MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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東北第一代表はJR東北!トヨタは無念敗退―都市対抗野球9日結果と10日見どころ/「山形クラブ物語」【2023社会人野球】

 都市対抗野球東北二次予選は秋田県立こまち球場で第2代表決定トーナメント4回戦と第1代表・決勝戦が行われ、JR東北か東北王者となり、東京ドーム進出を決めました。また、岩手のトヨタ自動車東日本七十七銀行に敗れ、予選敗退という結果となりました。結果など雑感を一球速報ホームページ(https://baseball.omyutech.com/)を元に記して記していきます。
▽第2T四回戦 七十七銀行 7―2 トヨタ自東
 勝負強さの七十七銀行と若さと勢いのトヨタ、どちらが勝るか注目された一戦だが、序盤にノーアウトからのチャージを見せた七十七銀行が四回までで6得点をあげ試合の流れを掌握。岩手出身の本格派投手が九回を投げ切り第2代表決定戦進出。トヨタは右若手投手陣が七十七攻撃陣の攻略を受け九回3安打2犠牲フライで猛追をかけたが及ばなかった。
▽第1T決勝戦 JR東北  2―0 TDK
 東北王者決定戦…力量を見せつけたのはJR東北。三回に本塁打で先制。その後はもたついたが九回にダメ押しのタイムリーを放ち、その裏を先発投手が抑えきり九回完投で東北王座奪還を成し遂げた。TDKは六回まで無安打。終盤にようやく攻勢をかけることができたがホームベースが遠かった。
 投手起用に関しては様々な論議があります。いまは1試合で複数人投手で回すことが当たり前に。その中で今日の2試合、勝利チームはともに投手が完投。複数人投手起用するとどうしても調子が悪い選手にもぶち当たる危険性がある、調子いい投手が1人で投げきればそれだけで試合を支配できる要素は高い、という一つの側面を見せてもらいました。
 七十七銀行投手に関しては、高校時代、佐々木朗希君と投げ合ったこともあることで認識していましたが、社会人選手になっていたんですね(大学野球は疎い)。トヨタに関しては期待の若手投手陣が七十七銀行の攻略を受けたのが全て。彼らがまた成長すれば代表争いの深いところにまでコミットできるチームになれる。今日の苦い思い出を糧に頑張ってください。
 10日に行われる第2代表決定戦の見どころは以下の通りです。最終確認は一球速報で。
《県立こまちスタジアム11時開始予定
▽第2代表決定戦 七十七銀行―TDK
 この決定戦、常に「前日までの激しい連戦を勝ち抜いたチーム」対「前日の代表決定戦に敗れたチーム」との対戦。東北地区では1枚抜けていると見られたTDKが前日の敗戦の教訓をどうくんで試合に臨むか。七十七銀行トヨタ相手に先行して勝ち切った部分を自信にして下克上を狙う。

コラム《山形クラブ物語》
 前書き
 
 山形県の社会人野球は、去年から今年にかけて大きな岐路を迎えました。長年県勢を支えてきたきらやか銀行野球部が活動を休止。その後を受けて山形市に社会人野球チームを…と立ち上げたのが、今大会旋風を巻き起こしたB-net/山形でした。
 実は約70年前にも後楽園に進出した強豪チームの廃部から「山形市に社会人野球チームを」と立ち上げたチームがありました。資料収集が限定的(社会人野球の試合以外の記事を捉えることができなかった)ために表面的なものにならざるを得ませんが、その立ち上げたチーム―山形クラブ―の紹介をしていきます。
 
1)ハッピーミシンの解散後“県都にチーム”を
 
 山形県の社会人野球は、戦後一時代を築いた山形ハッピーミシンが1950年に都市対抗野球本大会出場を果たしますが、1953年春までに解散。その年の都市対抗野球県予選では帝国石油酒田と鶴岡クラブで争い、鶴岡クが優勝しますが、東北予選が雨天で1週間延期した結果、全日本軟式野球大会県予選とバッティング。この年は同本大会が山形県開催ということもあり力学がそちらに働き、都市対抗の全鶴岡メンバーの編成難を生じ棄権しました。
 戦後直後約10チームと賑わっていたときもある山形予選もわずか2チームに…ということで危機感も生まれたのでしょうか、県都山形市を代表するチーム出場を、ということで結成されたのが山形クラブ。選手陣容も鶴岡、帝石酒田が十数人に対し24人の編成で大会に臨み、両チームに大勝し東北予選進出。東北予選では当時全国区で活躍していた釜石製鉄に1対12の大差で敗れます。
 1955年には同じ山形市内にある両羽銀行が硬式野球に参戦。山形ク選手のうち両羽銀行勤務の選手がチームを離れましたが実力を維持。帝石酒田に延長14回の戦いを勝ち抜くと、両羽銀行との決勝戦では攻撃力の差を見せ圧倒し2年連続県予選優勝。東北予選は富士鉄に改称した釜石に敗退します。
 
