社会人野球のクラブ野球選手権は荒天のなか3日間行われ、継続試合の影響で遅れていた1カードも終了。東北代表のエフコムBCが勝ち抜きベスト4が決まりました。本日行われた試合結果を一球速報ホームページ(baseball.omyutech.com)をもとに記します。
▽エフコムBC 9-3 全府中野球倶
エフコムが二度の集中攻撃で全府中を突き放し二度目のベスト4進出を決めた。エフコムは初回に3適時打で4点先制。全府中は二回に敵失などで2点を返すが、エフコムは四回に2適時打3点をあげるとその後も追加点。全府中は五回に1点を返すがその後の反撃が利かなかった。
3日に行われる準決勝2試合、決勝戦の見どころは以下の通りです。会場は足利運動公園(ジェットブラックフラワーズスタジアム)8時30分開始予定。一球速報サイトなどでの確認お願いします。
▽準決勝 ショウワコーポレーション-エフコムBC
大会日程がアンバランスになる対戦カード。1日間を置いた連覇狙うショウワコーポレーションは投手陣中心に体力を回復し待ち構える。前日勝ち抜いたエフコムBCは勢いと試合勘が継続的に働いている状況。どちらが良く作用するか。
▽準決勝 大和高田ク-マツゲン箕島
近畿の実力派チーム同士の対決。ハナマウイに大勝した大和高田、水沢駒形との激戦を勝ち抜いた箕島と対照的な勝ち上がりだが、共にチームとしての経験値は豊富。両チームとも近年「思うようにならない結果」も経験。それを払拭しようとする気概も備えているだけに好勝負が期待できそうだ。
▽両試合勝者で決勝戦。
今回当初は「1日1試合」を原則として進行しようとしていましたが、荒天の影響で“例年”に戻ったようです。変更も多く、試合と試合の合間の調整には気を遣われると思います。どうか、良い塩梅に試合に臨んでください。
【特集】大社野球、ひとつの足跡
-社会人野球・大社クラブのあゆみ 前編
※当初、当記事は大会終了後にアップする予定でしたが大会日程が変わり、記事製作環境も変わったこともかんがみ、本日と火曜日の前後編で記述します。
高校野球選手権は京都国際高校の優勝で幕を閉じましたが、山陰地方の島根県・大社高校が劇的な勝ち上がりの連続でベスト8に進出し注目されました。大社高校の奮闘ぶりは他の媒体で見ていただければと思いますが、私の関わる社会人野球でも1950年代に大社町チームの活躍が見えた箇所がありました。
▽戦後20年皆勤の大社クラブが躍進したとき-中心になった「元プロ捕手」と「実績積んだ技巧派投手」。
全大社→大社クラブとつながった社会人野球チームは、戦後はじまった1946年の都市対抗野球島根県予選に参加。以降、20年行われた島根県予選に唯一の皆勤チームとしてその存在感を見せました。※松江はチーム分立や欠場あり。
当初10年間は中国配電→中国電力や県都松江市の全松江、山陰合同銀行などの活躍もあり苦戦も強いられていましたが、1950年代後半に一大飛躍を迎えることとなります。
そのキーポイントとなった選手は2人。
1人は県内社会人野球滝川産業からプロの高橋ユニオンズを経験し帰郷した西倉実捕手。
もう一人は1957年、軟式野球大和紡出雲の実績を引っさげてチームに加わったアンダースローの技巧派小田川幸一投手。
技巧派の小田川投手を様々な経験を積んだ西倉選手がリードし、さらに地域有力軟式チームの大和紡、大東鉱山、大社町の学校野球部指導者で構成するメンバーが後押しし、1957年の都市対抗野球島根県予選では初の優勝を成し遂げます。
この年は二次中国予選が島根県で行われており、島根県から4チームが出場。総じて都市対抗野球本大会出場歴のあるチーム相手に苦戦しましたが、小田川-西倉バッテリーを中心とした大社クラブは広島専売に中盤まで食らいつき、比較的奮戦(1-5)しました。
1958年の一次島根県予選は小田川投手が3連続完投で2年連続優勝。二次中国予選では西倉捕手が欠場の憂き目にあいますが、協和発酵宇部相手に2-3の善戦を見せます。
▽ついに企業チーム撃破…も無念の棄権-1959年都市対抗
そして一番の躍動を見せたのが1959年。攻守に中軸を担っていた西倉選手が軟式野球の大東鉱山に移籍・専念。それまで他のポジションで実力をつけていた祝部幸吉選手が西倉選手の穴を埋め、小田川投手が投打に渡る奮闘でチームを引っ張り、3年連続県優勝を成し遂げました。
この年は都市対抗野球の記念大会ということもあり、中国地区には本大会進出枠2が与えられましたが、その代表権は岡山・鳥取・島根の3県で構成する東中国地区で1つ、広島・山口2県で構成する西中国地区で1つとなりました。
7月9日から岡山県営球場で行われた予選には岡山から倉レ岡山、三井造船玉野、鳥取から米子鉄道、島根から大社クラブの4チームが集合。敗者復活戦2敗失格制トーナメントで代表を争いました。初戦、倉レ岡山と対戦した大社クラブは山陰合同銀行から補強した出島投手(この時は二次予選開催時に一次予選敗退チームからの補強選手も認められていた)が立ち上がりを突かれ、二回までに5失点を奪われ、2-7で敗退。
翌日7月10日には古豪米子鉄道局相手に奮闘。1-1で迎えた六回に敵失とタイムリーで2得点をあげると、小田川→出島投手の絶妙な投手リレーで米子鉄道攻撃陣の猛追をかわし3-2で勝利。島根県勢にとっては1949年中国配電が山口県・藤山炭鉱に8-1で勝って以来の二次予選勝利となりました。
しかし、次の日の雨天中止が、ギリギリの日程を戦っていた大社クラブにとって致命傷となり、1日延期した敗者復活戦・三井造船玉野の試合に臨めなくなってしまい試合を棄権。この後を東中国地区予選は敗者復活から勝ち上がった三井造船が倉レに勝って代表決定戦にもつれ込みましたが、倉レが翌日の決定戦を制し東中国地区代表に。激戦となった予選で大社クラブが米子鉄道局に勝った試合というのは一つのエポックになったものと思われます。(後編に続く)
編集中記→元々ひとつの長編で記事を製作してきたので粗が出ているかもしれません。“番外編”含めた後編は明日の記事に掲載します。