MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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記事製作日誌21年3月24日ver.

 音声入力に慣れていたらある申請作業でスマホのギガを食ってしまい、久し振りに手製で記事書きます。

 社会人野球、私の開幕は6月と書きましたが、岩手の社会人野球としては(1)トヨタ自東が4月JABA静岡大会、5月JABA東北大会。(2)クラブ野球選手権東北予選が4月半ばに岩手で。(3)JABA北上大会も5月開催…と動きがあります。ようやく記事書く資料もまとまったので、3月中にはいい加減アップできるようにします。

地震について/土砂崩れに注意を/始まっている社会人野球にエール。

 今日は。
 2021年3月20日午後6時9分に起きた地震、皆様ご無事でしょうか。一時は津波注意報も出されるなど、怖さを覚える地震でした。ここ1か月内だけでも宮城県沖、紀州地域などで規模の大きい地震が相次ぎ、そもそもとして環太平洋地域各所で規模大きい地震は起きているので、気がついた時に防御と震災対応見つめ直しておきたいです。
1)我が家でも震災対策の拡充を図っていて、過日Facebookでは私のモバイルバッテリー蓄電機(24000MAH、太陽光の蓄電もできる)の話をしましたが、兄貴は私の数倍の対応をするようで−しかも本格エコエネ−。いやはや、技術計職種の人は考え一枚上手です。
2)ここしばらくは雪解け水が流れ始める季節になっています。今年の冬は例年以上に雪が降り、それで地盤が緩んだり、土地が水を多く吸っている状況も。
 人生の中で2度ほど土砂崩れ寸前に該当箇所を通りかかったこともありますが、どっちも木のシルエットが傾いていたり、水が変なところから出ていたりして、いつもと違うという状況がありました。自然の恵みを多く受けている箇所だけに、それぞれの大きい反応が時には害となって降りかかります。気をつけるところ気をつけて、命脅かされないように生きていきたいです。

3)社会人野球。東北はまだですが、関東から南側では公式戦も始まっています。今年もオリンピックの影響もあり日程が大幅に変っていて、クラブ野球選手権の予選が3月から始まっている地域もあります。
 コロナ感染のこともあるし、試合に臨むというところから様々気を使われることが多い現場。それをこえてグラウンドで皆さんが頑張っていただくことを願っています。
 私自身の開幕は6月になりそうなので、それまでは今やっている“宿題”をせっせかとやっていこうと思います。お付き合い頂きましてありがとうございました。

マリーンズ佐々木朗希君実戦デビュー。「期待」と「願うこと」。

 東日本大震災から10年を経た次の日「大船渡・気仙野球最大の原石」佐々木朗希投手がプロ初登板。1イニングを投げプロで実績を積んだ京田、阿部、ビシエド3選手を抑える結果を出しました。

 自分が直接朗希君を見たのは

・17年夏 対盛岡北戦

・18年夏 対盛岡三戦

・18年秋 対専修大北上戦

・19年夏 対遠野緑峰戦

 の4試合。佐々木君がMAX160kmを出せる投手なのは皆様承知と思いますが、プロ野球は「高い能力を1年間続けることを考えなければならない」世界。その観点で着目した試合は盛岡三との試合の6〜8回のピッチング。

 序盤スピードは出したものの対戦相手にホームランを打たれるなど攻略された部分も。グラウンド整備明けの6〜8回は特に丁寧に「相手を抑える」ことに集中した投球ができていたと見ます。今回対戦相手だった同じ岩手出身の阿部寿樹さんが「彼の入ったストレートは速かった」と述べていましたが、短いコメントに込められた色々な意味を消化して、成長していただければと願います。

東日本大震災から10年を経て。【3媒体共通】

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 3月11日。

 皆様はいかがお過ごしになられたでしょうか。私は通常の仕事を終えてから午後大船渡に入りました。2時半からの1時間は「10年前に自分が大船渡にいたらどういう行動をとっていたか」をなぞる行動を。その後は思い向くまま大船渡町内を歩いていました。コロナ感染が広まってからは亡き母の所用以外で大船渡に来ることはなかったので、「大船渡の空気を吸っていたい」と、それだけで町を歩いていたわけです。

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1)「10年前に『逃げ切れたか』」…10年前、母のわけ分からない電話から大船渡行きを断念した私。居住地でぼやっとしてたら大地震。生前、母に何であの日だけ用事もなく、趣味のパチンコにつれていけ、でもなく呼びつけたのか訪ねてみましたが、本人もはぐらかすでなく「わからない」としか言わないまま、20年7月に永眠しました。

