こんにちは。いよいよ今週は都市対抗開催の週となりました。木曜日の開幕を前に社会人野球の記事をいくつか投稿します。第1回は「以前の都市対抗野球地区予選の成績」。1927年から42年までの部分は先頃にアップしましたが今回はその続き、1946年から1952年の地区予選の成績をアップします。
戦前は毎日新聞・東京日日新聞の紙面が12〜16ページで編成されていましたが、戦後は表裏の2ページ(1946年)から6ページ(1952年)。その過程の中でプロ野球は戦前の最大9球団から2リーグ15球団に、ほかのスポーツも取り上げられるようになり、かなり窮屈に紙面の編成をしても漏れてしまう部分が。特に1950年から1952年の一次予選(基本道府県単位、北海道は6ブロック)は代表決定戦しか取り上げられないケースが多くありました。東日本17都道県は国会図書館にある毎日新聞地方版から記録を得ることができましたが、東海、北陸、近畿、四国、中国一部地区の毎日地方版は同図書館で所蔵されてなく、その部分は後刻調べようと思っていたところにコビック19・コロナ感染症が拡大してしまい、調査をあきらめざるを得なくなりました。現在は各県のレファレンスサービスを利用して調査をする準備をしていますが、その準備には時間がかかりそうです。
したがって今回の記事も調査としては未完成のままアップすることに。去年の日刊スポーツでは戦後社会人野球チームが爆発的に増加した様子を、兵庫県にあった春美クラブを中心に取り上げられていましたが、その空気を一部分でも感じていただければ幸いです。
PS→表紙を作ることができなかったので、そこに入れる一文を下記の通り記します。当文から読み始める方を意識しています。
社会人野球の調べもので、大きな基本となるのは「いつ・どこで・試合結果」が記された一覧表的な基礎資料の存在です。近隣の北上市図書館に保存されている毎日新聞縮刷版は1950年から、1952年までは増加する記事量に必要な紙面が追いついていなかったせいか、一次予選は決勝戦のみの記載になっているのが大多数でした。53年以降は縮刷版で調べることが可能でしたが、それ以前の一次決勝戦以外は
A.北上図書館にある朝日新聞縮刷版(こちらは1931年から)に記載されていた二次予選結果
C.国会図書館で毎日地方版、地方本社(大阪、名古屋など)を基に情報入手
…という段階を経て調べものを続けました。都市対抗野球が始まったのは1927年からですが、社会人野球を統括する団体は1949年頃の確立、冊子形の年報を出すのは1953年度記録版からで、どっちみち先のような経過は経なければならなかったわけです。
◎引用新聞と利用した図書館
日向日日(現・宮崎日日)、大分日日、熊本日日、 南日本新聞、沖縄タイムス。社会人野球記録・ 記念誌では岩手県連盟、秋田県連盟、宮城県連盟、九州地区連盟発行書から調査・引用。 図書館はここまでの表記以外で東京都立、青森県立、野球博物館のお世話になりました。
文中の「調査未到達」は文字通り。記述の前後で錯誤があった場合はその状況に至った経過を記述します。日付はその事項の最終確認日。