おことわり・この記事は東日本大震災が起きる前に完成させた記事で、ここからの記事の文言の変更がききづらいため、完成させた状態そのままアップします。ご了承ください。
前編はこちらからお願いします。
3.延長15回。極限までたたかった選手の“底力”《HANAKITA-Side》。
15回投げ抜いて来た小野寺君。チームにはもう一人、千田耕平君という頼れる右投手もいたが、やはりここはエースの矜持なのだろう。この回もマウンドに立った。
「後3つアウト取れば勝てる」
だが、野球はそんなに甘くはない。
二番の坂井君の打球も、紀室君の打球と同じように右中間を割って行った!
ホームまでは向かえなかったものの、花巻北は大きなチャンスを作った。
ここで三番の吉田君…だったはずだが、彼は立てない。
この暑さの中の試合、とうとうダメージが足に来てしまった。
吉田君が仲間に抱えられて退場するのと入れ替わりに、背番号13番の及川君が打席に入る。こんな場面での急な出番、しかしここは…という思いはあったのだろうが、この打席は三振に倒れてしまった。
いきなりの三振。しかし三振を奪い、一段落したか…その後、四番の照井君、五番の瀬川君と歩かしてワンアウト満塁にしてしまう!追いつけば再試合、引っ繰り返せば花巻北の劇的勝利…盛り上がりを見せる雫石球場。ここまで2安打と当たっている及川君が、右方向に痛烈な当たりを飛ばす!
「抜けたらサヨナラだ!」
…が、一塁手の千葉君がこの打球を捕らえ、ホームに返した!
「アウト!」
同点は防いだ。
しかし、ツーアウト満塁。まだ逆転の好機は続く。
⇒写真左は最後の最後、無念の退場となってしまった吉田君、写真右は好フィールディングを見せた千葉君です。
主将の高橋君の打席だったが、彼はマウンドに立つだけで精一杯だったのだろう。打席には2年生の背番号12、藤島君がむかったが、“1年の年季の差”が勝負を分けた。
ピッチャーゴロ。
小野寺君が大事に一塁に投げて…そして、終わった。
この熱い試合を、延長15回という試合を。
紙一重で抜け出し、大船渡東高校が勝った瞬間を。
そして、高校生がもつ「熱い思いの体現」を。
またひとつ、目の当たりにした。
終章・あれから半年。
この熱いたたかいを刻み込んだ後、所用もあって一泊して帰って来たその日、祖母がなくなっていたのを知り、その祖母の初七日が終わったとき、父がなくなったのを知った。だから、この後の高校野球がどうなっていたのかを実感としては知らない。ただ、この熱いたたかいを乗り越えた大船渡東が、過去2年、コールドで敗れていた盛岡第四高校を相手に一時リードしていたものの、その後終盤に引っ繰り返され、後一歩及ばず夏を終えたことを知った。
前年、高校野球界を騒がせた花巻東高校も、今年は甲子園とは遠い所で夏を終え、気仙地区の他3チームも目標には届かず、甲子園には春に出場した盛岡大学附属を破って一関学院が進出したが、甲子園では遊学館に大差で敗れ去っていた。
身近な野球が強いんだぞ、というのを知らしめたいというのは誰でも思うこと。どういう経過をたどって、花巻東を中心とした“2009ゴールデンエイジ”が躍動したかは、俺が言うまでもないことだと思います。
しかし、ゴールデンエイジの年代の選手だけがすばらしいか、と言えばそれは“否”。確かに彼らは一つの道を示してくれたけど、強ければいいだけが高校野球ではない。野球やっていれば強くなりたい、うまくなりたいなんて思うことは当たり前だから、後はそこにどう人間的な成長を勝ち取れるか、が高校野球の目的だと思いますがいかがでしょうか。
大船渡東高校野球部。
わたしにとって母校の大船渡農業高校がなくなり、『地元の後輩』という目線でこのチームを見届けてきました。上級生の人数が少なく、自分たちでチームを作っていく、という意識は、他の同学年の選手に比べれば強かったことと。
その中で“常笑”というキーワードを見つけ、彼らなりに3年間築き上げたものが、新たな「大船渡東高校野球部」の柱となって生き続ける基礎になった。そういう意味で彼らは大きい仕事を成し遂げたのだと思います。
この記事含む集団投稿アップする前に大方の高校では卒業式が行われました。
船東でも「卒業式にツバキ贈呈」と言う伝統は生き続けていましたね。
このツバキのごとく、いろんな人から“栄養”受けて成長し続けてくれよ、ということばかり書かせていただきまして、この一文終わらせていただきます。
人生こっから。頑張って生きてってけでな!
