まだアマ王座、東北CC、県知事旗大会、北上大会を書き終えていませんが、一区切りになる2020年の岩手県シーズンが終わったので、この10年間に関する雑感を記していきます。その第一段は「なぜ“自分のこと”以外の行動をして来たのか」をテーマに。
私は基本的に赤崎野球クの一員、という立場で活動をしています。98年以来23年なりますね。
ほんだども、特にこの10年は赤崎の活動以外で「○○チーム頑張れ」と励ます目的で野球場に赴くことがありました。ざっと思い出すだけで下記の通り。
13年→日本選手権東北でトヨタ自東。
14年→クラブ選本大会でオールいわき。
15年→東北CCで釜石野球団と宮古倶楽部。
16年→クラブ選本大会でオール江刺(11年も)。
17年→都市東北で鶴岡野球ク、復興交流で高田クラブ。
19年→クラブ選東北で盛友クラブ、MKSI BC。
20年→東北CCで前沢野球倶。
…1日夜書いた記事で「困難な一年を戦った&戦う舞台をつくってくれた方にお礼を言いたかった」てな一文書きましたが、なんと言いますか…私ゃ赤崎のメンバーだから当然赤崎に勝ってほしいと思ってもろもろの活動をしますが、負けたり不参加だったりしたときに「仲間に託す」てな場面あるでしょう。それで頑張ってほしいと思って、見届けに行ったり、友情応援を買って出たりしてきました。
その思いの発端になったのは2010年の『再会予定だった父の急逝→予定していた高田ク(クラブ選本大会)試合行き中止→東日本大震災』という流れで「二度と後悔したくない」思いに拍車がかかったから、というのは幾度か書いてきました。
同時に意識したキーワードが「JFL連合」。
何でいきなり「JFL」なんだ?と思われるでしょうが、サッカーの日本選手権でJFLチームがJリーグ…ことにJ1チームと対戦するときに、普段のJFLリーグ戦ではライバルのチームサポーターが一致団結して応援をする様子をどっかの読み物で読んだ気がするんですよ。それを転じて、普段は対戦相手として対峙するけど、より上の段階で強敵と戦う際は応援したろじゃないか―ってことで自分の心の中で「ひとり社会人クラブ連合」てな感じで行動してきたわけです。
こんな感じで厚かましく行動してきましたが、対応していただいた皆様に厚くお礼を申し上げます。今後は直接行動は少なくなりますが、「働き、社会の中に存在して野球にも取り組む野球仲間」へのリスペクトを持ち続けていきます。
次回テーマ、ですか。そもそも突発的なものでしか書きようないですからね。とりあえず「書き残し」記事をアップしながらなにかまとまったら記述します。おつきあいいただきありがとうございました。