MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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クラブ野球選手権について① 同県他チームメンバーから見た久慈クラブの歩み。【2021社会人野球】

(写真選択が間に合わずテキストのみの発信となります。ご了承ください)

 クラブ野球選手権は28日金曜日29日土曜日から開幕します。昨年はcovid19の影響により大会が中止。今年も2020年同様、東京オリンピック開催の影響を受け開催日程が変わり、さらに会場も西武ドームから岐阜県での開催に変更となりました。皆様ご承知の通り、コロナの影響はまだまだ存在し、大会を辞退するチーム、大会予選に参加してもベストの状態から遠いチームも存在し、それでもクラブチームの目指す一番の大会だからと必死に参加にこぎつけて予選を通過した16チームが全国大会に挑むこととなります。
 ここで例年ですと参加チームの紹介というふうになりますが、今大会については既に別な方が大会の見どころを記載してます。私が今から書こうと思っても二番煎じ以下にしかならないので、先行して記したぶるっくさんの記事をリンクすることでチーム紹介に代えさせていただきます。

ぶるっくさんのブログ「社会人野球観戦記」による出場チーム紹介

クラブ選手権 出場チームまとめ(上) : 社会人野球観戦記

 ※北広島、マークス、いわき、江刺、久慈、千曲川

クラブ選手権 出場チームまとめ(中) : 社会人野球観戦記

 ※ハナマウイ、ゴールドジム、METS、全足利、浜松ケイ

クラブ選手権 出場チームまとめ(下) : 社会人野球観戦記

 ※大和高田、マツゲン箕島、兵庫県警桃太郎、MSH専門、シンバネット

 私からはいくつか項目を設けて記述します。


 1.16年ぶりの大舞台、久慈クラブ。

(1)「全久慈」と「久慈クラブ」―紡いできた久慈野球の流れ。

 創設は1991年。大会パンフレットを見ると1976年に行われた第1回大会に「全久慈」という名称があるので?と思われる方も多いと思われますが、全久慈は1972年、それまで準硬式野球などのカテゴリで戦っていた久慈ヤンガースが改変して硬式社会人野球に参戦したチーム。全久慈はその後、宮城建設の冠がついて宮城建設久慈クラブに変わり、1991年に宮城建設という企業チームになりました(2003年まで活動)。久慈クラブはその後市民クラブを作ろうという久慈野球人の熱意に押されてできたチーム。両方のチームに関わる人もいましたが、扱いは別チームです。

(2)久慈クラブ創立から全国4強進出期

 市民クラブをという熱意から始まった久慈クラブは、創設当初から勢いを見せ、1993年の都市対抗野球では県予選ではベスト4進出。金属バット時代ということを抜きにしても、企業チームにも相対できる攻撃力を持ち、1996年県知事旗大会では岩手県社会人野球最多の1試合37得点+1イニング28点を記録。そこに福島大学でも二刀流で活躍した大沢義時投手や、北海道の企業チームで活動した松村朋宏投手が加わり、全国大会に進出するようになります(97~02、04)。2001年クラブ野球選手権では全国ベスト4まで進出。2005年の日本選手権岩手予選では第2代表決定戦を勝ち抜いて東北予選に進出します。
 しかしチーム結成から10有余年。支援体制や選手の移り変わりなども重なり苦戦をするように。そして2011年の東日本大震災では久慈市も大きな被害は免れず、海沿いにあった産業地域、あるいは市の中心街に大きなダメージを食い、久慈クラブも利用していた市営球場も壊滅状態に。特に産業地帯が壊滅した影響は大きく、選手の動向に大きな影響を与えたものと思われます。

3.大震災から「16年ぶり」へ。

 2012年に活動を再開しますが、当初は参加する大会を限定しての参加。選手の人数がギリギリだった様子も幾度か目にしています。
 それでも熱意が失った様子はなく、期をつかんでは存在感を見せるときも。2014年には東日本クラブカップ東北予選で第3代表決定戦まで進出。近年はまとまって新入部員を確保する年もあり、「この選手達が揃って参加できる状態がつくれれば、大きい存在感を示せる可能性がある」と見ていました。
 そして昨年、岩手県クラブ選手権大会で準決勝進出。3位決定戦では2010年代大きく伸長した盛友クラブに勝ち東北予選進出権を勝ち取ります。

 そして4月に行われた予選では
 郡山イーストに勝ち
 オール江刺にも勝ち
 オールいわきには
  経験の差を見せつけられますが
 最後の1枠を
  新庄球友に勝ってつかみ
 全国大会進出を決めたわけです。
 一度大きな栄光を味わって、その後に「及ばない」状態になって、それでも挑戦することをやめなかった先達の人がいたからこそ、野球をする場所が存続できた。SNSのタイムラインを見ると、「久慈クラブは初出場?」という記述もありましたが、実はここに至るまでの長い、長い積み重ねの上に成し遂げた本大会出場です。

4.同じ沿岸勢として、久慈クラブに託します。

 久慈クは同じ三陸・沿岸勢ですね。20数年の社会人野球生活で幾度も戦いあったライバルチームでもあります。初戦の相手が全足利という、全国でも屈指の強豪が相手ですが、グランドに立つからには持てる力を発揮して頑張って欲しい。できることなら現地で見届けたかったのですが、今の状況じゃそれは無理な話なので、遠い岩手の地から見届けることにします。 


 あまりにも多く、長く書きすぎてしまいました。残るオール江刺、あるいは書ききれていなかった部分については記事を分けて、金曜日の朝までにアッアプするように努めます。おつきあいいただきありがとうございました。

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