MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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No182 今年も熱い夏がやってくる-2006大農の夏。

 こんにちは。伊東です。タイトルこそ上記の通り書きましたが、天気はといえばジメジメして嫌ですねえ。洗濯物乾きません。気持ちまでジメジメずくなって、ちょっとどんよりモードの私です。

 いよいよ13日から、高校野球選手権大会が開幕します。私が高校を卒業してから13年。大船渡農が夏の大会勝利から遠ざかって14年になります。そう、夏の大会ここまで15連敗。1970年から1982年まで勝てなかった時期もありましたが、もうそれを超えてしまいました。
 1990年に、21-2、14-1と大差で勝ち抜き、大船渡農になってから最高タイの夏2勝をあげた年の野球を見て、「鶏口となるも、牛後となるなかれ」の精神で、高校で野球するならここだ、と思って翌年入学。世間一般から見れば、弱い野球部でしたが、選手としての居場所を作ってくれた貴重な場所でした。91、92年にも夏の大会一勝。この調子で、自分達が中心となった最後の夏もまず一勝だと意気込んで臨んだ高校三年の大会。しかし、ランナーは出すものの、後一歩が出ずに0-2で岩谷堂高校に敗戦。私は途中から出場しましたが1三振1四球1エラー。最後の打者を免れるのが精一杯でした。


 その後も、母校野球部を見守り続け、手伝ってきて数年。97、98、00、01年には、一勝まで後一歩と迫ったときもありましたが、残念ながら届かず、02年以降は4年間で4安打。ここ2年は選手の部員が9人しかおらず、練習するのにさえ苦労していたという話を聞きます。03年の夏の大会終了後は、一歩離れて関わる事にしていたのですが、その苦境に力になれない自分に軽い苛立ちを覚えたものでした。
 その内、追々90年度以降の大農野球部のたたかいをこのブログでアップしていく予定ではいますが、その大多数の部員は『夏の大会一勝』を経験させてやれないまま高校野球生活を終えざるを得なかった人達。それでも、この高校野球の経験が、この後の人生を生きる支えの一つになったのではないか、と考えると、試合では敗れたものの、その後の人生では負けていないぞ、といえる人が圧倒的多数だと思います。


 大船渡農野球部は、15日の一関球場の第一試合で、春センバツ出場の一関学院と緒戦をたたかいます。14年ぶりに勝ってくれ、というには、あまりにも強すぎる所が初戦の対戦相手になりました。しかし、前のブログにも書きましたが、臆せず正面からぶつかれば、得るものはあるはずです。今年の大農野球部は、正式な部員が9人に満たず、よその部員から応援を頼んで大会に臨みます。彼らが、どんな形でこの「優勝候補」にぶつかるか。世論の評価とは別の形で、私はこの後輩達を見ていきます。

 さて、他のスポーツを2つばかり。ワールドカップサッカー。優勝はイタリアでしたか。PK線の末のこの結果。ジダン選手の頭突き退場ばかりが残念でしたが、その他はベストゲームでした。3位決定戦のドイツのカーン選手や、2得点を挙げた選手の活躍も見事でした。3位決定戦はいわば「ベスト4まで残ったチームに与えられた、特別試合」。前回大会の韓国-トルコ戦もそうでしたが攻め合いになりましたね。決勝戦はジュールリメ杯がかかっているだけあって攻める一辺倒というわけにいかない、重圧のかかったたたかいになるのですが、3位決定戦はその重圧から開放された試合。不要論もささやかれてはいますが、残して欲しいゲームです。

 そして、書くのが大分遅れてしまいましたが、福岡ソフトバンクホークス王貞治監督。今年は、春先からワールドベースボールクラシックなどで大変の日々をすごしていたと思われますが、まさかガンとは…それでも、早期に発見できたとの事でまずはほっとしました。責任感の強い王さんのこと。現場が気になるとは思いますが、しっかり病気を治しきってください。
 そして、ホークスの現場は、これを気に指導陣の次の世代の育成を真剣に考えて欲しい。去年の仰木さんのような事があってからじゃ遅いんです。多分、今週の週刊ベースボール豊田泰光さんが怒る事でしょう。なんにしろ、ここでいえるのは唯一つ。
 王さん、病気を治してください。

 今日も拙文を読んでいただいてありがとうございます。また次回お目にかかります。
 


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