(1)クラブ野球選手権最終日。
1️⃣ 第49回クラブ野球選手権は9月16日に松山坊っちゃんスタジアムで決勝戦が行われ、マツゲン箕島が大和高田クラブを5対3で破り2年連続優勝を成し遂げました。部分的に見ていた動画と一球速報(baseball.omyutech.com)情報を元に雑感を記します。
▽決勝戦 マツゲン箕島 5対3 大和高田ク
マツゲン箕島は大和高田クラブの好投手を攻略。大和高田の追い上げをかわし2年連続優勝を成し遂げた。箕島は三回に犠牲フライで先制。四、五回と2アウトからタイムリーヒットが飛び出し3点をリードする。大和高田は五回裏に3安打で1点、七回にも1点を返したがさらなる追撃機を逃すと、箕島は九回表だめ押しの2点。九回裏大和高田は満塁から押し出しで1点を返すが、さらなる追撃は利かず箕島の優勝を見届けることとなった。
2️⃣ 野球Xでは「YouTubeチャンネルを正座して見ます」とか言っていたような気もしますが、実際は様々な用事があったりして落ち着いて見ることができませんでした。見ることができた部分で話しますと、「高レベルな試合をやってるな」と。クラブチーム野球でも投手のスピード感は145~150近く。当然それに対応するような攻撃力・守備力を見せるわけだから自分たちが本大会に出ていた2000年代前半とは見る光景が違うな、と思ったりしています。
タイムラインを見ていると「箕島が『次のステップ』上がるのではないか」などという書かれ方もしていますが、それは当事者の意思表示がないと何とも言えません。そのステップアップが簡単でないでしょうし。
ただ。
どーいう道を歩もうと、こうしてひとつずつ地歩を固めて、「おらほの街になくてはならないチームだ」と思わせる立ち振る舞いをして、その方々と「共存共栄」できればとは思っております。箕島の皆さん優勝おめでとうございました。
そして何回も応援団も含めその強さを見てきた大和高田クラブの皆様、目標達せなかったことは残念ですが、大和高田クもまた自分たちクラブチームの目指す場所です。また挑み続けてください。
(2)クラブチームを中心に
愛媛県社会人野球の歩み紹介。
クラブ野球選手権特集の第2弾として、今日は大会会場となった愛媛県のクラブチーム中心とした社会人野球に関して触れていきます。
1️⃣ 判明できなかった1927~1942年の四国社会人野球。
都市対抗野球は1927年に始まりましたが、それが全国的な大会になるまでには時間がかかりました。1928年から各地で本格的に予選が行われますが、私の調査では1931年まで四国チームが参加した足跡がありません。
四国地区は当初、中国地区と合わせて中国・四国地区として1代表を争う形に。予選は
1)岡山・広島・山口県の「山陽地区」
2)島根・鳥取県の「山陰地区」
3)そして四国4県「四国地区」
で一次予選が開催。1932年に四国4県のチームが出場した記録を発見し、その中に愛媛県チームでは全松山の名がありました。7月3日に倉敷で行われた全呉との対戦で1対11で敗れたのが「初めての足跡」と思われます。しかし、その後四国各県からの参加はまばらな様子で愛媛県からの出場は見当たらず。
1936年の第10回記念大会では四国の単独枠が設けられ、その予選に愛媛県からは松山倶楽部が挑みましたが3対4で全高知に敗戦。その後の資料収集を雑にしていたため、資料が錯綜していますが、はっきりした部分では1938年の二次中四国予選に全松山が進出。緒戦12対5で全岡山に勝ち「二次予選初勝利」をあげますが、続く代表決定戦では5対10で全呉に敗れています。
その後1939年から1941年までの記録が不明。1942年に全今治が出場しますが、7対11で全徳島に破れた試合までが戦前の結果の全てとなります。
2️⃣ オール今治がスタートダッシュをかけた1940年代の愛媛県社会人野球。
戦後に関しては新聞紙面が縮小していた関係で毎日新聞に一次予選から細かい記録がなされていたわけじゃありません。1946年から1952年にかけての一次予選を調べるために、国会図書館で毎日新聞地方版の記録のない県※については県紙を調べました。
※愛知、三重、岐阜の「中部本社」、近畿、四国、石川、福井、鳥取の「大阪本社」発行分が薄かったです
1946年~1952年の7年間に在籍したチームを以下に紹介します。「県優勝」は都市対抗野球愛媛県予選。
