ようやく頭が冷えました。
これまでトヨタ自動車東日本とは13年、14年と2回戦ってきて、どっちも15点以上奪われての大敗。今日も10+α点奪われての敗戦で、普通に見れば「大敗」と言うスコア。しかし、活路も見出だした試合はできたと思います。
赤崎野球クが都市対抗の東北大会に進んだり、クラブ選手権の全国大会に進んだりして存在感を示したのは2000年台の半ば。気がつけばそこから10数年が経ち、黄金期を支えた選手の多くは卒業しはじめている状態となりました。今日試合に出た選手で、都市対抗の東北予選を経験したのは2人だけ。他は東日本大震災を経たあと入部した選手たちです。
代替わりが進むチームの中で、一時は全く存在感を示せなかった(上位進出がなかった)年もあり、厳しい言葉をいただいたこともありました。ほんでも、同好会的なクラブチームの場合は集まった選手、いる選手で頑張る他ありません。そして、いま試合に出ている選手たちが模索しながら道をつくろうとしている。今日はトヨタ自東の確実性を重視した野球の前にガッツリと点を奪われましたが、「ああしゃあねえ」で流すプレーはしなかった。数人の選手とは懇談しましたが、今日の結果からつかんだものもあったようです。
私も前ブログのような大人げない行動もしますが、年齢だけは43を数えました。相変わらずハンドマイクふたつにICレコーダー、新しくヘッドセットを用意して両手を空けて拍子をとれるようになりましたが、機材応援をするチームの中では一番ショボい装備。それでも熱意だけは衰えていないので、仲間と共に歩んでいこうと思います。
試合結果は明朝までに、応援に関する話はまた後刻記すとします。万年補欠の駄弁りにおつきあいいただきありがとうございました。