MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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ダウン。早く気づいたのだけ救い。

 ここ10日あまりの野球調査で古い新聞についていた埃が影響したか抵抗力失い、昨日夕方から変調、いまは風邪の症状起こし最低限の所用すらできなくなりました。そこへダメ押すように母の検査入院。皆様、季節の変わり目なので気をつけてください。

【2ブログ共通】2018伊東旅日記(4)&2019旅日記(1)。今後の目標。

 今晩は。先週は一週間青森などに行きまして、いまは「身体循環の悪化」などの影響を抜いているところです。

1)今回は秋田より北から小坂ジャンクション、弘前から青森バイパス西口までははじめて通ります。申し訳ない話、秋田→能代→小坂の距離感はなめて考えていました。急に思い立って小坂からギューっと行きましたが考えが甘かった。秋田→弘前まで高速を使うはめになりました。

 今までは高速道を使うことは多くありませんでしたが、どうにも時間が早く過ぎ去るような感じを受けて、昨夏の東京行きも宇都宮→大田(あとは国道一本で所沢に)、帰りの仙台泉→岩手と使わざるを得ない状態に。今後はそこを頭に入れての利用を考えないと…と思わされました。

2)去年秋の東京行きでは、97年以来、同様の行程では行きか帰りどっちかは立ち寄ったローソン白石インター店が閉店することを知りました。20うん年経ているから、盛者必衰はあるのでしょうが、ポイントとしていた箇所がなくなるのは寂しいものが。今回青森行きでも十和田のオートスナックが変貌していたのには「時の流れ、か…」とため息つかざるを得ませんでした。

 そんでも栃木県那須塩原市の古本屋は、趣こそ変わらないものの健在だったことに胸をなでおろす自分がいました。

3)今後の目標

 去年の行程では北関東の親戚に集まってもらって交遊あたためられたことが何よりでした。平気でブンブン歩く身ですが、岩手と北関東はやはり遠いです。対応していただいた親戚に感謝申し上げます。

 次の目標…ですか。まずは、野球で遠距離遠征行ける大会進出を目指すのが第一ですが、万が一果たせなかった場合は

1)(岩手県)大船渡から(岐阜県下呂市金山)大船渡に

2)青森県下北半島めぐり

 を考えています。

 ここまでの駄弁りおつきあいいただきありがとうございました。

4泊5日の秋田・青森社会人野球探索旅行終了しました。シーズン開始までには他の主題とともにまとめに入ります。

 金曜日の早朝から秋田→青森と回って両県の社会人野球の歴史を探索する旅に出ていました。両県立図書館に行き、青森では4日間新聞とにらめっこでした。

 秋田は同県連盟が1980年周辺、2010年周辺に冊子を出していて、それを基に各チームの動向を追う形でA4用紙2枚のメモ。そして…青森はコピーを約300枚、メモをA4用紙約30枚。一世紀に近い記録をたったの4日で追いかけるのも簡単な作業じゃありません。毎日11時に図書館に入り、ノンストップで19時まで新聞を見てコピーして、日によって寝る箇所がネットカフェになったり格安のビジネスホテルになったりしましたが、どっちみち俺には窮屈なのでスーパー銭湯で風呂入って休憩所の片隅で作戦会議→食事とる→宿では寝るだけ、という日程をずったり繰り返していました。

 「いつもの車中泊は?」…さすがに今回の行程ではやりませんよ。死にますわ。ただ、一番危なかったのは帰宅時の五戸〜岩手町間の道路でしたけどね。ガチガチに凍っていたから。気温もマイナス7℃(一戸・小鳥谷)。「挙がり」2マスくらい前にあるトラップみたいなもんですね。

 今回は秋田については急に思い立ったもので…大館から秋田は思ったより遠く、高速もいつになく本格利用して、秋田→弘前と使いました。このあとは様々用事入るので今回の行程で詰めこんでの行動となりました。ある程度まとまり次第何らかの形でブログにアップします。

