年。

 19年ぶりに鳥取社会人野球活動チームが現れます。その名は王子製紙米子。当時の中国地区の社会人野球は山口、広島、岡山の山陽3県で行われていて、島根は活動休止。基本各県単位の一次予選は岡山県と共同で行われることとなります。

 当時の岡山県川崎製鉄水島(現JFE西日本)、三菱自動車水島(現三菱自動車倉敷オーシャンズ)という強力な2チームが在籍。84~96年の都市対抗野球・日本選手権一次予選は、参加チーム総当たりリーグ戦でを行いますが、王子製紙米子が一次予選で勝ったのは

1984都市対抗 3-2 三井造船玉野

1984年日本選手権8-0 三井造船玉野

三井造船玉野はこの年限りで活動終了

1988年都市対抗 5-4 川崎製鉄水島

1994年日本選手権4-3 三菱自動車水島

 4試合と苦しい戦いを強いられました。それでも地方大会では存在感を見せることもあり、1990年の徳山大会では準決勝進出。1993年には新王子製紙米子と名称が変更。

 1997年には島根県の島根商科専門学校が社会人野球に参戦したため、約60年ぶりに都市対抗“山陰予選”が復活。島根商科専門学校には優位に立ち、創部初の都市対抗野球二次予選に進出。チーム結成してから十数年経ち、一定の力量を示し始めたチームは97年、98年の徳山大会で準決勝に進出する成果を見せますが、「人材の集約化」を理由に愛知県の春日井チームに一本化、苫小牧、米子の両チームは活動終了することとなりました。15年の活動の中でプロ野球に嶋田哲也(タイガース)、玉峰伸典(ジャイアンツ)の2投手を輩出し、再び鳥取社会人野球は活動を休止します。

5 鳥取キタロウズ→ペアキングス10年の軌跡

 王子製紙米子が活動を休止して7年。2005年にわき上がったクラブチーム創設ラッシュは鳥取にも影響を及ぼし、2006年に鳥取県の著名人有志が集まり「鳥取キタロウズ」が結成されます。キタロウズの命名は同地出身の水木しげる氏作品「ゲゲゲの鬼太郎」から。当時の片山善博知事が名誉監督に就任し、川口和久氏、加藤伸一氏が指導陣に、浜名千広坊西浩嗣選手といった元NPB選手が加入。

 チーム結成当初は茨城ゴールデンゴールズとの定期有料試合も行われ、社会人野球に対する雰囲気も盛り上がりつつありましたが、都市対抗などの予選は強豪チームが揃う岡山県との戦いを余儀なくされ、主だった大会では序盤敗退。2009年のクラブ野球選手権中国一次予選では代表決定戦に進出しますが、倉敷ピーチジャックスに敗退します。

 この後2012年にキタロウズの名前を返還し、鳥取名産梨の英語名「ペアキングス」をチーム名称にして活動を続けますが、2016年日本野球連盟ホームページに活動休止が報告されます。2024年2月時点で活動休止継続中で、動きは全く見えない状態です。

 

6 実は調査途上、形にするには年単位で時間が必要です。

 

 2018年晩秋から始めた調べ物は、当時北上市立図書館に所蔵されていた毎日新聞に記載されている主要大会「都市対抗」「日本選手権」からはじめましたが、鳥取県チームはそれ以外の地方大会戦績の十分な記録収集ができてなく、米子鉄道局部分では国鉄大会の記録が、キタロウズ→ペアキングスの部分では2005年以降始まった各地方連盟部分クラブ大会の記録が十分とは言えません。

 特に後者は毎日新聞でも十分な記事発信がされておらず、参加チームの発信や連盟報によってようやく情報が得ることができる状態。JABAホームページは数年前に更新され、前ページ・アーカイブから記録を手繰るのが難しくなっているので、連盟報をさらって、刻んだ足跡を拾おうと考えています。

 

 まとめ

 

 この通り、鳥取県の社会人野球は長期活動3チームがそれぞれに残した足跡が全て、という感じで進行してきました。戦前に都市対抗本大会に進出した経験はありますが、その他は苦戦という言葉が頭に浮かぶ状況に。お隣の島根ではクラブチームが盛況となった時代もありましたが、鳥取では残念ながらそこに至らず。

 2005年にキタロウズが創設した当初は毎日新聞でもその動向が華々しく報じられもしましたが、それを長く継続させる状況には至らず休眠状態が続いています。他県の部分では「一度火をつけることができたのだから再び火を灯すこともできるはず」という言い方もしましたが、火がついた実績がそんなに多くなく、むしろ「厳しい現実」叩きつけられたなかで、熱意を焚きつけるには「準備しなければならないもの」というもの(別な言い方すれば“宿題”)は多そうです。

 ひとまずは刻んだ足跡を提示し、「鳥取県でも火をつけた人はいる」から再起の一助になれば幸いと勝手に考えて、この一文を記しておきます。次回は後発で調査対象にした佐賀県について触れていきます。

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