こんにちは。伊東です。今日は、岩手でも高校野球の決勝と社会人野球・一関市長旗大会の決勝が行われました。高校野球は専修大北上が2-1で盛岡大附を破り5年ぶりの甲子園出場決定。社会人野球は全足利と全日立共に譲らず、7回雨天コールドで3-3。両チーム優勝と相成りました。これ以上の延期は無理だったんですね。何にしろご苦労様でした。
さて、今日のタイトル。隣の秋田で、高校野球準決勝で「試合を早く進めたい」という思惑で、本荘高校監督が打者に三振を指示するという事件が起きました。試合は本荘高校がコールドで勝ちましたが、敗れた秋田高校の監督は「負けたことよりもその事の方が屈辱だ」と怒りまくっていたそうです。その本荘高校は23日の決勝で秋田中央を破り甲子園出場を決定しましたが…どうにも後味悪いものになってしまいました。
この件に関して、大分ブログの上でも議論が交わされていますが、見た範囲の中では、理由は色々分かれていますが、総じて言えば「この作戦が悪い事ではないだろう」というのが多数派を占めつつあります。正直言って複雑ですね…。
2年前。2004年都市対抗野球東北大会。岩手からは赤崎野球クラブと水沢駒形倶楽部が出場した。予選リーグ戦の組み合わせは以下のとおり。
赤崎野球クラブ・七十七銀行・郡山ベースボールクラブ
水沢駒形倶楽部・JR東日本東北・JR秋田
1位突破→第一代表トーナメント(一回負けても第二代表決定トーナメントに回れる)へ。 2位突破→第二代表決定トーナメントへ(ここで負けたら予選敗退)。 3位→予選敗退決定
戦力だけを純粋に見てみれば、赤崎・駒形は、東北トップレベルのチームの七十七・JR東北に確実に勝てる保証はない。「効率よく」次のステップに行くためには赤崎・駒形は七十七・JR東北との試合を「捨て試合」にして、全力を出せば勝ちきれると思われた郡山・JR秋田との試合に戦力を集中すべきでは、という声もあるにはあった。では、この2チームはどういう態度をとったか。
赤崎→七十七銀行にエース・山本君を投入。3-3の引き分けに持ち込む。続く郡山に2-3で惜敗
駒形→JR東北にエース・新田君を投入。1-2でサヨナラ負けも接戦に持ち込む。続くJR秋田に2-9で敗退
この2チームの決断。笑いたい奴は笑えばいい。だが、当事者としてみれば
「岩手の王者が、他の県のチームに『こんなものか』と思われるたたかいはしたくない。勝ちに行く」
と、あえてトップクラスのチームに対してエースを持ってきた。結果、赤崎も駒形も次の試合に勝つ事ができず予選リーグ敗退と相成ってしまったが、打倒・企業チームという目標ができ、トップレベルの力に触れたことによって、チーム力のアップにつなげる事ができたのである。
何が言いたいか。
「目先の結果を求めれば、その目先の結果を得やすくはなるが、それ以上に大きくなることはできない」
「成長は苦しみとともに勝ち取るものだ」。
先の赤崎・駒形のケースと本荘のケースとではまた違うが、どう生きていくかという風にモノを考えていくと「勝てばいい」だけでは済まされないものもあるように思う。
92年の松井秀喜選手5敬遠事件にしてもそうだ。確かに敬遠四球はルールの内。それ単体では批判はしないが、全部逃げましたでは空しいものもある。「松井秀喜を打ち取った」という成果を得る機会ができなかったことが。はっきり言えば、松井さん一人に4ホームラン食らったって他にランナー出さなければ4点しかとられない。4点取られたらそれ以上に取り返せばいいだけの事だったのにね…。
私自身もプロではないが、JR東北の吉田史昭投手と相対したときがある。私が三年、彼はまだ一年。試合用ユニフォームの他のナインに一人、練習用ユニフォーム(試合用のユニフォームがまだ渡されていなかった)の姿でいた彼と相対した私は、低めのストレートをピッチャーゴロにしかできなかったが、その後の彼の活躍を見て「俺はあの選手と相対したんだな」という心地よい思い出を作ることができた。真正面からぶつかる、というのはそういう事である。