 おつきあいいただきありがとうございました。

調べもので秋田・青森に。1925年から2019年―社会人野球の歴史を調べての雑感。

 今日は。4泊5日で野球の調べものついでに北東北を回ろうと行動していまして、現在青森県に入っています。青森県内には3日ばかりお世話になる予定。見かけたらどうぞ雪玉を(違)

 今回は目的あっての行動で、「もうひとつの主題」の部分は回路を切っていますが、皮肉にもそーいう時に限って「見えるもの」があるものです。♪探し物は何ですか〜の「夢の中へ」の歌詞が真に突き当たります。様々思うことがありますが、とりあえず「行動」に集中させてください。

(ここまで2媒体共通)

 金、土午前は秋田。秋田県連盟独自の資料の存在もあり「どういう系譜で秋田の社会人野球は紡がれてきたか」を知ることができましたが、午後から入った青森に関しては、ほかの北東北2県とは違った様相もあったりします。野球熱の高さは変わらないけど、経過のずれが大きな断層につながった様子(具体的に言うと硬式社会人が青森林友1チーム体制約5年→6年間青森にチーム不在)も知りました。

 JABAのホームページには焼津と徳島の新チームも。野茂さんや萩原欽一さんの行動を期にしたクラブチーム結成ラッシュから10数年、この間の長短取り入れたチームづくりもされているようです。今回の調べもので知った先達の行動がいまに結ぶ様子を実感するものです。

 おつきあいいただきありがとうございました。

190220記事製作日記。

 今日は。「社会人野球回顧」の記事も1996〜2000年と記して来ましたがひとまずはここまでです。残りは2001〜2004年ですが、準備も必要なので(土下座)こちらは3月中までの完成目指します。

 現在の図書館調査テーマは

1)福島県都市対抗・日本選手権試合結果本格化

2)都市対抗未出場県の山梨、福井、島根、宮崎並びに空白度合いの多かった奈良、鳥取、環境に違いがあった沖縄の調査。

3)予選開催時の「予選日程」複写。

 …まー、全部複写しきってからテーマごとに、とした方が図書館の方の負担がなくていいのですが、調べる時間と労力の当方側の都合もありまして。まさか拡大鏡ハズキルーペに非ず)使うことになるとは思いませんでした。3)をとったのは他のテーマが調べやすくなるから。シーズンインすれば余裕はなくなるので4月当初まで調べられるだけ調べます。

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 一方、完成を優先するのは高校野球。最初は「高校ごと」でつくろうと思いましたが、不都合が起きまして(←能力のなさをこの言葉でごまかすな)試合ごとの記述にします。現在写真の選定は終了。雨天でスコアがつけられなかった大船渡東―盛岡商の記述に難儀していますが、あとは記事に仕上げる、という段階です。最近は卒業式を二月中に済ます所も多くなったので、その部分感覚のズレに戸惑っていますがなんとか2月中にアップ―余裕あれば連日、なければ一気に―できるように努めます。

 雪じゃなく雨が降っている岩手内陸部ですが、皆様のところはいかがですか。お気をつけてお過ごしください。

2000年社会人野球―強豪と戦う舞台までは上がるもののそこで突きつけられた「差」。週7勤務の中の野球とのつきあい。

1.「いま有るベスト」で奮闘も、伸長・宮城建設に打ち砕かれる都市対抗までの戦い。

 前年までの数年間大きな成長を見せていた赤崎野球クラブですが、その原動力の山本淳一君が手術でこの年は登板不可能になり、チームを長年支えてきたベテランの先輩が次の道に歩むなど変化も起こり始めたシーズン。4月下旬に行われた大槌ロータリー大会は初戦に釜石野球団と当たり、終盤3イニング12失点を重ね1対16の大敗を喫したところからスタートしました。ちなみにこの大会の優勝チームは高田クラブ。金野潤也君(大震災で夭逝)がデビューした大会でした。

