MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

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2021年4月以降日本野球連盟チーム動態より(後編)―保原ク、自衛隊福島、福島硬友、自衛隊青森、三菱製紙八戸各チーム解散について【2023社会人野球】

 前編では「新加入」「活動休止」「福島、青森以外の解散チーム」について記述してきましたが、福島、青森の5チームに関しては各々に詳細に記述した結果文量が多くなったので記事を分けることに。福島県自衛隊福島・保原クラブ→福島硬友クラブ→青森県自衛隊青森→三菱製紙八戸という順番で記していきます。尚、福島県については90年代の資料収集が不完全のため、「抜け」がある可能性もあります。ご了承ください。
 
1)“福島中興の礎”保原クラブ
  “唯一の官公署チーム”自衛隊福島

 福島県の社会人野球は、戦後直後の紡績企業チームや常磐炭壙→オール常磐清峰伸銅“福島2強”の活躍・盛況とは裏腹に参加チームが減少。1965年にはオール常磐清峰伸銅、福島クラブの3チームのみの登録となっていました。同年の甲子園大会出場をきっかけに盛り上がった野球熱がもとで作られたのが保原クラブ。保原ク加入以降、クラブ専用の大会設立も視野に取り組み始めていた当時の日本社会人野球連盟と軌を一にして活動チームが増加。登録チームが一時は30チームを超える状態となりましたが、それを支える基礎となったチームでした。
 保原クラブは都市対抗県優勝が1回(69年※福島クとオール常磐が推薦で県予選免除、東北電力と争奪)、東北進出は3度、日本選手権東北進出は2回で、76年の東北予選では県予選でヨークベニマルを、東北で上位常連の盛岡鉄道局に勝つなど旋風を起こしました。
 清峰伸銅が突然の廃部、オール常磐も活動状況が厳しくなる中、福島に生まれた企業―正確には官公署―チームが自衛隊福島でした。1970年代の福島県社会人野球カレンダーでは自衛隊福島も大きく協力して「駐屯地春季大会」というのが行われていました。2000年代後半にはチーム力も増して進出なるかと思われた時期もありましたが、ついに都市対抗野球、日本選手権、クラブ選手権の東北進出はかないませんでした。近年は活動に厳しさもあり解散したものと思われますが、約50年の歴史は「野球をする場」として貴重なものでした。
 
2)鮮烈なデビューと高い熱量―福島硬友クラブ

 そして、福島硬友クラブ。1978年にチーム結成すると、その年の都市対抗野球予選で先達チームを次々に破り県大会準優勝し、創部1年目にして都市対抗野球東北予選出場。その後は郡山地区チームやオール常交に先行を許しますが、再び脚光を浴びたのが2003年のクラブ野球選手権。
 この年はそれまで強豪と言われたチームが次々と県予選あるいは東北予選トーナメントの序盤で敗れ、東北予選の決勝戦は福島硬友クと赤崎野球クというカードに。長年蓄えてきた力を発揮し初めてクラブ野球選手権本大会に進出すると、2000年〜2010年代前半期に県を支えるチームとなりました。都市対抗県優勝4度で東北予選進出7回、日本選手権県優勝4度、クラブカップ県予選優勝4度、03年にクラブ選手権本大会進出の実績を持ちます。
 クラブチームとしては珍しく楽曲応援をする応援団を持ち、アットホームかつ熱意溢れるチームだっただけに、解散は残念でなりません。なお2023年の大会にFKCというチームが出ていますが、このチームに関してはまだ詳細をつかめていません。つかみ次第改めて記します。
 
3)全国まであと一歩、も。青森野球支えた―自衛隊青森

 続いて青森県です。青森は自衛隊青森、三菱製紙八戸という青森社会人野球を支えた2チームが解散という事態となりました。
 まずは自衛隊青森です。青森社会人野球が復活して3年目の1973年に創部。1965年あたりに宮城県で加盟していた自衛隊東北を経験した指導者がこのチームの強化に乗り出しましたが、しばらくは三菱製紙、水道局の八戸勢に先行されます。
 躍進を見せるのは90年代。東北予選部分でも勝ち進む機会が増え、94年都市対抗では第2代表トーナメント三回戦進出(71年以降では最上位)、97年日本選手権では代表決定戦まで勝ち進み、全国進出まであと一歩という活躍を見せました。その後も都市対抗県予選優勝16回、日本選手権県予選優勝17回と青森県社会人野球を支えるチームであり続けましたが、自衛隊そのものが課外活動をできる環境の厳しさに直面し、近年は資格のあった日本選手権東北予選などに姿が見えなくなったのが気になっていました。
 2023年には都市対抗野球青森県予選にすら出場しなかったことに不安を覚えた中で、過日の解散報告を受けとりました。
 
4)青森社会人野球復活の担い手―三菱製紙八戸
   青森県の社会人野球光景と併せて
 三菱製紙八戸は青森社会人野球“第2期”復活の中軸的存在でした。誘致企業として八戸に進出した三菱製紙が社会人野球チームを創設。十数年の孤軍奮闘で疲弊させてしまった青森林友の経験から、同じ市内の八戸市水道局を誘い2チームで復活。活動開始当初はライバルの八戸市水道局が日本選手権進出などの活躍を見せましたが、約10年で活動終了。その後も全弘前自衛隊などと群雄割拠を経て力を蓄え続け、都市対抗県予選優勝14回、日本選手権県予選優勝9回と確固とした力を持ち活動を続けてきました。
 環境の変化から2000年からクラブチーム登録となり、門戸を広くしたところに現れた投手が中村渉さん。青森県チームの選手では初めて都市対抗野球本大会の補強選手に選出され、補強されたJTでは東芝を破る立役者に。一時はNPB北海道日本ハムファイターズにも在籍しました。
 そして、2013年の東日本クラブカップでは、オール日立、函館オーシャン、ゴールデンリバースを破り大会優勝。私はこの大会、準準決勝まで進出していた赤崎野球クの一員として帯同していましたが、決勝戦まで残って三菱製紙八戸の優勝を見届けることに。三菱八戸の選手たちが目標を成し遂げ、嬉し涙にくれていた様子を見てもらい泣きしたのを思い出します。この辺りのチームは持ち前の強力打線に若手投手陣も成長、クラブ選手権でも本大会進出なるかと思われましたが、残念ながらそこには一歩届きませんでした。
 2020年の公式戦参加を最後に大会エントリーがなくなり、所属選手が他チームに移籍する様子も見えていたのが気にかかっていましたが、先のJABA報告で残念ながら…という事態になってしまいました。

 青森県は青森、弘前、八戸の3大都市を中心に回っている県です。青森の自衛隊、八戸の三菱製紙の2チームが活動を終えてしまったということがどれほど残念なことか。いずれその地域の人たちによって社会人部分でも野球熱が起こされて、復活してほしい。一度熱を持ったなら再び熱を持つこともできるはずだと信じて待つこととします。

 なお、ここまでも大分文章を使ってしまったので『チーム名称変更』の部分に関しては、都市対抗野球二次予選が終わってクラブ選手権岩手予選が始まるまでに書き直すという形を取らせていただきます。おつきあいいただきありがとうございました。
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