6.見せた王冠の意地…そして。
クラブカップ東日本大会。初日の第4試合は、試合開始1時間経過しても、終わったのは2回まで。前編で触れた親子さんも、残念ながら3回終わった時点で自宅に帰らざるを得なかった。5回あたりからナイター点灯。
王冠は2回から、これも若手の佐藤投手が投げていたが、中盤にポロポロと点を取られる。しかし、まわりの選手が「まだあきらめんな!」「踏ん張れ佐藤!」と声をかける。身体面ではアップアップの様子だったが、気持は切れていなかった、と思う。
大体気持で切れていたら、初回の5点で試合の流れ決まってしまって、7回コールドで試合は終わってしまっている。だが、王冠はあきらめてはいなかった。2回に早々と追いつき、点を取られてもすぐに追いついていた。
エースの三浦勉投手の姿が見えなかったが、それでも粘って粘って、活路を見出そうとしていた王冠。気がつけば夜もとっぷり暮れ、4時頃に始まった試合も最終回になる頃には既に7時。どこかで花火大会も始まっていました。
9回表。三浦裕投手が3失点。これで高崎勝負ありかと思われた。
でも9回。ここまでベンチを暖めていた選手達が怒涛の反撃を試みる。
気がつけば1点、また1点。
あと一点で延長に持ち込める。タイブレークなら何が起きるか分からない。
しかし、最後代打に出た若手選手が、粘り及ばず…。
相手3投手に233球投げさせる猛烈な粘り及ばず、王冠は敗れました。
試合後。
「赤崎の応援団の方ですね。『頑張って』と伝えてください。」
この言葉に、応えなきゃ。
そういう思いで、12時間いた野球場を後にしました。
7.一晩明けて。宇都宮戦。
試合終了後、その足で選手たちが泊まっている旅館へ。
同級生の選手2人に、先の2試合のレポートを渡し、簡単なミーティングをしました。他の選手は既に寝入った、との事。そんな中起きて対応してくれた事にひたすら感謝、です。
今回の遠征では私は別な旅館をとっていたので、そちらに向かい素泊りで休みました。この暑ささえなければ車中泊というのも考えましたが、今回の天気でそれをしたら間違いなく死にます。この判断正しく、何とか体休める事が出来まして…一晩明けました。
翌朝。前日の雨が効いたのか、少しは涼しい1日の幕開けとなりましたが、それでも7時、8時となるにつれ温度は上昇カーブを描き出していました。この日の相手、宇都宮は足利の影には隠れていますが、それでも時折北関東の大会にも進出するチーム。油断は出来ません。
いざ試合をしてみたら、サードコーチャーにいた監督さんの明るさに象徴される「勢いのいい野球」にあおられ苦戦。一進一退の展開に持ち込んだ後、終盤に何とか突き放し、決勝に進出できました。この試合は複数の若手選手も起用し、辛抱強く支えながら勝つことが出来た、という意味でも大きいものがありました。
第二試合。北関東勢同士の対決は高崎がわずかな好機を活かし、1-0で日立に勝利。この大会の優勝をかけて、赤崎と高崎の決勝が行なわれます。
8.4点差ひっくり返して勝った…優勝!