 5月半ばに行われた都市対抗野球岩手クラブ予選。赤崎クは二回戦からの登場となり、一戸桜陵クと対戦。JAいわてで4番を打った小守さんを筆頭に打力のあるチームでしたが、投手陣は主力投手の入れ替わりの時期に入っていた状態で打撃戦が予想されました。この日の先発は右アンダーの大畑悟君で、二、三回には攻略も受けましたが、赤崎クは四回に集中打を浴びせて一気に7点、以降も追加点をあげ、終わってみれば19−4のコールドゲームで勝利しました。

 県本予選進出戦の対戦相手は大槌球友から衣替えをした大槌倶楽部。二回戦・盛岡市立ク戦(現在活動停止、一部メンバーは盛岡桜窓クに)では終盤に逆転して勝ち上がってきたチームでしたが、経験値で上回る赤崎クは新生大槌を相手に先手をとり、佐藤琢哉君と木下清吾さんの本塁打。その後も小刻みに加点をし、投げては高橋俊裕さんが大槌打線を1点に抑え県本予選進出を決めました。

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二試合とも会場は胆沢町営球場で行われました。

 岩手県営球場で行われる県本予選、一回戦は宮城建設。この時期は北東北大学野球リーグの有望選手を次々に加え上位進出を目標にし始めた時期で、特に99年に入社した高橋優禎、藤村哲夫(二人は青森大出)鈴木敦則(秋田経法大出)各選手が強力な攻撃陣の形成に寄与。赤崎ク先発の大畑君、リリーフした高橋さん合わせて18失点をくらい、打線も宮城建設の投手陣をとらえることができず七回コールド、0−18で破れました。破れてなお向上心を失わない赤崎クメンバーですが、この日の大敗は応えたようでした。

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2.苦杯は喫しても歩みは止めず―クラブ選、毎日旗の戦い。

 前年の夏から大船渡で5日、北上市で2日勤務するという日程を過ごし、更に大船渡農業高校野球部にも関わっていた身としては社会人野球に集中しきることができず、この後行われた公式戦に満足に協力することができませんでした。当時の新聞などを基に記していきます。

 クラブ野球選手権では宮高倶楽部に14-6、盛岡市立クラブに12-8と打ち勝ってきましたが、久慈クラブには4-5であと一歩届かず敗戦。毎日旗秋季野球大会では花巻硬友倶に17-1で勝ち、オール江刺にも13-0で勝ち準決勝に進出しましたが、再び対戦した久慈クラブには2-15と差をつけられて敗れました。エースが離脱という苦しい展開でしたが、その中でも地力はしっかり築き、強豪(当時は駒形、久慈、釜石、一関で4強、という見立てをしていました)チームには差をつけられることがあっても、それ以外の試合は粘って勝てるようになったことが一番の収穫と考えます。

3.岩手社会人野球全国への道

 都市対抗野球県予選では、前年まで東北大会に進出していたJAいわてが久慈クに敗戦、一関三星倶は指名打者に入っていた選手が球場にたどり着けず没収試合となる状況に。様々な波乱が起こった大会ですが県大会優勝は太平洋セメント(2回目)。準決勝で宮城建設を破った水沢駒形倶が準優勝。第三代表決定戦は「久慈市代表決定戦」となり、宮城建設が久慈クラブを下し東北大会に進出。しかし東北大会では駒形がクラブチーム化したNTT宮城クラブに勝ったほかは軒並み辛酸を舐めさせられ、最後は太平洋セメント自衛隊青森に、水沢駒形倶楽部が三菱製紙八戸に1点届かず東京ドームへの挑戦は終わりました。

