MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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異例のシーズンは「今まで」打ち崩す事態も生んだ―【2020社会人野球・岩手部分まとめ】

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 大分遅ればせながら、2020年の岩手社会人野球について振り返ります。
 元々、東京オリンピックの関係で日程が大幅に変更されていましたが、そこにコロナ感染の影響で中止される大会が多く なりました。他県の遠征にも負荷がかかり、明らかに無茶な体制で試合に臨んだり、クラブカップ東北大会には「二回戦敗退チームの中から選出」する形態をとるなど、例年にない1年を過ごしました。ポイント絞って記述を進めていきましょう。

▽オール江刺 9勝2敗
 都市対抗県一回戦、県クラブ優勝、東北会長優勝、県知事優勝、北上大会二回戦。
《個人表彰》
 千葉 晴也 知事首位打者、東北会長首位打者
 関  勝人 知事最最高殊勲
 村岡 康仁 東北会長最高殊勲
 宇部 堅人 東北会長特別会長
 千葉 哲太 県クラブ最高殊勲
▽JR盛岡 7勝5敗(棄権1)
 都市対抗 東北第二代表三回戦、県知事旗棄権、東北会長企業一回戦、岩手アマ王座優勝
《個人表彰》
 村上 直人 都市県敢闘
 関口 和磨 岩手アマ王座最高殊勲
 寺田  翼 岩手アマ王座会長特別
トヨタ自動車東日本 6勝5敗
 都市対抗東北第二代表二回戦、東北会長企業二回戦、県知事旗一回戦、岩手アマ王座準優勝
《個人表彰》
 桜庭佑希也 都市県最高殊勲、岩手アマ王座敢闘賞、同首位打者賞、年間渡辺学
 佐々木麗希 都市県新人、年間新人
 古屋 旺星 都市県首位打者
▽水沢駒形倶 5勝5敗
 都市対抗東北第二代表一回戦、県クラブ準優勝、県知事一回戦
《個人表彰》
 菅原  開 県クラブ敢闘賞
 横倉 怜武 県クラブ首位打者
 まずはトップ2を占めたオール江刺、JR盛岡。例年はそれぞれトヨタ自動車東日本、水沢駒形といったライバルチームがいて牙城を崩せずにいましたが、共に逆襲を果たす結果に。江刺は都市対抗こそ初戦敗退でしたが、県クラブ選手権、東北会長大会、さらに県知事旗大会と3大会優勝。関、宇部、千葉哲各投手や千葉晴也選手など、頼もしい若手投手が台頭したのがチームに活力を生みました。
 JR盛岡はここ数年、都市対抗県決勝でトヨタ自動車東日本に肉薄。今年も都市対抗県予選で惜敗した後、東北予選では一定の存在感を見せ、岩手アマチュア王座決定戦では3本塁打で先行、最後追いつかれたものの関口選手のサヨナラヒットでついにトヨタを破りました。様々な意味で「厚み」の出てきた両者、来年の公式戦が注目です。
 一方苦杯を喫したトヨタ、水沢駒形。例年であれば地区連盟主催の大会にいくつか出場する予定だったトヨタ都市対抗県予選が初の県内公式戦に。150キロを出せる投手を複数擁し、都市対抗こそ優勝したものの、知事旗ではオール江刺に、アマ王座ではJR盛岡に敗戦。監督が佐野比呂人さんに変わり、選手も村上、桜庭、佐々木麗、鷹羽各選手など次世代へと継承していく中、厳しい戦いをしました。
 水沢駒形はJR九州でも投げた菊地翔太投手がチームに加わり、選手層の分厚さは随一ながら、県クラブ選手権では決勝で惜敗。県知事ではMKSI BCに敗れるなど辛い1年となりました。
 ただ両チームとも「転んで臥せっぱなし」ではありません。来年のリベンジに期待です。
▽釜石野球団 5勝2敗
 三陸大会優勝、都市対抗県三回戦、県クラブ三回戦
《個人表彰》
 菊池健太郎 三陸大会最高殊勲
▽盛友クラブ 4勝4敗(棄権1)
 都市対抗県四回戦、県知事旗棄権、県クラブ4位
▽盛岡球友倶 4勝3敗
 都市対抗県四回戦、県クラブ二回戦、北上大会準優勝
▽久慈クラブ 4勝2敗
 三陸大会一回戦、県クラブ3位
▽MKSI BC 3勝4敗
 都市対抗県4位、県クラブ三回戦、県知事準優勝
▽一関BBC 3勝3敗
 都市対抗県四回戦、県クラブ二回戦、東北クラブカップ一回戦
▽住田硬式ク 3勝3敗
 三陸沿岸大会準優勝、都市対抗権三回戦、県クラブ二回戦
《個人表彰》