 知人からは「大船渡にいれば間違いなくお前は死んでいる」と言われ、自分も自身のことはわかるからみんなの言う言葉は受け止めた一方で、「自分があの日大船渡にいたら」…でのしかかってるものはあります。

 今の自分であれば―基礎疾患を二つ持ちでも―10年前よりは動けるようになっているので、10年越しの避難行動(実証実験)してみた結果、15分程で加茂神社まで逃げることができました。

 

 ただ。

 それは今現在の話です。

 様々な経過を経た今現在の。

 10年前のあの時に自分が逃げ切れたかどうか言えば、正直逃げきれなかったと思います。地震のパニックに、情報得られないままの「平常性バイアス」考えると…そこらは図表をご覧ください。

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2)10年経って。新しい形でまちづくり・地域づくりは進められました。

 だけども10、11日のラジオ番組やインターネット番組で、知己の識者が述べていたことは「その街の中で生活の不安がなく生きていける場所になっているか&生きていける社会制度になっているか」の疑問、問いかけがほとんどでした。

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 ハードは揃った。

 でも、その町に住み、生き続けられない。それでは本末転倒じゃないかと。10年間の政治、大筋は、市井に向き合った政治をしてるかといえば否定的に見さざるを得ません。具体的内容などについては様々な勉強会などで再確認した上で記すことにしますが、断片的に感じるものだけでも「しっかりせなあかんよ」と言わざるを得ないのです。

3)私は大震災の敵討ちを何に求めたかといえば「津波被害、1度目は直接の波で、2度目はその後に襲いかかってくる生活難で」という先達の言葉があり、その“2度目”を起こさせないためと思って歩いて来ました。

 21世紀に入ってから権力者様は「自助だ、自己責任だ」の思考回路が巾を利かすようになっています。そんなこと言われんでも、みんな自分の人生という「一所」を懸命に生きようとする。

 だども。

 社会がそれを壊すようなやり方してんじゃどうしようもねえじゃねえか―そういう思いで、それ何とかすんべど、足りない脳みそと動かない体で自分の持てる力だけはフルに何とかしようと動いてきました。

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4)野球の部分で。

 自分をここまで成長させてくれた大きな柱の一つは、間違いなく野球で、その野球を一生懸命頑張ってる気仙地区の後輩の背中を押そう、と。まあ応援すると言ってもいろいろな手法がありまして、自分の出来る限りのことでそれを為す。この10年間、以上のスタンスで取り組んできたつもりです。

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 数年行っている野球歴史調査を見ると、戦争や災害など様々な惨事の後はスポーツに熱が入りやすい状況になりますが、その後、関係者の環境の変化・動態、仕事や私生活などの役割追加等々考えると、ボディブローのように響いて、意識を持って取り組まないと「熱」が失われてしまうという状況があることに気づきました。

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 今ここでどうすればいいか、というのが思いつきませんが、せっかく場に居合わせたのなら納得いく歩みをしていただきたいので、考慮に入れていただければ、と願います。

5)東日本大震災から10年、昨夏に母をなくして8ヶ月。感情の変化激しい私ですが、この方面では泣いてる暇はないと思い、10日まで涙こぼすことをしてきませんでした。

 ですが、震災10年という時間の経過と、たまたま見てしまったある漫画で緊張の糸が切れたんでしょうかね。不覚にも涙こぼしてしまいました。

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なぜか盛駅

 なんとか震災の方面で10カ年、もがいて生きてきました。「10年だから一区切り」ではなく「この後も良ぐ生きるために共に伴走し力を尽くす」と。そういう趣旨でこれからも大船渡はじめとした被災経験地域を見守り、必要に応じた行動して行きたいと思っています。

 ちょっと冗長な一文でしたけど、まずこれからも頑張って生きるべ、ど、それだけ。自分もどこまで伴走できるか分かりませんが、1日でも長くできるように努めます。

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16年に行われた同総会で三本締めをする筆者。

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東日本大震災から10年―野球の場から復興を共にして。

 今日は。以前からの予告通り「3・11特集記事」が部分完成しましたのでここにアップします。締め切り間近に2日作業できなかった影響で完全完成といかず、一部は前年の使いまわしにもなりましたが、野球に関しての追憶はまとめましたのでご覧ください。
 いつもの木曜日の仕事した後に大船渡に向かいます。

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13日夜11時の地震/記事製作進まない件について。

 2月13日夜11時に起きた地震、皆様のお住まいの地域では大丈夫でしょうか。幸い津波は起こらなかったものの、震度6強まで行く地震は久しぶりで、「3・11」も近くなっているだけに、あのときを思い起こさせるものとなりました。こういう大きい地震の時は余震気をつけなければならないです。皆様お気をつけてお過ごしください。

