MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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1998年社会人野球-赤崎野球クラブに“移籍”。都市対抗クラブ予選、対JAいわてとの激闘、そして岩手県外の視点も見始めた一年でした。

1.赤崎野球クに“見習い”帯同開始。都市対抗クラブ予選の激闘。

 1998年。私は前年まで在籍していた佐藤組北上球友から赤崎野球クラブに移籍。赤崎クは大船渡オールスターという性格を持ち、入部したいと言えば入部できるチームではないので、当面チームに見習いという形で帯同することになります。職場も変わったばかりで、4月に行われた岩手県知事旗大会、大槌ロータリーカップ大会は部分的にしか行くことができませんでした。(結果は県知事大会は初戦でJR盛岡に敗退、大槌大会は3試合勝ち抜き決勝戦に進出。釜石野球団に敗戦)

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この住田球場の写真は2010年改装時。それ以前は緑の金網に現代基準から比べると狭い広さのグラウンドでした。

 5月半ばから気仙地区の野球場を会場にして都市対抗野球の県クラブ予選が開催。赤崎野球クは初日の一回戦、住田町営球場で行われた北上ベースボール倶楽部(94年結成、99年活動停止)と対戦。中盤までは接戦でしたが、五回に集中打で突き放し、佐藤琢哉、鎌田仁両選手のホームランで14-5、七回コールドで破りました。ニ回戦は高田松原第一球場で盛友クラブ戦。この日の先発は大畑悟君で、投手としては右アンダースローからの直球を武器に奮闘していましたが、本人曰く「調子いいとか言っているとボールが高めに入ってしまうことがある」と語っていましたが、二回に攻略を受け、三回から山本淳一君がリリーフし好投。盛友の“盛大附変革期を支えたエース”“変幻自在投手”小田嶋雅浩さんともに終盤まで息をつかせぬ投手戦を繰り広げましたが、九回に佐藤君の一発で突き放し代表決定戦に進出しました。

 代表決定戦は再び住田球場で宮高倶楽部と対戦。宮高倶の吉浜、赤崎クの山本両投手の投げ合いででスコアボードには0が並びます。赤崎は九回、サヨナラのピンチを迎えたものの切り抜け、延長十回、佐藤琢哉君の3試合連続のホームランで2点を先制。その裏の宮高倶の反撃を1点に抑え、2年連続4度目の本予選大会進出を決めました。なお、この予選で大船渡農業の後輩でオール江刺に加わっていた千葉康文投手がデビュー戦初勝利を挙げています。

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2.“雲の上”JAいわてに肉薄!都市対抗県予選。

 約10日後に開幕した県本予選大会。一回戦は同じ沿岸のライバル釜石野球団と対戦。ナイトゲームで行われた試合は赤崎クラブ山本、釜石野球団瀬戸の投手戦となり3−2で接戦を勝ち抜いた赤崎クがベスト8に進出。準々決勝の対戦相手は前年都市対抗野球東北予選であと2勝(第三代表トーナメント二回戦)までと迫ったJAいわて。95年に補強選手として東京ドームに出場している佐竹投手をはじめ経験豊富な選手が揃い、そつのないチーム。赤崎クは2試合連続先発の山本、JAいわては左のエース細越両投手が先発でプレイボール。

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 大方の予想ではJA優勢という見方でしたが、赤崎は初回2点を先制。三回にはチャンスから後4番打者の木下清吾さんが細越さんのカーブをとらえ3点ホームランを放ち、5−1で大量リードを奪いました。

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 予想外の展開にJAはリリーフに佐竹さんを投入。山本君との投手戦となりましたがJAはねちっこい攻めでじわじわと差を詰め、9回にとうとう勝ち越しを許してしまいました。赤崎クラブは中盤から佐竹さんを打ち崩すことはできず5−6で惜敗も、JAが相手だろうが対抗できるということを示した試合となりました。

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 なお県予選はJAいわてがこの後2試合接戦を勝ち抜いて優勝。秩父小野田が佐々木宏也さんのサヨナラホームランで東北予選進出を決め準優勝。第3代表決定戦では2年ぶりの東北進出を狙ったアイワ岩手を宮城建設が破り、東北進出3チームが決定。秋田で行われた東北予選では秩父小野田が他県チームから2勝を挙げましたがドーム進出の争いには加わることができませんでした。

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3.それでもまだ感じさせられた“壁”/女子野球選手の先駆けをこの目で。

 都市対抗ベスト8の接戦を経験にしてこの後の大会上位進出狙った赤崎クでしたが、この後7月に行われたクラブ野球選手権岩手県予選では花巻硬友倶楽部に6-3で勝ったものの、一関三星倶(現・一関BBC)にに1-8で敗れ、一関市長旗大会では茨城県大宮クラブに3-13で敗戦。毎日旗争奪秋季大会では古巣の佐藤組北上球友と対戦。打撃戦となり12-10で勝ちましたが、この大会帯同できたのはこの日だけで、次の日以降に行われた試合は対盛友クラブ17-7、準決勝の久慈クラブに2-5で敗退。まだまだ越えなければならない壁があると思わされました。

 この年はクラブ野球選手権の本大会が岩手県開催。開催県枠で水沢駒形が推薦出場、県予選を勝ち抜いた久慈クラブとともに本大会に挑み、久慈クは全伊勢崎硬建クに1-2で惜敗、水沢駒形は北信越代表のケンタッキーサンダース(現・野田サンダース)に14-4、東京の熊球クラブ(現・エスプライド鉄腕ク)に9-5と勝ち、準決勝では前年まで企業チーム・ヤオハンジャパンとして活動していたアムウェイレッドソックスと対戦して2-10で敗れましたが、ベスト4進出を果たしました。アムウェイレッドソックスは圧倒的な強さを発揮してこの大会優勝。私自身一試合でも見に行ければと思いましたが残念ながら決勝戦の9回を見ただけに終わりました。アムウェイレッドソックスには後に女子野球の一時代を支えた松本彩乃さんが在籍。最後の打者は松本さんが打球を処理した記憶があります。

4.帰郷した大船渡。どれも、これも「ステップアップの段階」。

 この年から故郷大船渡に戻り、赤崎野球クに帯同し活動することに。近い年代の選手たちとは知り合いでしたが、チームとしての信頼を得るにはまだまだ足りないものが多すぎて学ばなければならないことはたくさんありました。当時は企業チームも多く、クラブチームも水沢駒形倶、久慈クラブ、一関三星倶、釜石野球団といったチームが上位を形成。赤崎クはこのチームを追いかけるというポジションにいました。90年代前半に入部した選手が経験を積み、上位チーム激しく猛追し、都市対抗ではベスト8を見せたことが、この後のステップアップにつながったものと思います。

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