MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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赤崎野球クラブ応援活動記―第二週久慈ク戦、第三週トヨタ自東戦に向けて。

JABAチーム動向の後半が製作途上のため、当記事を先にアップします。

 今項では都市対抗野球・赤崎野球クラブ応援活動記ということで、第一週に関しては文字通り5月第1週に書いているので、第二週、第三週の活動記を記します。
 
1.久慈クラブ戦
    ―スピーカーの調子取り戻し幅広く活動
 第一週・高田クラブ戦はとりあえず間に合わせた2曲で楽曲応援をしましたが、間に合わせのため満足いかず作り直し。1990年前後に製作されていたロールプレイングゲーム・ラストアルマゲドンのバトルBGMと楽曲応援でずっと使っていたノースリーブス(高橋みなみ峯岸みなみ小嶋陽菜各氏)のAnswerの2曲も製作し、第一週で出していた「ファミスタ2020バッティングマーチ」「台湾尚勇」、そしてのELT・Feel my heartと合わせて5曲を準備。ハンドマイクの有線ジャックの調子も取り戻し、ヘッドセットが利用できるようになったので、コールできる幅も増やしました。
 しかし、他チームの応援団と違うのは…私の場合は応援団活動だけが役目ではないという部分。他の所要・雑用の一部も請け負うこともありまして、今回は後援者あるいは選手のご家族などに対する対応も任務の中に入っていました。試合前はそちらに回っていたので試合前の楽曲応援の準備はできず、確認していた方の入場を確認してからスタンドに駆け上った時にはすでに試合が始まっていました。
 当然いつもは行う試合開始直後のエール交換はなし。試合そのものも序盤から劣勢の展開となり 八回裏途中までペースはすっかり久慈クラブに持っていかれた状態でした。しかし八回裏に連打で点を奪い、相手エースを交代をさせたことでペースは一転。九回表は本来内野手・捕手の選手がマウンドに上がり久慈打線を0に。その裏に3番打者が本塁打、4番打者のレフト線ツーベースの後、九回からマウンドにも登っていた選手の勝ち越しサヨナラホームランが出て劇的な勝ち上がりとなりました。
 八回裏までとそれ以降の試合の流れがはっきりと変わった―ワールドカップサッカーの日本代表もそうでしたが、試合の支配率としては相手チームに上回れていても、要所を抑えて最終的な試合の結果として勝ち星を持っていく―最近そういう試合を目にすることが多いです。
 本文にも書きましたが、試合に出場できる選手は9人ギリギリ。他に45歳監督、47歳マネジャー、58歳副部長がベンチにいましたが、非常事態の時には「試合の勝敗としてはお手上げ」。試合に出ていた9人が踏ん張った見事な試合でした。尚、47歳応援スタッフがサヨナラ本塁打時に右肩に激痛を覚え、その後のエール交換を左手一本でしていたことは笑いの種にしてやってください。
 
2.トヨタ自東戦―4年ぶりの対企業戦。
 応援活動そのものも4年ぶりでしたが、企業チームとの対戦も4年ぶり。日本選手権が2010年から完全分離となり、都市対抗岩手予選も企業と当たるにはハードルが高くなり、県知事旗春季大会も参加チーム選出に遠くなり…で、対戦する機会が少なくなりました。
 トヨタ自東は応援団を有していますが、残念ながら平日に行われる一回戦、応援団は不在でした。これは各チームの方針もありますし、応援団員の方々も職場の都合もあるでしょうから「仕様が無い」と考えます。純粋な気持ちとして応援合戦をやりたいというのは当然ありますが以上をもって理解して、なんとか長く生きて応援合戦できる位置までにチームが勝ち上がれるように支えていきます。
 試合前の準備…も、こっちはこっちで一つミス。私の場合森山球場近くに住んでいますが、“早朝勤”の仕事が終わるのが7時あたり。シフトもずらせなかったので、終わってから野球場行くとなるとチームの集合時間より遅れてしまうので、電話連絡をしたのですが、恥ずかしながら勘違いを起こして、「チームが球場に未到着」と勘違いし、私自身が到着したあと球場の外でを20数分待ちぼうけ。マネージャーが通りかかったので、そこでやっとチーム合流となりました。
 そこからしばらく久慈クラブ戦と同様後援者入場の対応をしまして、8時35分にスタンドに行き応援の準備開始。この日使った楽曲は久慈クラブ戦から「ラストアルマゲドン」を除いた4曲を利用。試合が終わった後、「3試合の中で一番声が出てましたよ」という感想をいただきましたが、調子としては3日間の中で一番最悪なのが実際でした。
 久慈クラブ戦のラスト3イニング、息切れを起こしてしまって予定していたコールを繋げなかった時もありましたが、その時よりも調子は悪かった中でどうしたか、というと「声の出し方を変えた」。高田ク、久慈クの試合では「強さ」をイメージして力を入れてましたが、先に言った通り終盤バテたので「強さ」より「質」をとり、音階しっかりとらえてコール。野球でも力まないスイングの方がかえって打球が飛んだ、てことあるじゃないですか。それと同じようなことが起きたととらえていただければ幸いです。
 何にしろ、久しぶりの応援でどこまでできるか不安もありましたが、皆様方からも行動したことに評価いただき、「判官贔屓」というのもあったのでしょうが拍手も頂いたりしました。身に余る評価いただきありがとうございました。
 試合内容ですか。「悔しかった。次はより良く相対したいです」以外に書くことはないですご容赦くださいm(__)m。
3.悩みはしたが、再起の一歩を刻んで。
 この4年、応援活動を続けるかどうか悩んだりもしましたけども、まず1年やってみようということで都市対抗に臨みました。コロナ感染拡大防止などを経て環境が変わっていていますが、継続する方向で頑張ろう、ということだけは心に決めています。
 私の楽曲応援は都市対抗以外では東北大会進出時ということに決めているので、次の機会があるとしたらクラブ選手権東北予選か、東北クラブカップ進出時になります。もちろん、そこに至るまでの道のりは簡単ではありません。岩手だけでも駒形、江刺という強力なライバルがいますし、他のチームも腕を研いている。簡単ではありませんが、様々手伝いしながらその場に立つことができればと思いますし、それができるように後押ししていきます。
 お付き合いいただきましてありがとうございました。
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