MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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一仕事を終えて。

 日曜日まで行われていた仕事に想像以上に力を傾注してきました。これまで回避していたこともして…“目標”こそ達成しましたが、心身の反動がやってきそうで警戒しています。仕事前に制作日記を書いていましたが、そのスケジュール通りにできるかどうか心許ない。

 気がつけば岩手の社会人野球、開幕まであと1ヶ月となっています。岩手内陸部でさえ雪が溶けました。ここから野球の試合に臨める体力をどう作るか、全国では都市対抗野球の一次予選が始まってる箇所もあります。良い状態で試合に臨みたいですね。

 とりあえず私は表れた花粉のショック吹き払って先々の所用臨めるように努めます。

水原一平氏に関する報道と雑感。

① 現在、「もう一つの主題」でてんてこまいの最中ではありますが、今日昼に聞いた水原一平氏の報道には強いショックを受けました。どんな「強くいい人間」であろうが、ほんの少しできた綻びにつけ込まれて人間の負の側面に侵される危険性がある、と。まだ報道がなされたばかりでどういう状況か分かりませんが、事実に基づいての的確な対応がなされることを望みます。

② 経済力を力と表現すれば…巨大な市場を持ち、力が吹いているメジャーリーグベースボールの世界、一歩間違えればその巨大な力に振り回されかねない局面もあり、巨大な富を得たMLB選手が得た力に振り回されて破綻に追い込まれたという話も少なからず聞きます。人間というのはどうしても欲というのも出るから、 それに振り回される側面もあるわけですが、それにどう向き合うか-言葉にすれば簡単ですが簡単でないのはその通り。今回一番身近なところにいた大谷翔平さんにとってはショックだっ たと思います。どうか人間が持ってしまう「負の局面」 に屈せずにに、 今歩いてる人生道を良ぐ歩み続けていただきたいと願っております 。

                  伊東  勉

記事製作日誌(240316ver.)

 2週間ぐらい前までは野球の資料整頓もできていましたが、そこから日常の仕事がちょこっと、社会活動ががっさりと忙しくなってしまい、社会人野球の資料整頓の続きを書くことができなくなりました。

 都市対抗岩手予選がもう1ヶ月後に開幕ですか。それを考えると計画的に記事作ってかないと、と思うのですが、今現在ではその計画も立てられない。考えられていた時点での計画は下記の通り。

・「社会人野球の歴史」→当面の残りを山形のみにしていて、図表は完成していますが文面の製作には至らず。これまでバラバラに記述してきた部分の統合作業に手間取っています。

 山梨に関しては追加記述+図表追加があり、記述については追加済み。図表についてはPC作業が必要なので(スマホからの作業では図表がうまく表示されない)後刻アップし、完全に変更後リンク貼って紹介します。

・2023年未記載/2024年都市対抗岩手予選

 3月第4週まで日程つまっているので、3月25日~4月10日までに「歴史・山形」「一関大会まとめ概略」「クラブ選手権本大会まとめ」「2023年岩手社会人野球まとめ」、4月10日~4月18日「都市対抗野球岩手一次予選見どころ」を製作。

・「島根県社会人野球挑戦記」

 当初は3月まで、と考えていましたが「中間報告 社会人野球の歴史」製作もあり押してしまいました。上記記事製作状況を見て可能なら4月半ばまでに、無理なら5月の大型連休に製作します。応援準備と並行なのはしんどいですが書ききれればと考えています。

・一連過ぎたら

 後はシーズン入っての通常記録作業に。今年は国会図書館に行けないので既存資料の整理に力を入れます。冬に「挑戦記」山梨or佐賀or沖縄を。

 故郷・大船渡は花粉が爆発的に出ているようで、ショック起こす危険性考えると当面は岩手内陸部の滞在が続きます。「もうひとつの主題」併せて、任されたものを無事に完遂できるように努めます。

13回目の“3・11”、大船渡に。

 3月11日。

 私は大船渡に行ってきましたが滞在時間は2時間。これまでの人生を思い起こしながらこれからも頑張っていく誓いをすることしかできませんでした。記事も書こうと思いましたが、野球ブログ単独記事は作るのが難しいです。大部分共通記事としてアップする予定で、もし出ていたらお付き合いよろしくお願いします。今回写真は道中とらえた「住田町営球場で見た夜明け」。f:id:b-itoh1975:20240312040123j:image

東日本大震災から13年①-ひとまず書けることから(野球ブログver.)。

f:id:b-itoh1975:20240311032237j:image
 東日本大震災から13年が経ちます。津波の震災被害に関すして今更私が加えて書くものはありません。あの時期に全国の野球人から受けたご厚意はありがたいものがありました。それは直接道具などの援助もそうだし、野球の試合・交流というのもそう。野球をはじめ、スポーツは人間の居場所の一つでもあるわけで、震災で受けた被害による“ゆるくない思い”を紛らし、この後生きていく道標を作っていく貴重な場所になったもの、と認識しています。