《参考・1955年〜1960年あたりの東北社会人野球カレンダー》
・4月 ベーブルース杯の県→東北予選。
    強豪チームはサン大会など各地大会に参加
・6、7月 都市対抗野球の県→東北予選
・8〜10月 産業別大会(略してサンベツ)の職種別大会→本大会。
・9、10月 秋季各県大会→東北選抜都市対抗大会
 
2)充実の三年目と酒田鉄興所の猛追
 
 当時のクラブチームは現在以上に選手の異動サイクルは早く、チームの編成には苦労していた様子も見えていますが、それでも山形県トップクラスの位置を保持。1956年はベーブルース杯東北予選、3県交歓野球大会と春先から実戦を重ね、都市対抗野球県予選では鶴岡、両羽銀行を破り県3連覇を果たすと、東北予選では秋田鉄道局に5対4で勝ち、過去2年苦戦を強いられた富士鉄釜石にも大内投手の緩急つけた投球で肉薄。0対2の接戦を見せました。秋に行われた東北選抜都市対抗でも奮闘を見せ、電電東北に7対6で打ち勝つと、準決勝では盛岡鉄道局に0対1と接戦を演じるなど、充実した1年となりました。
 4連覇を狙った1957年、軟式野球で全国ベスト8を経験し、この年から本格参入した酒田鉄興所に初戦で敗れ、翌1958年にも再びあたった酒田鉄興所に敗れ壁にぶち当たります。この間2連覇した酒田鉄興所は県内で強さを見せますが、転勤などで選手を揃えられず1959年シーズンは欠場。帝国石油野球部もこの間に秋田に移転し、この年は鶴岡クラブ、新庄球友、山形クラブ3チームの参戦。山形クは「新人の補強がままならず苦戦する」と見られていました。それでも選手個々人の経験で上回り、都市対抗県予選リーグ戦では両チームを下し3年ぶりの東北予選進出を勝ち取ります(清峰伸銅に敗退)。
 1960年。鶴岡、新庄両チームに、1年休んだ酒田が復活。山形クラブもエントリーしましたが、選手の異動が相次ぎ、創立初年度は24人を数えた登録選手もこの年は16人に。都市対抗予選では鶴岡に8対7で逆転サヨナラ勝ちを収めますが、補強を実行した酒田鉄興所の前に3対10で敗退。この戦いが山形クラブ最後の挑戦となりました。
 
3)山形相銀(〜きらやか銀行)の参戦
        ―山形クがつないだもの。
 
 翌1961年の都市対抗野球山形予選には山形ク、酒田鉄興所の姿はなく、鶴岡クと新庄球友に、この年から硬式に本格参戦した山形相互銀行の3チームが出場。地元山形で行われる東北予選大会には山形相銀が推薦で、新庄球友が県予選雨天中止後、県協会、鶴岡クと協議の結果出場しましたが共に苦杯。山形クは以降の大会にエントリーした様子はなく、1964年4月2日〜7月1日の間に登録抹消・解散したものと思われます(酒田鉄興所も)。
 当時は企業チームとの格差も出始める一方、クラブ専用の大会もなく、都市対抗以外の大会は戦後直後の乱立期から次第に整頓されていく状況。どのような形態でチームが運営されていたかまでつかむことができませんでしたが、同好会的なクラブチームながら山形代表として戦い続けたことは、その後の山形相互銀行→しあわせ銀行→きらやか銀行などの粘り強い挑戦、そして長い時を経ての東京ドーム進出という成就につながる貴重なものとなりました。
 現在は各カテゴリーごとの大会も整備され、またスポーツチーム運営も多様な形の経験が蓄積されてきました。スポンサーの協力も得ながら有志による集合体で運営されているB-net/山形。息長く“山形に生きる社会人”が野球で躍動できる場をつくっていただきたいと願っています。
 
 今日も長くおつきあいいただきありがとうございました。
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