MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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四十五の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート3

「パート2」はこちらからどうぞ。

5.6月16日その2・「不来方戦・二重の“運命の一戦”」

 2003年都市対抗野球岩手県予選、第二代表決定トーナメント。
 簡単に言えば、敗者復活戦。
 その三回戦で赤崎が駒形を、不来方が久慈に接戦で競り勝ち、次の試合に勝ち抜けば太平洋セメントと第二代表の座を争う、という都市対抗の運命を決める試合。
 第一試合で山本淳一投手を完投させた赤崎。平日の試合となったこの日、花巻球場に来る事ができた投手は淳一君と佐々木慶喜君の2人。以前ヒジを手術している淳一君に一日2試合投げさせるというわけにいきません。
 前日にノックアウトされた慶喜君をマウンドに上げる事になりました。

 その慶喜君を援護すべく赤崎打線は初回から積極的に攻めます。
 この大会では一度勝っているとはいえ、簡単には打ち崩せる投手ではない徳田亨投手。赤崎打線はその立ち上がりを急襲しました。この日サードに入った磯谷長栄さんがフォアボールを選び、続く生形君がレフト前ヒット、さらに佐藤琢哉君の送りバントを徳田君がエラーし、ノーアウト満塁に。
 ここで4番の木下清吾さんがセンターオーバーの二塁打。満塁のランナー一掃で一気に3点を先制しました。

 しかし、不来方もそれで大人しくなるはずもなく、2回に三浦選手の犠飛、藤村選手の適時打で2点を返します。慶喜君は初回こそフォアボール一つで終わらせましたが、2回には2安打2四球とこの回は攻勢を食らい2-3と詰められます。
 3回に赤崎は佐藤琢哉君が右中間三塁打後、“女房役”の村上修君がレフト犠牲フライを放ち、4-2に。これで慶喜君が波に乗るかと思いましたが、小田嶋選手に二塁打をくらい、ツーアウトこそ取りましたが、最初の打席で二塁打を放っている信太(しだ)選手に、再びレフトへ痛打を浴びました。しかし、ここで守備陣の連携が光ります。木下さん→生形君→修君と好中継を見せ、タッチアウト。2回、3回と打ち込まれていただけにこのプレーが試合の流れを赤崎に引き寄せました。

 4回から不来方は右パワータイプの田村投手にスイッチ。
 その裏の不来方は、ツーアウトながら満塁と攻め立てますが、3番の小田中選手を打ち取り慶喜君はこの回も0に。その後、6回に1点取られ、4-3とまた1点差に詰められますが、慶喜君はよく耐えていました。
 8回。
 赤崎は途中からライトに入っている佐々木淳一君が四球で出ると、盗塁とパスボールで三塁に進み。続く泉邦幸君も四球→ディレードスチールでランナー二、三塁とするとこの日DHに入っていた出羽直樹君がレフト前2点タイムリーヒット。貴重な追加点を上げました。

 6-3。7回まででも115球投げて来た慶喜君なだけに、8回から淳一君か、とも思われましたが、そのまま慶喜君が続投。8回は四球一つで、9回はこのチームで一番気を使わなければならない打者2人に回る打順でしたがていねいに3人切って取り、完投で貴重な一勝をあげました。

 慶喜君はこの前年から赤崎に加入していましたが、山本淳一君、佐野清隆君の二本柱の存在で自分の存在価値に苦しんだ、という話をしていたようです。(翌日の毎日新聞岩手版インタビューより)それでも、チームの一人として存在し続けようとしていたその努力が、ジグザグもありながらこの日の勝利に結び付き、さらに後年には赤崎の二番手投手としての地歩を築き、準全国大会(東日本クラブカップ)で最優秀選手を獲得するまでになったものと思います。

 慶喜君にとっても、チームにとっても大きい一勝をあげ、いよいよ岩手代表の二つ目を決める試合は、文字通り「大船渡市代表決定戦」となりました。

大船渡市・赤崎野球ク 301000020 6
盛岡市・オール不来方 02000100X 3
二塁打 木下、村上修(大)信太、小田嶋(盛)
三塁打 佐藤琢(大)
【大船渡市】5磯谷長 6生形 8佐藤琢 7木下 2村上修 9磯谷幸 3泉 D出羽 4平野 1佐々木慶(交代選手)吉田忠(磯谷幸・6回代打)佐々木淳(吉田忠・7回から9)
盛岡市】6藤村 9深沢 8小田中 D小田嶋 7三浦郁 4信太 3小川 2田中 5三浦大 1徳田亨(交代選手)田村(徳田亨・4回から1)北田(田村・8回途中から1)新山(深沢・9回代打)


6.6月17日岩手最後のたたかい-大船渡市代表決定戦-。

 都市対抗岩手予選の最終日。
 岩手の第二代表を決めるこの一戦、しかし球場には独特の雰囲気が漂っていました。
 一つは「どっちが負けても恨みっこなし」という雰囲気。
 一つは「同じ大船渡市のチーム同士で最後の一枠を決める」事に対しての複雑な心境。