 1月1日に起きた能登北陸地震も強大な被害を生じました。そして、今後も地震大陸と言われる日本はこのような被害を受ける震災が出てしまうのでしょう。

 そんでも。

 その都度その都度傷つく人を健在な人がカバーしていけばいい。自己責任も一定必要な要素と思いますが、ここに書いた「助け合い」を絶やさずに動いていければと思っています。

 11日早朝、大船渡に行ってきます。昼には仕事があるので居住地に帰ってくる強行日程。大船渡の空気を吸って思い起こしたことをまた書ければと考えています。

鳥山明さんの急逝より-「残り時間」と「してきた/していくこと」。

 今記事は3媒体共通です。

 先日、実家処理の今後を兄貴と相談した中で。兄貴がつぶやいた「俺が定年になるまであと10年だからそれ以内には…」という言葉、じわじわと効いています。ああそうか、そういう年齢になってきたんだなと。兄貴は今年で52、俺は49。俺自身は34歳以降の人生はおまけと考えているからあまり一般的な見方をしていないけど、一般的な見方はそうなんだよな、と思い知らされる会話でした。

 金曜日、漫画家の鳥山明さんがなくなられていたことが報道されていました。鳥山さんの業績は私ごときが語るまででもないでしょう。現時点でドラゴンボールは語が進行しているわけで(作画を別な人が担当)。今後どうなるのかな。少し前、キャプテン翼作者の高橋陽一さんが自らの作画による作品制作を終了して、今後はストーリーの制作に務める、との話も思い出し。

 ここまで3題の話見て思ったことは「自分は一生の中でどんな足跡が残せている/きたのかな」。

 社会人野球も、社会活動も、今年で活動を始めて30年になります。その間どのぐらいの物事を成してきたか。走ってる最中は無我夢中で、目の前の成果をもぎ取りに行くのに必死で、「一般的な人生」とか「俯瞰的に計画的な人生設計」を考えたことなかった。果たしてどこまで何を重ねたのかな、と思い返したり悩んだりしています。

 最近の新聞報道で「郷土の特産品制作に取り組む」あるいは「震災語り部として活動している」同年代の取り組みを報道を通して目にしました。彼/彼女らだけでなく、「この歳なら~~できて当然」ができないまま50年近く生きてきた俺。それができている同年代はすごいと思いながらも、自分も無為には生きているつもりはない-ってのはほぼ強がり。そんな思い抱きながらの毎日日誌代わりの駄文書き連ねているSNS、きょうもおつきあいいただきありがとうございました。

記事製作日記(240305ver.)/雪が降り注ぐ3月。

①「社会人野球の記録」、前回福島県の記述しました。福島の資料収集は薄い部分があるのは以前に述べましたが、加えると20世紀部分では地域ブロック部分の大会の記事が新聞になかったor見つけられませんでした。福島はスポニチが独自ページを持っているので、そちらを見なければならないかな、と考えていますが、旅費がありません。独自研究はこの部分大変です。今年は有る分の整理&まとめ記述に充てるとします。

 次はあと1週間内に山形県を書ければと思っています。山形県の記事対応パネルと、4月までに制作する予定の島根県資料整頓は終わりました。あとは構想→“肉付け”→記述と進めるのみです。

Facebook・インスタグラムを見てると各地で練習試合の様子が書かれてますが、関東地区あたりまでで東北地区のチームはさすがにこの雪なので練習試合という記述はありません。それでも室内で野球の練習ができる環境が整っている様子が各チームの記事から見えます。岩手の都市対抗野球は4月の第3週から開始。4月の第1週あたりには組み合わせなどの概要が決まります。この雪模様を見て「あと1ヶ月で野球できる状況になるのかな」と不安になりますが、何とか無事にシーズン迎えたいですね。

社会人野球の記録 「常磐」「清峰」「ベニマル」が活躍した20世紀と、クラブチームが奮戦する21世紀 福島社会人野球。

 「社会人野球の記録」と題して、調べ物の中間報告的記事を記してきました。前回の記事制作日記で記した通り、3月中に山形、福島、島根の3県を書ききって(島根は中間報告じゃないですが)シーズンを迎えようと考えています。前回の記事では山形の方を上に紹介していましたが、制作は福島を先に行うことにします。

1 1969年毎日新聞記事「福島県40年のあゆみ」より。

 福島県社会人野球、昔は常磐炭鉱、清峰伸銅、20世紀後半期にはヨークベニマルが先陣を切って全国にその威を示してきました。1999年にヨークベニマルが活動休止になって以降は、クラブ選手権部分では存在感を見せることもありましたが、全般的には苦戦を強いられています。一時期は33チーム在籍と巨大な勢力をもった福島社会人野球どういう足跡をたどってきたのか、端的に記していくことにします。

