MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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赤崎準V、優勝は釜石―8月21日開催三陸沿岸大会二日目結果【2022社会人野球】

 日が暮れるのも早くなってきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 この項では、8月21日に行われたJABA三陸沿岸クラブ野球大会の結果を記していきます。本来なら8月中に記するべきでしたが、様々な日程・行動があり実行できないでいました。赤崎野球クラブの試合部分はイニングスコアもつけてお伝えします。

▽準決勝 釜石野球団 12―5 住田硬式ク
 試合の流れ全体を掌握した釜石が、勢いをつけてこの日に臨んできた住田をコールドで打ち破り決勝に進出した。住田は三回に1点、五回に2点返すなど追いすがったが、釜石の五回5点が大きく響いた。
▽準決勝
 盛岡球友倶 1=00001000
 赤崎野球ク 9=11030103
 先手を取ったのは赤崎。初回に四番打者のタイムリー、二回は一番捕手のタイムリーで先手。四回には副主将とベテランのタイムリーで点差をつける。盛球は五回に敵失で、八回にも相手投手の制球難につけこみ1点をあげるが、急遽リリーフしたベテラン投手に抑えられ、その裏に3安打2暴投で3点あげコールド。赤崎が大会初の決勝進出。
▽決勝戦
赤崎野球ク 6=000010320
釜石野球団 7=10000024A
 連覇を狙う釜石と復権を狙う赤崎の激突。先制したのは釜石。初回先頭打者の三塁打の後、内野ゴロで1点。その後釜石先発投手の前に機会を掴めなかった赤崎だったが、五回に四球で出たランナーを三塁に進め、敵失で同点に。
 試合中盤までは守備戦という展開だったが、後半はノーガードの殴り合いに。七回に赤崎が一番、三番(主将)のタイムリーで3点を挙げると、その裏釜石は1番打者の二塁打などで2点加点。八回に赤崎は2アウトからベテラン巧打者と一番のタイムリーで突き放しにかかるが、満身創痍の赤崎はフィルダーチョイス、記録に残らないエラーが連続し、釜石に一挙に4点を許し逆転される。
 赤崎は最後まで粘り、汚名挽回のヒットなども飛び出して、逆転機を作ったがあと一歩届かず。釜石野球団が3連覇を成し遂げた。

 さて、私も座の末席にいる赤崎野球クラブは2000年代、いわゆる「黄金期」と言われ、東北大会に出るのは当たり前という時代を過ごしました。そこから東日本大震災を経験し、その黄金期を支えた選手たちが社会人野球を卒業。野球をする環境も変わり、常時練習できる場所がなくなる→練習不足で試合の結果に結ばなくなる=試合数が少なくなる→選手達の実力を発揮する場所がなくなる→なければ参加意欲も…という悪循環で、特に2019年以降の3年間は年間の公式戦の試合が5試合は超えないという状態に陥ります。2019年が3試合で、20年は5試合、21年は三陸沿岸大会のみの出場で2試合と。
 正直、メンバーはよく耐えたな、と。
 今年は都市対抗で1試合、クラブ選手権で2試合、この三陸沿岸大会で4試合戦いました。メンバーの集合に難儀し、投手陣も二日間4試合33イニング、2年ぶりの登板という選手や野手投手(初日宮古戦の2番手投手。二日目2連投投手は野手としても出ていましたが、投手としてカウントしてください)起用を経てまかないました。野手にしてもコロナの状況で選手に無理してもらった部分も多くあり―特に内野―、都市対抗野球やクラブ野球選手権に比べれば小さい小さいローカルな大会なのかもしれませんが、二日4試合を戦い抜くことができた、と。それだけでも一つの大きな成果かなと思うものであります。
 いまの選手の大多数は大震災以降にチームに加わった選手。状況も何もかも違う中で、いる選手たちがどういう目標を見出して試合に臨むか。選手達が導き出した答えを後押しして、一歩一歩歩みを進めてやがては強豪といわれるところと相対する位置に戻りたいと思っています。

 今回の記事は赤崎野球ク側の視点だけでお伝えしました。釜石は波に乗った時の強さは県内でも有数のものがありますし、盛球は急遽の公式戦参加ながら安定した力を持っていることは再確認。投手陣の育成はこれからの課題ともいえましょう。住田はどういう方向にチームを作っていくか、の模索が続いています。初日敗退の遠野、宮古両チームを含めてこれからも長く活動し続けていくわけで、この社会人野球に軌跡を残していくか注目しながら、それを模索する場としての三陸沿岸大会が発展していければと思っています。
 お付き合いいただきましてありがとうございます。
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