 黄川田大雅 三陸大会敢闘
 吉田凛之助 三陸大会首位打者
▽遠野クラブ 3勝3敗
 都市対抗県三回戦、県クラブ三回戦、、北上大会二回戦
▽一戸桜陵ク 3勝2敗
 都市対抗県四回戦、県クラブ三回戦
 公式戦開催数が多くなかったため、例年よりは勝敗数に大きな開きはありませんでした。
 その中で今シーズン5勝を挙げたもう一つのチームが釜石野球団。今年復活した三陸沿岸クラブ大会では3勝して優勝。勢いに乗って他の大会でも上位を目指したかったのですが、他2大会では1勝に止まりました。盛友クラブは都市対抗で駒形に食らいつき、クラブ選手権では3週間にわたる開催を粘り強く戦い抜き、影響で知事旗を棄権せざるを得ませんでしたが見せ所を作りました。
 盛岡球友倶は都市対抗4回戦進出。鈴木治投手が企業チーム相手にも試合をつくる好投を見せました。「次世代」がどう活かしていくのか注目です。
 久慈クラブは三陸大会こそ初戦敗退だったものの、県クラブ大会では3位獲得。今春に行われるクラブ野球選手権東北予選の進出を決めました。だいぶ様変わりしたメンバーですが、どう戦うか注目。MKSI BC はシードで登場した都市対抗で東北行きにわずかに届かなかっものの、県知事で駒形に勝ち準優勝。上位大会で戦う方法を模索・確立しながら成長を見せています。
 県南部に目を移すと、やはり一番の刮目は住田硬式クラブの伸長。2000年代、2010年代の大方は苦戦を強いられましたが、それでも地元の「野球小僧」に声をかけ、戦い続けてきた結果、三陸大会で赤崎に32年ぶりに勝利し準優勝→都市対抗県予選、県クラブ選手権でも1勝ずつをあげ、はじめて大会表彰選手を出すなど戦線を見せました。一関ベースボールクラブも都市対抗で県3勝をあげ、東北クラブカップに推薦。緒戦で敗れたものの、新投手陣が経験を積みました。
 遠野クラブも各大会で一勝ずつ、一戸桜陵クは 都市対抗で2勝、クラブ選手権で1勝あげました。
▽赤崎野球ク 2勝3敗
 三陸沿岸大会二回戦、都市対抗県二回戦、県クラブ二回戦
矢巾硬式ク 1勝3敗
 都市対抗県三回戦、県クラブ二回戦、北上大会一回戦
▽北上REDS 1勝3敗
 都市対抗県一回戦、県クラブ二回戦、北上大会一回戦
▽雫石クラブ 1勝1敗
 県クラブ二回戦
▽前沢野球倶 0勝3敗
 都市対抗県二回戦、県クラブ二回戦、東北クラブカップ一回戦
宮古倶楽部 0勝3敗
 都市対抗県二回戦、県クラブ一回戦、三陸沿岸大会二回戦
▽花巻硬友倶 0勝3敗
 都市対抗県二回戦、県クラブ一回戦、北上大会一回戦
▽オール不来方 0勝2敗
 都市対抗県二回戦、県クラブ一回戦
▽福高クラブ 0勝2敗
 都市対抗県二回戦、県クラブ一回戦
▽黒陵クラブ 0勝2敗
 県クラブ一回戦、北上大会一回戦
▽盛岡倶楽部 0勝1敗
 都市対抗県二回戦
▽高田クラブ 0勝1敗
 都市対抗県二回戦
富士大学 4勝1敗
 北上大会優勝、岩手アマ王座3位
盛岡大学 0勝2敗
 岩手アマ王座4位
 年間0〜2勝のチームについて。
 赤崎野球ク。オール江刺に逆転勝ちするなど地力を見せましたが全般的には選手の入れ替わりによる経験と、投手陣のやりくりに苦戦して上位に進出することができませんでした。かつては県もトップクラスの力を誇っていましたが、その頃と環境が変わり、ここ数年は苦戦。なんとか工夫凝らして県内のライバルに挑んでいきたい。腹を据えて挑んでいただくことを願います。
 矢巾その赤崎に都市対抗で勝った1勝3敗。北上REDSはクラブ選手権で1勝。雫石クラブはクラブ選手権のみの出場となりましたが、乱打戦を制しました。前沢野球クは、都市対抗、県クラブともに初戦敗退も、ここ数年の取り組みが認められて東北クラブカップに推薦出場。鶴岡野球クラブに敗れましたが、違った光景の野球をした経験が今後につながればと思います。
 宮古、花巻は3大会、オール不来方、福高、黒陵クは2大会、盛岡倶楽部と高田は都市対抗のみエントリーしましたが勝ちを経験できずに終わりました。来年も活動を継続するチームは「まず1勝」というとっかかりを得て最伸長を目指して欲しいです。そうやって成長したチームが岩手にはなんぼでもありますから。
 大学生では富士大学が北上大会優勝。岩手アマ王座戦では1勝1敗。盛岡大学はアマ王座で2敗という結果に終わります。

