東京2020オリンピックは8月8日に閉幕しました。今回五輪には批判的に対峙してきた者として見解を申し上げます。
一)東京五輪に対し、私は以下の理由で不信感を持っていました。
②商業五輪のスタイルで選手など参加者本意の運営がないがしろにされている実情
3 それを改善していこう、という意思が見えないこと
開催が決まって以降も経過を見守ってきましたが、上記問題が改善されたとはいえず、その過程の中で起こった新型コロナ感染拡大に対しても「開催有りき」で進められ、居住地域である日本国民の安全は顧みられませんでした。
2)五輪が終わり、日本選手団が最多のメダルを獲得したことをもって「五輪は盛り上がった、成功した」などとうたい、様々な不安から開催に反対した者に対しては「選手の活躍する場を奪う“朝敵”だ」などと攻撃がなされました。批判と中傷を一緒くたにして「批判=選手を誹謗中傷する輩」なる反対派攻撃に至っては鼻白むものがあり、不信感を増幅する因となりました。
3)五輪推進勢力が選手を盾にして、反対の位置にいる人の封じ込めを図っていたことについては厳しい目線を向けていました。それでも「現場」には、広い箇所からの目線を意識しての立ち振舞いを期待しましたが、今大会の選手団・現場サイドには権威主義、排外主義が侵食している様子も見えるようになりました。
排外主義的な言動を通して応援する人を煽る行為
必要以上のポジティブさを押し出して疑問的な意見を封じる言動
近年の五輪の中で公平性が一番疎外された大会環境下にあって、それを良しとして言動を発する者
「誹謗抽象に対する対応」を名分としての反対者攻撃
中には意図的でなされたものでなく「結果的にそうなった」ものもありますが、それをも含めて自分の発言が社会にどのように影響を与えるかを考えない発言が目につきました。
ライバル選手をも尊重すべき、というスポーツマンシップに則ってみた場合、恥ずべきものとしか言えない行為が続出してしまったことに猛省を求めます。
加えて、これまで「推進勢力」と「現場」を分けて考えてきましたが、この手の行為が続くのであれば、「現場」に対しても厳しい批判を向けざるを得ない、と強く警告します。
4)IOC、JOC、東京都や日本政府含めた実行委員会といった五輪推進勢力は、五輪開催のためと、日本社会にあるソースを当たり前のように奪ってきました。殊に、コロナ感染下における医療リソースの収奪、多くの国から人が集まる「大きな人流」による感染拡大が危惧されていましたがそれを黙殺。対策もおざなりに。
指摘に耳を傾けるどころか、反対派を敵視し荒ぶる行為の数々は、わずかにでも残っていた「オリンピック・スポーツへの信頼」を完全に失わせるものとなりました。
「社会の中にスポーツがある」のでなく、「スポーツの世界が特権階級」と認識して立ち振舞いがなされるのなら、やがて衰退の道を辿るでしょう。
5)私は野球、ことに地域の中、社会の中に存在する野球―社会人野球を活動場所とし、スポーツに関わってきました。スポーツと社会の分断が進む、という危険性を持ち、当初に述べた理由で五輪に厳しい態度をとりました。今後も一スポーツ経験者として、スポーツと社会の共存共栄がなされるように努めます。
2021年8月14日 伊東 勉