MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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クラブ野球選手権東北予選 伊東応援活動記―「俺はもう立てない」を乗り越えて(後編)【2023社会人野球】

5 7月29日 東北マークスとの試合に向けて
 
 前日のハードスケジュール、激戦を展開し終わったら夕方6時。いつも通り車中泊を目論見ましたが、この猛暑の中での車中泊は命に関わると判断され、宿を取ることとなります。さすがに無事に生きて帰ってこそ社会人野球。前日からの激務でヘトヘトだった私、夕食を取った後はぐったりと眠り込んでいたようです。当初は応援BGMの再整備をしようと目論見ましたが無理でした。f:id:b-itoh1975:20230817195938j:image
 7月29日、大会2日目。敗者復活戦は岩木山麓の岩木山総合運動公園で行われることとなり、朝8時半に球場集合。朝7時には宿を出発することに。無事起きれる心配しましたが、そこは日頃の鍛練?が効いてシャキッと起き、国道7号線沿いは弘前の近くで事故も起きたりして渋滞にも遇いましたが、街中に入ってからは運よく渋滞回避ルートに乗って8時半に運動公園に着くことができました。
 この日は前日に増して―前日は曇天模様でしたが、この日は真っ青な青空。山麓にあるから少しは涼しくなってくれるかなと思いましたが、そんなことは全くなくギラギラづう日差しがグラウンドに。到着後、マネージャー、監督と打ち合わせ。昨日の第2試合後半のように変調が起きた時には応援活動をストップすることを指示されました。f:id:b-itoh1975:20230817200010j:image
 東北マークス。
 NTT東北野球部を前身に持ちます。2000年、NTT野球部は全国10チームを東西2つのシンボルチームに統合。各地方チームも継続を模索しましたが、旗をたたむチームの方が多くなり、継続して活動しているのは現東北マークスの東北、現信越野球クラブの信越ぐらいです(松山フェニックスはNTT四国をたたんだ後新規チームとして設立)。
 NTT東北時代からの応援スタッフの方がいるかなと思いましたが、今は別な方が応援活動を受け持っています。今回大会では楽曲披露はするけどコールリーダーをする人は置いていなかったようで、そこら辺の事情もわからないまま挨拶にうかがい、結果としてエール交換を付き合わせてしまったことに申し訳ない思いになりました。ほんでも、いざその場になれば即興でやったとは思えない、しっかりビリビリ来るコールをするあたりは「さすが」です。
 ここら辺の「やってやる」っていう意欲の強さですか、それが気風として根付いている。前日こそ苦杯は強いられたものの、やっぱり東北クラブ界隈では図抜けたチームだ、というのを思わされました。
 
6 東北マークスとの戦い…
   「これでもか」と見せつけられた実力差と
     「今の精一杯」の発露。
 
 10時にプレイボール。
 赤崎は前日頭部死球を受けて心配された主戦投手が先発のマウンドに立ちましたが制球に苦しみ、それをまとめようとしたところを容赦なく痛打される。言葉にすれば簡単ですが、要は失態があったら見逃さない、という厳しい攻撃力を見せつけられ初回7失点。ある程度こらえていけば勝機も見えるんじゃないかと思っていた赤崎陣営にとっては大きなダメージとなりました。赤崎も三回に2点を返しますが、ほぼ毎回のように失点を食らい、五回を終わって2対14と大差をつけられてしまいます。
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 応援活動でも一つアクシデントが。昨日の変調は繰り返すまいとできることはしてきたつもりですが、連日の猛暑に機械が耐えきれなくなってしまいました。ハンドマイクは3台用意。今年新調したハンドマイクは私の声出し用に使い、BGMを流すのはこれまで10年使ってきた機体にボイスレコーダーから音声を出していましたが、四回表の攻撃の時にその機械がうんともすんとも言わなくなりました。オーバーヒートを起こし、代わりのハンドマイクを用意しましたが、このイニングは応援活動ができずに終了。日傘か何かを用意するなど防御策用意できれば、と悔いを残しました。
 六回裏に前日リバース戦で後半3イニングを投げた投手が登板しましたが2失点、キャプテンも体調不調を起こし交代するなど、スコアも体力も満身創痍で迎えた七回、全国を知るベテラン選手が安打→カムバック投手が打線のつなぎ役として―実は今年の都市対抗、無理に野手として試合に出場させた時もつなぎ役がハマっていた―進塁打を放って得点圏に→チームを支えているバランサーがセンター前にタイムリーを放ち3点目をあげましたが、後続続かず、3対16で敗退、という結果となりました。
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 最終回の1点。
 傍から見れば「焼け石に水」の1点なのかもしれませんが、あれだけマークスのいいようなプレイが続き、ネガティブな思いすら抱いた中で、それでもやられっぱなしで終わらなかったことを証明する1点をあげたのは決して無駄にはならないと考えます。
 