 最初にもふれた通り、異例のシーズンとなった2020年シーズン。21年もその形式、あるいはコロナ感染の影響も残ったままで野球のシーズンに入ります。別記事で改めて触れますが、盛岡倶楽部が活動休止となりました。近隣でも福島で会津若松、二本松のチームが活動休止。野球を続けるということ自体が簡単でない様子をまざまざと見せつけられていますが、それでも意欲が残っていれば細い糸となっても「硬式ボールを握る場」として存在し、次へつなげて欲しい。文中にも書きましたが、そうして活動したチームが花開く様子も沢山見てますから。
 本格的な記述は、岩手県クラブ選手権が開かれる6月頃。合間もなにか記述が出来ればと思っています(無論クラブ選手権東北予選は書く)。2021年シーズンもよろしくお願いします。

記事製作日誌21年3月24日ver.

 音声入力に慣れていたらある申請作業でスマホのギガを食ってしまい、久し振りに手製で記事書きます。

 社会人野球、私の開幕は6月と書きましたが、岩手の社会人野球としては(1)トヨタ自東が4月JABA静岡大会、5月JABA東北大会。(2)クラブ野球選手権東北予選が4月半ばに岩手で。(3)JABA北上大会も5月開催…と動きがあります。ようやく記事書く資料もまとまったので、3月中にはいい加減アップできるようにします。

地震について/土砂崩れに注意を/始まっている社会人野球にエール。

 今日は。
 2021年3月20日午後6時9分に起きた地震、皆様ご無事でしょうか。一時は津波注意報も出されるなど、怖さを覚える地震でした。ここ1か月内だけでも宮城県沖、紀州地域などで規模の大きい地震が相次ぎ、そもそもとして環太平洋地域各所で規模大きい地震は起きているので、気がついた時に防御と震災対応見つめ直しておきたいです。
1)我が家でも震災対策の拡充を図っていて、過日Facebookでは私のモバイルバッテリー蓄電機(24000MAH、太陽光の蓄電もできる)の話をしましたが、兄貴は私の数倍の対応をするようで−しかも本格エコエネ−。いやはや、技術計職種の人は考え一枚上手です。
2)ここしばらくは雪解け水が流れ始める季節になっています。今年の冬は例年以上に雪が降り、それで地盤が緩んだり、土地が水を多く吸っている状況も。
 人生の中で2度ほど土砂崩れ寸前に該当箇所を通りかかったこともありますが、どっちも木のシルエットが傾いていたり、水が変なところから出ていたりして、いつもと違うという状況がありました。自然の恵みを多く受けている箇所だけに、それぞれの大きい反応が時には害となって降りかかります。気をつけるところ気をつけて、命脅かされないように生きていきたいです。

