今日は。変調、治りきらず、静養にあてる時間が増えてしまいました。今日は休んでいた中で見たJリーグの感想です。
野球のシーズン中は当然野球に傾注していますし、今年に入ってからJリーグ中継、あまり見ないでしょ。DAZN(ダゾーン)が見れないんだぞーん…寒くてすみませんでした。あまりに下らなすぎたのでツイッターでは項変えて。今日は優勝決めるか、という一戦だったのでNHK総合のアントラーズ、NHKBS1のフロンターレの中継が。2試合を2画面で見ていました。結果は…フロンターレが小林選手のハットトリックもあり逆転優勝。
フロンターレ…思えば最初の印象は「昔のジャイアンツとファイターズの関係」。後楽園・東京ドームに本拠を置くジャイアンツにファイターズが後から入ってきて利用していた時期がありましたが、それのサッカー版と。「川崎のJリーグチーム」は、当初ヴェルディのもの、というイメージがありました。しかし、掘り下げるとヴェルディ=読売クラブが川崎のチームというのに「?」と。東京のチームと違うの?と。(事情知らなかったので)当初はスター選手を揃え、盟主と目されたヴェルディですが年を経るごとに凋落し東京移転。富士通→フロンターレも一回J1に昇格しますがすぐ降格。横浜マリノスとフリューゲルスの合併、ベルマーレ平塚(当時)の降格と併せて、日本サッカーの歪みが神奈川のチームに現れているよな…と見てました。
その後J1に帰ってきたフロンターレ。「見違えた」と思ったのは05年のシーズン。「前を向いて、堂々と」というチーム名称を体現する攻撃的な戦いぶりに「おっ」と。名良橋晃、岩本輝雄等を擁し躍進したベルマーレを思い出しました。(それだけにスポンサーの撤退などで揺れ動き、当時のチームが“解体”してしまったのが惜しまれます)フロンターレに見処を見出だし、最注目の横浜FC、グルージャ、ガンジュと並べて気にしてきました。その中で起きた東日本大震災でも陸前高田市に入り活動していた行為にはただ頭が下がる思いです。
そうして見届けてきた10数年。「シルバーコレクター」と呼ばれ、優勝には遠かったフロンターレがたどり着いた優勝。それを支えてきたフロンターレ関係者、川崎市の皆様にお祝いを申し上げるものです。
PS…シャペコエンセの悲劇から1年。犠牲者の中にはフロンターレに在籍していたマイア選手も。
マイア選手も歴史を刻んだフロンターレが、はじめて優勝しましたよ。
悔しさと悲しみは忘れず、生きていきます。