MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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社会人野球の記録 「常磐」「清峰」「ベニマル」が活躍した20世紀と、クラブチームが奮戦する21世紀 福島社会人野球。

 「社会人野球の記録」と題して、調べ物の中間報告的記事を記してきました。前回の記事制作日記で記した通り、3月中に山形、福島、島根の3県を書ききって(島根は中間報告じゃないですが)シーズンを迎えようと考えています。前回の記事では山形の方を上に紹介していましたが、制作は福島を先に行うことにします。

1 1969年毎日新聞記事「福島県40年のあゆみ」より。

 福島県社会人野球、昔は常磐炭鉱、清峰伸銅、20世紀後半期にはヨークベニマルが先陣を切って全国にその威を示してきました。1999年にヨークベニマルが活動休止になって以降は、クラブ選手権部分では存在感を見せることもありましたが、全般的には苦戦を強いられています。一時期は33チーム在籍と巨大な勢力をもった福島社会人野球どういう足跡をたどってきたのか、端的に記していくことにします。

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 1969年の毎日新聞福島版では都市対抗野球に参加してから40年を記念した「都市対抗野球物語 福島県40年のあゆみ」という特集が掲載されていました。全11話の概要は以下の通りです。

① 1930年第4回大会の福島県勢初挑戦の裏話。

② 1933年、県予選初開催/福島クラブ(現在休部中)本大会初出場。

③ 加熱する野球熱-1936年県決勝戦没収試合/当時の寛容なルール適用(試合に出ている選手の代走起用など)

④ 戦前後期の福島社会人野球の状況/東洋紡チームの二重登録(ほぼ同メンバーで福島→新潟予選出場)

⑤ 戦争終了、県予選復活の歩み

⑥ 1946年都市対抗野球東北予選・福島誘致裏話(宮城との誘致合戦が加熱し、東北各県持ち回りの原因に)

⑦ 日東紡、今泉産業など繊維産業チーム台頭。“オール福島”巨人・東急連合に大勝/福島社会人野球から日本プロ野球日東紡・八島米雄選手)進出。

⑧ 台頭する常磐炭鉱・日東紡2強時代も…分かれる明暗(+1950年以降、クラブチーム出場が縮小)

⑨ 清峰伸銅の千葉から福島転籍→常磐炭鉱と新福島2強形成

⑩ 「常磐炭鉱」から「オール常盤」に-フラダンスチームの応援活動/清峰伸銅廃部。

⑪福島社会人野球を支えた人

 -という塩梅で記事が書き進められてきました。

 有力チームはそれぞれの産業の波に乗った企業チームが全国単位での活躍も見せていましたが、クラブチームがその実力を発揮する機会を失い、1966年には清峰伸銅の予想外の廃部-一説には「お家騒動の余波」もあり、登録チームがオール常磐と福島クラブの2チームにまで落ち込みました。

2 福島社会人野球の大伸長-ヨークベニマルの全国出場

 硬式社会人チームこそ2チームに落ち込みましたが、野球熱そのものは軟式野球や「市町村対抗県軟式野球大会(当初は全市、現在は全自治体が参加する大会)」が開催されるなど潜在的に強いものを持っていた福島県の野球社会。1967年に保原クラブが創部されて以降、毎年のように新たな挑戦者が名乗り出、年を追うごとにチーム数は増加の一途を見せます。全国的にクラブチームにも活躍の機会を、と作られたクラブ野球選手権の存在も大きく、1976年には都市対抗野球参加19チーム→1982年には参加24チーム→1992年までには33チームにまで参加チームが増加することとなります。

 1975年に創部されたのはヨークベニマル野球部。戦後創業された紅丸商店が1973年にヨークベニマルと称号を変更した会社が野球部をもち、当初は先達のチームに敗れる場面もありましたが、有力選手が集まり力をつけ始めると、1979年には都市対抗野球本大会初出場。1981年には日本選手権本大会出場。1979年の初出場の際にはスーパーの売り場で働く選手たちの姿が紹介記事に並べられました。

 当時は「新日鐵釜石」「盛岡鉄道」「岩手銀行」と強豪が揃っていた岩手、あるいはNTT東北、日本たばこの宮城県勢と競り合い、1980年代後半には台湾代表選手が加わり87年都市対抗ではベスト8、90年代にはプロ野球にも進出する選手(平松省二、村上真哉)がそろう投手陣の活躍もあり、1994年都市対抗でもベスト8に進出するなど活躍を見せます。

