MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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2018社会人野球 トヨタ自動車東日本都市対抗野球出場記念記事。岩手代表が東北王者を取り戻すまで-後編-

3)再興を模索する岩手社会人野球
 かつての「岩手黄金期」を支えた企業チームが相次いで撤退するが、そんな中でも公式戦は遠慮呵責なく。どんな苦難機にあろうがいるチームがそれに対峙しなければならない。
 苦難期の04、05年「相手企業だろうが、岩手の代表にいるなら俺たちがやらなきゃならないでしょ」と、山本淳一がエースの赤崎野球クラブが岩手2連覇、東北でも七十七銀行やTDKと引き分ける奮戦を見せた。また、水沢駒形も96年に東北進出して以来新田忠正を先頭に各県企業チームに臆せず挑み、進出チームが限られる第三代表トーナメントに進出するなど存在感を見せた。
 これらチームが最前線となり奮戦している間に2つの動きが。ひとつはJリーグチームを手本にした「地域広域  」チーム・フェズント岩手の結成。もうひとつは東北独立リーグの形成の流れから起こったチーム・岩手21赤べこ野球軍団の社会人野球参戦。
 06年、度肝を抜いたのは赤べこ軍団。クラブ選手権予選では江刺、駒形、そして赤崎と当時岩手クラブチームの強豪と言われていたチームを全てコールドで撃破し優勝すると、都市対抗でも県優勝。あっという間に東北の第一代表決定戦まで進出。ただし、実質野手10人、投手3人の選手層に泣き決定戦2連敗と苦杯。この時のチームからは高倉啓司、関連太郎両選手がTDKに補強され、東北初の全国優勝に貢献した。
 翌年は強さにしぶとさも加わり、県予選決勝をサヨナラ、東北予選でも第2代表戦こそ敗れたが第3代表戦でJR東北の攝津正投手(18年時点でホークス)に競り勝ち、東京ドームに進出した(四国銀行に1-2で惜敗)。後援体制に苦しみ、わずか2年で解散に追い込まれたのは残念だった。
 フェズント岩手もチームとしてまとまりが出るようになると地力を発揮するようになり、岩手県代表として最前線に立つが、これまでの社会人野球であまり例を見ない形態のチーム運営で模索する中、08年に起きた激しい経済動向などで難儀することに。
 この間、クラブ関連の大会ではオール江刺がクラブ選で2勝しベスト8(08年)、赤崎が東日本クラブカップ優勝(08年)したりしたが、都市対抗や日本選手権等の戦いでは「模索はするが壁に突き当たる」状態が続く中、あの日がやって来てしまう。

 2011年3月11日14時46分。
 「東日本大震災」と呼ばれる大地震が。

《2004年》
赤崎野球クラブ0勝1敗1分
水沢駒形倶楽部0勝2敗

《2005年》
水沢駒形倶楽部1勝2敗
赤崎野球クラブ0勝1敗1分
JR盛岡   0勝2敗

《2006年》
赤べこ野球軍団3勝2敗
(第1、第2代表決定戦進出)
水沢駒形倶楽部1勝2敗

《2007年》
赤べこ野球軍団5勝2敗
(第2代表決定戦進出、第3代表決定戦勝利。本大会0勝1敗)
フェズント岩手0勝2敗

《2008年》
フェズント岩手1勝2敗1分
水沢駒形倶楽部1勝2敗

《2009年》
フェズント岩手1勝2敗
JR盛岡   1勝2敗

《2010年》
フェズント岩手2勝2敗
赤崎野球クラブ1勝2敗

4)東日本大震災から立ち上がって7年の成果。
 大震災で死に損なった(当日大船渡いる予定を発作で逃れてしまう)私が語るまでもなく、3・11で受けたダメージは甚大。沿岸チームは活動休止。5月にクラブ選手権、6月末に都市対抗の県予選は再開しますが、心身ズダボロの中での再出発。調整がままならずフェズント岩手が都市対抗県予選初戦敗退(対駒形)。東北予選開催も交代してもらうなど野球でも苦難の一年に。この中で生まれたのがトヨタ自動車東日本野球部。元々前身の関東自動車工業が静岡にチームを持っていたが21世紀初頭に活動休止。「被災地への貢献」を旗印に東北・岩手で新規スタート。本格参戦の13年には都市対抗県予選を制し、同年秋の日本選手権東北予選では早くも代表決定戦に進出するなど岩手代表の最前線に立ち奮闘を始めた。
 トヨタについては他記事で詳しく記すので、ここでは他岩手チームの取り組みを。12年はオール江刺が創立36年にして初の都市対抗岩手制覇を為し東北進出。水沢駒形も幾度も東北の舞台に立ち12年はワイルドカード(予選リーグ2位最上位)争いにも加わった。JR盛岡も東北の経験を積み重ね、時には企業6強をヒヤリとさせることも。
 そしてフェズント岩手。こちらも後援体制の構築に難儀し、一時は選手数が少なくなり指名打者を使わず試合した時期も。それでも門を叩き、フェズントのユニフォームを着た選手たちはプライドをもって戦い、13年都市対抗東北予選では鬼気迫る戦いを見せて決勝トーナメント進出にあと一歩まで迫ったが、2014年シーズンを最後にその活動を終えた。
 そしてトヨタ自動車東日本。創部2年目で全国まであと一歩と迫ったが、以降は足踏みも。しかしその「足踏み」期間中に着実に経験やチームを支える体制の構築を進め、ついに都市対抗本大会へ進出を果たすこととなった。
《2011年》
JR盛岡   2勝2敗
水沢駒形倶楽部0勝2敗

《2012年》
水沢駒形倶楽部2勝1敗
オール江刺  1勝2敗
フェズント岩手0勝3敗

《2013年》
フェズント岩手2勝1敗
トヨタ自動車東1勝2敗
JR盛岡   0勝3敗

《2014年》
JR盛岡   2勝2敗
トヨタ自動車東1勝2敗
水沢駒形倶楽部0勝2敗

《2015年》
トヨタ自動車東2勝2敗
JR盛岡   1勝2敗
水沢駒形倶楽部0勝2敗

《2016年》
トヨタ自動車東2勝2敗
JR盛岡   0勝2敗

《2017年》
トヨタ自動車東1勝2敗
JR盛岡   1勝2敗

《2018年》
トヨタ自動車東3勝0敗
(東北予選優勝・第1代表)
JR盛岡   3勝2敗
水沢駒形倶楽部0勝2敗

 新日鐵釜石が東北王者になってから31年。ここまで記した軌跡を経てのトヨタ自動車東日本の東北王者・都市対抗野球出場。それは多くの先達の熱意、取り組み、挑戦、そして、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も「予選敗退」という結果を突きつけられても諦めなかった岩手の社会人野球関係者の結晶として、そのラストピースを埋めたトヨタ自東野球部のメンバーとともに成し遂げられたことを記し、項を閉じます。

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