あの日のホイッスルを忘れた事はない。
勝ち進んでもチームは終わる。そういう絶望的な状況に立たされても、選手は走る事をやめなかった。ボールを蹴る事をやめなかった。
突然の合併・吸収。しかし、それは「横浜フリューゲルス」という、一つの特徴あるチームが消える事を意味した。スーパースターはいないが、適材適所に好選手を抱え、ゾーンプレスなど、戦術を駆使して上位チームに一泡ふかすこともあった。そんなチームが、消え去ろうとしていた。
1998年日本選手権。“ヴォルティス”大塚製薬を、ヴァンフォーレ甲府を破って波に乗り、当時チャンピオンシップをたたかったジュビロ磐田、鹿島アントラーズを撃破。決勝では清水エスパルスを破り優勝。表彰式の壇上で、前田浩二選手と山口素弘選手が、サポーターに対して高々とこぶしを突き上げていたあのシーンは、忘れる事はない。そして、チームは消えた。
止まる所を失った「翼」は、その思いを引き継ぐサポーター達の手によって、新たな居場所を見つけることはできた。「横浜FC」という。ただ、物事は作り上げるのも大変だが、それを維持するのはもっと大変だ。JFLを2年で卒業したはいいが、その上のJ2リーグで、長く苦しむ事となる。掲げる理想と、容赦なく襲い掛かる現実。その狭間に迷い、ぶつかり合いもおき、苦渋の決断をしながらも、歩み続ける事だけはやめなかった。
2005年。1人のスーパースターがこのチームにやってきた。カズ=三浦知良選手だ。1人の選手の加入が、それまでくすぶっていた選手に刺激を与え、チーム力のアップに結びつく。フランスワールドカップ世代とも言われる城彰二、小村徳男両選手やフリューゲルスにいた山口選手の“復帰”が、それまで在籍していた選手の成長を更に促した。
2006年。固いディフェンス力はもとより、城、カズ、アグウストに、途中加入したアレモンがうまく機能し、チームは勝ち進んだ。開幕戦に敗れたことで不安視される声もあったが、高木新監督がうまくこの難所を乗り越え、チーム、サポーター一丸となって、勝ち進んだ。
正直言えば環境は必ずしも良くはない。今でもコインシャワーを使っているのは有名になってしまったが、実は、サテライトリーグにも参加はしていない。こういう環境にあるチームが、上位に残り、J1昇格争いを演じているのにすごさは覚えたが、その一方で「今年上がれなければ、次のチャンスはあって10年後」という危機感もあった。競争相手はJ1の経験もあるヴィッセル、柏、仙台。
私がこのチームを応援しているのは、ここまで歩んできた足取りがあったから、このチームを応援してやろう、というものがあるから…それだけ、と言ったら馬鹿だろうか。とにかく、99年以降このチームに注目し、影ながら応援してきた。
そして、昨日。“あの日”とは違い、次の希望が見えるホイッスルが鳴った。
ラジオでもJ1の優勝争いしか報じない中、やっと夜のニュースで、その結果を見ることができた。堅い守備で鳥栖の猛攻を防ぎ、アレモンの芸術的なシュートで1―0。今年を象徴する試合で、優勝を決めた。J1行きを決めた。
Jリーグが始まった時、その構想に「馬鹿でねえ」「理想主義だっちゅーの」と、地域密着主義、スポンサー依拠型からの脱却に異議を唱えた人がいた。だが、そういう風にして地域にサッカーを根付かせた新潟、一度は廃部も覚悟した甲府のJ1昇格に続いて、今回は横浜FCが風穴を開けた。サポーターブックに書かれていたこの言葉が印象的だ。
「二週間に一回、千人単位で人が集まってにぎやかな“祭”がある。それを見逃す手段はない」
地域の人に「あってよかった」と思わせるスポーツチーム。そうなりたいと思い、行動し続けているチームが、結果を次々出している。
私にできる事は、こういう「一生懸命生きる人」の踏み台になって生きる事。もっと言えば「一定の方向にしか考えさせる事を許さない人」からこういう人達を守る存在で、これからもあり続けたい。成田空港で、横浜FCサポーターのうれし涙を見ながら思った事でした。
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社会人野球の日本選手権は富士重工業が優勝していました。この件は後ほどに。
