◇七十七銀行 3-2 日本製紙石巻
序盤に浅沼の2点本塁打で先行した日本製紙石巻を、三回までに追い付いた七十七銀行がし烈なつばぜり合いをこらえ延長に。迎えた延長11回に出塁の原を一塁に置き、不振を囲っていた中井がセンター前に。ツーアウトで投げた瞬間走っていた原が、深めに守っていた外野守備の間隙を突き本塁にホームイン、サヨナラ。県予選3位からの大、大、大下剋上を果たし東京ドームに進出した。
日本製紙石巻は初回に今大会存在感を見せている浅沼の一打は出たが、以降の得点機は生かせず、代表決定2連敗で涙を飲んだ。
1週間も無理な日程組みましたから、今日の仕事はいつものような無理が効かず、終わったときは「今から県営行っても無理かな、終わってるだろうな」と。それでも試合展開をチェックしてみたら「あ、これはもつれる」と思い、盛岡に急行しました。
盛岡到着。今二次予選最後の入場者として県営球場に駆け込んだときは原選手がヒットを打った所。打者は不調から打順を七番に下げていた岩手・専修大北上出身の中井選手。カウント3ボール2ストライクから放った一打は先に述べた通りのサヨナラ安打。言ってみれば、このサヨナラヒットを見るためだけに岩手県営球場に来たようなものです。コストパフォーマンスの観点からいえば効率悪い悪い。
この時期の社会人野球のTwitterタイムライン見ていると、二次予選-特に苛烈言われる東海地区(静岡、愛知、岐阜、三重)-の模様が書いてあって、そこに通い詰めている様子が書かれているのを羨ましく感じていました。私が社会人野球に関わるようになって、岩手予選開催は4回目。これまで三度は
▽93年(参考)→伊東高校3年。自分の野球で精一杯で、かつ移動手段もないので見に行ってません。岩手からはJA岩手県経済連、宮城建設、岩手銀行が出場。岩手銀行代表決定戦進出も届かず。
▽99年→4日見学。ヨークベニマルの最後の試合見届ける。七十七銀行ユニフォーム、この頃はまだ縦じまでない。岩手からは太平洋セメント、宮城建設、JAいわて、一関三星倶(現一関BBC)が出場。
▽05年→当事者(赤崎クスコアラー)として2日帯同。TDKと6-6引き分け、七十七に0-8敗戦。木曜日に試合見に行くが、雨天で5時間待ったあと中止。岩手からは赤崎ク、水沢駒形倶、JR盛岡出場。
▽12年→本来は11年開催予定も東日本大震災で開催不可。前年まで3チーム4ブロックのリーグ戦を4チーム3ブロック→各ブロック1位とワイルドカードで第一、第二代表を決定。岩手からはオール江刺、水沢駒形倶、フェズント岩手が出場。予選リーグ3日間と代表決定2試合見届ける。日本製紙石巻の前田直樹「選手」都市対抗での最後の打席も。
…こうしてみると、前田直樹さんは岩手開催、苦い思い出ばっかりになってしまってますね。05年も中途敗退ですし。6強とも言われる東北、そこに去年は富士通、今年はJR盛岡が食い込んできた。クラブチーム(富士通もそうだけど)だって楽させちゃくれない。し烈なブロックのひとつになりつつあります。
その戦いを一部始終見届けたくて、30分も車走らせれば試合会場という条件も利用して、毎日、毎日野球場に通い詰めました。それだけの価値がある戦いを、生きざまを見させていただきました。
でも、ひとつだけ繰り返してわんない失敗が。
満足感につられて「もういいや」にならない。
09年にいたる私の心身の破綻は、この「もういいや」も原因でした。一回ぶっ壊れた人間が言うのも難ですが、「終着点に行くまでは、どんな“偉業”も通過点」と。二週間後には自分等の野球もあります。次の目標に向けて、また歩くことにしますか。
今予選大会の表彰者を紹介します。
最高殊勲選手賞 北見昴之選手(トヨタ自東)
首位打者賞 小野勝司捕手(トヨタ自東)
打撃賞 林 竜希選手(トヨタ自東)
敢闘賞 中井隆盛選手(七十七銀行)
新人賞 長田駿介選手(七十七銀行)
そして
大会特別賞 トヨタ自動車東日本応援団
選手の頑張りもそうですが、トヨタ東日本の応援の「強さ」には震えるものがありました。
「岩手の応援は魂揺さぶる応援」
その熱さを東京ドームでも体現していただければ、と願うものです。暑い中戦われた皆様、本当にお疲れ様でした。
《お知らせ》今後の記事製作予定(タイトルは仮題)は
1)2012~2018 伊東が見てきた「トヨタ自動車東日本野球部」
2)1987~2018 東北王者を取り戻すまで 岩手社会人野球挑戦記
でお送りします。