この項では2000年代(以下“00年代”)の社会人野球をまとめる、という事で00年代に参加したチームの勝敗、及びポイントランキングを発表させていただきます。
00年代は期間中に宮城建設、太平洋セメント、JAいわてといった岩手を代表するチーム、アイワ岩手、岩手東芝、平泉クラブ、水工クラブといった、地域に野球をする場を与え続けたチームが活動停止しました。その一方で03年に矢巾硬式クラブ、06年にフェズント岩手、岩手21赤べこ野球軍団、盛工クラブが新たに岩手社会人球界に加わって来ました。
特に06年に加入した2チーム…フェズント、赤べこはその実力でそれまで岩手の社会人野球を支えて来たチームを圧倒し、席巻しました。赤べこはその勢いそのままに07年には岩手勢21年ぶり、企業チーム未経験のクラブチームとしては29年振りの都市対抗全国大会に進出しました。バックアップ体制が整わず、わずか2年で解散という憂き目を見ましたが、岩手球界に刺激を与えたチームだったことは間違いないでしょう。
その一方で、社会人が野球をする事そのものが大変な状況でも継続して活動し、岩手の代表チームという矜持をもってたたかい続けた水沢駒形、赤崎、江刺、久慈、JR盛岡…と言ったチームを筆頭とした各チームの頑張りもまた、忘れてならないものです。
では、一気にこの年代に参加した35チームのポイントと勝敗を紹介します。
※1 90年まで宮城建設久慈ク。チームの歴史は宮城建設に。
久慈クラブは91年創設の新チーム。
※2 元々は盛岡鉄道局。97年復活。
※3 03年活動停止。
※4 05年結成、06年から公式戦参加。
※5 93年休部、95年復活し、04年活動停止。
※6 06年結成、07年末解散。
※7 03年活動停止。
※8 00年参加。
※9 00年まで宮高倶楽部。
※10 03年まで佐藤組北上球友。
※11 05年まで一関三星倶楽部。
※12 87年に盛鉄局メンバーで岩手に残ったメンバーで結成。ウィキペディアによれば「岩手銀行の後継としての性格」も持つチームとの事。
※13 02年結成。
※14 大槌球友が99年に解散。00年に新体制で再出発。(扱いは別チーム)
※15 00年活動停止。
※16 05年にZ硬式野球倶楽部と改称するが、そのチーム名では一度も試合する事なく06年3月に解散。
※17 00年末に解散。
※18 06年に結成も、07年に活動停止。
※19 01年で活動停止。
と、いう事で35チームのたたかいぶりをまとめて来ました。
大まかな所は、前段の部分でも語らせていただきましたが、累積ポイントは、10年間ずっと安定的に活動して来た“クラブを越えるクラブチーム”水沢駒形がダントツのトップ。選手権には参加しないものの、他の大会でドラマチックに勝ち進んだ赤崎が2位。向上心の強さで勝ち上がって来た江刺が3位となりました。
ベン:ここからは“伊東4人衆”も加わります。
元々『クラブ王国』といわれる岩手県。
でも、それは一つのチームが強くて、生まれたものではありません。
90年代岩手を席巻した一関、釜石がそれぞれ勝ち続けることが大変な状況になった中、台頭して来たのが赤崎や江刺。しかし、その中でなお勝ち続けているのが水沢駒形。お互いがお互いを高め合う様相が見えます。
びー:よく見てみりゃ、駒形はうまいギアチェンジしているよな。
レギュラーが巧い具合に若手に切り替わっている。
“新田(忠正投手)中心”の投手陣も、佐藤功也(投手)中心に遜色無い活躍しているし、な。
伊東:赤崎は90年最終盤に台頭。その後、エース山本淳一君の大ケガもあったけど、佐野君、多田君、佐々木慶喜君といった好投手を中心に堅いディフェンスの一方で、大物打ちよりも“つないで、ためて、ぶちかます”チェーンプレス打線で並み居る強豪を撃破し、岩手有数のチームにのし上がりました。
特に都市対抗での「東北三強に2分」は、メンバーが持つ「矜持」がもたらしたものとおもいます。
びー:約一名バカ(伊東勉)が混じっていますが、そいつ以外はみんなよく頑張っていると思います。江刺も90年代後半から徐々に台頭し始めて、03年にクラブ全国に。それ以降は激しいぶつかりあいの中で東北進出が届かない状況でしたが、08年にそれを突破すると、全国ベスト8に残りました。
ベン:他にも上位大会に進出したのは久慈、高田、赤べこ。赤べこは後で触れるけど、久慈は01年にベスト4。一時足踏みしましたが、今年は復活の東北行き。高田は「菅野(貴行)馬場(敏次)」コンビで、波に乗れば企業チームも何の、という力を見せました。
