MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

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クラブ野球選手権、中国地区のショウワコーポレーションが優勝―中国地区のクラブチームはどう歩んできたか。【2023社会人野球】

 はじめに・中国地区2度目の優勝
 
 9月4日に行われたクラブ野球選手権決勝戦矢場とんブースターズとショウワコーポレーションの対決でしたが、6―3でショウワコーポレーションが勝ち、初優勝を成し遂げました。
 中国地区のクラブチームがクラブ野球選手権を制した経験、実は1度あります。1988年、山口県の五大化学クがそれ。中国地区は「クラブチームが立ち入る余地のなかった」地区で、現在あるチームで一番古い活動歴をもつのは1992年創立の山口防府ク。ショウワコーポレーションの前身柵原クラブが1995年、広島鯉城クが2000年から。他のチームは2005年のクラブチーム創設ラッシュ、あるいは企業チーム廃部時に地域で野球をする場の確保を目標としてつくられたチームが多数です。
 
 20世紀後半の「中国地区クラブチーム」状況
 
 中国地区は1940年代後半から50年代前半まではある程度クラブチームの寄って立つ位置がありましたが、その後経済成長により企業チームが力を持ち始めると、クラブチームの存在が押し出される格好となり、広島県では1954年まで活動した広島クラブ、岡山県もほぼ同時期まで活動した岡山体協などが活動を終えると、以降クラブチーム活動の様子が見えません。鳥取県は2006年に鳥取キタロウズが設立されるまでは、50年代前半散発的に活動した全倉吉、鳥取西高、鳥取、米子各クラブの名前が見えるくらい。
 その中で山口県は中国他県よりは多くのチームが活動し、クラブ皆無時期もあったものの1970年代にオール周南、全防府、あいけいクラブが活動をします。先の五大化学も含めて長期間の活動にはならずにいましたがクラブ選全国に出たり、都市対抗で企業に一泡ふかせたり存在感を見せました。
 20世紀後半期、中国5県でクラブチームがある程度まとまって活動していた経験を持つ県は…島根県です。この後今年中に本格的な書き物をする予定でいますが、今回は1946年から65年までのチーム動向を貼っておきます。

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 クラブチームの足跡が途切れた理由。
 
 では。
 これだけクラブチームが多いのになんで足跡が途切れてしまったか、といえば『当時はクラブ専用の大会―クラブ選手権―はなかった』からです。山梨で1950年代に何回か、新潟で1970年あたりから、岩手では1974年からクラブ専用大会が行われるようになりましたが、社会人野球界全体ではその部分の考慮がなく、さらに1960年代前半「社会人野球シーズンの短縮、大会の整理」が求められると、さらにその余地が少なくなり、山陽地区の強豪チームには勝てないとなると活動の意欲にも響いたのでしょう。1965年シーズンを最後に島根県社会人野球の足跡は途絶えました。
 
 クラブ大会が設立されても
  栄光までは時を刻まなければならなかった
 
 1976年にクラブ野球選手権は設立されましたが、それ以降も予選ブロックが中国、四国、九州でひとまとめにされ、事実上山口県徳島県(徳島倶、鳴門ク、大林自動車)の対抗戦のような感じになってしまい(※次記事で考察)、クラブ野球はまさしく「東高西低」状態にされていました。
 2000年代に入って以降のクラブ創設ラッシュが全国津々浦々にチームが存在する状況を生み、西日本地区のチームの奮闘も見え始めたところに沖縄のビック開発が優勝し、愛媛の松山フェニックスが都市対抗に出て、そして今回のショウワコーポレーションの優勝へとつながってた。ショウワコーポレーションは亀澤恭平さんの強い哲学も手伝ってのチーム強化もありましたが、まずは出場が決まった日本選手権でどう立ち振る舞い、試合に臨むか注目してみます。
 
 ショウワコーポレーション野球部の皆様、優勝おめでとうございました。
 そしてこの大会に挑まれた皆様、ほんにお疲れ様でした。
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