(前)本当であれば、都市対抗野球の対MKSIBC戦の部分も記そうと思いましたが、それだと長編になるので(←いや、この記事も大概長文)、とりあえずは先のクラブ野球選手権部分を記すことにします。
1️⃣ 昨年・2024年からは上位につながる大会に関して県内予選でも応援活動を実施することにしました。とはいえ、今年はもともと新しい仕事が乗った挙句に、都市対抗終了後クラブ野球選手権の間までにさらに新しい仕事が乗ることとなりました。よって3週間の間に新しい応援の整備をすることができずにクラブ選手権を迎えることに。
クラブ選手権・盛岡球友倶戦で実施した楽曲は以下の通り。
▽一回、四回、八回→パワプロ8
▽二回、五回→ファミスタ2020
▽六回→忍者くん阿修羅の章
▽七回、九回→Feel My Heart
宮古倶楽部戦の記事で「九回は試合を締めるにあたって気分を引き締めるための曲を使う」と紹介しましたが、リードされている場面では“イケイケ”系統の曲を使います。その場合は大抵「Feel My Heart」を使います。
2️⃣ 今年に入ってから仕事にかまけて喉・声を出す部分を調整することができませんでした。去年までは四月後半に花粉症が収まってから喉とか肺を「温めて柔らかくする」…感覚的に言えばこうなりますか。そう調整しますが、今年はそれができずじまい。
で、その結果何を起こしたかといえば「終盤のガス欠」。長時間にわたる試合かつ気温は夏日、ということを含めても、簡単にガス欠に陥ったのはグランドで戦う選手には申し訳なかったと思っております。
3️⃣ 加えて言うと、「スピーカー4台体制」にしたのは喉に余計な負担をかけないで、丁寧に発音すればしっかりした音声で応援ができる仕組みにしていたわけなんですが、こっちの方も寸前まで仕事であたふたしていたこともあって「精神的な準備」が利かなかったことで、力んでしまって体力を余分に消耗してしまいました。
5️⃣ 都市対抗の時から「イニング間の間奏」を入れるようにしました。都市対抗2試合では
・「ぼくらの憧れライオンズ」(太平洋クラブ、1975年)の替え歌“ぼくらの憧れ赤崎クラブ”
・「三陸町民の歌(2003年大船渡市と合併)」の替え歌“赤崎野球クラブの歌”
…と調整しましたが、この2つの曲はどちらも1分少々の再生時間。イニング間時間のギリギリになってしまうんですね。あくまでも「アクセントをとしての音楽導入」なので現場に負担をかけてはならないことを考慮して、前半に一回、後半に一回この応援歌を投入し、他のイニングはテレビアニメで言うアイキャッチ的に音楽を入れようと思い、そこに2000年周辺に活動したボーカルユニット「Dream」のユーロバージョンアルバムからのサビの部分を抜き出して使いました。Facebookなどで「歌詞が刺さった」書いたので、その部分を紹介します。
▽reality→歌詞「声にならない この想いを抱きしめて 果てしなく続いてる 約束の場所へ行こう」
▽send a little love→歌詞「限りあるいくつかの 出会いと別れ通りすぎて あの頃の傷持った 私ほど弱くない」
▽private wars→「情熱をぶつけ合い 赤裸々にわかり合いたい この胸を駆け上がる あなたへの風を感じて 未来にもう迷わない」
▽movin on→「Movin on Movin out 星より速く明日にたどり着きたい Movin on Movin out たったひとりの私を研ぎ澄ませながら」
▽night of fire→Dreamはじめカバーする人多し。歌詞よりmove重視
6️⃣ ただ。
一連のDreamオリジナルの曲は、あの日グラウンドにいた選手の全員がわからないでしょう(←おい)。コロナ感染拡大前に似たような感じで1990年代に活動していたガールズバンド・LADIA(レディア)の曲を使ったことがありましたが、中々他の人が知らないような曲ばっかり使いますね((^。^;))。大体Feel My Heartを野球の応援に使ってんの俺だけだろうに(^∇^;;;;)ということを思った次第でした。
※LADIA→1990年代前半、ファーストシングル「BLIND」営業でIBC岩手放送ラジオに出演したときがありました。
7️⃣ 今回の試合会場は葛巻町。何しろ遠距離なもので週末2日間休みを取って行きましたが、残念ながら1日で終了してしまったので、その後思うところあって九戸村→軽米町と回ってきました。
この後、仕事ガッツリ乗って7月後半まで休みなくなるかなという状態になるので、早く帰って休もうと思いましたが…疲れてるところに普段使わない道路を使うとアホなことをしでかすんですね。
道を間違えて八戸に着いて、体力尽きて休み。その後日曜日は「八戸の思い出の地巡り」。三菱製紙八戸球場→八戸長根球場→八戸市図書館に行って、この図書館で調べられる青森野球の資料収集→八戸市南郷野球場→一戸町営球場によって江刺─釜石戦を1時間見学して帰途につきました。
八戸長根球場は「2003年クラブ野球選手権本大会出場を決めた球場」と思って行きましたが、実際の会場は八戸東球場でした。先の日程の中では八戸東に行く余裕がなく断念しました。急遽の日程とはいえ間違えたのは痛恨でした。
8️⃣ 野球の試合そのものでも述べましたが、情熱をギリギリと絞り出した試合で…負けたことは悔しいですが、そこまでの経過には悔いはなく、やりきったと思うものがありました。
そして「その場その場で一生懸命生きてる」スタンスは、「将来の計画性まで考える余裕がなく」て、その意識も生きていればよかったのかなと思いますが、ひとつの物事を懸命に務めたことは、その次の出来事も一生懸命頑張ろうという気力を沸き起こすものとなります。
野球の部分では9月に行われる公式戦を目指して、そして「もう一つの主題」にしっかり取り組んできます。