・オール松山 46 △46県優勝
・ニュー松山 47、48
・松山クラブ 47
・オール今治 47~ △47県優勝
・オール新居浜47
・大王製紙 48、49 △48県優勝
・大西製紙 48、49 △49県優勝
・オール西條 48
・日本ハッチ 48
・道後体育協会→オール道後→道後温泉クラブ 48~51
・南海精機 49
・宇和島鬼城クラブ 50
・丸善石油 50~ △50、51県優勝
・東レ愛媛 51~
・倉レ愛媛 51~ △52県優勝
・日新化学 52
この中のクラブチームで目立った成績を残したのはオール今治。1947年にオール新居浜(毎日新聞香川版では「住友クラブ」)とニュー松山に勝って県優勝すると、四国予選でも高知・土佐製鋼を破り代表決定戦に臨みますが、林義一、蔦文也と言ったNPB進出→野球指導者としても著名な2投手に抑えられ後楽園進出は阻まれます。その後も1949、50年も県予選準優勝するなど、1954年まで県内で活動しました。
1946年のオール松山は中等学校の松山商出身者中心に編成されましたが、予選については残念ながら結果を示す資料がなく調べることができませんでした。文中のオール西條はエントリーはしたものの試合を棄権。1950年代半ばからは下記図表の通り企業チーム主軸に活動する時代となります。

3️⃣ 四国社会人野球縮小期に存在示したオール松山クラブ。
1970年代後半から四国の社会人野球は活動チームが縮小する状態となります。愛媛県でも1959年に都市対抗野球全国優勝を成し遂げた丸善石油が廃部する中、1982年に設立されたのがオール松山倶楽部。
全日本経験者3人含め四国地域の活動終了した企業チーム選手等が集まり、1983年都市対抗野球では電電四国と本大会出場をかけた決勝戦で敗戦。1984年都市対抗では第2代表を四国銀行と争いましたがこちらも惜敗しましたが、クラブ野球選手権の本大会に出場。本大会では初戦に北上球友(現北上REDS)に勝った全足利と二回戦で対戦。三回までの10失点が響いて3対13で敗戦した記録が残っています。
この後の成長も期待されたチームですが、残念ながら1985年の日本選手権四国予選を最後に活動の歩みが止まることとなりました。
4️⃣ 「不死鳥」のごとく希望を「造る」─愛媛両チームの奮闘
その後、愛媛県で活動していたNTT四国が、NTTチーム統合の影響で1999年に活動終了。「愛媛県から社会人野球の火を消さない」ことを目的にNTT四国関係者が2000年に新チームとして松山フェニックスを設立。「クラブ野球選手権に中国・四国地区代表として8回出場 2009年、2014年に準優勝」「2001年には日本選手権本大会に出場、1勝」「2014年には都市対抗野球本大会に出場し、全足利とのクラブチーム対決を制し1勝」などの実績を重ね、中国・四国地区で1、2を争う存在感を見せるクラブチームとなっています。
四国も野球熱の高いところで、2005年から四国アイランドリーグが設立。20年を経てNPBに人材を供出する確固たる存在を作りました。一方で社会人野球チームは各県に1チームあれば…という状況。それでも、今年結成されたイワキテックが都市対抗代表決定戦に進出し、クラブ野球選手権でも1勝をあげました。Xのタイムラインで愛媛新聞のクラブ野球選手権報道が1ページまるまる使って取り上げられていた様子が。野球熱の発し方というのは地域ごとに特色があるものでしょうが、できることなら新居浜とか今治にももう一度チームが作られて「働きながら野球も頑張る社会人野球」の根っこが広がれば、と思ったりします。
(3)両記事のまとめとして
クラブ野球選手権という大きなお祭りは終わりました。今大会では俳句のコンクールも行われ、閉会式でその大賞が発表。元々JABA子規記念大会時にも同様のコンテストは行われていますが、それを全国大会に持ってくるとはビックリしたものの、特色あるものとなりました。
それを含めても色々印象に残る出来事も多かったこの大会。ここに参集された選手、関係者、運営者、観客、SNS報告者の皆様、
本当にお疲れ様で、
ありがとうございました。
さあ来年は第50回大会。
頑張るぞ。
『次の道 尽きぬ情熱 糧とする』
『50度目 生きるも球も 追いかける』
季語ねえぞ失格←短文でルールの多い文章書くのも下手なんだよ