びー子:この他にも高いレベルでの野球経験者も覆い黒陵も“鉄腕”小山投手中心に手ごわい存在に。不来方も解散した企業チーム出身者が集まり、化学反応起こして都市対抗で東北1勝をあげた時も。宮古も堅い野球で2度優勝。北上レッズも地元の大会に花添える優勝を果たしました。
伊東:続いては企業+アルファチーム。
まずは何と言っても東京ドームに進出した赤べこ軍団があげられます。
その資質は日本有数とも言われた前田投手、アメリカでの野球経験もある関、高倉両選手が軸となり、結成いきなりそれまで「岩手の強豪」といわれたチームをぶっ飛ばして優勝を果たしたのが印象的でした。それ以降も全国から猛者が集まり、その中に岩手・東北出身の有望株も飛び込み強化が進んだ結果が、ドーム行きとなりました。
ベン:ただ、地元の方々の熱意とは別にバックアップ体制が肝心の部分で整わず2年でその歴史を終えてしまったのばかりが非常に残念でした。もっと残ってもらって「あのチームに…」と思わせるチームでいてほしかった。
びー:今それを担っているのがフェズント岩手。複数の企業の協力を得て活動している「広域企業チーム」タイプのチーム。年数を経る毎に力も増して、今では岩手隋一のチームとなりつつあるぜ。
それを追いかけるのがかつての名門「盛岡鉄道局」の流れをくむJR盛岡。
フェズントが有望株の大学生を加入させることが多いチームなら、JRは地元の高卒選手を叩き上げてチームを作り上げて来た印象の強いチーム。時々東北の舞台に出ることもありましたが、確固たる強さを身につけたのは近年の事。この2チームの切磋琢磨はこれからも見物です。
伊東:その一方で、岩手を引っ張って来たチームが活動を停止したのはこの年代の前半期に集中しました。積極的な戦力補強でチーム力を上げつつあった宮城建設が03年に、少人数ながらも結束良くたたかった太平洋セメントも03年に、後楽園にも進出した農協チーム「岩手4強」のJAいわても04年に…地元の野球人に活躍の場を与え続けたアイワ、東芝も00年に活動を停止しました。
ベン:地域の企業がチームをもち、支えていくのが大変だというのを見せつけられてしまいましたね…。これは何か、いいやり方ないものでしょうか。
伊東:04年に起きた“球界危機”そのときに侃々諤々やり合った結果が、翌年からの一定の改革に結び付きましたが、悲しい話「大人になった後に野球を続ける」と言う事自体一手間も二手間もいる状況になっているというのが、残念な事です。
それでも時間を作ってでも競技性の強い野球を続けたいという思いをそれぞれのプレーヤーが持ち、この10年も続いて来ました。中軸的チームの変動で勢力地図もだいぶ変わりましたが…今日書いた数字というもの、それだけ見れば無機質にああだこうだ言えますが、それぞれの試合の中につめられたもの、描かれたものというのは、個々に輝くものがあると思います。
現在、社会人野球の制度改革も言われていますが、何がどうであれ言えることは、一人一人の選手が生かせる、活きる。そういう野球や、野球連盟であってほしい。その立場から、生きている限り社会人野球を見続けていきます。
びー、ベン、びー子:私たち4人も、伊東と同じ立場で社会人野球を見続けていきます。今日も拙文お読みいただきありがとうございました。
ご意見、ご感想はこちらにおねがいします。
00年代は期間中に宮城建設、太平洋セメント、JAいわてといった岩手を代表するチーム、アイワ岩手、岩手東芝、平泉クラブ、水工クラブといった、地域に野球をする場を与え続けたチームが活動停止しました。その一方で03年に矢巾硬式クラブ、06年にフェズント岩手、岩手21赤べこ野球軍団、盛工クラブが新たに岩手社会人球界に加わって来ました。
特に06年に加入した2チーム…フェズント、赤べこはその実力でそれまで岩手の社会人野球を支えて来たチームを圧倒し、席巻しました。赤べこはその勢いそのままに07年には岩手勢21年ぶり、企業チーム未経験のクラブチームとしては29年振りの都市対抗全国大会に進出しました。バックアップ体制が整わず、わずか2年で解散という憂き目を見ましたが、岩手球界に刺激を与えたチームだったことは間違いないでしょう。
その一方で、社会人が野球をする事そのものが大変な状況でも継続して活動し、岩手の代表チームという矜持をもってたたかい続けた水沢駒形、赤崎、江刺、久慈、JR盛岡…と言ったチームを筆頭とした各チームの頑張りもまた、忘れてならないものです。
