MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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430歩目 山本将大君の甲子園始球式から~宮古北高校野球部(1)。

 おはようございます。昨日は寝過ぎました。夏バテと夏風邪のコンボがあったからと、24時間で18時間寝ていたんじゃダメでしょ(呆)。盆前に落ち着けるところは落ち着いて、一息はつこうと考えています。
 今日も1日よろしくお願いします。

 昨日は夏夏コンボで伏せっていたので「甲子園連ツイ」の後半戦をやらないできました。
 甲子園始球式にマウンドに立ったのは宮古北高校の山本将大君。始球式こそ暴投になってしまいましたが見事な立ち振舞いに多くの観客から暖かい拍手が送られたのは記憶に新しいことです。
 宮古北はここ数年部員の確保に難儀していて、去年はギリギリの人数で参加。今年は9人を割り西和賀高校と連合チームで出場。東端に近い宮古市田老の学校と、秋田県に近い西和賀町の学校という超遠距離の学校による連合チームは岩手の高校野球ファンの間で話題となりました。宮古北と西和賀は何回かお互いの中間点(ニュースでは遠野と石鳥谷が映っていました)でやっていたとの報道。「他部からの助っ人だとケガの危険性も。野球部員ならそれがない」から始まった連合チームは、チームとしての一体感増して、今年の公式戦に挑みました。

 春の大会は県大会に進めず、夏の大会も「応援団も連合チーム」で臨みましたが、花北青雲に0-10で敗退。皮肉にも…花北青雲の所在地は石鳥谷。連合チームの練習に使っていたグラウンドから徒歩2分。6回の集中攻勢が響いた格好になりました。
 実は宮古北高校、甲子園出場まであと一歩に迫ったこともあります。89年、決勝まで勝ち上がった宮北でしたが、あと一歩及ばず6-12で敗退。その後もしばらくは「存在感のあるチーム」で「個性ある選手」を育ててきましたが、学科変更や通学の負担などから状況は変わりました。
 近年は部員も少なくなり、強豪と言われた頃の面影は薄くなっていましたが、それでも「その学校に居て、成長の場、自己表現の場…とにかく1つの居場所であり続けている」事には変わりありません。
 
 私、実は去年、宮北の試合を見ていまして。
 12年夏花巻球場。直前に行われていた大船渡東-久慈東の試合を見終わりましてさあ帰ろうと三塁側の出口に向けて歩き始めたのが1つのキッカケでした。大船渡高と入れ替わりにベンチ前で練習し始めたのが宮古北高校でした。
 小豆色のユニフォームに少人数のチーム。何かね…思い出したチームがありました。
 
 我が母校、大船渡農業高校。
 
 帰ろ思っていた私を、宮古北高野球部という存在が強い引力放って「帰るな、見ていけ」と訴えている様な気がしまして。

「だめだ!俺はこの後仕事があるんだ。帰って調整しないとバテちまう!」
 
 …と1秒抵抗した後に腰を下ろしました(早いね屈服)。試合は「目標は甲子園」の久慈高に5回コールド0-10で敗れましたが、所々に存在感を見せていたのを覚えています。
 
 宮古北の話はまた後程続き書きます。(12日記事で書いたとおり、メールが送れなくなったため)


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