試合の経過に関しては「その163~」に書きましたのでそれは繰り返しません。
ほんでも、前日は伊勢崎とのタイトなゲーム。この日も厳しい試合をして、更に北関東でも有数のチームとぶつかる。ま、こういう大会は「有力チームのぶつかり合い」というのが当たり前ですが、それでも試合前にはすごいマイナスな気分にもなったりしています。
でも、応援団もそれではわんない、試合やる以上は、馬鹿になってでも勝ちに行く。そう気を入れなおし、応援体制を整えて試合に臨みました。
試合は2点を先制した赤崎ですが、4回に大どんでん返しを食らい、2-6という差にされてしまいます。でも、今だから話せるけど、試合に負けるつもりも、そんなムードも持ちませんでした。
5回に2点を入れると、6回には一気6点。
チャンステーマに設定した『Feel My Heart』(byE・L・T)の効果も少しはあったのでしょうか。もちろん乗せたのは選手達の力ですが、一気にムードを赤崎に持ってきました。
そして、8回。
ケガをしてケンケン歩きで試合に出ている村上修君や、普段チーム練習ではサポートにまわり、様々な場面でチームを支えている金野伸さんが痛烈な当たりを飛ばし、点を重ねていきます。そして、最後決めたのは4番打者・佐藤琢哉君の一撃でした。
レフトへ高く打ち上げた当たりは、左翼手の向こうに落ち、その間にランナー二人が生還(最初のランナーがホームベース踏んだ時点でゲームセット)。
琢哉君は最初、何が起きたか分からないような様子を見せましたが、コールド成立を知るや、ほころんだ表情に。
そう、優勝です。
この大会に参加した8チームの頂点に立ったのでした。
今年はクラブ県、東北、都市対抗。
そのいずれもで悔しい敗戦を喫してきました。
それだけに、その嬉しさにはひとしおのものがあったのでしょう。
素直に泣けましたよ。本当に。
9.選手達を見送って。俺は迷子と熱中症になって。
閉会式では、選手達の奮闘と並んで、私の行動にも予想外の評価をいただきました。まずはこの事にビックリ。マイクの故障もあって、スタンドのお客さんには様子がすぐには分らない状態ですが、頑張った選手それぞれに表彰受けまして…閉会式も終わり、私はグラウンドに降りました。
選手達と喜びを分かち合いたくて。
集合写真は、俺が写る筋合いのものでもないのでその撮影の様子を見届けた後、磯谷監督の胴上げから加わらせていただきました。勝つ事…やって来たことが一番ベストの形で報われるもので、これが嬉しくない人はいません。
全てが終わった後、バスに乗って帰る選手を見送って、俺もゆっくり帰るか、と球場近くの風呂屋に入ったら…いました。選手達が。
やっぱりひとっ風呂浴びて汗流してから帰りたい、というのは誰もが考えた事でしたね。あれだけ1日ハードな試合を、暑い天気の中やったわけだから。
風呂から上がって。みんなそれぞれにこの大会に関して語り合っていました。
主軸として活躍した選手も、サポート役として頑張った選手も、これから伸びる選手も。
一言で言えば「いい光景」でした。
何かをやり遂げた人たちの“エピローグ”って感じで。
バスの出発時間が遅れたのはご愛嬌(翌日は月曜日。まだ仕事あるという人が多数です)でしたが、頑張りを見せた選手を、今度こそ見送ってから、私も大船渡への帰宅の徒につきました…と言えばカッコイイのですが、実態言えば国道4号線に出るのにまごつき、更に2日間の激しい行動は確実に私の体にダメージを刻み込んでもいましたので夜中に帰宅という行動は取れず、一晩休んで翌日に1日かけての帰宅というふうに相成りました。
10.あれから時が経ち。
この通り4泊4日の「クラブカップ遠征」をしてきたわけですが、試合でいい結果を残した事もあり、帰りはほとんど放心状態(運転に関すること以外では)になりながら大船渡までたどり着きまして。その後参加した毎日旗大会では苦杯も喫しましたが、それでも、この大会で普段住む環境とは違う中強豪チームを3つ破って優勝を果たした。その事には変わりありません。
クラブチームの記事書く時、いつも思うのは「周りの人の協力のありがたさ」です。
大船渡の企業も簡単に「ほれ言って来い」と言えるほど環境の整った企業も多くはなく、休日もはさむとはいえ、休みをある程度とるのも簡単ではありません。
そういう中、野球をする意義に理解を示していただき、選手を遠征に送り出していただいている関係者の皆様に、改めて…ありがとうございます。
8月16日にはこの大会の祝勝会も行われ、急遽の開催にもかかわらず多くの方々に赤崎クラブの優勝を祝っていただきました。
赤崎クラブは、2008年シーズンのたたかいを終え、来年への飛翔へ向けた準備を始めています…というよりは、野球のシーズン中お世話になった分、更に仕事に励んでいる、と言った方が正しいのでしょうか。
「仕事第一に。野球も頑張っている選手を応援しています。」
以前にも紹介しましたが、2005年以降の赤崎クラブで出している選手名簿に付属する宣伝欄では、この言葉と共に、選手達が勤めている職場名が記載されています。
会社だけではなく、家族や後援会の皆さんにも多大な力をいただき支えていただいている事もその通り。私はその人たちのような後押しは出来ないから、現場に行ってできる事を…と言う感じで関わらせていただいています。
前年の全国大会では何も出来なかった悔しさを、何ぼか返す事は出来たか?