 太平洋セメント野球部は、この都市対抗野球を最後に活動を終えることになっています。敗戦即休部。だけども、勝負の世界にいる以上手加減というのは許されません。それが、先に書いた「どっちが~」の一文に示されたものです。
 何にしても、一種の独特な、そして厳粛な雰囲気を漂わせたまま、試合は始まりました。
 先発投手は太平洋菅野貴行、赤崎山本淳一の両投手エース対決。
 初回太平洋。フォアボール3つで満塁にするも、得点0。
 1回、2回の赤崎。一安打ずつ放ったものの、得点0。
 3回太平洋。小沢秀次さんの安打後送りバント、内野ゴロで三塁へ。4番菅原悟さんのとき暴投で1点先制。さらに菅原さん、小沢浩喜さんの安打で追撃するも、点には結び付けず。
 3回裏に生形憲治君の二塁打、4回裏にも村上修君の二塁打で好機をつかむも、赤崎クラブ点を奪うことができず。
 4、5、6回。両チームともにランナーこそ出すものの、0得点。
 7回表。秀次さんの二塁打後、森英悦さんはサードゴロも、送球が暴投になり太平洋は2点目。
 9回表。0-2と抑えられていた太平洋、円陣でゲキ。気合みなぎらせ奮闘する淳一君から4安打を集中。大澤正治さん、秀次さん、村上浩規君の適時打で一気に3点加え突き放す。
 9回裏。赤崎も先頭の佐藤琢哉君がライト前ヒット。ツーアウトにまで追い込まれるも、6番の磯谷幸喜さんにもヒットが飛び出しますが、代打の佐野君が三振に倒れ、試合終了。
 さて、この試合の書き方をここまでの試合と変えてお送りしました。
 ホント言えば、この試合はこう書くだけでいい。
 「両チームがそれぞれの思いを胸に全力でたたかい、その結果として太平洋セメントが次のたたかいに進む権利を得る勝利を得た」
 これだけで、いい。

 試合が終わった後、太平洋応援団と、赤崎の後援者との間でエール交換をし、試合終了後の表彰式後の記念写真には、両チームの選手が並んで写真に納まっていました。
 応援する赤崎野球クラブがより上のたたかいに参戦できなかったのは残念。だけども、敗れたチームが自分たちの思いを託すに十二分に値するチーム。普段は同じ大船渡の同じ赤崎町(太平洋セメント工場は赤崎町にあります)に本拠を置くチームとの、切なくも、貴重なたたかいを経て、太平洋セメント野球部を東北大会に送り出し、赤崎クラブは一つのたたかいを終えました。

大船渡市・太平洋セメント 001000103 5
大船渡市・赤崎野球クラブ 000000000 0
二塁打 小沢秀(太)生形、村上修(赤)
三塁打 村上浩(太)

太平洋セメント】6小沢秀 4森 9村上浩 3菅原 2小沢浩 7志田勇 D斎藤 8大沢 5野々村 1菅野貴(交代選手)川内(小沢浩・4回より2)金野(斎藤・9回代走)
【赤崎野球クラブ】5磯谷長 6生形 8佐藤琢 3木下 2村上修 9磯谷幸 D出羽 4平野 7金野豊 1山本淳(交代選手)佐野(出羽・9回代打)


6のおまけ.太平洋セメント野球部、最後の日。

 その日。私はどうしても仕事を休めず、太平洋の試合を気にしながらコンビニ&共産党の仕事をしていました。ここまで書いて来た試合で休みを融通していただき、さらに一週間後にはクラブ東北予選もあったので、それ以上の無茶を言う訳には行きませんでした。
 それでも関係者の方から「都合良ければ、応援のバスは出ているから一声かけて」とは言われていたので、この鶴岡との試合に勝てば、もともと休みの日にあわせて、おそらくは山形しあわせ銀行(今は『きらやか銀行』)との試合には、応援に行くつもりでいました。

 ところが…。鶴岡野球クラブに延長15回の末、惜敗。
 鶴岡に先手を取られ、6回まで0-3とリードを許していましたが、7、9回の攻勢で同点に。そのまま延長戦に入り、太平洋は14回にサヨナラの好機を迎えましたが、それを生かす事ができず。逆に15回、佐藤選手のヒット、渋谷選手の犠打の後、甲島選手のヒットと守備の乱れで勝ち越され、そのままゲームセット。

 太平洋セメント最後の大会は、好投手のいる秋田銀行には勝ったものの、七十七銀行と鶴岡クラブに敗れ、50年の活動に終止符を打ちました。

鶴岡市・鶴岡野球クラブ 020100000000001 4
大船渡市・太平洋セメント 000000201000000 3
鶴岡市】6佐藤浩 8成沢 3鈴木 5田村 D佐藤裕 9渋谷 4甲島 7松浦 2本間重 1吉田隼 (途中交代)五十嵐(吉田隼・8回から1)長谷川(鈴木・代打→3)
【大船渡市】6小沢秀 4→5野々村 9村上浩 3菅原 2小沢浩 7志田勇 D川内 5金野裕 8大澤 1平田 (途中交代)村上章(平田・4回途中から1)菅野貴(村上章・10回から1)斉藤(川内・代打→D)森(金野裕・代打→4)


 チームの活動停止後、菅野貴行投手と村上浩規選手が高田クラブに(菅野投手は更に埼玉・都幾川倶楽部に)大澤選手が釜石野球団に、金澤投手は都幾川倶楽部に転籍しましたが、その他の選手は硬式のグラブを置きました。
 とは言っても、やはり基本野球好きですから、野球の活動自体は「太平洋オールディーズ」として続け、幾度か全国大会に出場しています。

 岩手の野球どころとも言われる気仙地域で、長年社会人野球での活動の場となっていた太平洋セメント。残念ながら東京ドームには届きませんでしたが、残した足跡は貴重なものがありました。

 と、ここまでの3編だけでも「おなかいっぱい」だと思われますが、後から考えてみれば、この都市対抗第5日を終えた時点で「11日間で10試合」で言えば、まだ半分越えただけです。この後行われたクラブ大会の内、6月22日に行われた部分は既に記事起こしましたので、この4日間をどうたたかったかという視点で記事を作っていきます。

「パート4」はこちらからどうぞ。 


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