MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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2009年6月6日から6月23日までの病状日誌。(再録)

 ブログを作る環境が変わりまして、気軽に借りてパパパと作る、という訳にも行かなくなりました。で、いろいろ模索した結果5年前まで使っていたワープロを引っ張り出し、データのMS-DOS変換機能を使って、何日か分の記事を溜め込んでおいて、週に一度くらいでネットカフェに通い記事をアップする、という手法を使わせていただきます。今まで使っていたパソコンとは使い勝手が違うけども、体にも、財布にも負担がかからず記事発信ができるのでとりあえずほっとしています。
 今回の記事ですが、ま、タイトルのとおり何がどうなって今回の事態になったか。その状況を書かせていただきます。

・6月6日
 前日から胸の部分に違和感。その日は自宅を大掃除していましたが、私はその場を抜けさせてもらい病院へ。この時点では異常が見浸からず痛み止めの薬だけもらって自宅へ。

・6月7日
 この日の仕事両方とも休む。自宅で療養するが痛みは取れず。夜半からは一睡もできず。
・6月8日
 何とか朝の仕事はするも、この時点で既に今まで経験したことのない変調。朝勤の職場では声を出すことができず、退勤時間即退出。すぐに病院向かい、診察を受けた結果即入院、さらに診察の結果心臓の血管に異常が見つかり緊急病棟に移動。カテーテルを使っての心臓血管のバルーン拡張処置。かかった時間は3時間。

 術後は緊急病棟に入院し、足の付け根の動脈からカテーテルを差し込んだので、その部分は絶対安静。寝返りも打てず、体も部分固定。さらにトイレも当然行けないのでその部分も管を通している事に(慣れると楽にはなりますが)。点滴も何種類か受け続けていました。色々あって疲れたはずですが、眠気はなく、思ったよりも寝相もよく…。

・6月9日
 昼間に先に触れた動脈部分の、残していた針を抜いて、止血処理。自由に動くことはまだ出来ず。
 お見舞いに来ていただいた方もいましたが、家族以外は面会出来ないということで申し訳ありませんがお引き取りいただきました。
 この日から抗生物質の影響で熱が出始める。一日に二本打つが(午前と午後3時頃)夕方から熱が高くなり始め、大体39度まで上がる。頭に氷枕、脇と足の付け根にも氷を入れたものを挟む。

・6月10日
 9日と変わらず。

・6月11日
 歩くことが出来るかどうかの負荷試験も実施。それが通過し、トイレはカテーテルによるものからトイレに行ってすることに。高熱は変わらず。

・6月12日
 高熱のほかはある程度の回復が見え、食事も串刺し食からお箸を使ったものに。午後には一般病棟に移動。

・6月13、14日
 熱の影響はまだ残る。家族が見舞いにくる。
 実は、私のこの事態と同時に祖母も肺が弱った事から来る病気で、一時は危篤という状態にまでなっていました。なので、北上にいる家族・親戚にはこの「悪夢の同時進行」で大変な思いをさせてしまいました。
 新聞で赤崎が延長16回たたかって引き分け、との記事。
 この件は別記事で触れて行きます。

 後、夜にくだらない事で激高。
 「礼儀知らずの××野郎」のいい気になった面見て胸が…。
 ある意味では今回の入院の原因になっているだけに対処気をつけないと。

・6月15日
 赤崎メンバーと知り合いの方から「再試合は1-3で負けた」。
 でもよく頑張ったじゃ。その場にいることが出来なかったのばかりが、ね。

 この日病室移動。午後には負荷試験の第二段階。
 200メートル歩いてどう体に影響が出るか…でしたが、マイナスの影響は出ず。歩き始めがちと大変でしたが(手と足同時に歩いたもので安定悪すぎ)通過し、その階ならフリーで歩けることに。
 この日は都市対抗の県最終日。テレビのニュースに出るかな、と思いきや大学選手権の富士大学が大体的に取り上げられていました。準優勝おめでとうございます。でも都市対抗無視しないで(涙)。
 この日をもって点滴は外れる。