でも、この優勝の味と言うのは噛み締めつつも、次のたたかいに向けて頑張る選手を後押しできれば…ですね。
私の最後の野球キャリアとなる赤崎野球クラブの一つの偉業。
これに関わった一人のバカの話に長いことお付き合いいただきましてありがとうございました。
クラブカップ東日本大会。初日の第4試合は、試合開始1時間経過しても、終わったのは2回まで。前編で触れた親子さんも、残念ながら3回終わった時点で自宅に帰らざるを得なかった。5回あたりからナイター点灯。
王冠は2回から、これも若手の佐藤投手が投げていたが、中盤にポロポロと点を取られる。しかし、まわりの選手が「まだあきらめんな!」「踏ん張れ佐藤!」と声をかける。身体面ではアップアップの様子だったが、気持は切れていなかった、と思う。
大体気持で切れていたら、初回の5点で試合の流れ決まってしまって、7回コールドで試合は終わってしまっている。だが、王冠はあきらめてはいなかった。2回に早々と追いつき、点を取られてもすぐに追いついていた。
エースの三浦勉投手の姿が見えなかったが、それでも粘って粘って、活路を見出そうとしていた王冠。気がつけば夜もとっぷり暮れ、4時頃に始まった試合も最終回になる頃には既に7時。どこかで花火大会も始まっていました。
9回表。三浦裕投手が3失点。これで高崎勝負ありかと思われた。
でも9回。ここまでベンチを暖めていた選手達が怒涛の反撃を試みる。
気がつけば1点、また1点。
あと一点で延長に持ち込める。タイブレークなら何が起きるか分からない。
しかし、最後代打に出た若手選手が、粘り及ばず…。
相手3投手に233球投げさせる猛烈な粘り及ばず、王冠は敗れました。
試合後。
「赤崎の応援団の方ですね。『頑張って』と伝えてください。」
この言葉に、応えなきゃ。
そういう思いで、12時間いた野球場を後にしました。
7.一晩明けて。宇都宮戦。
試合終了後、その足で選手たちが泊まっている旅館へ。
同級生の選手2人に、先の2試合のレポートを渡し、簡単なミーティングをしました。他の選手は既に寝入った、との事。そんな中起きて対応してくれた事にひたすら感謝、です。
今回の遠征では私は別な旅館をとっていたので、そちらに向かい素泊りで休みました。この暑ささえなければ車中泊というのも考えましたが、今回の天気でそれをしたら間違いなく死にます。この判断正しく、何とか体休める事が出来まして…一晩明けました。
翌朝。前日の雨が効いたのか、少しは涼しい1日の幕開けとなりましたが、それでも7時、8時となるにつれ温度は上昇カーブを描き出していました。この日の相手、宇都宮は足利の影には隠れていますが、それでも時折北関東の大会にも進出するチーム。油断は出来ません。
いざ試合をしてみたら、サードコーチャーにいた監督さんの明るさに象徴される「勢いのいい野球」にあおられ苦戦。一進一退の展開に持ち込んだ後、終盤に何とか突き放し、決勝に進出できました。この試合は複数の若手選手も起用し、辛抱強く支えながら勝つことが出来た、という意味でも大きいものがありました。
第二試合。北関東勢同士の対決は高崎がわずかな好機を活かし、1-0で日立に勝利。この大会の優勝をかけて、赤崎と高崎の決勝が行なわれます。
8.4点差ひっくり返して勝った…優勝!
