8月15日。日本が行っていた戦争が終わってから73年になります。二次大戦では野球選手・関係者も多くが犠牲となり、また、戦争遂行のため、と非合理なルールが野球にもたらされました。平和なくしてスポーツはないというのは、日本野球の経験や、現に戦争、紛争が起きている地域下での同様の事態を見て、強く思わされます。
戦争状態になると、相手に対する思いやりを持てなくなります。スポーツは相手がいなければできませんね。試合では対峙しますが、試合以外ではスポーツ仲間。その仲間を仲間にしなくするのが戦争です。
また、戦争時でなくても「仲間への尊重」を欠けば、それに伴う人権侵害も引き起こしてしまいます。いま報じられているスポーツ社会での権力者による抑圧が代表例でしょうか。人間が陥りやすい間隙を超えて、抑圧やストレスを減らしていく行動を進めていただければ、と思うものです。
「体育会系だから、上意下達を良しとする」のではなく「ひとつの人格と意思を持った人間」として社会とどう向き合うかが問われるいまの社会で「8・15」をどう考えていくか。拙稿も基にして考えていただければと願います。
伊東 勉