   ===========

 1969年の毎日新聞福島版では都市対抗野球に参加してから40年を記念した「都市対抗野球物語 福島県40年のあゆみ」という特集が掲載されていました。全11話の概要は以下の通りです。

① 1930年第4回大会の福島県勢初挑戦の裏話。

② 1933年、県予選初開催/福島クラブ(現在休部中)本大会初出場。

③ 加熱する野球熱-1936年県決勝戦没収試合/当時の寛容なルール適用(試合に出ている選手の代走起用など)

④ 戦前後期の福島社会人野球の状況/東洋紡チームの二重登録(ほぼ同メンバーで福島→新潟予選出場)

⑤ 戦争終了、県予選復活の歩み

⑥ 1946年都市対抗野球東北予選・福島誘致裏話(宮城との誘致合戦が加熱し、東北各県持ち回りの原因に)

⑦ 日東紡、今泉産業など繊維産業チーム台頭。“オール福島”巨人・東急連合に大勝/福島社会人野球から日本プロ野球日東紡・八島米雄選手)進出。

⑧ 台頭する常磐炭鉱・日東紡2強時代も…分かれる明暗(+1950年以降、クラブチーム出場が縮小)

⑨ 清峰伸銅の千葉から福島転籍→常磐炭鉱と新福島2強形成

⑩ 「常磐炭鉱」から「オール常盤」に-フラダンスチームの応援活動/清峰伸銅廃部。

⑪福島社会人野球を支えた人

 -という塩梅で記事が書き進められてきました。

 有力チームはそれぞれの産業の波に乗った企業チームが全国単位での活躍も見せていましたが、クラブチームがその実力を発揮する機会を失い、1966年には清峰伸銅の予想外の廃部-一説には「お家騒動の余波」もあり、登録チームがオール常磐と福島クラブの2チームにまで落ち込みました。

2 福島社会人野球の大伸長-ヨークベニマルの全国出場

 硬式社会人チームこそ2チームに落ち込みましたが、野球熱そのものは軟式野球や「市町村対抗県軟式野球大会(当初は全市、現在は全自治体が参加する大会)」が開催されるなど潜在的に強いものを持っていた福島県の野球社会。1967年に保原クラブが創部されて以降、毎年のように新たな挑戦者が名乗り出、年を追うごとにチーム数は増加の一途を見せます。全国的にクラブチームにも活躍の機会を、と作られたクラブ野球選手権の存在も大きく、1976年には都市対抗野球参加19チーム→1982年には参加24チーム→1992年までには33チームにまで参加チームが増加することとなります。

 1975年に創部されたのはヨークベニマル野球部。戦後創業された紅丸商店が1973年にヨークベニマルと称号を変更した会社が野球部をもち、当初は先達のチームに敗れる場面もありましたが、有力選手が集まり力をつけ始めると、1979年には都市対抗野球本大会初出場。1981年には日本選手権本大会出場。1979年の初出場の際にはスーパーの売り場で働く選手たちの姿が紹介記事に並べられました。

 当時は「新日鐵釜石」「盛岡鉄道」「岩手銀行」と強豪が揃っていた岩手、あるいはNTT東北、日本たばこの宮城県勢と競り合い、1980年代後半には台湾代表選手が加わり87年都市対抗ではベスト8、90年代にはプロ野球にも進出する選手(平松省二、村上真哉)がそろう投手陣の活躍もあり、1994年都市対抗でもベスト8に進出するなど活躍を見せます。

3 ヨークベニマル以外の奮戦、そして99年の終演。

 87年辺りからはヨークベニマル都市対抗の県予選がスーパーシード扱いとなりますが、その間福島の他のチームは指を加えてヨークベニマルの活躍を見ていただけだったのか、といえばそうでありません。

 70年代はオール常盤解散(71年)後を継いだいわきクラブがヨークベニマルを驚かし、1980年日本選手権ではヨークベニマルの県予選初戦敗退(対川俣クラブ)という大波乱の間隙をぬってオール常交クラブが県予選優勝→東北予選も勝ち抜き日本選手権本大会出場。1983年都市対抗県予選では郡山水産クラブが打撃戦の末県大会優勝をもぎ取り、1989年に創部されたクリーニング業同仁社は1992年都市対抗県予選でヨークベニマルを4対3で破り初優勝するなど大きな存在感を見せました。

 が、いわきクラブはオール常磐経験者の野球卒業とともに力を失い、郡山水産ク、同仁社は長い活動には至らず、オール常交は1988年で活動を終えました(オールいわきはその後継)。ヨークベニマルの後に続こうという企業チームは現れないまま、クラブチームの盛況とは別にヨークベニマルの独走状態が続きます。