試合の経過に関しては「その163~」に書きましたのでそれは繰り返しません。
ほんでも、前日は伊勢崎とのタイトなゲーム。この日も厳しい試合をして、更に北関東でも有数のチームとぶつかる。ま、こういう大会は「有力チームのぶつかり合い」というのが当たり前ですが、それでも試合前にはすごいマイナスな気分にもなったりしています。
でも、応援団もそれではわんない、試合やる以上は、馬鹿になってでも勝ちに行く。そう気を入れなおし、応援体制を整えて試合に臨みました。
試合は2点を先制した赤崎ですが、4回に大どんでん返しを食らい、2-6という差にされてしまいます。でも、今だから話せるけど、試合に負けるつもりも、そんなムードも持ちませんでした。
5回に2点を入れると、6回には一気6点。
チャンステーマに設定した『Feel My Heart』(byE・L・T)の効果も少しはあったのでしょうか。もちろん乗せたのは選手達の力ですが、一気にムードを赤崎に持ってきました。
そして、8回。
ケガをしてケンケン歩きで試合に出ている村上修君や、普段チーム練習ではサポートにまわり、様々な場面でチームを支えている金野伸さんが痛烈な当たりを飛ばし、点を重ねていきます。そして、最後決めたのは4番打者・佐藤琢哉君の一撃でした。
レフトへ高く打ち上げた当たりは、左翼手の向こうに落ち、その間にランナー二人が生還(最初のランナーがホームベース踏んだ時点でゲームセット)。
琢哉君は最初、何が起きたか分からないような様子を見せましたが、コールド成立を知るや、ほころんだ表情に。
そう、優勝です。
この大会に参加した8チームの頂点に立ったのでした。
今年はクラブ県、東北、都市対抗。
そのいずれもで悔しい敗戦を喫してきました。
それだけに、その嬉しさにはひとしおのものがあったのでしょう。
素直に泣けましたよ。本当に。
9.選手達を見送って。俺は迷子と熱中症になって。
閉会式では、選手達の奮闘と並んで、私の行動にも予想外の評価をいただきました。まずはこの事にビックリ。マイクの故障もあって、スタンドのお客さんには様子がすぐには分らない状態ですが、頑張った選手それぞれに表彰受けまして…閉会式も終わり、私はグラウンドに降りました。
選手達と喜びを分かち合いたくて。
集合写真は、俺が写る筋合いのものでもないのでその撮影の様子を見届けた後、磯谷監督の胴上げから加わらせていただきました。勝つ事…やって来たことが一番ベストの形で報われるもので、これが嬉しくない人はいません。
全てが終わった後、バスに乗って帰る選手を見送って、俺もゆっくり帰るか、と球場近くの風呂屋に入ったら…いました。選手達が。
やっぱりひとっ風呂浴びて汗流してから帰りたい、というのは誰もが考えた事でしたね。あれだけ1日ハードな試合を、暑い天気の中やったわけだから。
風呂から上がって。みんなそれぞれにこの大会に関して語り合っていました。
主軸として活躍した選手も、サポート役として頑張った選手も、これから伸びる選手も。
一言で言えば「いい光景」でした。
何かをやり遂げた人たちの“エピローグ”って感じで。
バスの出発時間が遅れたのはご愛嬌(翌日は月曜日。まだ仕事あるという人が多数です)でしたが、頑張りを見せた選手を、今度こそ見送ってから、私も大船渡への帰宅の徒につきました…と言えばカッコイイのですが、実態言えば国道4号線に出るのにまごつき、更に2日間の激しい行動は確実に私の体にダメージを刻み込んでもいましたので夜中に帰宅という行動は取れず、一晩休んで翌日に1日かけての帰宅というふうに相成りました。
10.あれから時が経ち。
この通り4泊4日の「クラブカップ遠征」をしてきたわけですが、試合でいい結果を残した事もあり、帰りはほとんど放心状態(運転に関すること以外では)になりながら大船渡までたどり着きまして。その後参加した毎日旗大会では苦杯も喫しましたが、それでも、この大会で普段住む環境とは違う中強豪チームを3つ破って優勝を果たした。その事には変わりありません。
クラブチームの記事書く時、いつも思うのは「周りの人の協力のありがたさ」です。
大船渡の企業も簡単に「ほれ言って来い」と言えるほど環境の整った企業も多くはなく、休日もはさむとはいえ、休みをある程度とるのも簡単ではありません。
そういう中、野球をする意義に理解を示していただき、選手を遠征に送り出していただいている関係者の皆様に、改めて…ありがとうございます。
8月16日にはこの大会の祝勝会も行われ、急遽の開催にもかかわらず多くの方々に赤崎クラブの優勝を祝っていただきました。
赤崎クラブは、2008年シーズンのたたかいを終え、来年への飛翔へ向けた準備を始めています…というよりは、野球のシーズン中お世話になった分、更に仕事に励んでいる、と言った方が正しいのでしょうか。
「仕事第一に。野球も頑張っている選手を応援しています。」
以前にも紹介しましたが、2005年以降の赤崎クラブで出している選手名簿に付属する宣伝欄では、この言葉と共に、選手達が勤めている職場名が記載されています。
会社だけではなく、家族や後援会の皆さんにも多大な力をいただき支えていただいている事もその通り。私はその人たちのような後押しは出来ないから、現場に行ってできる事を…と言う感じで関わらせていただいています。
前年の全国大会では何も出来なかった悔しさを、何ぼか返す事は出来たか?
でも、この優勝の味と言うのは噛み締めつつも、次のたたかいに向けて頑張る選手を後押しできれば…ですね。
私の最後の野球キャリアとなる赤崎野球クラブの一つの偉業。
これに関わった一人のバカの話に長いことお付き合いいただきましてありがとうございました。