・6月16日
 この日から熱もでなくなり、普通の枕に。
 電話で「一般病棟に移動した」事を連絡したので、たくさんの方に早速お見舞いに来ていただきました。結構立て続けに来ていただきましたので…それでも皆さんに心配していただいた、という事でもあるのでほんに、有り難いことです。
都市対抗はフェズント岩手が優勝、JR盛岡が準優勝。
 クラブチームが代表に入らなかったのは03年以来6年ぶり。

・6月17日
 とくになし。

・6月18日
 負荷試験第三段階。今度は500メートル!
 それでも少しずつ歩いてはいたので、第二段階のようにはつまづいたりせずクリア。病院内なら行動フリーとなりました。

・6月19日
 久しぶりにブログ記事掲載。
 この日は7月に結婚を控えた友人がお見舞いに。
 出席出来るかどうかの確認も兼ねてもう一人の友人と打ち合わせ。
 出席の方向で確認。その後は30分ばかり会話。
 担当医との相談のうえ、退院を22日に設定。

・6月21日
 退院の準備。色々お見舞いいただいたものの整頓したら、紙バッグ4つ分に。同室の方が長期入院を余儀なくされる中での作業に申し訳ない思いもしながら作業していました。

・6月22日
 退院し、三陸の自宅に。

・6月23日
 兄と所要こなし、北上への移動準備終える。

 正直、病院に行ったときに「カテーテル入れるよ」という話を聞いたときにはショックと不安が先立ちましたが、どうにもならない状況に「まな板の上の鯉」状態でおまかせしました。部分麻酔だったもので、手術中の色々な会話も聞こえて来るんですね。下手すれば、心臓の筋肉が一部死ぬところだった(実際死ぬところだった奴が言うの難ですが)話ですが、それは回避。あるいはステットという、血管の補強具があるそうですが、それも回避(入れるとその対応の薬飲み続けなければならない)。

 術後も高熱が出たり、移動や寝相に制限があったりして、ゆるくない状況というのは変わりませんでしたが、そこの部分を看護師、看護助手の皆様にカバーしていただきました。また、的確な対応で治療にあたっていただいた医師の皆様にこの場でも厚くお礼申し上げます。

 やっとこ体調も回復しはじめ、夜寝るときにちと不安に駆られたりもしていますが、今までよりは規則正しい生活、というのは出来ています。料理もレパートリー…って言える程のものではありませんがそういうものを増やせればいい、と今母と取り組んでいる所です。

 記事製作に関しては、ただ今都市対抗の県大会、クラブ選手権の東北大会に関しての記述を進めています。都市対抗の東北大会はリーグ戦が終わりまして、岩手代表のフェズント、JRともに第二代表決定戦に回りました。七十七銀行、JR東北、TDKという東北三強や、強化の進む日本製紙石巻、若手投手陣の伸長見えるNTT東北マークス、秋田の新生ゴールデンリバースが勝ち残り。代表権争いまでもって行けるかとなると、両チームとも予選リーグでは苦杯を喫していますが、決勝トーナメントではいい結果を見せていただきたいと思います。

 政治部分では…随分と「地方政治・知事の乱」とか言う言われ方で「現状の国政」と「目立つ地方知事」という「争点」が注目されていますが、本当にこの争いが、自分たちの生活改善に結び付くものなのか?テレビや一般新聞見る限り、民主党「ですら」印象が薄くなっています。共産党なんて(今のニュースシーンの中では)存在していません。
 雇用問題などで大企業の責任、あるいはイラクソマリアの状況や沖縄の問題などで「軍事力」に対しての疑問の目が見え始めている中で、問題点をそらす動きというのも見え始めています。洪水のように流される「情報」に対抗するのも大変ですが、実際の現場で動けない分、自分で書ける文章の範囲で取り組んで行きます。

 何とか書いて見ましたがMS-DOSが通じていればこのとおり世の中に出ますけど、通らなければトホホですね。
 いつもいつもですが、今日この文もお読みいただきましてありがとうございました。次回はまとめての記述になりますが、またおいでください。

 今日の記事制作はここまでとします。
 拙文お読みいただきありがとうございました。
 (※記述2009年6月28日)

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