7 試合が終わった後
 
 試合が終わった後のミーティングで、選手が感想を語り合っていました。一つ一つ物事を経験していくこと、その経験を一過性のものにしないで積み重ねること、時代による変化も出てくるし、社会人ですから色々な変化・異動はありえますが、有る環境のなかで野球に対して真剣に取り組むというチーム文化を形成する、と。そういう立ち居振る舞いができれば今日の負けも次につながるものだと思いながら、選手の模様を眺めていました。
 私も年齢だけはいっちょ前に上から数えた方が早い順番となりましたが、精神的年齢で言えば下から数えた方が一番早い存在です。俺も足りないことはまだまだあることを思い知らされる貴重な経験を得て、赤崎野球クラブのクラブ野球選手権の戦いは幕を閉じました。
 実は、日焼けの対処策が甘かったのか、脚部の火傷がひどく、青森県立図書館に寄ってから帰ろうと予定していましたが、それどころじゃなくなってしまいました。木陰で痛みが収まるのを待って、日が暮れた後高速も利用して自宅に帰りました。
 以前、交流もたせていただいた鶴岡野球クラブさんが同じ会場で試合をしていましたが、試合に集中するあまり挨拶に向かうことができませんでした。義理を欠いた格好になって申し訳ありませんでした。
 
エピローグ 「己に頼む」クラブ野球、
   次を目指してまた歩む。
 
 翌日。
 野球の予選敗退を職場に報告したら「すぐ仕事を進めよう」ということになり、職場に出ていました。仕事をしながら時々一球速報ページを覗き見し、マークスとリバースが全国大会に出場を決めたこと、水沢駒形がEKC習志野を超えて東北王者を取り戻した様子を確認。「できれば現地で見てみたかった」という思いがありますが、仕事を先送りにもできなくて、それに体もダメージを負ったから帰宅で正解でした。
 本文にも書きますが、東北連盟のショウアップは見事なものがありました。YouTubeライブ中継をされ、自分たちのプレイが記録されていましたし、土、日曜日には攻守交代時のオルガンがついたり、グラウンド整備中にお楽しみ抽選があったり、Eスポーツ体験会が行われていたり…自分たちレベルの野球でも、「自分に頼んで」盛り上がることはできる、いうのを感じさせられました。
 今大会参加10チームのうち、楽曲応援を行っていたのはアレッズ、駒形、マークス、鶴岡、赤崎。他の形式で行なっていたリバース、EKC習志野と各チームの応援団の人たちの熱意というのも目の当たりにしました。ご覧になっていた方からは「これじゃまるで都市対抗だ」という声も。
 やっぱりクラブチームというのは…野球全体に言えることかもしれませんが、盛り上げるのも、熱意を持つのも「自分に頼んで行うもの」だ、というのを改めて思った次第です。その熱意をぶつけ合う場にいることができたこの2日間というのは本当に夢心地でした。
 文頭に書いた通り、一度はもう野球の場に立つのも諦め、折れかけた人間でしたけど、引き続き野球の場に立つことができてよかった。次の欲ってのも出てはきますが、まずは1つ1つ目の前のことに誠実に取り組んで、次の機会を作っていければと思っております。この大会に関わられた皆様、そしてチームの一人として扱っていただいている赤崎野球クラブ皆様には厚くお礼を申し上げます。
 長い長い一文でしたがおつきあいいただきありがとうございました。

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