こんにちは。昨日とは打って変わって、今にも雨が降り出しそうな天気となった岩手内陸部。北上市長杯大会は大会2日目、準決勝と決勝戦が行われました。準決勝は日本野球連盟HP(www.jaba.or.jp)より、決勝戦は直に見てきましたので、それを踏まえてお伝えします。
▽準決勝 盛岡球友倶 16―3 花巻硬友倶
初回盛岡球友が5点を先制すると、すかさず花巻も3点を返し、乱打戦の様相を見せたが、盛球が三回に1点をあげると、五回に6点、七回に4点のビッグイニングをつくり、コールドで決勝進出。花巻は二回以降追撃できなかったのが惜しまれた。
▽準決勝 一戸桜陵ク 8―4 遠野クラブ
序盤は2―2と互角の展開だったが、四回裏一戸が3点をあげると、六回にも2点をあげるなど遠野を突き放しにかかる。遠野は再登録したパワーピッチャーを投入し反撃したかったが、九回の2点のみで届かなかった。
▽決勝戦 一戸桜陵ク 9―1 盛岡球友倶
盛岡球友は初回四球で出たランナーを2盗塁→タイムリーで返し先制。しかし一戸は二回に連打で追いつくと、三回に暴投で勝ち越し。四回に盛球のリリーフから3四死球2安打で勝ち越し。六回は5安打を集中しコールドに持っていった。盛球は一戸先発投手は攻略したが、リリーフ投手から追加点を奪えず、六回は満塁のチャンスも作ったが、そこで差を縮められなかったのが響いた。
一戸桜陵クが1958年のチーム創立以来、活動63年目にして初めて大会優勝を成し遂げました。一戸がチームを作った1958年周辺は、岩手県内でクラブチームの創設ラッシュの最中で、1960年代当初は都市対抗野球予選の参加チームが20を超えるほどの盛況を見せましたが、当時の社会人野球はメイン大会は都市対抗と産業別大会(1951~73年)で、クラブチームに特化した大会はなく、全国的にはクラブチームが縮小。岩手でも参加が激減する状況の中、一戸は社会人野球の試合に参加し続けてきました。(下図表はクリックすると少し大きくなります)
一戸地域も野球が盛んなところで、1951年には一戸野球協会が軟式全国大会に進出。一戸高校も岩手の高校野球で存在感を見せていた、その流れの中でできた一戸桜陵が長年活動し続けて、一つの大きい成果を出した。その事に心からお祝いを申し上げるものです。
準優勝の盛岡球友。今大会は20、30代の投手陣で大会をまかないました。近年5年内で個人表彰2度のアンダースロー投手(50代)もいますが、大会で上位を勝ち取ろうとすれば投手陣の底上げは欠かせません。そういう意味では決勝戦で登板した若手2投手が責任重くなった登板で何をつかんだか。成長に期待します。
大会初日の2試合はともに延長タイブレークにもつれ込む熱戦に。先に書きましたが今日は直接野球場に行って試合を観戦してきました。やっぱり野球は直接見てなんぼなんだなあというのを改めて。3週間後には岩手県クラブ選手権も行われますので、その時にはもう少し多く試合を見られるように調子を整えますので、球場で見かけたら声かけてください。
最後に。今年に入ってからの野球の記事記述ですが、個人名の表記を避けています。コロナ禍の環境の下、野球の大会に臨まれている選手への“配慮”いうことでの対応です。了解いただければ、と思います。