3)社会人野球。東北はまだですが、関東から南側では公式戦も始まっています。今年もオリンピックの影響もあり日程が大幅に変っていて、クラブ野球選手権の予選が3月から始まっている地域もあります。
 コロナ感染のこともあるし、試合に臨むというところから様々気を使われることが多い現場。それをこえてグラウンドで皆さんが頑張っていただくことを願っています。
 私自身の開幕は6月になりそうなので、それまでは今やっている“宿題”をせっせかとやっていこうと思います。お付き合い頂きましてありがとうございました。

マリーンズ佐々木朗希君実戦デビュー。「期待」と「願うこと」。

 東日本大震災から10年を経た次の日「大船渡・気仙野球最大の原石」佐々木朗希投手がプロ初登板。1イニングを投げプロで実績を積んだ京田、阿部、ビシエド3選手を抑える結果を出しました。

 自分が直接朗希君を見たのは

・17年夏 対盛岡北戦

・18年夏 対盛岡三戦

・18年秋 対専修大北上戦

・19年夏 対遠野緑峰戦

 の4試合。佐々木君がMAX160kmを出せる投手なのは皆様承知と思いますが、プロ野球は「高い能力を1年間続けることを考えなければならない」世界。その観点で着目した試合は盛岡三との試合の6〜8回のピッチング。

 序盤スピードは出したものの対戦相手にホームランを打たれるなど攻略された部分も。グラウンド整備明けの6〜8回は特に丁寧に「相手を抑える」ことに集中した投球ができていたと見ます。今回対戦相手だった同じ岩手出身の阿部寿樹さんが「彼の入ったストレートは速かった」と述べていましたが、短いコメントに込められた色々な意味を消化して、成長していただければと願います。

東日本大震災から10年を経て。【3媒体共通】

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 3月11日。

 皆様はいかがお過ごしになられたでしょうか。私は通常の仕事を終えてから午後大船渡に入りました。2時半からの1時間は「10年前に自分が大船渡にいたらどういう行動をとっていたか」をなぞる行動を。その後は思い向くまま大船渡町内を歩いていました。コロナ感染が広まってからは亡き母の所用以外で大船渡に来ることはなかったので、「大船渡の空気を吸っていたい」と、それだけで町を歩いていたわけです。

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1)「10年前に『逃げ切れたか』」…10年前、母のわけ分からない電話から大船渡行きを断念した私。居住地でぼやっとしてたら大地震。生前、母に何であの日だけ用事もなく、趣味のパチンコにつれていけ、でもなく呼びつけたのか訪ねてみましたが、本人もはぐらかすでなく「わからない」としか言わないまま、20年7月に永眠しました。

 知人からは「大船渡にいれば間違いなくお前は死んでいる」と言われ、自分も自身のことはわかるからみんなの言う言葉は受け止めた一方で、「自分があの日大船渡にいたら」…でのしかかってるものはあります。

 今の自分であれば―基礎疾患を二つ持ちでも―10年前よりは動けるようになっているので、10年越しの避難行動(実証実験)してみた結果、15分程で加茂神社まで逃げることができました。

 

 ただ。

 それは今現在の話です。

 様々な経過を経た今現在の。

 10年前のあの時に自分が逃げ切れたかどうか言えば、正直逃げきれなかったと思います。地震のパニックに、情報得られないままの「平常性バイアス」考えると…そこらは図表をご覧ください。

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2)10年経って。新しい形でまちづくり・地域づくりは進められました。

 だけども10、11日のラジオ番組やインターネット番組で、知己の識者が述べていたことは「その街の中で生活の不安がなく生きていける場所になっているか&生きていける社会制度になっているか」の疑問、問いかけがほとんどでした。

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 ハードは揃った。

 でも、その町に住み、生き続けられない。それでは本末転倒じゃないかと。10年間の政治、大筋は、市井に向き合った政治をしてるかといえば否定的に見さざるを得ません。具体的内容などについては様々な勉強会などで再確認した上で記すことにしますが、断片的に感じるものだけでも「しっかりせなあかんよ」と言わざるを得ないのです。

3)私は大震災の敵討ちを何に求めたかといえば「津波被害、1度目は直接の波で、2度目はその後に襲いかかってくる生活難で」という先達の言葉があり、その“2度目”を起こさせないためと思って歩いて来ました。