大体、試合に勝つなんていうのは、試合に臨む以上当たり前の事であって、必要以上に語ることではない。勝つために策を講ずることは否定しないが、それが「勝利第一」になってしまうと、置き忘れるものも出てしまうのだ。効率というのも、大事なものだけど、そればかりでやっていったら、途中にある「大事なもの」を見逃してしまう危険性だってあるわけでしょう。
世の中、スパスパと思う通りに行けばいいんだろうけど、そういう訳にもいきませんね。寄り道したり、躓いたりしながら成長していくもの。大分遠回りしましたが「三振を指示する」という事は、そういう「成長のキッカケ」を摘み取ることにもつながるんです。試合の大勢は決まっているにしても。(だから、今の5回10点、7回7点のコールド規定は疑問に思っている。今のままだと『一糸を報いる』機会があまりにも少ないからだ。5回15点、7回10点が妥当)
躓いたり、傷つきながら何とかここまで生きていた自分にとっては、今の「効率」一辺倒の動きの中では生き辛い部分もあるわけです。コンビニで勤めはじめた10年前。「他の奴ならクビにするが、伊東君の場合は成長の余地もあるから3ヶ月待ってみる」と、辛抱してくれた当時の経営者。今では、そういう余裕がなくなっている様子があちこちで見えます。
「生きる」という篩い(ふるい)をかけるスピードが速くなっている今の世の中。篩い落とされた人も、何とか踏ん張っている人も、ゆるくない思いでいる事でしょう。そのつらさに気づかないのは、無神経に篩いを振り回している「強者」だけです。スピードに振り回されず、何が大事な事なのか。それを考えながら、日々歩んでいきます。
文が思うようにつながらなかったかもしれませんが、本荘の事件を見て、思った事を書きました。秋田にしても、ノーゲームを狙った時間稼ぎがあったとかなかったとか。
自分のとった行動が、何年か後に、自信を持って話できるか。
皆様方、私ごときが強制できるものではありませんが、まずはそこから始めていきませんか。
今日も拙文を読んでいただいてありがとうございました。またお目にかかります。
さて、今日のタイトル。隣の秋田で、高校野球準決勝で「試合を早く進めたい」という思惑で、本荘高校監督が打者に三振を指示するという事件が起きました。試合は本荘高校がコールドで勝ちましたが、敗れた秋田高校の監督は「負けたことよりもその事の方が屈辱だ」と怒りまくっていたそうです。その本荘高校は23日の決勝で秋田中央を破り甲子園出場を決定しましたが…どうにも後味悪いものになってしまいました。
この件に関して、大分ブログの上でも議論が交わされていますが、見た範囲の中では、理由は色々分かれていますが、総じて言えば「この作戦が悪い事ではないだろう」というのが多数派を占めつつあります。正直言って複雑ですね…。
2年前。2004年都市対抗野球東北大会。岩手からは赤崎野球クラブと水沢駒形倶楽部が出場した。予選リーグ戦の組み合わせは以下のとおり。
赤崎野球クラブ・七十七銀行・郡山ベースボールクラブ
水沢駒形倶楽部・JR東日本東北・JR秋田
1位突破→第一代表トーナメント(一回負けても第二代表決定トーナメントに回れる)へ。 2位突破→第二代表決定トーナメントへ(ここで負けたら予選敗退)。 3位→予選敗退決定
戦力だけを純粋に見てみれば、赤崎・駒形は、東北トップレベルのチームの七十七・JR東北に確実に勝てる保証はない。「効率よく」次のステップに行くためには赤崎・駒形は七十七・JR東北との試合を「捨て試合」にして、全力を出せば勝ちきれると思われた郡山・JR秋田との試合に戦力を集中すべきでは、という声もあるにはあった。では、この2チームはどういう態度をとったか。
赤崎→七十七銀行にエース・山本君を投入。3-3の引き分けに持ち込む。続く郡山に2-3で惜敗
駒形→JR東北にエース・新田君を投入。1-2でサヨナラ負けも接戦に持ち込む。続くJR秋田に2-9で敗退
