MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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一戸桜陵クラブの創設期-そこから57年グラウンドに立ち続けた深田哲男さんが昨年9月になくなられました。

 こんばんは、伊東です。
 去年の夏以来社会人野球の記述が雑になってしまいました。この間は赤崎クラブの試合に来るのが精一杯で、この目で多くの試合を見てレポートを作るということができないでいました。この部分お詫びいたします。

 昨年、プロ野球では多くの一時代を作ったベテラン選手が引退をしました。私にとっては高橋由伸選手(今年からジャイアンツ監督)が代表的。一時代を終え、次の世代へとバトンを渡し、自分自身は別な役割を任される―そういうのを実感する年となりました。社会人野球も、40歳になって続けるという人は多くなく、クラブチームの多い岩手でも連盟には未登録の私入れて20人そこら。去年は一人、勇退見送りましたしね。大手企業チームだとHPで「勇退選手」ということで発表されますが、三菱ふそう→ホンダの西郷泰之さんのように記者会見まで開くのはまれ。多くはひっそりとグラブを置き、仕事など人生の新たな段階に入ります。

 話は変わりますが、岩手県で一番に古い現存するチームは大正10年(1920年)創立の水沢駒形倶楽部、次は1946年創立の福高クラブ、他に10年の中断期間もあったJR盛岡も。では、その次は―ここでピンとこなくなるでしょう。その次は1955年の高田クラブ、さらにその次が…1958年創立の一戸桜陵クラブです。現在の有力チームで言えばオール江刺が1976年に駒形から分離結成、赤崎野球クラブがチーム結成は1969年で日本野球連盟加盟が1984年ですか。

◇表1 各チーム結成年
一関ク、遠野ク→59年
不来方→69年
釜石、北上REDS→71年
盛友→77年
宮古→宮高として、雫石→80年
九戸→82年
住田、盛岡倶→87年
盛岡市立→88年
久慈ク→91年
前沢→94年
花巻→花巻硬友としては97年
黒陵→00年
矢巾→02年
トヨタ、盛岡球友→12年
四端、MKSI→15年

 1958年6月19日の毎日新聞岩手版に一戸のチーム紹介がありました。
『前から軟式をやっていたが、昨年まで野田玉川の監督をしていた高見氏を監督に迎え、今年から硬式もやることになった。』
 ―そして、この新聞に掲載されていたメンバーは以下のとおりです。

【一戸桜陵クラブ】
監督 高見公一郎 34 盛岡商
投手 深田 哲男 22 一戸高校
   平船 武志 18  〃
   小野寺 研 18 盛岡商
捕手 夏井啓三郎 20 一戸高校
内野 小野寺義実 19  〃
   田鎖 忠治 18  〃
   一守 文夫 22  〃
   外岡 昭継 23  〃
   山本 嘉朗 22  〃
   佐藤 信吉 22 芝浦工大
   山淵  誠 21 一戸高校
外野 内田 英雄 21  〃
   川袋 幸三 24  〃
   浅里  匡 24  〃
   大須田 登 20  〃
マネ 稲荷  弘 23  〃

 一戸桜陵は6月28日、盛岡市営球場で行われた都市対抗野球岩手予選2日目第3試合で初試合を行います。対戦相手は岩手県庁クラブ。先発のマウンドには深田哲男投手が立ちました。以下は6月30日毎日岩手版。
一戸桜陵ク 004000020 6
 県 庁 ク 00310300X 7
【評】一戸は三回、打者一巡の五本の長短打を放って4点を選手、先発の県庁の佐々木投手をノックアウトしたが、その裏県庁も三本の長短打を深田投手から奪って三点を返し、四回にも一点を加えて同点とし試合を振出しに戻した。ところが五回から深田に代わった一戸の平船投手の拙いフィルディングから失策、野選各二つがあって県庁は無安打で三点を拾いものした。これが一戸の命取りとなって八回の追撃も及ばず一点差で敗れた。

 一戸桜陵ク 打安失
 6 岩 淵 410 二塁打
 5 佐 藤 411
 7 内 田 410
 8 川 袋 410
 9 浅 里 310
 4 小野寺 311 二塁打1 
 3 田 頭 400
 1 深 田 211
  1平 船 200
 2 夏 井 200
  H石 社 100
       3373

 岩手県庁ク 3070


 初挑戦はこの通り惜敗に終わった一戸桜陵でしたが、次年度は以下の新入部員を加え

部長 中村  斉 30 法政大
捕手 早坂  忠 24 一戸高校
内野 中村  誠 19  〃
   根反勝次郎 23  〃
外野 古館 長二 19  〃

 1959年6月22日の第三試合に白亞クラブと対戦しました。試合は一戸が序盤から押し、二回にはこの年故障で野手に回っていた深田選手の大会第一号本塁打が飛び出し相手投手をKO。ペースを握った一戸がそのまま逃げ切りました。一戸桜陵の都市対抗勝利です。

白亞 000000000 0
一戸 11200011X 6

一戸桜陵ク打安点
6 岩 淵 430
5 古 館 410
7 内 田 411
8 川 袋 312
9 浅 里 410
4 深 田 311 本塁打
3 田 頭 400
2 夏 井 400
1 平 船 400

 …時は流れ、2014年。
 一戸桜陵のベンチ前でキャッチボールをしている深田哲男選手の姿がありました。相手は深田峻之投手。一見したら、他の選手と変わりありません。この時で78歳。ここ数年、野球場でお会いしたときにはお話しすることも多く、その元気のよさに恐れ入るのもがありました。選手登録も外しておらず「岩手県最年長」選手。時々冗談で「深田さん(試合に)出てくださいよ」などと言って「いやいやいや」という会話を交わすのがおなじみとなっていました。

IMGP5604.JPG

 ずっと続くと思っていました。

 2015年8月。
 クラブカップ予選大会・赤崎-一戸。

 哲男さんが車椅子に押されながら球場に。

 「深田さん、どしたのす」
 「いやあ、具合悪くてな…」

 9-4で一戸が勝ち、試合が終わって挨拶に伺ったとき、事情を聞きました。

 知って尚、私は哲男さんに

 「今日は参りました。また来年、会いましょう!」

 と。








 「もうひとつの主題」やアレルギーのショックで嵐のように過ぎ去った10月、やっと見ることのできた岩手日報に…目が点になりました。






 「来年」に…会えなくなってしまいました。





 なくなる10日ぐらい前まで、グラウンドに居続けたのですね。
 

 
 
 私は深田哲男さんを野球の面からしか知りません。


 それでも、訃報を聞いたときは寂しかった。もう球場で会うことがかなわぬことに。



 57年間社会人野球選手として、そして79年を生き抜いてきたことに心より敬意を表します。

 深田哲男さん。

 ありがとうございました。

(文中、敬称略しました)



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