 野球の記事制作ですが、頭の中でブレーキがかかってしまって進めることができなくなっています。1ヶ月前に2020年に行われた公式戦は全部書き終えて、さぁと思ったところにこれです。精神的なこわばりが取れ次第続きを書くというふうにはしますが、そのこわばりをどうを取り除くかは模索中です。
 社会人野球の日程案が回ってきました。なんとかシーズン入るまでは野球場に行けるような調子を取り戻す、それで頑張ろうと思います。調子戻ったら野球場でお会いしましょう。

1月17日、阪神大震災から26年。

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 26年。

 そんなに月日が経ちましたか。

 これまで45年生きてきましたが、「阪神」と「東日本」の両大震災は自然災害の厳しさを多大な犠牲の上に示されたものと認識しています。起きたことから学び、それに対応すんべ…と思いはしますが、その道は険しいものです。諦めてしまうのは簡単ですが、ここでも諦め悪く生きていくとしますか。

 あの日、犠牲になられた方に向け黙祷。

下克上の末優勝は江刺―20年9月開催の岩手県知事旗大会結果【2020社会人野球】

 今回の記事では2020年9月19日に行われた岩手県知事旗大会の結果を記していきます。
 当初は6チーム参加によって2日間で行われる予定でしたが、日程変更の余波を受けて盛友クラブとJR盛岡が辞退、参加4チームによるワンデートーナメントで行われました。以下に結果を記述しますがとんでもないことが起こりました。まずご覧ください。
◆一回戦 オール江刺 3―2 トヨタ自東
 チーム結成当初の2012年を除いて、水沢駒形以外でトヨタに勝ったのは初という番狂わせが起きた。トヨタは三回に先制も追加点が取れず、江刺が五回、七回、八回に1点ずつ奪い逆転。右本格派の千葉→若手左腕関の継投で逃げ切った。トヨタは先制以降思うように戦いきれなかった。
◆一回戦 MKSI BC 6―1 水沢駒形倶
 今夏都市対抗野球県3位決定戦のリマッチとなったこの試合も下克上が起きた。初回に駒形が先制するもMKSIは三回に追いつき、五回に3点、六回に1点を奪い突き放すと、エース田村が駒形を1失点に抑え完投勝利。駒形は中盤の攻勢を食らった後体勢を立て直せなかった。
◆決勝戦 オール江刺 8―1 MKSI BC
 三回に先手を取ったのはMKSI。このまま奥州市チーム2連破かと思われたが、江刺は中盤に高橋祥のホームランをはじめ攻勢をかけMKSI先発中島を攻め立て、投げてはベテラン小山→二刀流宇部とつないで優勝を成し遂げた。
 表彰選手は以下の通りです。(敬称略)
 関 勝人(江刺・最高殊勲選手賞)
 田村洋人(MKSI・敢闘賞)
 千葉晴也(江刺・首位打者賞)
 大会会場が久慈地域だったために直接の観戦ができませんでした。何といっても驚いたのは江刺によるトヨタ撃破。
 2012年は選手13人で投手陣も野手として出場する状態下他企業チームの後塵を介しましたが、2013年以降は岩手県内でほぼ無敵、時々風穴を開けるのは水沢駒形のみ。2018年都市対抗県決勝ではその駒形をも完膚なきにコールドで打ち破るという試合を展開し、「独走を許すのか…」と思われました。
 しかし、この試合で江刺、そして10月末に行われた岩手アマチュア王座決定戦ではJR盛岡がトヨタを打ち破るという成果を成し遂げました。MKSIも19年クラブ野球選手権県優勝や今回の駒形撃破と実績を積み、総じて「風穴を開けてやろう」という空気が生まれてている様子に…あえて言えば「面白さ」を覚える思いです。
 年が明けてからぼそぼそと2020年に行われた公式戦の結果を書いてきましたが、この次に製作する2020年記事はそのまとめの記事を記します。準備が必要なので時間がかかるので、しばしお待ちいただくことをお願いいたします。お付き合い頂きましてありがとうございました。

