MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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ホークス・攝津正、アントラーズ・小笠原満男両選手の引退の報にふれて。

 プロ野球の引退表明は大抵9月、Jリーグサッカーは大抵10〜11月というのが一般的ですが、そこから外れて年末に、しかも思い入れある選手が二人、引退を表明しました。

 ひとりは秋田出身、社会人野球JR東北を経てプロ野球福岡ソフトバンクホークスで活躍した攝津正投手。もう一人は大船渡高校を経て主にJリーグ・鹿島アントラーズで活躍した小笠原満男選手です。

 攝津投手は秋田経法大付(今の明桜高校)からJR東北に入社。当時の選手名鑑を見ると可愛いあだ名が載っていましたが、長年の経験を経て逞しさを増してエースに成長。07年の都市対抗では代表決定戦で赤べこ野球軍団に惜敗。悔しさのあまりグラブを叩きつけるシーンが印象に。その年にIBAF(当時)ワールドカップ日本代表に選出され、大会優秀投手の表彰を受けると、08年の都市対抗野球第2代表決定戦ではTDK野田正義投手(06年都市対抗優勝投手)と延長16回投げ合い引き分け再試合。再試合では0-1のビハインドで森内壽春投手(のち都市対抗完全試合、ファイターズにも在籍)から交代。この試合を直接見ていましたが攝津投手の投球は凄まじいものがあり、「目の前に立ったら殺される」との恐怖感を覚えましたが、それは熱さの裏返しといえるものでした。

 その年のシーズン後には26歳という年齢ながらもソフトバンクに入団。09年から中継ぎ投手として一軍定着。11年からは先発ローテーション投手に変わり、5年連続の二桁勝利投手を上げるなど押しも押されもせぬ大黒柱に成長。もともと高校時代からドラフトの時期になると注目されていた投手、長年の非指名で「どこまで意識を保てるか」という意味で不安ありましたが、成長を続けプロでも一線級の投手として存在するに至りました。16年以降は苦戦を続け、18年も中盤戦に2勝を挙げた時はまだまだいけると思いましたが、残念ながら戦力外通告受け、年末に引退を決めたとのことです。

 クラブワールドカップ出場後に引退を発表した小笠原満男選手。盛岡市出身ですが、当時岩手県屈指のサッカー指導者が在籍していた大船渡高校に進学。97年の高校サッカー選手権では全国1勝の原動力に。才能は中学・高校時代から定評があり、99年ワールドユース大会準優勝メンバー、ワールドカップにも02、06年大会と2度代表選手として出場。

 ただ、そういう華々しいところとは別に小笠原選手のすごいところがありました。サッカーも詳しいとはいえないので端的に言えば「黙々と自分の役割を貫徹した所」。プロ入り時はどこまでやれるか心配だった部分もありましたが、アントラーズでレギュラーに定着し、イタリアセリエAにも進出。円熟期を迎えて以降「常勝アントラーズに小笠原あり」と言われるほどの存在感を見せました。

 11年の東日本大震災以降、それまで寡黙と言われていた小笠原選手が中心となり、自らが前面に立って被災地の救援・慰問活動…大船渡市赤崎町のグラウンド設営にあたっていただきました。そのいずれも真摯に向き合っていただいたことに、ただただ頭が下がる思いです。

 こういう存在感を見せた両者が年度末で引退…引退する時にいつも思うことですが、それまで「いて当たり前だと思った人」がいなくなる、そのことに対する寂しさというのはいつも感じていますし、思い入れのある選手だけにひとしおです。これまで長年プロスポーツの一線級で活躍してきたことを糧にしてこれからも先良ぐ生きていただければと強く願うものです。

 攝津君、小笠原君。

 長年の貢献ありがとうございました。

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 あらためて、新年あけましておめでとうございます。岩手県社会人野球の記事は現在制作中で、公開は第2週あたりにアップできれば、と考えています。2019年もよろしくお付き合いお願いします。

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