では失礼します。
勝ち進んでもチームは終わる。そういう絶望的な状況に立たされても、選手は走る事をやめなかった。ボールを蹴る事をやめなかった。
突然の合併・吸収。しかし、それは「横浜フリューゲルス」という、一つの特徴あるチームが消える事を意味した。スーパースターはいないが、適材適所に好選手を抱え、ゾーンプレスなど、戦術を駆使して上位チームに一泡ふかすこともあった。そんなチームが、消え去ろうとしていた。
1998年日本選手権。“ヴォルティス”大塚製薬を、ヴァンフォーレ甲府を破って波に乗り、当時チャンピオンシップをたたかったジュビロ磐田、鹿島アントラーズを撃破。決勝では清水エスパルスを破り優勝。表彰式の壇上で、前田浩二選手と山口素弘選手が、サポーターに対して高々とこぶしを突き上げていたあのシーンは、忘れる事はない。そして、チームは消えた。
止まる所を失った「翼」は、その思いを引き継ぐサポーター達の手によって、新たな居場所を見つけることはできた。「横浜FC」という。ただ、物事は作り上げるのも大変だが、それを維持するのはもっと大変だ。JFLを2年で卒業したはいいが、その上のJ2リーグで、長く苦しむ事となる。掲げる理想と、容赦なく襲い掛かる現実。その狭間に迷い、ぶつかり合いもおき、苦渋の決断をしながらも、歩み続ける事だけはやめなかった。
2005年。1人のスーパースターがこのチームにやってきた。カズ=三浦知良選手だ。1人の選手の加入が、それまでくすぶっていた選手に刺激を与え、チーム力のアップに結びつく。フランスワールドカップ世代とも言われる城彰二、小村徳男両選手やフリューゲルスにいた山口選手の“復帰”が、それまで在籍していた選手の成長を更に促した。
2006年。固いディフェンス力はもとより、城、カズ、アグウストに、途中加入したアレモンがうまく機能し、チームは勝ち進んだ。開幕戦に敗れたことで不安視される声もあったが、高木新監督がうまくこの難所を乗り越え、チーム、サポーター一丸となって、勝ち進んだ。
正直言えば環境は必ずしも良くはない。今でもコインシャワーを使っているのは有名になってしまったが、実は、サテライトリーグにも参加はしていない。こういう環境にあるチームが、上位に残り、J1昇格争いを演じているのにすごさは覚えたが、その一方で「今年上がれなければ、次のチャンスはあって10年後」という危機感もあった。競争相手はJ1の経験もあるヴィッセル、柏、仙台。
私がこのチームを応援しているのは、ここまで歩んできた足取りがあったから、このチームを応援してやろう、というものがあるから…それだけ、と言ったら馬鹿だろうか。とにかく、99年以降このチームに注目し、影ながら応援してきた。
そして、昨日。“あの日”とは違い、次の希望が見えるホイッスルが鳴った。
ラジオでもJ1の優勝争いしか報じない中、やっと夜のニュースで、その結果を見ることができた。堅い守備で鳥栖の猛攻を防ぎ、アレモンの芸術的なシュートで1―0。今年を象徴する試合で、優勝を決めた。J1行きを決めた。
Jリーグが始まった時、その構想に「馬鹿でねえ」「理想主義だっちゅーの」と、地域密着主義、スポンサー依拠型からの脱却に異議を唱えた人がいた。だが、そういう風にして地域にサッカーを根付かせた新潟、一度は廃部も覚悟した甲府のJ1昇格に続いて、今回は横浜FCが風穴を開けた。サポーターブックに書かれていたこの言葉が印象的だ。
「二週間に一回、千人単位で人が集まってにぎやかな“祭”がある。それを見逃す手段はない」
地域の人に「あってよかった」と思わせるスポーツチーム。そうなりたいと思い、行動し続けているチームが、結果を次々出している。
私にできる事は、こういう「一生懸命生きる人」の踏み台になって生きる事。もっと言えば「一定の方向にしか考えさせる事を許さない人」からこういう人達を守る存在で、これからもあり続けたい。成田空港で、横浜FCサポーターのうれし涙を見ながら思った事でした。
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社会人野球の日本選手権は富士重工業が優勝していました。この件は後ほどに。
では失礼します。