では、一気にこの年代に参加した35チームのポイントと勝敗を紹介します。
・00年代チーム勝敗、ポイントランキング表。
1位 水沢駒形倶楽部 163勝88敗 1009.5P 優勝19回
2位 赤崎野球クラブ 114勝58敗3分 637P 優勝13回
3位 オール江刺 102勝72敗1分 541P 優勝7回
4位 久慈クラブ 91勝66敗 538P 優勝4回※1
5位 JR盛岡 62勝83敗1分 459P 優勝2回※2
6位 宮城建設 64勝30敗1分 421P 優勝16回※1※3
7位 オール不来方 68勝61敗 410P 優勝2回
8位 フェズント岩手 55勝32敗1分 345.5P 優勝13回※4
9位 JAいわて 40勝39敗3分 316P 優勝6回※5
10位 高田クラブ 54勝52敗 305.5P 優勝4回
11位 岩手21赤べこ野球軍団
46勝13敗 259P 優勝6回※6
12位 太平洋セメント 31勝23敗 243P 優勝2回※7
13位 黒陵クラブ 40勝48敗 221P 優勝2回※8
14位 釜石野球団 36勝49敗 202P
15位 宮古倶楽部 40勝39敗 199P 優勝2回※9
16位 北上レッズ 30勝45敗 183P 優勝1回※10
17位 遠野クラブ 34勝44敗 182P
18位 一関ベースボールクラブ
24勝42敗 174P ※11
19位 盛友クラブ 26勝42敗 154P
20位 盛岡倶楽部 25勝40敗 136P ※12
21位 福高クラブ 18勝29敗 106P
22位 盛岡市立クラブ 13勝27敗 84P
23位 花巻硬友クラブ 13勝31敗 82P
24位 前沢野球倶楽部 10勝45敗 82P
25位 雫石クラブ 13勝27敗 80P
26位 矢巾硬式クラブ 13勝25敗 77P ※13
27位 一戸桜陵クラブ 10勝33敗 70P
28位 大槌倶楽部 7勝37敗 62P ※14
29位 アイワ岩手 7勝 9敗1分 51P ※15
30位 住田硬式クラブ 4勝30敗 47P
31位 九戸クラブ 2勝16敗 24P
32位 水工クラブ 3勝 8敗 18P ※16
33位 岩手東芝 0勝 4敗 13P ※17
34位 盛工クラブ 0勝 4敗 3P ※18
35位 平泉クラブ 0勝 3敗 3P ※19
※1 90年まで宮城建設久慈ク。チームの歴史は宮城建設に。
久慈クラブは91年創設の新チーム。
※2 元々は盛岡鉄道局。97年復活。
※3 03年活動停止。
※4 05年結成、06年から公式戦参加。
※5 93年休部、95年復活し、04年活動停止。
※6 06年結成、07年末解散。
※7 03年活動停止。
※8 00年参加。
※9 00年まで宮高倶楽部。
※10 03年まで佐藤組北上球友。
※11 05年まで一関三星倶楽部。
※12 87年に盛鉄局メンバーで岩手に残ったメンバーで結成。ウィキペディアによれば「岩手銀行の後継としての性格」も持つチームとの事。
※13 02年結成。
※14 大槌球友が99年に解散。00年に新体制で再出発。(扱いは別チーム)
※15 00年活動停止。
※16 05年にZ硬式野球倶楽部と改称するが、そのチーム名では一度も試合する事なく06年3月に解散。
※17 00年末に解散。
※18 06年に結成も、07年に活動停止。
※19 01年で活動停止。
と、いう事で35チームのたたかいぶりをまとめて来ました。
大まかな所は、前段の部分でも語らせていただきましたが、累積ポイントは、10年間ずっと安定的に活動して来た“クラブを越えるクラブチーム”水沢駒形がダントツのトップ。選手権には参加しないものの、他の大会でドラマチックに勝ち進んだ赤崎が2位。向上心の強さで勝ち上がって来た江刺が3位となりました。
ベン:ここからは“伊東4人衆”も加わります。
元々『クラブ王国』といわれる岩手県。
でも、それは一つのチームが強くて、生まれたものではありません。
90年代岩手を席巻した一関、釜石がそれぞれ勝ち続けることが大変な状況になった中、台頭して来たのが赤崎や江刺。しかし、その中でなお勝ち続けているのが水沢駒形。お互いがお互いを高め合う様相が見えます。
びー:よく見てみりゃ、駒形はうまいギアチェンジしているよな。
レギュラーが巧い具合に若手に切り替わっている。