 日本選手権予選では太平洋、宮城建設に県予選で第3代表になったJAいわてが東北の舞台に挑みましたが、いずれも宮城のチームに大差をつけられて敗退。クラブ野球選手権は水沢駒形、久慈ク、高田クが東北大会に挑み、水沢駒形、久慈クは全国出場。高田クは新庄球友にあと2点届きませんでした。全国大会では駒形、久慈両チームとも1勝はあげましたが、駒形は伊勢崎に、久慈は全足利に敗れ全国制覇まで届きませんでした。なお、北上市長旗大会で前所属の佐藤組北上球友が、準決勝で岩手大学に23-16で勝つと、決勝で水沢駒形に12-10と打ち勝ち、1984年クラブ選岩手予選以来の大会優勝を決めました。

4.より強く感じさせられた「続けることの大変さ」。

 この歳は年始めに東北住電装が、年度末には事業改編の影響で岩手東芝、更に会社のリストラの関係でアイワ岩手が活動休止というニュースも。様々な意味で野球を続けるということ自体の難しさを考えさせられる一年となりました。

 先にも少々述べましたが、99年の途中から週7日、しかも働く場所を変えて仕事をするという、今から考えてみれば無茶苦茶なことをしています。それでも野球から完全に切れるということは考えずに、条件の許す限大会に帯同し続けその軌跡を直に見てきました。この時期に辞めなかったことが2018年現在続ける力になりましたし、見放さないでくれた赤崎クメンバーの皆様の厚意に感謝申し上げるものです。

1999年社会人野球―赤崎ク、成長路線一時停止も強化を模索/都市対抗東北予選を見て意識しはじめた「広い世界」。

 一つの手応えをつかんで勝ち進んだ1998年でしたが、この年は苦難・苦戦を強いられた一年でした。

1.つかんでいたはずの手応えと、壊された礎。

 春に行われた大槌ロータリー大会は一回戦で久慈クラブに1―2と敗戦。仕事の事情で帯同できないのが残念でした。仕事が一段落した五月開催の都市対抗野球からようやく野球を手伝えるように。この年は第70回の記念大会となり、トーナメントもクラブ予選なしの全チーム一同に介する形態で行われました。このような形態になると序盤で強豪チームに当たるということもありえ、実際赤崎野球クは一回戦で水沢駒形倶と対戦することに。98年のクラブ野球選手権でベスト4。都市対抗でも96年に山形しあわせ銀行(現・きらやか銀行)、97年にはJR東北を破った力のあるチーム。特に当時主戦を張っていた新田忠正、小野寺淳両左腕投手の存在には手強いものがありした。しかし新田投手からノーヒットで2点を奪い、さらに終盤大船渡工業高校出身の先輩の奮闘でさらに2点を追加。赤崎ク先発の山本君も2点は取られたものの強豪水沢駒形を振り切りました。

 続く遠野クラブ戦では太平洋セメントから移籍してきた志田欣之君が硬さから立ち上がりを突かれたものの、その後リリーフした山本君が試合を作り直し、終盤突き放して準々決勝進出、太平洋セメントとの代表決定戦―言い換えれば大船渡市代表決定戦に臨みました。前年、JAいわてと接戦を演じていることから「今回こそ接戦を越えて東北大会進出を」との意気込みで臨み、三回終了までで1-0。しかし四回に2点を追加されたところで山本君に異変が起きました。明らかにどこかを故障したような状態で降板。急遽リリーフした高橋俊裕さん、大畑君も持ちこたえられず、打線も同時最盛期の平田大輔投手を打てず、散発5安打、0-10の七回コールドで敗戦、東北大会進出を絶たれました。 

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この年からユニフォームを青の縦じまから現在のデザインに変更して臨んでいました。当時の写真はなく、参考として14年都市対抗時の写真を載せます。

2.都市対抗東北予選岩手開催―東北強豪の凄さとヨークベニマル野球部の最期。

 この年は岩手県から4チームが東北大会に出場できるということで、準々決勝に勝った太平洋セメント、宮城建設、JAいわて、一関三星倶が東北大会進出。一関三星がJAいわてを破る番狂わせを演じ、太平洋セメントは宮城建設との激しい乱打戦を制し、決勝戦で平田投手が再び2安打完封の好投。太平洋セメントがついに県予選初優勝。

