2003年で主体性持っての練習協力を終えましたが、それ以降も試合を見に行く、という行為はしてまして、今夏も一関で試合があったので、性懲りなく見に行きました。相手は盛岡工業。夏の大会寸前に一人入部させたものの、事実上9人でどこまでやれるか期待しましたが…結果からいえば、0対15。安打こそ2本放ったものの、母校野球部の夏の大会最多失点での完敗でした。
初回にエースでキャプテンが落ち着かず、3四死球のあと3安打を食らいで5失点。二回に3長打で2失点後、リリーフした二年生のイッペイ君が球を揃えた所を打たれ、一挙6失点。四回にはキャプテンが再びマウ ンドに上がったものの、3失点で計15失点。一方、大農打線は二回にシュン君の死球以外は反撃らしい反撃も出来ず、このまま完封食らうのか、と思われた五回に反撃。シュン君のライト線安打。その後、リョウ君の三振、ニタ君の進塁打で二塁に進めた後、コーヘイ君がレフトに抜ける安打でチャンスを拡げましたが、続くモトナリ君がフルカウントに持ち込んだものの三振に倒れゲームセット。タイミングのあっていたユウタ君にまわせず、今年も1点もとることなく、九回まで野球ができず敗れ去りました。
最後に勝ったのが1992年。私が高校2年の時でした。自分自身最後の夏は0−2で負け、そこから14連敗。97年、98年、00年、01年とあと一歩で勝ちをのがし、生徒数の減少、野球部の人数確保にも困難をきたし、ここ2年は9人でのたたかいを強いられました。それでもエラーは2つ。そのうちの一つは積極的に捕りに行った結果エラーになったもの。実力で大多数の点をとられたのなら仕方ない。ここまで名前の上がらなかったケイ君、ユキマネ、ヤマザキマネ含めて、ホント、ご苦労様でした。
イトウキャプテンにユウタ君、ニタ君、ユキマネ、ヤマザキマネの5人はこれで高校野球は終りです。一年の秋からは、慢性的な部員不足の中、それでも各人ができる限りの鍛練を積み、途中抜けた人はいたものの、途中から入ってきた珠愛マネを含めたメンバーはがんばってきました。一年から試合に出続けたキャプテン。センスのよさを見せてくれたユウタ君。細い体ながら頑張ったニタ君。裏方として頑張ったユキマネとヤマザキマネ。試合が終ったあと、ボロボロと涙をこぼすユキマネを他の3人の三年が支えていたのが印象に残りました。
最後の試合では大差をくらいましたが、都立三宅高校の監督と同じ言葉をおくります。
「人生にはコールドゲームはないよ」
と。これからの人生ン十年。これまで2年半の「やりきった」という経験、最後まで何とかしようとした「執念」が、人生の糧になることを願って、この文面を閉じます。
2005年7月15日 一関総合運動公園野球場
大船渡農 00000 0
盛岡工業 5262A 15