“新田(忠正投手)中心”の投手陣も、佐藤功也(投手)中心に遜色無い活躍しているし、な。
伊東:赤崎は90年最終盤に台頭。その後、エース山本淳一君の大ケガもあったけど、佐野君、多田君、佐々木慶喜君といった好投手を中心に堅いディフェンスの一方で、大物打ちよりも“つないで、ためて、ぶちかます”チェーンプレス打線で並み居る強豪を撃破し、岩手有数のチームにのし上がりました。
特に都市対抗での「東北三強に2分」は、メンバーが持つ「矜持」がもたらしたものとおもいます。
びー:約一名バカ(伊東勉)が混じっていますが、そいつ以外はみんなよく頑張っていると思います。江刺も90年代後半から徐々に台頭し始めて、03年にクラブ全国に。それ以降は激しいぶつかりあいの中で東北進出が届かない状況でしたが、08年にそれを突破すると、全国ベスト8に残りました。
ベン:他にも上位大会に進出したのは久慈、高田、赤べこ。赤べこは後で触れるけど、久慈は01年にベスト4。一時足踏みしましたが、今年は復活の東北行き。高田は「菅野(貴行)馬場(敏次)」コンビで、波に乗れば企業チームも何の、という力を見せました。
びー子:この他にも高いレベルでの野球経験者も覆い黒陵も“鉄腕”小山投手中心に手ごわい存在に。不来方も解散した企業チーム出身者が集まり、化学反応起こして都市対抗で東北1勝をあげた時も。宮古も堅い野球で2度優勝。北上レッズも地元の大会に花添える優勝を果たしました。
伊東:続いては企業+アルファチーム。
まずは何と言っても東京ドームに進出した赤べこ軍団があげられます。
その資質は日本有数とも言われた前田投手、アメリカでの野球経験もある関、高倉両選手が軸となり、結成いきなりそれまで「岩手の強豪」といわれたチームをぶっ飛ばして優勝を果たしたのが印象的でした。それ以降も全国から猛者が集まり、その中に岩手・東北出身の有望株も飛び込み強化が進んだ結果が、ドーム行きとなりました。
ベン:ただ、地元の方々の熱意とは別にバックアップ体制が肝心の部分で整わず2年でその歴史を終えてしまったのばかりが非常に残念でした。もっと残ってもらって「あのチームに…」と思わせるチームでいてほしかった。
びー:今それを担っているのがフェズント岩手。複数の企業の協力を得て活動している「広域企業チーム」タイプのチーム。年数を経る毎に力も増して、今では岩手隋一のチームとなりつつあるぜ。
それを追いかけるのがかつての名門「盛岡鉄道局」の流れをくむJR盛岡。
フェズントが有望株の大学生を加入させることが多いチームなら、JRは地元の高卒選手を叩き上げてチームを作り上げて来た印象の強いチーム。時々東北の舞台に出ることもありましたが、確固たる強さを身につけたのは近年の事。この2チームの切磋琢磨はこれからも見物です。
伊東:その一方で、岩手を引っ張って来たチームが活動を停止したのはこの年代の前半期に集中しました。積極的な戦力補強でチーム力を上げつつあった宮城建設が03年に、少人数ながらも結束良くたたかった太平洋セメントも03年に、後楽園にも進出した農協チーム「岩手4強」のJAいわても04年に…地元の野球人に活躍の場を与え続けたアイワ、東芝も00年に活動を停止しました。
ベン:地域の企業がチームをもち、支えていくのが大変だというのを見せつけられてしまいましたね…。これは何か、いいやり方ないものでしょうか。
伊東:04年に起きた“球界危機”そのときに侃々諤々やり合った結果が、翌年からの一定の改革に結び付きましたが、悲しい話「大人になった後に野球を続ける」と言う事自体一手間も二手間もいる状況になっているというのが、残念な事です。
それでも時間を作ってでも競技性の強い野球を続けたいという思いをそれぞれのプレーヤーが持ち、この10年も続いて来ました。中軸的チームの変動で勢力地図もだいぶ変わりましたが…今日書いた数字というもの、それだけ見れば無機質にああだこうだ言えますが、それぞれの試合の中につめられたもの、描かれたものというのは、個々に輝くものがあると思います。
現在、社会人野球の制度改革も言われていますが、何がどうであれ言えることは、一人一人の選手が生かせる、活きる。そういう野球や、野球連盟であってほしい。その立場から、生きている限り社会人野球を見続けていきます。
びー、ベン、びー子:私たち4人も、伊東と同じ立場で社会人野球を見続けていきます。今日も拙文お読みいただきありがとうございました。
ご意見、ご感想はこちらにおねがいします。