この2チームの決断。笑いたい奴は笑えばいい。だが、当事者としてみれば
「岩手の王者が、他の県のチームに『こんなものか』と思われるたたかいはしたくない。勝ちに行く」
と、あえてトップクラスのチームに対してエースを持ってきた。結果、赤崎も駒形も次の試合に勝つ事ができず予選リーグ敗退と相成ってしまったが、打倒・企業チームという目標ができ、トップレベルの力に触れたことによって、チーム力のアップにつなげる事ができたのである。
何が言いたいか。
「目先の結果を求めれば、その目先の結果を得やすくはなるが、それ以上に大きくなることはできない」
「成長は苦しみとともに勝ち取るものだ」。
先の赤崎・駒形のケースと本荘のケースとではまた違うが、どう生きていくかという風にモノを考えていくと「勝てばいい」だけでは済まされないものもあるように思う。
92年の松井秀喜選手5敬遠事件にしてもそうだ。確かに敬遠四球はルールの内。それ単体では批判はしないが、全部逃げましたでは空しいものもある。「松井秀喜を打ち取った」という成果を得る機会ができなかったことが。はっきり言えば、松井さん一人に4ホームラン食らったって他にランナー出さなければ4点しかとられない。4点取られたらそれ以上に取り返せばいいだけの事だったのにね…。
私自身もプロではないが、JR東北の吉田史昭投手と相対したときがある。私が三年、彼はまだ一年。試合用ユニフォームの他のナインに一人、練習用ユニフォーム(試合用のユニフォームがまだ渡されていなかった)の姿でいた彼と相対した私は、低めのストレートをピッチャーゴロにしかできなかったが、その後の彼の活躍を見て「俺はあの選手と相対したんだな」という心地よい思い出を作ることができた。真正面からぶつかる、というのはそういう事である。
大体、試合に勝つなんていうのは、試合に臨む以上当たり前の事であって、必要以上に語ることではない。勝つために策を講ずることは否定しないが、それが「勝利第一」になってしまうと、置き忘れるものも出てしまうのだ。効率というのも、大事なものだけど、そればかりでやっていったら、途中にある「大事なもの」を見逃してしまう危険性だってあるわけでしょう。
世の中、スパスパと思う通りに行けばいいんだろうけど、そういう訳にもいきませんね。寄り道したり、躓いたりしながら成長していくもの。大分遠回りしましたが「三振を指示する」という事は、そういう「成長のキッカケ」を摘み取ることにもつながるんです。試合の大勢は決まっているにしても。(だから、今の5回10点、7回7点のコールド規定は疑問に思っている。今のままだと『一糸を報いる』機会があまりにも少ないからだ。5回15点、7回10点が妥当)
躓いたり、傷つきながら何とかここまで生きていた自分にとっては、今の「効率」一辺倒の動きの中では生き辛い部分もあるわけです。コンビニで勤めはじめた10年前。「他の奴ならクビにするが、伊東君の場合は成長の余地もあるから3ヶ月待ってみる」と、辛抱してくれた当時の経営者。今では、そういう余裕がなくなっている様子があちこちで見えます。
「生きる」という篩い(ふるい)をかけるスピードが速くなっている今の世の中。篩い落とされた人も、何とか踏ん張っている人も、ゆるくない思いでいる事でしょう。そのつらさに気づかないのは、無神経に篩いを振り回している「強者」だけです。スピードに振り回されず、何が大事な事なのか。それを考えながら、日々歩んでいきます。
文が思うようにつながらなかったかもしれませんが、本荘の事件を見て、思った事を書きました。秋田にしても、ノーゲームを狙った時間稼ぎがあったとかなかったとか。
自分のとった行動が、何年か後に、自信を持って話できるか。
皆様方、私ごときが強制できるものではありませんが、まずはそこから始めていきませんか。
今日も拙文を読んでいただいてありがとうございました。またお目にかかります。