 1998年晩秋、スーパー事業に集中するため野球部の活動を休止することを発表。翌1999年の都市対抗野球県予選は3試合68得点という爆発力を見せ最後の優勝を飾り東北予選に臨みましたが、最後敗者復活戦(対JAいわて)で「勝利まで1アウト」から満塁本塁打→更に連打を浴び逆転サヨナラの敗戦。劇的な敗戦でヨークベニマルの活動は終わりを告げました。この試合は直接見届けています。

 なお、クラブ野球選手権の部分では第3回大会から福島県単独で全国大会出場枠を得て、1980年には先述のオール常交が全国優勝。1984年には郡山水産クラブが全国ベスト4、1992年には郡山ベースボールクラブが準優勝を果たすなど確かな力量を見せてきました。

4 ベニマル無き後の福島県社会人野球の奮戦。

 ヨークベニマル廃部後、福島県社会人野球はクラブチームの群雄割拠の時代がやってきます。

 2000年代前半に奮戦を見せたのは福島硬友クラブ。1978年チーム創設即都市対抗東北予選進出したチームは、2000年代前半~半ばに上位大会に進出し、2003年はクラブ選手権本大会に出場します。

 かつてのオール常交の流れをくむオールいわきもチーム力をつけ度々上位に進出することに。いわき菊田クラブも強力選手加入で全国大会を経験。須賀川クラブも上位大会に進出するようになり、2008年の日本選手権東北予選では本格強化前ではありますが東北進出は常連になっていた日本製紙石巻に1対0で勝つという快挙を成し遂げています。

 2011年に起きた東日本大震災及び福島原発事故福島県に住む方々の生活に大きい影響を及ぼしました。1992年の在籍33チーム時から縮小傾向を続けてきた福島県社会人野球に2012年新たに加わったのが富士通アイソテックベースボールクラブ。クラブチームであるものの強力な体制を作り、あっという間に福島県トップの座に上り詰めると、2015年にはクラブ野球選手権本大会ベスト4、2017年都市対抗では七十七銀行を破り4位相当の成績を残します。サポート企業だった富士通アイソテックの業績不振により、2021年からはサポート企業がエフコムに移管。コロナ感染拡大により活動を停止して時期もありましたが、福島県トップクラスの実績を残しているチームであ

ることは間違いありません。同時期に創設された郡山イーストジャパンは東北クラブカップ初代優勝チームとなりました。

 主に富士通→エフコムやオールいわきが東北部で戦いを展開している一方で、活動チーム数は減少の一途をたどり、2001年時点では27チームが2023年時点では12チームまで減少する状況に。そういう状況の中新たに活動の場を福島県に見出したのがEKC習志野。当初は他県での登録を目指していましたが諸事情により職場のある福島県での登録に。初めて参加したクラブ選手権大会では全国大会進出。秋の東北連盟会長大会ではクラブの部優勝を成しました。

5 縮小はしているが…新たな活路を見出だしに行く。

 一時期は33チームを数えるほどの野球熱を保っている福島県社会人野球。様々な社会の激動的変化の影響もあり活動でできているチーム数が激減していますが、それでも福島県は一時活動2チームまで縮小した時がありながら大きく威を盛り返し、大きい力を保った時もありました。

 人間社会、移り変わりというのはあり得るものですが潜在的に持っている野球熱を表せる状況になれば再び福島社会人野球が隆盛の位置にいることもできるはずだと期待して、福島の記述を終わらせていただきます。

記事製作日誌(240227ver.)/岩手県連盟会議ありました。

① 社会人野球のシーズン開幕を告げるスポニチ大会まであと2週間もない状況になってきました。例年なら「岩手はまだ雪ですよ~でも野球やるの早いですね」なんて言葉も出てきますが、東北地方にも多くの雪が降らず、野球をしても違和感のない状況です(この一週間は違っていますが)。

 私の記事制作も計画を練り直して4月後半から始まる都市対抗野球予選から逆算して書いていかなきゃならない状態です。今年に入って「社会人野球の記録」と題した記事を出していますが、これにかかれるのは と6週間。それまでに

・山形中間報告

・福島中間報告

島根県の挑戦記

 を書いてシーズン突入、という感じになるでしょうか。前者2記事に関しては制作を進めています。その前に2023年の書き残しは

・一関大会

・クラブ選手権本大会詳細

・2023年岩手のまとめ

 ですか。3月は仕事で“大一番”ありまして、もう24時間管理体制で生活していますが、4月第1週までには計画的に行います。

② 過日、岩手県連盟の会議も開かれ、いよいよシーズンインを思わせる空気となりました。2024年もどういう足跡を刻んでいくか。私は何とかシーズン完走してそれを見届けられるように 心身ともに準備します。

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