3 ヨークベニマル以外の奮戦、そして99年の終演。

 87年辺りからはヨークベニマル都市対抗の県予選がスーパーシード扱いとなりますが、その間福島の他のチームは指を加えてヨークベニマルの活躍を見ていただけだったのか、といえばそうでありません。

 70年代はオール常盤解散(71年)後を継いだいわきクラブがヨークベニマルを驚かし、1980年日本選手権ではヨークベニマルの県予選初戦敗退(対川俣クラブ)という大波乱の間隙をぬってオール常交クラブが県予選優勝→東北予選も勝ち抜き日本選手権本大会出場。1983年都市対抗県予選では郡山水産クラブが打撃戦の末県大会優勝をもぎ取り、1989年に創部されたクリーニング業同仁社は1992年都市対抗県予選でヨークベニマルを4対3で破り初優勝するなど大きな存在感を見せました。

 が、いわきクラブはオール常磐経験者の野球卒業とともに力を失い、郡山水産ク、同仁社は長い活動には至らず、オール常交は1988年で活動を終えました(オールいわきはその後継)。ヨークベニマルの後に続こうという企業チームは現れないまま、クラブチームの盛況とは別にヨークベニマルの独走状態が続きます。

 1998年晩秋、スーパー事業に集中するため野球部の活動を休止することを発表。翌1999年の都市対抗野球県予選は3試合68得点という爆発力を見せ最後の優勝を飾り東北予選に臨みましたが、最後敗者復活戦(対JAいわて)で「勝利まで1アウト」から満塁本塁打→更に連打を浴び逆転サヨナラの敗戦。劇的な敗戦でヨークベニマルの活動は終わりを告げました。この試合は直接見届けています。

 なお、クラブ野球選手権の部分では第3回大会から福島県単独で全国大会出場枠を得て、1980年には先述のオール常交が全国優勝。1984年には郡山水産クラブが全国ベスト4、1992年には郡山ベースボールクラブが準優勝を果たすなど確かな力量を見せてきました。

4 ベニマル無き後の福島県社会人野球の奮戦。

 ヨークベニマル廃部後、福島県社会人野球はクラブチームの群雄割拠の時代がやってきます。

 2000年代前半に奮戦を見せたのは福島硬友クラブ。1978年チーム創設即都市対抗東北予選進出したチームは、2000年代前半~半ばに上位大会に進出し、2003年はクラブ選手権本大会に出場します。

 かつてのオール常交の流れをくむオールいわきもチーム力をつけ度々上位に進出することに。いわき菊田クラブも強力選手加入で全国大会を経験。須賀川クラブも上位大会に進出するようになり、2008年の日本選手権東北予選では本格強化前ではありますが東北進出は常連になっていた日本製紙石巻に1対0で勝つという快挙を成し遂げています。

 2011年に起きた東日本大震災及び福島原発事故福島県に住む方々の生活に大きい影響を及ぼしました。1992年の在籍33チーム時から縮小傾向を続けてきた福島県社会人野球に2012年新たに加わったのが富士通アイソテックベースボールクラブ。クラブチームであるものの強力な体制を作り、あっという間に福島県トップの座に上り詰めると、2015年にはクラブ野球選手権本大会ベスト4、2017年都市対抗では七十七銀行を破り4位相当の成績を残します。サポート企業だった富士通アイソテックの業績不振により、2021年からはサポート企業がエフコムに移管。コロナ感染拡大により活動を停止して時期もありましたが、福島県トップクラスの実績を残しているチームであ

ることは間違いありません。同時期に創設された郡山イーストジャパンは東北クラブカップ初代優勝チームとなりました。

 主に富士通→エフコムやオールいわきが東北部で戦いを展開している一方で、活動チーム数は減少の一途をたどり、2001年時点では27チームが2023年時点では12チームまで減少する状況に。そういう状況の中新たに活動の場を福島県に見出したのがEKC習志野。当初は他県での登録を目指していましたが諸事情により職場のある福島県での登録に。初めて参加したクラブ選手権大会では全国大会進出。秋の東北連盟会長大会ではクラブの部優勝を成しました。

5 縮小はしているが…新たな活路を見出だしに行く。

 一時期は33チームを数えるほどの野球熱を保っている福島県社会人野球。様々な社会の激動的変化の影響もあり活動でできているチーム数が激減していますが、それでも福島県は一時活動2チームまで縮小した時がありながら大きく威を盛り返し、大きい力を保った時もありました。

 人間社会、移り変わりというのはあり得るものですが潜在的に持っている野球熱を表せる状況になれば再び福島社会人野球が隆盛の位置にいることもできるはずだと期待して、福島の記述を終わらせていただきます。

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