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3.延長15回。極限までたたかった選手の“底力”《HANAKITA-Side》。
15回投げ抜いて来た小野寺君。チームにはもう一人、千田耕平君という頼れる右投手もいたが、やはりここはエースの矜持なのだろう。この回もマウンドに立った。
「後3つアウト取れば勝てる」
だが、野球はそんなに甘くはない。
二番の坂井君の打球も、紀室君の打球と同じように右中間を割って行った!
ホームまでは向かえなかったものの、花巻北は大きなチャンスを作った。
ここで三番の吉田君…だったはずだが、彼は立てない。
この暑さの中の試合、とうとうダメージが足に来てしまった。
吉田君が仲間に抱えられて退場するのと入れ替わりに、背番号13番の及川君が打席に入る。こんな場面での急な出番、しかしここは…という思いはあったのだろうが、この打席は三振に倒れてしまった。
いきなりの三振。しかし三振を奪い、一段落したか…その後、四番の照井君、五番の瀬川君と歩かしてワンアウト満塁にしてしまう!追いつけば再試合、引っ繰り返せば花巻北の劇的勝利…盛り上がりを見せる雫石球場。ここまで2安打と当たっている及川君が、右方向に痛烈な当たりを飛ばす!
「抜けたらサヨナラだ!」
…が、一塁手の千葉君がこの打球を捕らえ、ホームに返した!
「アウト!」
同点は防いだ。
しかし、ツーアウト満塁。まだ逆転の好機は続く。
⇒写真左は最後の最後、無念の退場となってしまった吉田君、写真右は好フィールディングを見せた千葉君です。
主将の高橋君の打席だったが、彼はマウンドに立つだけで精一杯だったのだろう。打席には2年生の背番号12、藤島君がむかったが、“1年の年季の差”が勝負を分けた。
ピッチャーゴロ。
小野寺君が大事に一塁に投げて…そして、終わった。
この熱い試合を、延長15回という試合を。
紙一重で抜け出し、大船渡東高校が勝った瞬間を。
そして、高校生がもつ「熱い思いの体現」を。
またひとつ、目の当たりにした。
終章・あれから半年。
この熱いたたかいを刻み込んだ後、所用もあって一泊して帰って来たその日、祖母がなくなっていたのを知り、その祖母の初七日が終わったとき、父がなくなったのを知った。だから、この後の高校野球がどうなっていたのかを実感としては知らない。ただ、この熱いたたかいを乗り越えた大船渡東が、過去2年、コールドで敗れていた盛岡第四高校を相手に一時リードしていたものの、その後終盤に引っ繰り返され、後一歩及ばず夏を終えたことを知った。
前年、高校野球界を騒がせた花巻東高校も、今年は甲子園とは遠い所で夏を終え、気仙地区の他3チームも目標には届かず、甲子園には春に出場した盛岡大学附属を破って一関学院が進出したが、甲子園では遊学館に大差で敗れ去っていた。
身近な野球が強いんだぞ、というのを知らしめたいというのは誰でも思うこと。どういう経過をたどって、花巻東を中心とした“2009ゴールデンエイジ”が躍動したかは、俺が言うまでもないことだと思います。
しかし、ゴールデンエイジの年代の選手だけがすばらしいか、と言えばそれは“否”。確かに彼らは一つの道を示してくれたけど、強ければいいだけが高校野球ではない。野球やっていれば強くなりたい、うまくなりたいなんて思うことは当たり前だから、後はそこにどう人間的な成長を勝ち取れるか、が高校野球の目的だと思いますがいかがでしょうか。
大船渡東高校野球部。
わたしにとって母校の大船渡農業高校がなくなり、『地元の後輩』という目線でこのチームを見届けてきました。上級生の人数が少なく、自分たちでチームを作っていく、という意識は、他の同学年の選手に比べれば強かったことと。
その中で“常笑”というキーワードを見つけ、彼らなりに3年間築き上げたものが、新たな「大船渡東高校野球部」の柱となって生き続ける基礎になった。そういう意味で彼らは大きい仕事を成し遂げたのだと思います。
この記事含む集団投稿アップする前に大方の高校では卒業式が行われました。
船東でも「卒業式にツバキ贈呈」と言う伝統は生き続けていましたね。
このツバキのごとく、いろんな人から“栄養”受けて成長し続けてくれよ、ということばかり書かせていただきまして、この一文終わらせていただきます。
人生こっから。頑張って生きてってけでな!