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私の手書きの部分があったので、そこはそのままにしました。二回戦の右側4試合は雨で試合開始が遅れ、第4試合は風も吹き、5月とは思えない寒さの中夜11時まで試合をしていたのを覚えています。

 岩手で開催された東北予選大会、開幕試合で宮城建設が優勝候補のJT(04年活動停止)を、JAいわてが福島の強豪ヨークベニマルを相手に九回4点差を逆転、6-5でサヨナラ勝ちを収めるなど見せ所を作ったりもしましたが、残念ながら岩手県4チームはJAいわてが第3代表決定トーナメント一回戦に進出したのが最高で代表権にはあと一歩届きませんでした。

 岩手県開催ということで私は三日間休みを取り、多くの東北レベルの強豪チームを見て回りました。その資料は紛失してしまったので思い出すのも一苦労ですが…印象深かったのが先ほど述べたJAいわて−ヨークベニマル。八回まで5-1でベニマルがリードしていたのですが、九回裏ツーアウト満塁から鈴木淳さんが同点に追いつく満塁ホームラン。気落ちしたヨークベニマルからさらに連打を重ね佐藤さんのサヨナラタイムリーで大逆転サヨナラでJAが勝ったという試合でした。

 試合が終わった後ヨークベニマルの応援団長と話をし、「この都市対抗で活動を終えることになります。応援ありがとうございました」と寂しそうに語っていたのが、今でも耳から離れません。前年の秋田の東北予選にも1日見に行きましたが、この年はJT、JR東北、NTT東北(こちらも企業チームとしてはこの年で活動終了)、七十七銀行といった東北レベル、宮城のチームの強さというのも見せつけられました。この9試合の見学を忘れられず、いつか赤崎クもこの舞台にと思いましたが、この時点では「遠い話」としか思っていませんでした。

3.エースの離脱―それでも「いるメンバーが踏ん張る」で毎日旗クラブ準優勝!

 赤崎野球クラブは山本君が故障起こし、残る投手陣で大会に挑みました。クラブ野球選手権では初戦に釜石野球団とあたる組み合わせに。釜石の強力打線に攻勢を食らい、6-13で敗戦。しかし8月後半に行われた毎日旗秋季大会では高橋さんの粘投で久慈クラブに7-5で勝つと、三回戦で住田硬式クに10-0(志田永二さんが完封)、準決勝では大畑君が高田クラブに7-2と同じ気仙勢を破り決勝進出。しかし決勝では釜石野球団に八回の5失点が響き5-10で敗れ残念ながら東北大会進出はなりませんでしたが準優勝に。毎日旗大会は仕事もあり帯同することができず、野球の方に時間を割くことができませんでした。

4.岩手勢全国の道−駒形倶、クラブ選4強。

 クラブ野球選手権の東北予選の形式がこの年から変更になり、これまで岩手、宮城、福島各県は全国大会進出枠1、青森、秋田、山形3県で同枠1でしたが、東北全体で代表3枠、各県予選を勝ち抜いたチームが東北二次予選大会を行って決める形式になりました。新形式の東北予選は山形で行われ、岩手代表の水沢駒形倶、久慈クラブ両チームは決勝戦進出。東北代表3枠のうち2つを岩手県代表で占めました。全国大会は久慈クが東京・WIEN94(現・WIENZ)に2-4で惜敗。水沢駒形倶は埼玉・かみかわ野球クに11-4で勝ちましたが、準決勝ではこの年優勝した全伊勢崎硬建クラブに2-4で敗戦という結果となりました。

 秋に行われた日本選手権では佐藤組北上球友が23-19という打撃戦を制して若きJR盛岡を破ったという試合もありましたが、東北予選には宮城建設、JAいわて、太平洋セメントが出場。太平洋は秋田銀行と競った試合をしましたが、JAはJR東北に、宮城建設は日本製紙石巻に敗れ、戦いを終えました。  

