一つの手応えをつかんで勝ち進んだ1998年でしたが、この年は苦難・苦戦を強いられた一年でした。
1.つかんでいたはずの手応えと、壊された礎。
春に行われた大槌ロータリー大会は一回戦で久慈クラブに1―2と敗戦。仕事の事情で帯同できないのが残念でした。仕事が一段落した五月開催の都市対抗野球からようやく野球を手伝えるように。この年は第70回の記念大会となり、トーナメントもクラブ予選なしの全チーム一同に介する形態で行われました。このような形態になると序盤で強豪チームに当たるということもありえ、実際赤崎野球クは一回戦で水沢駒形倶と対戦することに。98年のクラブ野球選手権でベスト4。都市対抗でも96年に山形しあわせ銀行(現・きらやか銀行)、97年にはJR東北を破った力のあるチーム。特に当時主戦を張っていた新田忠正、小野寺淳両左腕投手の存在には手強いものがありした。しかし新田投手からノーヒットで2点を奪い、さらに終盤大船渡工業高校出身の先輩の奮闘でさらに2点を追加。赤崎ク先発の山本君も2点は取られたものの強豪水沢駒形を振り切りました。
続く遠野クラブ戦では太平洋セメントから移籍してきた志田欣之君が硬さから立ち上がりを突かれたものの、その後リリーフした山本君が試合を作り直し、終盤突き放して準々決勝進出、太平洋セメントとの代表決定戦―言い換えれば大船渡市代表決定戦に臨みました。前年、JAいわてと接戦を演じていることから「今回こそ接戦を越えて東北大会進出を」との意気込みで臨み、三回終了までで1-0。しかし四回に2点を追加されたところで山本君に異変が起きました。明らかにどこかを故障したような状態で降板。急遽リリーフした高橋俊裕さん、大畑君も持ちこたえられず、打線も同時最盛期の平田大輔投手を打てず、散発5安打、0-10の七回コールドで敗戦、東北大会進出を絶たれました。
2.都市対抗東北予選岩手開催―東北強豪の凄さとヨークベニマル野球部の最期。
この年は岩手県から4チームが東北大会に出場できるということで、準々決勝に勝った太平洋セメント、宮城建設、JAいわて、一関三星倶が東北大会進出。一関三星がJAいわてを破る番狂わせを演じ、太平洋セメントは宮城建設との激しい乱打戦を制し、決勝戦で平田投手が再び2安打完封の好投。太平洋セメントがついに県予選初優勝。
岩手で開催された東北予選大会、開幕試合で宮城建設が優勝候補のJT(04年活動停止)を、JAいわてが福島の強豪ヨークベニマルを相手に九回4点差を逆転、6-5でサヨナラ勝ちを収めるなど見せ所を作ったりもしましたが、残念ながら岩手県4チームはJAいわてが第3代表決定トーナメント一回戦に進出したのが最高で代表権にはあと一歩届きませんでした。
岩手県開催ということで私は三日間休みを取り、多くの東北レベルの強豪チームを見て回りました。その資料は紛失してしまったので思い出すのも一苦労ですが…印象深かったのが先ほど述べたJAいわて−ヨークベニマル。八回まで5-1でベニマルがリードしていたのですが、九回裏ツーアウト満塁から鈴木淳さんが同点に追いつく満塁ホームラン。気落ちしたヨークベニマルからさらに連打を重ね佐藤さんのサヨナラタイムリーで大逆転サヨナラでJAが勝ったという試合でした。
試合が終わった後ヨークベニマルの応援団長と話をし、「この都市対抗で活動を終えることになります。応援ありがとうございました」と寂しそうに語っていたのが、今でも耳から離れません。前年の秋田の東北予選にも1日見に行きましたが、この年はJT、JR東北、NTT東北(こちらも企業チームとしてはこの年で活動終了)、七十七銀行といった東北レベル、宮城のチームの強さというのも見せつけられました。この9試合の見学を忘れられず、いつか赤崎クもこの舞台にと思いましたが、この時点では「遠い話」としか思っていませんでした。
3.エースの離脱―それでも「いるメンバーが踏ん張る」で毎日旗クラブ準優勝!
赤崎野球クラブは山本君が故障起こし、残る投手陣で大会に挑みました。クラブ野球選手権では初戦に釜石野球団とあたる組み合わせに。釜石の強力打線に攻勢を食らい、6-13で敗戦。しかし8月後半に行われた毎日旗秋季大会では高橋さんの粘投で久慈クラブに7-5で勝つと、三回戦で住田硬式クに10-0(志田永二さんが完封)、準決勝では大畑君が高田クラブに7-2と同じ気仙勢を破り決勝進出。しかし決勝では釜石野球団に八回の5失点が響き5-10で敗れ残念ながら東北大会進出はなりませんでしたが準優勝に。毎日旗大会は仕事もあり帯同することができず、野球の方に時間を割くことができませんでした。
4.岩手勢全国の道−駒形倶、クラブ選4強。
クラブ野球選手権の東北予選の形式がこの年から変更になり、これまで岩手、宮城、福島各県は全国大会進出枠1、青森、秋田、山形3県で同枠1でしたが、東北全体で代表3枠、各県予選を勝ち抜いたチームが東北二次予選大会を行って決める形式になりました。新形式の東北予選は山形で行われ、岩手代表の水沢駒形倶、久慈クラブ両チームは決勝戦進出。東北代表3枠のうち2つを岩手県代表で占めました。全国大会は久慈クが東京・WIEN94(現・WIENZ)に2-4で惜敗。水沢駒形倶は埼玉・かみかわ野球クに11-4で勝ちましたが、準決勝ではこの年優勝した全伊勢崎硬建クラブに2-4で敗戦という結果となりました。
秋に行われた日本選手権では佐藤組北上球友が23-19という打撃戦を制して若きJR盛岡を破ったという試合もありましたが、東北予選には宮城建設、JAいわて、太平洋セメントが出場。太平洋は秋田銀行と競った試合をしましたが、JAはJR東北に、宮城建設は日本製紙石巻に敗れ、戦いを終えました。
5.今だから語れる「週7日勤務」。それでもやめなかった野球。
もう20年経ちますのではじめて白状しますが、この年の途中から週に2回ほど、北上時代に在籍していたコンビニに勤務しています。週に5日大船渡で働き、週に2日北上に移動してコンビニで働く―今から考えれば、とんでもない日程で仕事をしていたものです。その中で野球に時間を割くというのも簡単ではなく、その中で信頼関係を構築し続けるのも大変でした。周りのメンバーの皆さんにも支えられてこの時期で折れなくて良かったなというふうに今では思うものです。