2020年9月5、6日開催・東北クラブカップ結果。【2020年社会人野球】
新春特集・1953〜78年社会人野球参加チーム一覧表。
※2021年2月7日 岩手部分修正しました。(一戸桜陵が抜けていました。申しわけございませんでした。)
2021年も始まりました。おつきあいよろしくお願いします。
2020年分の書き残しもありますが今少しずつ記述を進めています。その間に、というのも難ですが1953から1978年の間に存在した社会人野球チーム一覧表を下記に記します。
調査方法:53〜67年は毎日新聞・日本社会人野球協会(現日本野球連盟)報に記載された試合で出場チームをチェック。68〜78年は協会報に記載されたチーム動態一覧表より。51〜73年開催の“サンベツ”産業別大会参加を主目的にしたチームや都市対抗未出場のチームについては追いきれませんでした。
このあと1979〜2003年の部分制作を企図してまして、チェックする表はつくりましたが、現在は別テーマを追っているので手が回りません。2020年分の記事は「東北クラブカップ」「岩手県知事旗」「年度まとめ」の3つ残しているので前者2つ→後者ひとつの順でアップに持っていけるよう現在調整中です。
実際の行動には制限かかりそうですが、野球そのもの・岩手野球そのものに対する熱量を切らすことはありません。あらためて2021年もよろしくお願いします。
2020年12月31日に。存在を失わずに歩き続けます。
年末わたくたしながら、とりあえず必要なことはして落ち着いたところです。少なくない野球の記事は年明けに持ち越しになりました。申し訳ありません。
今年はただでさえ東京五輪の影響を受けたところにコビッド19・新型コロナの影響も重なり、例年とは大幅に「模様」の変わったシーズンになりました。無観客になった大会も多く、主要大会も都市対抗野球を除いては中止を余儀なくされるなど試合の場が失われ、またあったとしても遠征による観戦の危険性を考慮しての辞退も相次ぎました。
私自身はコロナによる影響を受けづらい位置にいたため直接のそれはありませんでしたが、それ以外の箇所で基礎疾患発症、精神疾患の悪化、そして母の死と重なり、去年末から持ってしまった人間不振もプラスされてどの部分に置いても人の中に居るのが辛くなってしまいました。「どうしても」の行事・試合では必死に調整して場に現れましたが、それで精一杯でした。自分に任されている最低限をクリアするだけで。
それでも自分はまだいなくなるわけにいかないし、居る以上は何らかの役割は果たしたい、更に言えば「(『別方面』の主題になりますが)存在を嫌がる方々の望みを叶えたくない」という一念で必死に存在を維持し続けました。正直、これが精一杯です。来年はなんとか野球場に行ける状態をつくれるように努めます。
様々な「作り残し」は来年早くにします。みなさま、2021年もおつきあいよろしくお願いします。
伊東 勉
今後の記事製作予定(案)
12月も18日。あと10日であれもこれもは無理なので各々にまとめ的な記事製作を行います。
当項では「社会人野球のまとめ」「伊東自身のまとめ」で記す予定です。まだ準備にもかかっていないのでいつ出すと確約できませんが、記事が現れたら見てやってください。
何とか45歳を迎えました。
10年前を考えるとよくここまでたどりついたものです。44歳時は母がなくなり、この他にもコロナ禍で行動に制限課された一年でもありました。
8歳の4月から野球をはじめ、学校野球を経て社会人野球に関わって26年になります。ひとつならず二つも基礎疾患をもってしまい、活動に支障を来す状態になりました。今後どのように関わるかは回りと相談しながら決めますが、社会人野球、ひいては故郷の野球から視線を切らさず見届けていく所存です。
また、本格的にはじめて3年目に突入する「社会人野球歴史探索」、最初は「青森のを〜」から始めたのがいつの間にかそこからはるかに広い範囲の調査を進めることとなりました。いつ何が起きてもおかしくない私ですが、今やっていることは何とか完遂する、で頑張ることにします。
おつきあいいただきありがとうございます。45歳期もよろしくお願いします。