5.今だから語れる「週7日勤務」。それでもやめなかった野球。

  もう20年経ちますのではじめて白状しますが、この年の途中から週に2回ほど、北上時代に在籍していたコンビニに勤務しています。週に5日大船渡で働き、週に2日北上に移動してコンビニで働く―今から考えれば、とんでもない日程で仕事をしていたものです。その中で野球に時間を割くというのも簡単ではなく、その中で信頼関係を構築し続けるのも大変でした。周りのメンバーの皆さんにも支えられてこの時期で折れなくて良かったなというふうに今では思うものです。

1998年社会人野球-赤崎野球クラブに“移籍”。都市対抗クラブ予選、対JAいわてとの激闘、そして岩手県外の視点も見始めた一年でした。

1.赤崎野球クに“見習い”帯同開始。都市対抗クラブ予選の激闘。

 1998年。私は前年まで在籍していた佐藤組北上球友から赤崎野球クラブに移籍。赤崎クは大船渡オールスターという性格を持ち、入部したいと言えば入部できるチームではないので、当面チームに見習いという形で帯同することになります。職場も変わったばかりで、4月に行われた岩手県知事旗大会、大槌ロータリーカップ大会は部分的にしか行くことができませんでした。(結果は県知事大会は初戦でJR盛岡に敗退、大槌大会は3試合勝ち抜き決勝戦に進出。釜石野球団に敗戦)

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この住田球場の写真は2010年改装時。それ以前は緑の金網に現代基準から比べると狭い広さのグラウンドでした。

 5月半ばから気仙地区の野球場を会場にして都市対抗野球の県クラブ予選が開催。赤崎野球クは初日の一回戦、住田町営球場で行われた北上ベースボール倶楽部(94年結成、99年活動停止)と対戦。中盤までは接戦でしたが、五回に集中打で突き放し、佐藤琢哉、鎌田仁両選手のホームランで14-5、七回コールドで破りました。ニ回戦は高田松原第一球場で盛友クラブ戦。この日の先発は大畑悟君で、投手としては右アンダースローからの直球を武器に奮闘していましたが、本人曰く「調子いいとか言っているとボールが高めに入ってしまうことがある」と語っていましたが、二回に攻略を受け、三回から山本淳一君がリリーフし好投。盛友の“盛大附変革期を支えたエース”“変幻自在投手”小田嶋雅浩さんともに終盤まで息をつかせぬ投手戦を繰り広げましたが、九回に佐藤君の一発で突き放し代表決定戦に進出しました。

 代表決定戦は再び住田球場で宮高倶楽部と対戦。宮高倶の吉浜、赤崎クの山本両投手の投げ合いででスコアボードには0が並びます。赤崎は九回、サヨナラのピンチを迎えたものの切り抜け、延長十回、佐藤琢哉君の3試合連続のホームランで2点を先制。その裏の宮高倶の反撃を1点に抑え、2年連続4度目の本予選大会進出を決めました。なお、この予選で大船渡農業の後輩でオール江刺に加わっていた千葉康文投手がデビュー戦初勝利を挙げています。

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2.“雲の上”JAいわてに肉薄!都市対抗県予選。

 約10日後に開幕した県本予選大会。一回戦は同じ沿岸のライバル釜石野球団と対戦。ナイトゲームで行われた試合は赤崎クラブ山本、釜石野球団瀬戸の投手戦となり3−2で接戦を勝ち抜いた赤崎クがベスト8に進出。準々決勝の対戦相手は前年都市対抗野球東北予選であと2勝(第三代表トーナメント二回戦)までと迫ったJAいわて。95年に補強選手として東京ドームに出場している佐竹投手をはじめ経験豊富な選手が揃い、そつのないチーム。赤崎クは2試合連続先発の山本、JAいわては左のエース細越両投手が先発でプレイボール。

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 大方の予想ではJA優勢という見方でしたが、赤崎は初回2点を先制。三回にはチャンスから後4番打者の木下清吾さんが細越さんのカーブをとらえ3点ホームランを放ち、5−1で大量リードを奪いました。

