大農・船東野球部+高校野球
体罰の件に関しての記事を続けます。くしくも「主将がゆるくない思いをした」という部分の話にもなります。 ある年の春。大会3日前だというのにすっかりダレダレの状態でいる部員の姿がありました。この時のメンバーは、後に岩手社会人野球を席巻する投手か…
さて、表題の順番通りに最初は私の120キロから触れていきます。 正確には私のMAXは117キロでしたか。しかしその後、前年に大農に設置されたトレーニング施設が効き、修学旅行で京都のバッティングセンターで計測したところ117キロを叩き出しました。その後幾…
おことわり・この記事は東日本大震災が起きる前に完成させた記事で、ここからの記事の文言の変更がききづらいため、完成させた状態そのままアップします。ご了承ください。前章.力つきて…それでも。 都市対抗野球、参議院選挙。 私にとって、最大級ともいえ…
おことわり・この記事は東日本大震災が起きる前に完成させた記事で、ここからの記事の文言の変更がききづらいため、完成させた状態そのままアップします。ご了承ください。前編はこちらからお願いします。3.延長15回。極限までたたかった選手の“底力”《H…
今日はヒロ…上舘洋文君の火葬に立ち会ってきました。 上舘君は大船渡農業高校の後輩にあたります。 私が高校を卒業したのと入れ替わりに入学。最初は個性の強い他のメンバーの影に隠れていましたが、やがて安定した実力とリーダーシップを買われ、主将に就任…
社会人になってすぐの時期から、母校・大船渡農業のアドバイザーをしていた私。その後約10学年のメンバーとはいい付き合いをさせていただきました。 その中で、とくに付き合いの濃かった“好漢”が、震災から一カ月、ようやく家族のもとに帰ってきました。 ま…
1994年 “継続”かけた一年の成果。大船渡農 2-8 水沢一高 もともと3学年で部員が13人しかいなかった野球部。夏の大会が終わって3年5人が引退し8人。新人戦を前に一人柔道部から転籍して来た選手もいましたが、6高校総当たりのリーグ戦を1試合た…
こんにちは。三度伊東です。 30日まで記事更新一つだけじゃなかったのか…というツッコミが来そうですが、今の時間に電話何ぞかけたら、次会った時に張り倒されますよ。 ここでは、昨日たたかいを終えた花巻東高校野球部に関して触れさせていただきます。 一…
こんにちは。伊東です。 高校野球選手権…夏の大会ですか、岩手から甲子園に出場するのは、センバツ準優勝で“大本命”とまで言われた花巻東という結果に終わりました。ただ、このチームが岩手代表の座をつかむのも大変だったようで、選抜の後練習試合でも中々…
こんばんは。伊東です。 4月1日にちなんだ記事書ければよかったのですが、いかんせん言う事聞かない体抱えるとつらいんですよ…。で、気づいてみたら2日経ってしまい、決勝戦も終わっていました。 結果から言えば、岩手から出場していた花巻東は準決勝で利…
こんにちは。伊東です。 これまで「大農野球部」として書いてきたカテゴリですが、当面「大農・船東野球部+高校野球」というカテゴリで書かせていただきますが、後で「プロ野球」とあわせて、社会人野球以外の記事を扱う「その他野球」というカテゴリに再編…
再び伊東です…とは言っても大分飛んでしまいましたね。 この記事書いた日は4月15日なのですが、敢えて記事制作としては4月1日のエントリとさせていただきます。4月15日の記事から飛べるようにしていますので(だから見ているんでしょうけど)ややこしい…
※前編はこちらからどうぞ。5.試合終了後。 一列に並んで応援団に礼をする大農ナイン。 その姿に涙はなかった。 やる事はやった、という証明だろう。 大会前に私は拙稿で以下のように書いた。 「チームが勝つために、自分がこの日まで培った日々の成果を12…
大船渡農 2-6 山田スコアボードに記されていた熱戦を証明するイニングスコアが音もなくフッと消えた。それはまるで大農野球部の終わりを告げるかのようであった。来年以降『大農野球部の夏一勝』を目指すことは もうできない。しかし その夏一勝に向けて …
おはようございます。伊東です。 後ほど詳細な記事を作りますが、とりあえず速報を。 13日に行われた大船渡農業-山田の試合は、選手の奮闘及ばず、残念ながら2-6で大農が敗れ、最後の夏を勝利で飾る事はできませんでした。 後刻(多分夜)詳細にレポート…
※昨日の記事のタイトルは変更させていただきました。改めてこの記事を製作するためにこういう処置をとらせていただきましたのでご了承お願いします。 こんばんは。伊東です。 まず最初に、実社会での行動が、今現在の体調に反比例して多忙で、ブログ制作にま…
岩手県立大船渡農業高校。農芸科学科と食物科が一クラスずつの小さい高校(98年入学生までは農芸科学科は2クラスあったんですが)。そして、この高校の野球部は、90年以降ベンチ入り20人が埋まったのは2回しかない弱小野球部。 だけども、その野球部に高校…
こんにちは。伊東です。今日は大農野球部7部作シリーズの第2話。私が在籍していた当時の大農野球部を書いていきます。1991年 ただ一人の3年に勝利のプレゼント~大船渡農12-7大原商高 大船渡農3-10水沢高校 新チーム、メンバーは11人。90年秋…
大船渡農 2-21 一関学院 一番の成長を見せていた5番打者が、相手投手の速球に怯まず振りぬいたとき、2001年の9回以来、5年間・27イニング続いていた0行進が止まった。ただの相手ではない。エースこそ投げなかったものの、春のセンバツで甲子園に…
こんにちは。伊東です。 唐突ですが、あさってに初戦を控えた私の母校・大農野球部。岩手県大会が全校参加(※)になった後の成績をここに記しておきます。※…1960年代中盤から1987年まで、5年おきの記念大会を除いては、岩手県大会の前に、各地区毎に予選大…
おはようございます。伊東です。予告編で書いたとおり、私の高校2年のときの夏の大会で起こしてしまった事を紹介します。 高校野球は、高校生スポーツの世界を超えて注目度の高い大会。他のスポーツをしている人に申し訳ない、と思うくらいのマスコミの取り…
こんにちは。伊東です。タイトルこそ上記の通り書きましたが、天気はといえばジメジメして嫌ですねえ。洗濯物乾きません。気持ちまでジメジメずくなって、ちょっとどんよりモードの私です。 いよいよ13日から、高校野球選手権大会が開幕します。私が高校を卒…
2003年で主体性持っての練習協力を終えましたが、それ以降も試合を見に行く、という行為はしてまして、今夏も一関で試合があったので、性懲りなく見に行きました。相手は盛岡工業。夏の大会寸前に一人入部させたものの、事実上9人でどこまでやれるか期待し…