2020年9月5、6日開催・東北クラブカップ結果。【2020年社会人野球】

 ここからは去年リアルタイムで記事制作できなかった東北クラブカップ大会の結果を記していきます。去年のプレビュー記事でも書きましたが秋田県は県予選を開催できずCC東北進出チームの選出不可。岩手も日程変更の影響で、岩手県クラブ選手権二回戦敗退チームから2チーム推薦するという形をとりました。どのチームも県外に出ての試合で陣容を揃えるのも大変だったようですが、それでも各自調整して、2日間7試合行いました。
 一回戦、準決勝は9月5日に鶴岡ドリームと酒田光ケ丘、決勝戦は6日鶴岡で開催。以下記述していきます。
◆一回戦 鶴岡野球ク 11―1 前沢野球倶
 ここ数年の積極的な取り組みで評価され推薦された前沢だったが、経験豊富な鶴岡に初回に4失点、三回にも2失点でペースを握られた。鶴岡は手を緩めず、五、六回に5得点、投げては4投手が前沢打線を1点に抑え逃げ切った。前沢にとっては1点奪い、若手投手が経験積んだのが収穫も苦い本格東北デビュー戦となった。
◆一回戦 TFUクラブ12―1 小峰クラブ
 都市対抗県予選準決勝進出で久しぶり東北出場の小峰ク相手にTFUは三回までに10点を挙げ勝負の流れを引き寄せた。六回にも2失点を食らった小峰はただで帰れないとばかりに七回に攻勢。1点を返し足跡を残した
◆一回戦 福島硬友ク 7―6 天童エンジェルス
 小峰ク同都市対抗県4強、富士通と接戦を演じ今大会の優勝候補と思われた福島硬友クだが、約10年ぶりに東北の舞台で戦う天童が予想以上の善戦。四回に3得点を挙げ勝ち越し、八回までに硬友が逆転したものの9回に天童が再逆転。このまま東北初勝利と思われたが、硬友が再再逆転サヨナラ勝ちを収めた。
◆一回戦 三菱製紙八戸7―5 一関BBC
 今季都市対抗の県予選3勝が認められて推薦された一関が序盤攻め込み、三回までで5―2とリード。八戸は三回以降じわじわと差を詰め、七回にはついに勝ち越し。両チームとも投手は東北初経験者が多かったが、攻撃陣にベテランの多い八戸が一歩先んじた形となった。
◆準決勝 TFUクラブ6―1 鶴岡野球ク
 三回までは両者無得点。四回に鶴岡が1点先制し波に乗るかと思われたが、TFUがすぐ裏に逆転、五、七回に2点ずつあげ差を広げた。鶴岡は必死に反抗の糸口を見つけようとしたが、TFU投手陣の前に抑えられ、5投手継投も実らなかった。
◆準決勝 福島硬友ク 5―4 三菱製紙八戸
 東北経験も豊富な両チームの激突。先制したのは八戸だったが、福島が五回に4得点挙げ逆転。八戸も粘り腰を見せ八、九回の3得点で追いつき延長タイブレークにもつれ込んだ。十回の攻撃で福島が1点あげ、裏の八戸の反撃を封じ込め決勝進出。
◆決勝戦 TFUクラブ2―1 福島硬友ク
 マークスを破ったTFUと富士通と互角の戦いをした福島硬友クの試合は僅差の鍔迫り合いとなった。初回に両チーム1点ずつ奪い合い、TFUは加藤が奮闘、硬友は継投で目線を散らし、スコアボードに0が並ぶ。しかし、七回にTFUが勝ち越し、加藤の完投勝利で優勝をもぎ取った。
※表彰選手は未掌握。
 さて感想ですか。その前に…リアルタイムで書けなかったのは「SNSに書く影響」が頭にこびりつきまして。仕事などの事情によって編成が難しかったというのは先に書きましたが、それ以外でも県外に行って試合をすることそのものへの「反響」というのも同じくこびりつき、記事にして書くことで「こんなときに野球か」などと余計な軋轢を生じさせたくなかったので、そこらへんの考慮で腕が鈍ってしまいました。
 秋田はクラブカップも大変でしたが都市対抗も県予選開催前に2チーム、さらに予選最終日に2チームが棄権。青森県弘前アレッズが都市対抗県予選で優勝したもののコロナ感染の第2期拡大機にあたってしまい、東北予選出場を県全チームが断念せざるを得なかったなど、コロナ感染に振り回された一年の象徴がこの大会だったと思います。
 その中で久しぶりに東北の舞台に立った一関BBC、天童エンジェルス、小峰クラブ、県予選経ての東北出場は初めての前沢などがひとつの経験を積んだクラブカップ大会。基本的にはクラブ選手権の敗退チームによって行われるもので、東北クラブチームの底上げを目指して行われる性格をもっています。進出チームがそれを体現したものであり、それを勝ち抜いたTFU、決勝に進出した福島硬友クは東北トップクラスを追いかける一つの地盤を作ったものと思われます。
 2021年にどういうふうな試合が行われるか、1月10日時点では何とも言えませんが、その意欲を継続できるような状況になっていればと願うものです。4ヶ月遅くなりましたが、クラブカップ東北大会に参加された皆さま、お疲れさまでございました。
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