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 予想外の展開にJAはリリーフに佐竹さんを投入。山本君との投手戦となりましたがJAはねちっこい攻めでじわじわと差を詰め、9回にとうとう勝ち越しを許してしまいました。赤崎クラブは中盤から佐竹さんを打ち崩すことはできず5−6で惜敗も、JAが相手だろうが対抗できるということを示した試合となりました。

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 なお県予選はJAいわてがこの後2試合接戦を勝ち抜いて優勝。秩父小野田が佐々木宏也さんのサヨナラホームランで東北予選進出を決め準優勝。第3代表決定戦では2年ぶりの東北進出を狙ったアイワ岩手を宮城建設が破り、東北進出3チームが決定。秋田で行われた東北予選では秩父小野田が他県チームから2勝を挙げましたがドーム進出の争いには加わることができませんでした。

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3.それでもまだ感じさせられた“壁”/女子野球選手の先駆けをこの目で。

 都市対抗ベスト8の接戦を経験にしてこの後の大会上位進出狙った赤崎クでしたが、この後7月に行われたクラブ野球選手権岩手県予選では花巻硬友倶楽部に6-3で勝ったものの、一関三星倶(現・一関BBC)にに1-8で敗れ、一関市長旗大会では茨城県大宮クラブに3-13で敗戦。毎日旗争奪秋季大会では古巣の佐藤組北上球友と対戦。打撃戦となり12-10で勝ちましたが、この大会帯同できたのはこの日だけで、次の日以降に行われた試合は対盛友クラブ17-7、準決勝の久慈クラブに2-5で敗退。まだまだ越えなければならない壁があると思わされました。

 この年はクラブ野球選手権の本大会が岩手県開催。開催県枠で水沢駒形が推薦出場、県予選を勝ち抜いた久慈クラブとともに本大会に挑み、久慈クは全伊勢崎硬建クに1-2で惜敗、水沢駒形は北信越代表のケンタッキーサンダース(現・野田サンダース)に14-4、東京の熊球クラブ(現・エスプライド鉄腕ク)に9-5と勝ち、準決勝では前年まで企業チーム・ヤオハンジャパンとして活動していたアムウェイレッドソックスと対戦して2-10で敗れましたが、ベスト4進出を果たしました。アムウェイレッドソックスは圧倒的な強さを発揮してこの大会優勝。私自身一試合でも見に行ければと思いましたが残念ながら決勝戦の9回を見ただけに終わりました。アムウェイレッドソックスには後に女子野球の一時代を支えた松本彩乃さんが在籍。最後の打者は松本さんが打球を処理した記憶があります。

4.帰郷した大船渡。どれも、これも「ステップアップの段階」。

 この年から故郷大船渡に戻り、赤崎野球クに帯同し活動することに。近い年代の選手たちとは知り合いでしたが、チームとしての信頼を得るにはまだまだ足りないものが多すぎて学ばなければならないことはたくさんありました。当時は企業チームも多く、クラブチームも水沢駒形倶、久慈クラブ、一関三星倶、釜石野球団といったチームが上位を形成。赤崎クはこのチームを追いかけるというポジションにいました。90年代前半に入部した選手が経験を積み、上位チーム激しく猛追し、都市対抗ではベスト8を見せたことが、この後のステップアップにつながったものと思います。

記事製作日誌。今月末にかけて「社会人野球と伊東の歩み」を96〜00年分。来週は「2018高校野球」を掲載できるよう準備しています。

 昨日から朝になったらポツラポツラ新着記事が現れていますが、以前述べていた「私の人生の歩みと重ねた社会人野球史」。今回は96〜00年を出せるようになったので明後日あたりまでポロポロとアップ。また、高校生の卒業シーズンにあわせて昨夏の高校野球記事もただいま鋭意制作中。完成したら社会人野球同様数日かけてアップできるように努めます。

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