 21世紀に入ってから権力者様は「自助だ、自己責任だ」の思考回路が巾を利かすようになっています。そんなこと言われんでも、みんな自分の人生という「一所」を懸命に生きようとする。

 だども。

 社会がそれを壊すようなやり方してんじゃどうしようもねえじゃねえか―そういう思いで、それ何とかすんべど、足りない脳みそと動かない体で自分の持てる力だけはフルに何とかしようと動いてきました。

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4)野球の部分で。

 自分をここまで成長させてくれた大きな柱の一つは、間違いなく野球で、その野球を一生懸命頑張ってる気仙地区の後輩の背中を押そう、と。まあ応援すると言ってもいろいろな手法がありまして、自分の出来る限りのことでそれを為す。この10年間、以上のスタンスで取り組んできたつもりです。

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 数年行っている野球歴史調査を見ると、戦争や災害など様々な惨事の後はスポーツに熱が入りやすい状況になりますが、その後、関係者の環境の変化・動態、仕事や私生活などの役割追加等々考えると、ボディブローのように響いて、意識を持って取り組まないと「熱」が失われてしまうという状況があることに気づきました。

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 今ここでどうすればいいか、というのが思いつきませんが、せっかく場に居合わせたのなら納得いく歩みをしていただきたいので、考慮に入れていただければ、と願います。

5)東日本大震災から10年、昨夏に母をなくして8ヶ月。感情の変化激しい私ですが、この方面では泣いてる暇はないと思い、10日まで涙こぼすことをしてきませんでした。

 ですが、震災10年という時間の経過と、たまたま見てしまったある漫画で緊張の糸が切れたんでしょうかね。不覚にも涙こぼしてしまいました。

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なぜか盛駅

 なんとか震災の方面で10カ年、もがいて生きてきました。「10年だから一区切り」ではなく「この後も良ぐ生きるために共に伴走し力を尽くす」と。そういう趣旨でこれからも大船渡はじめとした被災経験地域を見守り、必要に応じた行動して行きたいと思っています。

 ちょっと冗長な一文でしたけど、まずこれからも頑張って生きるべ、ど、それだけ。自分もどこまで伴走できるか分かりませんが、1日でも長くできるように努めます。

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16年に行われた同総会で三本締めをする筆者。

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東日本大震災から10年―野球の場から復興を共にして。

 今日は。以前からの予告通り「3・11特集記事」が部分完成しましたのでここにアップします。締め切り間近に2日作業できなかった影響で完全完成といかず、一部は前年の使いまわしにもなりましたが、野球に関しての追憶はまとめましたのでご覧ください。
 いつもの木曜日の仕事した後に大船渡に向かいます。

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13日夜11時の地震/記事製作進まない件について。

 2月13日夜11時に起きた地震、皆様のお住まいの地域では大丈夫でしょうか。幸い津波は起こらなかったものの、震度6強まで行く地震は久しぶりで、「3・11」も近くなっているだけに、あのときを思い起こさせるものとなりました。こういう大きい地震の時は余震気をつけなければならないです。皆様お気をつけてお過ごしください。

 野球の記事制作ですが、頭の中でブレーキがかかってしまって進めることができなくなっています。1ヶ月前に2020年に行われた公式戦は全部書き終えて、さぁと思ったところにこれです。精神的なこわばりが取れ次第続きを書くというふうにはしますが、そのこわばりをどうを取り除くかは模索中です。
 社会人野球の日程案が回ってきました。なんとかシーズン入るまでは野球場に行けるような調子を取り戻す、それで頑張ろうと思います。調子戻ったら野球場でお会いしましょう。

1月17日、阪神大震災から26年。

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 26年。

 そんなに月日が経ちましたか。

 これまで45年生きてきましたが、「阪神」と「東日本」の両大震災は自然災害の厳しさを多大な犠牲の上に示されたものと認識しています。起きたことから学び、それに対応すんべ…と思いはしますが、その道は険しいものです。諦めてしまうのは簡単ですが、ここでも諦め悪く生きていくとしますか。

 あの日、犠牲になられた方に向け黙祷。

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