今記事では9月14、15日に岩木山総合公園球場で行われた弘前市長杯を扱います。今年は青森県の3チームと秋田県の3チームが参加して行われました。
ここ数年はコロナ感染症で往来が制限されていた事情もあり青森県内チームのみの開催となっていましたが、今年はこのこの時期に公式戦が空いていた秋田県勢が大会に参加し、青森県内チームと腕を競いました。一球速報ホームページ(baseball.omyutech.com)を元に記事を記載します。
全弘前は期待の若手投手を先発に出したが、能代が二回裏に6得点を集中、一気に試合の流れをつかんだ。全弘前はその後全国を回り腕を磨いてきた投手が救援登板をしたが、能代はその後も2点を追加し逃げ切った。全弘前は攻撃面でも2安打のみ。七回に得点圏にランナーを送ったがダブルプレーで完封負けを喫した。
▽一回戦 弘前アレッズ 2-1 互大設備DC
近年復活の兆しを見せている互大設備は4人の投手陣が奮戦。都市対抗東北大会も経験しているアレッズに失点を許さず延長戦に突入。アレッズも指名打者兼先発投手が互大設備を抑え0行進のまま試合は延長九回に。互大が2アウトから適時打で先制をしたが、その裏アレッズは互大のエラーにつけこみ追いつくと、満塁策からサヨナラ適時打で勝利をもぎ取った。
▽準決勝 能代松陵ク 4-2 キングブリザード
近年久しぶりの上位大会進出を果たしたチーム同士の対決は意地の鍔迫り合いに。キングが三回に先制するも、能代はその裏に4点あげるビッグイニングで試合の流れを掌握した。その後能代も攻めあぐねたが、キングも反撃は五回の1点のみで、その後の反撃が利かず破れ去った。
両チームは初回点を取り合い。その後は落ち着いた展開となったが、次の一手を打ったのはアレッズ。四回に3点をあげると、六回に1点をあげ一気にペースを握る。由利本荘は六回裏に2点を返したが、アレッズが七回に1点をあげダメ押しし決勝に進出した。
弘前アレッズは「日本のクラブチームで一番大谷翔平に近い男」が先発(※この日は投手に専念)。初回1点ずつ取り合い接戦も期待されたカードだが、弘前は三回に8安打を集中し一気に6点を奪うと、四回にも5安打で4点を上げ一気にコールド圏内に。能代攻撃陣もランナーは出したが、要所で三振を喫し五回コールドで弘前アレッズが優勝を成し遂げた。
…気がついてみれば、この弘前市長杯大会も開催10回目となります。青森県社会人野球は1971年復活時から支えてきた三菱製紙八戸、長く東北の舞台で戦い続けた自衛隊青森の両チームが解散、2017年に解散したオール青森と合わせると縮小という言葉がどうしても乗ってしまいますが、それでも今活動している3チームは意気軒昂に活動を行っています。青森は主要大会県予選以外にも大会は行っていた方で、かつては春に春季大会(←春じゃない春季大会あったら教えな)主に秋の時期に青森市長旗大会が行われ、特に後者は青森県社会人野球のレベル向上のために、と他県の強豪チームを招いて開催。その心意気をくんだ大会は近年ではこの弘前大会に移り、コロナ感染症の影響などもありましたがこのような形で継続されているのは何よりと思うところです。
それでも三菱、自衛隊両チームの解散は運営にも大きな影響を与えているのではないかと思われている部分もあり、来年は都市対抗野球東北予選の順番の年ですが行方が気にかかる部分があります。社会全体が何もかにも縮小という傾向にはありますが、それでも意欲を持って活動し続けるチームにはよく過ごして欲しいと思うのは当然ですし、青森、八戸といった青森県を代表する都市でそれを表すチームがないというのは本当に残念な話です。加えて、かつてチームを持っていたむつ市(1941年大湊特殊鋼)や三沢市(1951年アスレチックス)辺りにも何かそういう空気が出てこないかな、と願う自分がいます。
自分の祖父が青森の人間だったということもありますし、社会人野球の歴史調査をなぜ始めたかといえば「青森県社会人野球に空白の歴史があった様子を見て『なんでそうなったんだろう』」を探り始めたのが原点となりました。関わったところの社会人野球がよくあってほしい、という願いを基に意を起こす人が出ていただければ、と遠い所から願うものです。