こんにちは、伊東です。
日曜日に都市対抗の岩手予選が終わったわけですが、岩手のチームの写真もだいぶたまってきまして…そこで今回は「岩手県社会人野球チームのユニフォーム変遷」という題材でお送りします。最近は背中に選手名をつけないというスタイルも増えているのでそこからツイッターでつぶやき始めたのが最初ですが…まずひとつ、ごらんいただければ幸いです。
(図表の見方⇒チーム名、基本色、ユニフォーム2種類あるか12で、選手名有無、マイナーチェンジ含め変えた年。)
◇トヨタ東日本(赤、2、有、12年)
⇒2012年に誕生したトヨタ東日本野球部。チームカラーはトヨタと同じく赤ですが、ユニフォームデザインはいくつか特徴を持っています。(モデルはホーム沼田投手、ビジターが…思い出せません、すみません。)
◇フェズント岩手(赤×黄、2、有、06年)
⇒2006年結成の「広域複合企業チーム」。ユニフォームデザインは結成以来変わりません。モデルはどっちも小野寺聖人投手。今回都市対抗岩手予選では組み合わせ表の関係でビジター用を着る事はありませんでした。
◇JR盛岡(青、2、有、12年)
⇒97年に復活し、地歩を築いてきたチーム。当初は「JR」ロゴを下地クリーム、ブルーで使い分けていて、その後はどちらかが「JR」もうひとつが「EastJapan」の筆記体。去年の夏にユニフォーム変更しました。モデルはホームが日向端将選手、ビジターが前川投手。
◇盛岡倶楽部(白×青、1、有、87年)
⇒1987年に盛岡鉄道局野球部の統合から、盛岡に残った選手で結成したチーム。89年には都市対抗の東北予選にも進出しました。97年にJRが復活した後も残った選手で活動を続けています。デザインは盛鉄時代と類似。モデルは武田投手。
◇盛友クラブ(白×明緑×紺、1、有、08年頃)
⇒一つ前のデザインは上半身が濃いエメラルドグリーンに黒で「Seiyu」、もう一つ前は90年代のヤクルトスワローズのビジタータイプのユニフォームでした。いつの時代でも侮れないダークホースです。モデルは真のエースへと成長しつつある武田投手。
◇盛岡市立ク(紺、1、有、00年代以降現デザイン)
⇒盛岡市立高校のOB中心に作られたチーム。結構企業上がりの選手も多くいたりします。表には「00年以降~」と書きましたが、この形以外のユニにした話は聞きません。写真は岩手のレジェンド、熊谷亨選手。
◇オール不来方(紺×白-一時期のヤクルト-、2、有、00年頃)
⇒盛岡で古くから活動しているクラブチーム。活動停止した企業チーム選手の受け皿になったことも多く、2001年には都市対抗県予選で準優勝。時々の大会で上位進出するなど勝負どころのわかっているチームです。ビジター用が小田中選手、ホーム用が三浦選手。1990年代は赤×白でした。
◇盛岡球友倶楽部(白×紺、1、無、12年)
⇒岩手銀行に勤めている方中心に結成された盛岡球友倶楽部。その経緯から「岩銀野球部の復活」といわれ方もしましたが、ユニフォームはデザインを一新しています。岩銀時代はビジターがオリックスブルーウェーブ時代のに類似。写真は鈴木治投手。
◇雫石クラブ(白×背面水色、1、有、03年頃)
⇒2004年都市対抗ではベスト4、それ以外の大会でもあっといわせる事もある雫石。2000年代に入ってからこの表裏対照的なユニフォームを着ています。写真は沼崎宏祥投手と荒井選手。
今回は第一弾として企業、盛岡周辺あわせて9チームを紹介してきました。次回は岩手南部地域中心に9チームを紹介していく予定です。どうぞしばしお待ちいただきます(それから7年経っているが―2020年5月2日追記)。
日曜日に都市対抗の岩手予選が終わったわけですが、岩手のチームの写真もだいぶたまってきまして…そこで今回は「岩手県社会人野球チームのユニフォーム変遷」という題材でお送りします。最近は背中に選手名をつけないというスタイルも増えているのでそこからツイッターでつぶやき始めたのが最初ですが…まずひとつ、ごらんいただければ幸いです。
(図表の見方⇒チーム名、基本色、ユニフォーム2種類あるか12で、選手名有無、マイナーチェンジ含め変えた年。)
◇トヨタ東日本(赤、2、有、12年)
⇒2012年に誕生したトヨタ東日本野球部。チームカラーはトヨタと同じく赤ですが、ユニフォームデザインはいくつか特徴を持っています。(モデルはホーム沼田投手、ビジターが…思い出せません、すみません。)
◇フェズント岩手(赤×黄、2、有、06年)
⇒2006年結成の「広域複合企業チーム」。ユニフォームデザインは結成以来変わりません。モデルはどっちも小野寺聖人投手。今回都市対抗岩手予選では組み合わせ表の関係でビジター用を着る事はありませんでした。
◇JR盛岡(青、2、有、12年)
⇒97年に復活し、地歩を築いてきたチーム。当初は「JR」ロゴを下地クリーム、ブルーで使い分けていて、その後はどちらかが「JR」もうひとつが「EastJapan」の筆記体。去年の夏にユニフォーム変更しました。モデルはホームが日向端将選手、ビジターが前川投手。
◇盛岡倶楽部(白×青、1、有、87年)
⇒1987年に盛岡鉄道局野球部の統合から、盛岡に残った選手で結成したチーム。89年には都市対抗の東北予選にも進出しました。97年にJRが復活した後も残った選手で活動を続けています。デザインは盛鉄時代と類似。モデルは武田投手。
◇盛友クラブ(白×明緑×紺、1、有、08年頃)
⇒一つ前のデザインは上半身が濃いエメラルドグリーンに黒で「Seiyu」、もう一つ前は90年代のヤクルトスワローズのビジタータイプのユニフォームでした。いつの時代でも侮れないダークホースです。モデルは真のエースへと成長しつつある武田投手。
◇盛岡市立ク(紺、1、有、00年代以降現デザイン)
⇒盛岡市立高校のOB中心に作られたチーム。結構企業上がりの選手も多くいたりします。表には「00年以降~」と書きましたが、この形以外のユニにした話は聞きません。写真は岩手のレジェンド、熊谷亨選手。
◇オール不来方(紺×白-一時期のヤクルト-、2、有、00年頃)
⇒盛岡で古くから活動しているクラブチーム。活動停止した企業チーム選手の受け皿になったことも多く、2001年には都市対抗県予選で準優勝。時々の大会で上位進出するなど勝負どころのわかっているチームです。ビジター用が小田中選手、ホーム用が三浦選手。1990年代は赤×白でした。
◇盛岡球友倶楽部(白×紺、1、無、12年)
⇒岩手銀行に勤めている方中心に結成された盛岡球友倶楽部。その経緯から「岩銀野球部の復活」といわれ方もしましたが、ユニフォームはデザインを一新しています。岩銀時代はビジターがオリックスブルーウェーブ時代のに類似。写真は鈴木治投手。
◇雫石クラブ(白×背面水色、1、有、03年頃)
⇒2004年都市対抗ではベスト4、それ以外の大会でもあっといわせる事もある雫石。2000年代に入ってからこの表裏対照的なユニフォームを着ています。写真は沼崎宏祥投手と荒井選手。
今回は第一弾として企業、盛岡周辺あわせて9チームを紹介してきました。次回は岩手南部地域中心に9チームを紹介していく予定です。どうぞしばしお待ちいただきます(それから7年経っているが―2020年5月2日追記)。